今日のできごと


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2016/8/25(木)


 今日は、元雑賀公民館の館長をされていた方から、
 近代の松江市の偉人と言われている人について、
 いろいろと教えていただきました。

 国を動かした松江市の3大偉人は、次の3人だそうです。

No.氏名どういう人物か
1梅 謙次郎法政大学初代総理 民法の父
日本民法の三起草者のうちの一人
2若槻 禮次郎第25代、第28代総理大臣
大正14年 普通選挙法の制定
3岸 清一国際弁護士 近代スポーツの父
代々木の岸記念体育会館

 特に若槻氏は
 「貧乏をばねに苦学を重ねて、一国のリーダーとなった」人物で、
 「平民でも国を動かすリーダーになれることを示した」そうです。

 若槻氏は、13歳の時に、次のような「読書論」という作文を書いています。

 「書を読む、必ずこれを学問と言うかな、曰く然り。
  書を読む、必ずこれを学問と言うかな、曰く然らず。
  これを読書にかりてこれを実行に得るなり。

  実行に得て後真の学問と言う。
  然らばすなはち読書は学問の階梯1にして、
  実行は学問の高楼2なり。

  書を読んで行に得ざる、階に登って楼に至らざるものなり。
  語に曰く、君父3に事へ、忠孝4を尽くし、行善誠なるものは、
  未だ学ばずといえども、吾之を学ぶと言わんと。

  今、此こに一人あり、書に於いて読まざるなく、
  而して行を修めず、事不善多し、人皆もって賢となす、
  もしこれ等の人を曾子5にあわしめば、

  必ずこれ学ばず、読まざるの人と言わん。
  嗚呼書を読まざる、学問にあらず、
  書を読んで之を行に得ざる、又学問に非ず。

  真の学問は、則ち之を読書にて、之を実行に得るなり。」

  注1 階梯 階段のこと
  注2 高楼 高く造った建物のこと
  注3 君父 主君と父親のこと
  注4 忠孝 君主に対する忠義と親に対する孝行のこと
  注5 曾子 孔子の弟子で、儒教黎明期の重要人物、教育者

 曾子という名前が出てくることから、
 儒教の教えを受けていたことが、わかります。
 ですから若槻氏が「書」としているのは、すべての書物でなく

 四書五経に代表される、儒教の経書のことを
 指しているのかもしれません。しかしいずれにせよ、
 ここで若槻氏が言いたかったことは、

 書物を読んでも、そこに書かれていることを行わないのなら、
 「それは、学問でも何でもない」ということです。
 なるほど、聖書と似ているところがあるなと思います。

 ヤコブの手紙の中に、次のような一節があります。

 わたしの兄弟たち、
 自分は信仰を持っていると言う者がいても、
 行いが伴わなければ、何の役に立つでしょうか。

 そのような信仰が、
 彼を救うことができるでしょうか。
 ヤコブの手紙 2章14節

 行いの伴わない信仰というのは、あり得ないのです。
 信仰を持ったならば、必ずそれに伴う行いが生じる
 ということが語られています。

 着るものも食べるものもない兄弟姉妹に、
 ただ言葉だけをかけても、実際に食べ物や服を与えないなら
 それは、むなしいことであるというのと同じです。

 もし、兄弟あるいは姉妹が、
 着る物もなく、その日の食べ物にも事欠いているとき、
 あなたがたのだれかが、彼らに、

 「安心して行きなさい。温まりなさい。
  満腹するまで食べなさい」と言うだけで、
 体に必要なものを何一つ与えないなら、何の役に立つでしょう。
 ヤコブの手紙 2章15〜16節

 実際にものを与えて初めて、
 その人を愛していることが、示されます。
 見えない愛の存在が、与える行為を通して表されます。

 目に見えない信仰が、こうやって目に見えてくるのです。

 【今日の聖書】
 信仰もこれと同じです。
 行いが伴わないなら、信仰はそれだけでは死んだものです。
 ヤコブの手紙 2章17節


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