今日のできごと
2016/7/1(金)

子供のころ、夏になると友人たちと一緒に、
よく近くの遊園地の流れるプールに行って、遊びました。
無料券をいただいたりしたこともあって、度々行っていました。
それほど泳げなくても、流れに乗ってしまえば進むので
泳いだ気分になれて、楽しかったです。
雨の日に震えながら、唇を紫色にして泳いでいたことや、
沈みゆく夕日に照らされた水面を見ながら、
友人のお父さんたちと一緒に、泳いでいたことを思い出します。
ときどき、プールの底に100円玉が落ちていたこともありました。
流れるプールは、流れに乗ってしまえば勝手に進んでくれます。
逆に、流れるプールを逆行しようとすると、大変です。力がいります。
最近は逆に歩くという、エクササイズが流行っていますが、
水の抵抗がある分、体に負荷がかかって良い運動になるようです。
昔は流れるプールは逆行禁止でしたが、最近はプールによっては、
水流に逆らって歩けるようにしているところも、あるようです。
聖書で抵抗といえば、使徒言行録の中に記されているパウロや、
ステファノを思い出します。ステファノは石で撃ち殺されてしまいます。
パウロも伝道旅行などで多くの人々から、様々な抵抗を受けています。
抵抗された原因、それは、キリストを伝えていたことにあります。
もしパウロが、伝道旅行の中でイエス・キリストを伝えていなければ
まったく語っていなかったらどうだったでしょうか?
あれほどのひどい抵抗は、受けなかったことでしょう。
パウロがキリストを伝えていたからこそ、抵抗が激しかったのです。
救い主にもかかわらず、わからない人にとっては悪者扱いだったのです。
キリストを知らずにいる大勢の人々の中で、
キリストを信じて、キリストを伝えていくというのは、
ちょうど流れるプールを、逆に進むのに似ています。
抵抗を受けて当たり前なのです。
みんながひとりをいじめている中で、いじめないでいるということは
抵抗を受けます。自分もいじめられる対象になります。
みんなが平気で悪いことをしているとき、
ひとりだけそれに加わらないのは、勇気がいります。
仲間はずれにもなります。悪口もたたかれます。
イエス様ご自身も、はなはだしい抵抗を受けられました。
批判され、悪霊の頭だと言われ、神を冒涜していると言われ
鞭で打たれ、最終的に十字架刑で殺されました。
人々から、抵抗の極みを受けられたのです。
それは、神のみこころをおこなっていたからでした。
的を得た行動をすればするほど、抵抗が大きくなります。
もし今そのような抵抗を受けているとしたら、
それは、イエス様ご自身がすでに受けられたことであり、
パウロもステファノも受けたことであったということを
思い出してください。
キリストを信じて生きるときには、抵抗を受けて当然なのです。
滅びに向かってつき進んでいる世の中の流れとは、
逆に向かって歩いているからです。
流れるプールを、逆向きに歩いているのと同じなのです。
世の流れに乗ってしまえば、楽ですし、抵抗は受けません。
その代わり、その流れの行き着く先は滅びなのです。
もし安穏な毎日を送っているとするなら、
私には何の抵抗もなく、毎日安泰だということであれば
それは、世の流れに流されてしまっているのかもしれません。
今一度、自分自身を吟味してみましょう。
【今日の聖書】
「狭い門から入りなさい。
滅びに通じる門は広く、その道も広々として、
そこから入る者が多い。
しかし、命に通じる門はなんと狭く、
その道も細いことか。
それを見いだす者は少ない。」
マタイによる福音書 7章13〜14節