明日は
武者の日ということで、松江市内では宣伝されています。
松江城内やその周辺で、多くのイベントが行われるようです。
武者だらけになるということです。
1.私たちは目に見えない戦いを戦っている
1.1 信仰の戦い
聖書にも戦いということが書かれています。
パウロはテモテに次のように書き送っています。
信仰の戦いを立派に戦い抜き、永遠の命を手に入れなさい。
命を得るために、あなたは神から召され、
多くの証人の前で立派に信仰を表明したのです。
テモテへの手紙一 6章12節
信仰は、すなわち戦いでもあるというのです。
誤解しないでいただきたいのは、実際の戦争ではないことです。
その戦いは、血肉によらない、目に見えない霊的なものです。
1.2 目に見えない敵との戦い
わたしたちの戦いは、血肉を相手にするものではなく、
支配と権威、暗闇の世界の支配者、
天にいる悪の諸霊を相手にするものなのです。
エフェソの信徒への手紙 6章12節
「天にいる悪の諸霊」という、神に反対する霊的存在があり
それらに対して、見えない戦いをしていくということです。
悪霊というと、そういう話はしたくないと思ってしまいがちですが、
事実、霊的な敵は、存在しています。
その霊的な敵が、私たちに敵対し私たちの信仰を覆し、
私たちを、破滅に陥れようとしています。
私たちを神から離れさせようと、戦いを挑んできます。
隙を狙っているのです。見えない火の矢を放ってくるのです。
愛する人たち、あなたがたに勧めます。
いわば旅人であり、仮住まいの身なのですから、
魂に戦いを挑む肉の欲を避けなさい。
ペトロの手紙一 2章11節
肉の欲は魂に戦いを挑むものです。
肉の欲に従って生きるようにとは、主は言われていません。
けれども敵対者は、肉の欲望に誘い込むように攻撃を仕掛けてきます。
肉の欲を突いて「欲に従え!」と誘う火の矢が飛んできます。
特に情欲に誘う攻撃が、旧約聖書の時代から多く見受けられます。
サムソンもダビデもソロモンも、女性の誘惑に負けました。
さらに貪欲、憎しみ、恨み、怒り、偽り、傲慢、自己義認などなど
神の言葉に反する、様々な誘惑がやってきます。
もしも、私たちが神に反する思いを抱き続けるなら、そこが隙になります。
目に見えない敵は、そこを付いてきます。
そして、さらに大きな罪へと誘い、
神から離れさせ滅ぼそうとするのです。
1.3 敵がまだ滅ぼされていないのは人間の救いのため
なぜ神は、敵をそのままにしておかれるのか?という疑問が生じます。
全能の神ならば、敵を滅ぼすことなど容易ではないか?と思われます。
もし今すぐに、それらの敵を滅ぼしてしまわれたらどうなるでしょう?
今現在、罪の中にいる人々すべても、同時に滅ぼすことになります。
神を信じず、罪をキリストによって許されていない人々すべてです。
あまりにも犠牲が大きすぎるのです。
神は、すべての人々が救われて
真理を知るようになることを望んでおられます。
テモテへの手紙一 2章4節
神様は、一人も滅びないで皆が悔い改めることを願っておられます。
そしてそのために、忍耐しておられるのです。
ある人たちは、遅いと考えているようですが、
主は約束の実現を遅らせておられるのではありません。
そうではなく、一人も滅びないで皆が悔い改めるようにと、
あなたがたのために忍耐しておられるのです。
ペトロの手紙二 3章9節
2.私たちは目に見えない武器を与えられている
2.1 神の武具を身に着ける
私たちは戦いの中に置かれていますが、
そのために神様から、信仰の戦いのための武具を与えられています。
神の武具とは何でしょうか?
だから、邪悪な日によく抵抗し、すべてを成し遂げて、
しっかりと立つことができるように、神の武具を身に着けなさい。
立って、真理を帯として腰に締め、正義を胸当てとして着け、
平和の福音を告げる準備を履物としなさい。
なおその上に、信仰を盾として取りなさい。
それによって、悪い者の放つ火の矢をことごとく消すことができるのです。
また、救いを兜としてかぶり、霊の剣、すなわち神の言葉を取りなさい。
どのような時にも、“霊”に助けられて祈り、願い求め、
すべての聖なる者たちのために、
絶えず目を覚まして根気よく祈り続けなさい。
エフェソの信徒への手紙 6章13〜18節
@真理、A正義、B平和の福音の備え、C信仰、D救い、
E神の言葉、F祈り
これらのものが神の武具です。これらを実際に使っていくのです。
2.2 神の武具で実際に戦う
「悪い者の放つ火の矢をことごとく消すことができるのです。」
書いてとあります。
私たちに降りかかってくる火の矢は、何でしょうか?
