今日のできごと
2016/9/6(火)

先日、風土記を訪ねる会代表の川島芙美子さんの講演会に行きました。
お話によると古代出雲は、今の出雲市の大社があるあたりではなく、
荒島から安来、米子に至るまでの、東方が中心だったそうです。
確かに古墳は、西側よりも東方に集中しています。
先日登った造山古墳も荒島にありますし、それ以外の古墳も
東側に多く存在しています。
古事記や日本書紀や万葉集を引用して、お話しくださったのですが
実にこの近辺に実際にある地名が出てきて、興味深かったです。
古事記に出てくる地が、実際に行こうと思えば行けるところに
あるというのが、驚きでした。
逆に言うと、この地に住んでいながら古事記などを知らないでいる
というのは、地域の常識を知らないということになりそうです。
特に出雲国風土記は、知らないと地域の背景がわかりませんので、
内容を把握しておく必要があるでしょう。
これだけ身近な地名が出てくれば、興味深く読めると思います。
聖書と違うのは、いわゆる「教えというものがない」ということです。
物語であって、これをしてはいけない、これをしなければならない、
という戒めのようなものが、ほとんど見当たりません。
この点について、以前、佐太神社の神主さんとお話をしたとき
伺ってみました。(佐太神社:松江市鹿島町佐陀宮内73)
「神道の教えとは、いったいどういうものなんですか?」
と質問してみたところ、
「神道には、いわゆる教えというものがないんですよ」
と答えてくださいました。
祭りや儀式はあっても、「神道には教えがない」ということでした。
ですから集まっても、祭りをしたり行事をしたりはするそうですが
教えを語ったり、広めたりはしないということでした。
「死後についてはどうなんですか?」と聞いたのですが、
「わかりません」とのことでした。
神道に対する知識がなかったので、ちょっと驚きました。
それに対して聖書は、全巻通して神の教えに満ちています。
逆に、神の教えを聴いてそれに従うことが、求められています。
その教えの土台は、神を愛し、隣人を愛することです。
【今日の聖書】
キリストの言葉があなたがたの内に豊かに宿るようにしなさい。
知恵を尽くして互いに教え、諭し合い、
詩編と賛歌と霊的な歌により、
感謝して心から神をほめたたえなさい。
コロサイの信徒への手紙 3章16節