今日のできごと
2016/4/21(木)

イエス・キリストの昇天後、聖霊が注がれるまで10日間ありました。
なぜ、10日間も待たなければならなかったのでしょうか?
キリストが昇天されてしまったら、地上に残されるのは弱い人間だけです。
残された人々にとって、イエス様が天に帰られた後
力を与えてくださる聖霊が、すぐにでも必要だったのではないでしょうか?
なぜ翌日とか、2〜3日後ではなかったのでしょうか?
彼らはエルサレムにいました。自宅に居たわけではありません。
ペトロやヨハネはもともとガリラヤの漁師です。
キリストの復活後、彼らがガリラヤ湖で漁をしていたことを考えれば
自宅は依然として、ガリラヤにあったことでしょう。
ですからエルサレムは旅先なのです。
旅先で10日間と言えば、長い日程です。
しかも祈っていた10日の間、御霊は下りません。何も起きていないのです。
「本当に、エルサレムで待っていなければいけないのだろうか?」
そんな疑問がわいてきてもおかしくないような、時が経過しています。
しかし、彼らは継続して祈りました。
イエス・キリストの言葉を信じて、忍耐して待ち望んで祈ったのです。
10日間の祈りの間に、いったい何が起こったでしょうか?
おそらく、祈っていた人々が整えられていったと考えられます。
祈りは、祈る人の心を変えます。
神様が祈りを通して、私たちを変えてくださるのです。
イエス・キリストの昇天の時に至っても、使徒たちは
「主よ、イスラエルのために国を建て直してくださるのは、この時ですか」
と見当違いの問いかけをしています。(使徒言行録1章6節)
けれども使徒たちは、10日間の祈りの中で変えられたことでしょう。
地上の国の復興を求めるのではなく、聖霊こそを求めるのだ!
という強い願いが起こされたに違いありません。
目に見える状況が、何一つ変わらなくても、
期待していることが、何も起こらなくても、
神の約束を信じて忍耐強く待つことの大切さを教えられます。
【今日の聖書】
彼らは都に入ると、泊まっていた家の上の部屋に上がった。
それは、ペトロ、ヨハネ、ヤコブ、アンデレ、フィリポ、トマス、
バルトロマイ、マタイ、アルファイの子ヤコブ、熱心党のシモン、
ヤコブの子ユダであった。
彼らは皆、婦人たちやイエスの母マリア、
またイエスの兄弟たちと心を合わせて熱心に祈っていた。
そのころ、ペトロは兄弟たちの中に立って言った。
百二十人ほどの人々が一つになっていた。
使徒言行録 1章13〜15節