神の言葉に反する言葉が、火の矢として飛んでくるのです。
たとえば「お前はもうゆるされない」という火の矢が飛んできます。
私たちの犯した罪をついて、そこを攻撃してきます。
「こういうことをしたおまえの罪は、もうゆるされない!」
「おまえはもうだめだ」
サタンは、私たちを神の前に訴えるものです。
主は、主の御使いの前に立つ大祭司ヨシュアと、
その右に立って彼を訴えようとしているサタンをわたしに示された。
ゼカリヤ書 3章1節
もしも「おまえはゆるされるはずがない!」という火の矢が降ってきたら
次のようなみ言葉で、返します。
御子イエスの血によってあらゆる罪から清められます。
ヨハネの手紙一 1章7節
自分の罪を公に言い表すなら、
神は真実で正しい方ですから、罪を赦し、
あらゆる不義からわたしたちを清めてくださいます。
ヨハネの手紙一 1章9節
「イエス・キリストの十字架の血潮で赦されています」という
信仰の大盾をもって、火の矢を防ぐのです。
ほかにも、神の言葉に反する攻撃はいろいろあります。
もしも「彼を憎みなさい!」という火の矢が降ってきたら、
「敵を愛し、自分を迫害する者のために祈りなさい。(マタイ5:44)」
「七の七十倍までも赦しなさい。(マタイ18:22)」
というみ言葉で返します。
もしも「不平不満を言いなさい!」というような火の矢が降ってきたら
「不平を言わずにもてなし合いなさい。(1ペト4:9)」
というみ言葉で返 します。
もしも「やられたらやり返せ!」という火の矢が降ってきたら、
「あなたがたを迫害する者のために祝福を祈りなさい。
祝福を祈るのであって、呪ってはなりません。(ローマ12:14)」
というみ言葉で返します。
もしも「苦しみを嘆きなさい!」という火の矢が降ってきたら
「むしろ、キリストの苦しみにあずかればあずかるほど喜びなさい。
それは、キリストの栄光が現れるときにも、
喜びに満ちあふれるためです。(1ペトロ4:13)」
というみ言葉で返します。
「祈っても無駄、祈らなくても大丈夫だ!」という火の矢が降ってきたら、
「絶えず祈りなさい。(1テサ5:17)」
「万物の終わりが迫っています。
だから、思慮深くふるまい、身を慎んで、よく祈りなさい。
(1ペトロ4:7)」というみ言葉で返します。
数え上げればきりがありませんが、日々瞬間瞬間この戦いが
私たちの心の中で、繰り広げられていくのです。
私たちは神の武具で身をよろい、神の武具で戦っていくのです。
その武器は、要塞をも破壊するほどの武器なのです。
わたしたちの戦いの武器は肉のものではなく、
神に由来する力であって要塞も破壊するに足ります。
わたしたちは理屈を打ち破り、
神の知識に逆らうあらゆる高慢を打ち倒し、
あらゆる思惑をとりこにしてキリストに従わせ、
また、あなたがたの従順が完全なものになるとき、
すべての不従順を罰する用意ができています。
コリントの信徒への手紙二 10章4〜6節
2.3 戦いの模範はイエス・キリスト
イエス様が、神の武具である「み言葉」で悪魔と戦ったことが
聖書に記されています。
すると、誘惑する者が来て、イエスに言った。
「神の子なら、これらの石がパンになるように命じたらどうだ。」
イエスはお答えになった。
「『人はパンだけで生きるものではない。
神の口から出る一つ一つの言葉で生きる』
と書いてある。」
マタイによる福音書 4章3〜4節
悪魔は、み言葉を利用してその解釈をねじ曲げて攻めてきますが、
そのときも正しくみ言葉を引用して、その攻撃に返しています。
次に、悪魔はイエスを聖なる都に連れて行き、
神殿の屋根の端に立たせて、言った。
「神の子なら、飛び降りたらどうだ。
『神があなたのために天使たちに命じると、
あなたの足が石に打ち当たることのないように、
天使たちは手であなたを支える』
と書いてある。」
イエスは、
「『あなたの神である主を試してはならない』
とも書いてある」と言われた。
マタイによる福音書 4章5〜7節
人間にとって一番弱いのは、欲望ではないでしょうか?
