今日のできごと


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2016/9/21(水)


 今日は、マルコによる福音書の2章1〜12節を一緒に読み
 分かち合いをしました。聖書の中でも有名な、
 4人の友達が屋根をはがして、中風の人をつり下ろした箇所です。

 四人の男が中風の人を運んで来た。
 しかし、群衆に阻まれて、
 イエスのもとに連れて行くことができなかったので、
 イエスがおられる辺りの屋根をはがして穴をあけ、
 病人の寝ている床をつり降ろした。
 マルコによる福音書 2章3〜4節

 イエス様のところに行こうにも、人が家にいっぱいで
 入れないから、屋根をはがして穴をあけてつり下ろしたのです。
 人の家の屋根をはがして、イエス様のところに...

 普通一般常識で考えたら、それは犯罪行為です。
 今の日本でいえば、器物損壊罪に問われるところです。
 それが気心知れてる知人の家だったとしても、ためらわれます。

 よくぞそこまでやって、病人をイエス様の所に運んだものだ、と
 最後まであきらめなかった姿勢に、驚かされます。
 そういう点が、最も印象的な箇所です。

 けれども今日は、もう少し違った観点からこの箇所を見てみました。
 癒された中風の人は、イエス様から何を聞いて、何を聞かなかったか、
 という点について注目してみました。

 1.中風の人が聞いていなかったこと

 中風の人が聞いていなかったこと、それは端的に言って、
 家の中で語られていた「イエス様のメッセージ」です。
 はじめは、戸の外です。着いたときにはすでに大勢の人々がいました。

 すでにメッセージは始まっていたのです。
 すでに語られてしまったメッセージは、
 もう一度、同じ話を繰り返してもらわないことには、聞けません。

 そして、家の中に入れませんでしたので、戸の外です。
 もしかしたら、少しは聞こえていたかもしれませんが
 大勢の人がいる家の中での話が、きちんと聞き取れたとは思えません。

 次は屋根の上です。
 屋根を通して、話されている言葉が少しは聞こえたかもしれません。
 けれども、すでに始まっていたメッセージを

 途中から、しかも屋根越しにきちんと理解できたかどうか
 これは、わかりません。おそらく
 ほとんどわからなかったのではないでしょうか?

 続いて、つり降ろされているときです。
 もはや、そのような状況で、イエス様が話し続けられていたとは
 考えられません。

 屋根から降りてくる病人によって、話は中断させられ、
 みんなは一斉につり降ろされてくる病人に目を注ぎ、
 彼が、注目のまとになっていたに違いありません。

 最後に、癒された後です。
 「家に帰りなさい」とイエス様に言われるままに、
 出て行ってしまっています。

 もう少し滞在して、イエス様のお話を聞くために
 そこにいたというわけではないのです。
 ですから、中風の人はイエス様の話されていることを、

 ほとんど聞けなかったと考えられます。
 この中風の病人が、ちゃんと聞いていなかったこと、
 それは、家の中で語っておられたイエス様のメッセージなのです。

 2.中風の人が聞いたこと

 それでは、この中風の人がイエス様からはっきり聞いたことは
 いったい何だったでしょうか?

 イエスはその人たちの信仰を見て、
 中風の人に、「子よ、あなたの罪は赦される」と言われた。
 マルコによる福音書 2章5節

 中風の人がイエス様からはっきり聞いたこと、それは
 「子よ、あなたの罪は赦される」という罪のゆるしの宣言です。
 私の罪がゆるされているということを、聞いたのです。

 その後、イエス様が律法学者たちに語った言葉も聞きましたが、
 イエス様が「起き上がり、床を担いで家に帰りなさい。」
 と言われると、そのまま起き上がって家に帰って行ったのです。

 「わたしはあなたに言う。起き上がり、
  床を担いで家に帰りなさい。」
 マルコによる福音書 2章11節

 彼が、イエス様から聞いたメッセージは、
 「子よ、あなたの罪は赦される」という一言でした。
 イエス様が罪をゆるす権威を持っておられるということも

 聞きましたが、自分に対するメッセージは、
 「子よ、あなたの罪は赦される」でした。
 彼の中風という病気は、イエス様によって癒されました。

 けれども、癒された後、イエス様の語られるメッセージの続きを
 聞くこともなく、帰って行ったのです。
 せっかくイエス様の所にきて、癒されたのに、

 彼は、「子よ、あなたの罪は赦される」というメッセージを
 聞いただけで帰って行ったのです。
 もし自分だったら、癒された感謝でいっぱいになって、

 もっともっとイエス様の所にいて、その語られることを聞きたいと、
 思ったのではないかと思います。
 しかし、イエス様は帰りなさいと言われました。

 この中風の人にとって、最も聞かなければならなかったことは、
 家の中でイエス様が語っておられた話ではなく、
 「子よ、あなたの罪は赦される」というメッセージだったのです。

 それで充分だったのです。

 おわりに

 私たちが聖書のこの箇所を読むとき、
 その家の中でイエス様は、中風の人が来るまで、
 いったいどんな話をしていたのだろうか?と知りたくなります。

 イエス様の話されていた内容については、一切触れられていません。
 私たちも中風の人と同じように、その内容を知ることができません。
 ただ中風の人が来た時の経緯しか、わかりません。

 この聖書の個所から、私たちが教えられる重要なことは、
 イエス様が、罪をゆるす権威をもったお方であるということです。
 家の中の話を省略してでも伝えたかったのは、そこなのです。

 そして、イエス様はその権威を使って中風の人の罪をゆるされました。
 また同時に病気も癒してくださいました。
 私たちにとって、最も必要なことそれは病の癒し以上に罪の赦しです。

 そのことを、この箇所から教えられます。
 それこそが、私たちにとって最も大切なことだからです。
 その罪のゆるしを、あなたも受け取りなさいというメッセージが

 この聖書の個所から、聞こえてくるのです。
 「子よ、あなたの罪は赦される」というイエス様の言葉は
 まさに、今の私たちに対しても、語られている言葉なのです。

 【今日の聖書】
 イエスはその人たちの信仰を見て、中風の人に、
 「子よ、あなたの罪は赦される」と言われた。
 ところが、そこに律法学者が数人座っていて、
 心の中であれこれと考えた。

 「この人は、なぜこういうことを口にするのか。
  神を冒涜している。神おひとりのほかに、
  いったいだれが、罪を赦すことができるだろうか。」

 イエスは、彼らが心の中で考えていることを、
 御自分の霊の力ですぐに知って言われた。
 「なぜ、そんな考えを心に抱くのか。
  中風の人に『あなたの罪は赦される』と言うのと、
  『起きて、床を担いで歩け』と言うのと、
  どちらが易しいか。

  人の子が地上で罪を赦す権威を持っていることを
  知らせよう。」

 そして、中風の人に言われた。
 「わたしはあなたに言う。起き上がり、
  床を担いで家に帰りなさい。」

 マルコによる福音書 2章5〜11節


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