わたしは何も悪いことしていません!

ず、多くの場合わたしたちが考える善悪と、神にとっての善悪は違います。

果たして誰が善悪を定めるのでしょうか?もちろん私たちにその権利はありません。
私たちは創られたものにすぎないからです。

創造主である神だけが、善悪をきめることができます。
なぜなら神がすべてを創ったからです。

さて、その神はどのようなことが悪いと言っているのでしょうか?
まず神を知らないことが罪です。
神を知らずに自分勝手に、こうすることが良いことだと決めてしまっています。
たとえ、それがあなたの目にどんなに良く見えたとしても、神から見ると善悪を定めた方を
知らないことそのものが罪なのです。

こう言われても、自分が悪いということが、あまり分からないかもしれません。
では、次のような聖書のことばを読んでみたらどうでしょうか?



「彼ら(不義をもって真理をはばんでいる人々)は、

あらゆる不義と悪とむさぼりと悪意とに満ちた者、

ねたみと殺意と争いと欺きと悪だくみとでいっぱいになった者、

陰口を言う者、そしる者、神を憎む者、人を人と思わぬ者、

高ぶる者、大言壮語する者、悪事をたくらむ者、親に逆らう者、

わきまえのない者、約束を破る者、情け知らずの者、慈愛のない者などです。

彼らは、そのようなことを行えば、死罪に当たるという神の定めを知っておきながら、

それを行っているだけではなく、それを行う者に心から同意しているのです。」(ローマ人への手紙1:29−32)


あなたはいくつあてはまりましたか?
もしこの中のひとつにでもあてはまれば、あなたは死罪に値すると聖書は言っているのです。

「しかし、おくびょう者、不信仰の者、憎むべき者、人を殺す者、不品行の者、魔術を行う者、
偶像を拝む者、すべて偽りを言う者どもの受ける分は、火と硫黄との燃える池の中にある。
これが第二の死である。」(黙示録21:8)

聖書には「…人間には、一度死ぬことと死後にさばきを受けることが定まっているように、」とあり、
人間は一度死んでから、さばきの時があると警告しています。
人間は物質的な体だけではなく、霊があるからです。
その時に神の目から見て不義(正しくない)とされる者は、火と硫黄の燃える池の中で
永遠に苦しむのです。

それほど神は、私たちの罪を嫌っておられるのです。



それでは、この文章を書いている私はどうなのでしょうか?



聖書にはこうあります、

『では、どうなのでしょうか。私たちは他の者にまさっているのでしょうか。
決してそうではありません。私たちは前に、ユダヤ人もギリシヤ人も、
すべての人が罪の下にあると責めたのです。

それは、次のように書いてあるとおりです。

「義人はいない。神を求める人はいない。
すべての人が迷い出て、みな、ともに無益なものとなった。
善を行う人はいない。神を求める人はいない。」

「彼らののどは、開いた墓であり、彼らはその舌で欺く。」

「彼らのくちびるの下には、まむしの毒があり、」

「彼らの口は、のろいと苦さで満ちている。」

「彼らの足は血を流すのに速く、彼らの道には破壊と悲惨がある。また、彼らは平和の道を知らない。」

「彼らの目の前には、神に対する恐れがない。」

さて、私たちは、律法の言うことはみな、律法の下にある人々に対して言われていることを
知っています。それは、すべての口がふさがれて、全世界が神のさばきに服するためです。』
(ローマ人への手紙3:9-19)



そうです。このわたしも神の裁きを受けるに値する罪人です。
なぜなら、神の言われることを守れないからです。

私たちは神に反逆するという罪を、先祖と同じように犯しています。

「やった今日は多くの良いことができた」と思っても、
もし、ひとつの罪を犯すなら神はこう言われます。
「律法全体を守っても、一つの点でつまずくなら、
その人はすべてを犯した者となったのです。」(ヤコブの手紙2:10)

罪を犯した者は裁きを受けなければなりません。

あなたもその中のひとりです。





それじゃあ、だれも救われないんじゃないの?


なんで、聖書の神が本当の神だって言えるの?