今日のできごと


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2016/6/2(木)


 教会は、「イエス・キリストのからだである」と聖書に書かれています。

 教会はキリストの体であり、
 すべてにおいてすべてを満たしている方の満ちておられる場です。
 エフェソの信徒への手紙 1章23節

 そして教会の頭は、イエス・キリストです。

 キリストが教会の頭であり、自らその体の救い主であるように、
 夫は妻の頭だからです。
 エフェソの信徒への手紙 5章23節

 ですから教会は、頭であるイエス・キリストの願われることを
 行います。「互いに愛し合いなさい」とキリストは命じておられます。
 ですから教会は、そのように教え、それを実行していきます。

 イエス・キリストのみ心は、聖書を読むとわかります。
 聖書の中に明確に、何が神に喜ばれることで、
 私たちがすべきことなのかが、記されているからです。

 教会は、聖書に書いてあることを教え、それを行うところなのです。
 聖書には書いてあるけれども、これはあまり人に受け入れられないから
 一切教えず語らないでおこうということは、あり得ないことなのです。

 例えば、「罪を悔い改めなさい」と書いてあるけれども、
 そんなことを言ったら、人々の気分を害するからやめておこう、
 「罪」や「悔い改め」は語らないでおこう、というのでは誰も救われません。

 聖書には書いていないけれど、こうした方が多くの人に受け入れられるから
 付け加えてしまおうということも、一切しないのです。
 「あなたは良い人なので悔い改めなくても大丈夫です」などとは語りません。

 聖書に書かれていることを、そのまま教え、語っていくのが教会です。
 受け入れられてもられなくても、聖書を決して割り引かない、
 付け加えないで語るのです。

 【今日の聖書】
 この書物の預言の言葉を聞くすべての者に、わたしは証しする。
 これに付け加える者があれば、神はこの書物に書いてある災いを
 その者に加えられる。
 また、この預言の書の言葉から何か取り去る者があれば、
 神は、この書物に書いてある命の木と聖なる都から、
 その者が受ける分を取り除かれる。
 ヨハネの黙示録 22章18〜19節



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