そこを突いて悪魔が攻撃してきたときも、
イエス様は、み言葉で反撃して勝利しています。
更に、悪魔はイエスを非常に高い山に連れて行き、
世のすべての国々とその繁栄ぶりを見せて、
「もし、ひれ伏してわたしを拝むなら、これをみんな与えよう」と言った。
すると、イエスは言われた。
「退け、サタン。
『あなたの神である主を拝み、ただ主に仕えよ』
と書いてある。」
マタイによる福音書 4章8〜10節
ことごとく神のみ言葉で戦っているのです。
そしてことごとく勝利しています。
み言葉で戦うとき、そこにあるのは勝利です。
3.勝利の主がともにおられるから勝てる
3.1 自分の力だけでは勝てない
私たち自身は、元々弱い存在ですから、自分の力だけで
神の武具で身をよろわないで、戦いに勝利することはできません。
私たちは、ちょうどオオカミの中にいる羊のようなものです。
行きなさい。
わたしはあなたがたを遣わす。
それは、狼の群れに小羊を送り込むようなものだ。
ルカによる福音書 10章3節
羊と狼が戦ったらどうでしょうか?
負けます。食べられてしまうでしょう。
しかも狼の群れであれば、なおさらです。
3.2 勝利の主が共にいてくださる
けれども、私たちが神の武具で身をよろって戦うときには、
勝利を与えてくださる力強い主も、ともにいてくださいます。
あなたがたには世で苦難がある。
しかし、勇気を出しなさい。
わたしは既に世に勝っている。」
ヨハネによる福音書 16章33節 抜粋
イエス・キリストは、世に勝たれたお方であり、
死に勝たれたお方であり、
悪魔に勝たれたお方なのです。
その勝利の主が、世の終わりまで私たちとともにいてくださるのです。
わたしは世の終わりまで、いつもあなたがたと共にいる。
マタイによる福音書 28章20節 抜粋
さらに私たちには、聖霊が与えられています。
この方は、私たちの力強い助け主、弁護者です。
どんなに私たちが攻撃されても、力強い味方として弁護してくださり
助けてくださいます。
わたしは父にお願いしよう。
父は別の弁護者を遣わして、
永遠にあなたがたと一緒にいるようにしてくださる。
ヨハネによる福音書 14章16節
3.3 勝利することができる
勝利を与えてくださる力強い主が、
信じる者たちと、ともにいてくださるので
信じる私たちは、戦いに勝利することができるのです。
神から生まれた人は皆、世に打ち勝つからです。
世に打ち勝つ勝利、それはわたしたちの信仰です。
ヨハネの手紙一 5章4節
イエス・キリストを神の子救い主と信じる人は
だれでも勝利するのです。
だれが世に打ち勝つか。
イエスが神の子であると信じる者ではありませんか。
ヨハネの手紙一 5章5節
どんなものも、私たちを主から引き離すことはできません。
主が共にいてくださるなら、何も恐れることはありません。
反対し引き離そうとするすべてのものに、勝利できます。
しかし、これらすべてのことにおいて、わたしたちは、
わたしたちを愛してくださる方によって輝かしい勝利を収めています。
ローマの信徒への手紙 8章37節
ただ私たちが、自分から主から離れようとしてはいけません。
主から離れたら、負けてしまいます。
主とともにいるなら、絶対に負けることはありません。
信仰の戦いを、勇ましく戦い抜いていきましょう。
パウロのように、最後まで信仰を守り抜いていきましょう。
わたしは、戦いを立派に戦い抜き、
決められた道を走りとおし、
信仰を守り抜きました。
テモテへの手紙二 4章7節
そして戦い抜いた後、そこに待っているのが永遠の命なのです。
素晴らしい大きな報いが待っているのです。
パウロはそれを信じていました。
今や、義の栄冠を受けるばかりです。
正しい審判者である主が、
かの日にそれをわたしに授けてくださるのです。
しかし、わたしだけでなく、
主が来られるのをひたすら待ち望む人には、
だれにでも授けてくださいます。
テモテへの手紙二 4章8節
パウロだけでなく、主が来られるのをひたすら待ち望む人には、
だれにでも、義の栄冠が授けられるのです。
むすび.
イエス・キリストを信じたら、罪の赦しと永遠の命をいただきます。
心の平安をいただき、感謝と喜びの日々がやってきます。
神に愛され神を愛する、素晴らしい人生に導き入れられます。
しかし、信仰を持ったその日から、
実は誰もが戦いの最前線に出ているのです。
自分の内なる罪との、また神に反逆する霊的な敵との、
霊的な信仰の戦いがはじまっていくのです。
信仰は、目に見えない霊的な戦いなのです。
誘惑に打ち勝ち、罪から離れる戦いなのです。
いつも勝利の主と共に、歩んでいきましょう。
罪から離れ、主を見あげて主と共に歩みましょう。
勝利の主が、私たちにも勝利を与えてくださいます。
【今日の聖書】
信仰の戦いを立派に戦い抜き、
永遠の命を手に入れなさい。
命を得るために、あなたは神から召され、
多くの証人の前で立派に信仰を表明したのです。
テモテへの手紙一 6章12節