日本同盟基督教団 小海キリスト教会です。

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牧師 荒籾 実

2017年6月11日 みことば 


  「ノアは、正しい人であって、その時代にあっても、
   全き人であった。ノアは神とともに歩んだ。」
 
                    創世記6章9節



2017年6月11日 メッセージ 荒籾実 牧師 

「異邦人伝道」            使途acts 14:8~18

異邦人に伝道する際に必要となることは、彼らに創造主なる神様の存在を明らか にし、人間が罪人であり、堕落した存在であることを自覚させることです。パウロたちは、自分たちが神として群衆により祭り上げられようとした時、彼らに向かって創造主なる神様について教えたのです。11〜18参照。異邦人は、世界を創造されたお方を神として礼拝する人々ではありません。異邦人は、創造主ではなく、 創造主であられる神様がお造りになられた被造物を神として拝む人々です。日本人も、その意味でパウロたちを神として祭り上げようとした群衆と同じであると言えます。日本には、八百万の神々があり、なんでも神として崇められ祭られています。 ですから、日本人に福音を伝えるためには、創造主なる神様がどのようなお方であるのかを明らかにし、すべてのものが神様によって造られた存在であることを教える必要があるので弓す。なぜなら、福音の種が蒔かれる人々の心の土壌を改良するためには、進化論ではなく、創造論を教える必要があるからです。聖書の一番初めにはじめに神が天と地を創造したと記されているのもその為です。人間が生活している世界が創造主なるお方によってデザインされ、目的をもって造られた被造物であることを知ることが人間にとって存在の目的を自覚する意味で重要なものとなります。人間が偶然、存在するようになったものではなく、造り主なる神様の素晴らし さを現すために人間が目的をもって造られた存在であることを知る時、人間は本来の尊厳を回復していきます。自己肯定感の低い日本人にとって自分が目的をもって造られた存在であり全能なる神様の最高傑作であることを知ることほど重要なことはありません。いてもいなくてもどちらでもよいものではなく、私たち一人一人はかけがえのない存在であり、創造主の目から見るならば全世界を与えるほどに尊い存在であることを知る時、その喜びは計り知れないものがあります。神様は、無条件でご自分の造られた人間を愛し続け、救いの手を差し伸べ続けておられます。ヨハネ3 :16参照 。
すでに神様は、2 0 0 O年以上も忍耐続け、まことの神様に立ち返るようにと福音を通して招き続けてくださっています。そして、異邦人伝道は、牧師や宣教師だけに限定された働きではなく、先に救われたすべての兄弟姉妹にも委ねられている尊い働きです。イエス様から与えられた異邦人伝道の使命に従って人々にまことの神様のことを伝えてまいりましょう。使徒13 : 4 7参照。

2017年6月4日 みことば 


  「人々は主の御名によって
   祈ることを始めた。」
 
                    創世記4章26節


2017年6月4日 メッセージ 荒籾実 牧師 

「苦難の先にある栄光」            使途acts 14:1~7

パウロたちは、アンテオケからイコニオムに足を運ぴ、そこでも宣教し続けます。 イエス様が救い主であり、神の御子であることを旧約聖書から教えていったその結果、信じる者と信じない者が現れます。真理は、人々に選択を迫るのです。福音を拒んだ人々は、パウロたちに対し悪意を抱くようになります。イエス様の弟子たちを人々が憎んだように教会から派遣されたパウロたちも同じように福音を拒む人々から憎まれるようになったのです。それは今も同じです。私たちが本気でみことばに従って生きようとする時、そこに何かしらの戦いが生じていきます。キリスト者は、争いを好んでいるわけではありませんが真理を語り、真理に従って行動することにより真理に背く人々の姿を明らかにしていくことになるのです。ちょうどイエス様が現れたことにより、権力者の不正が明らかにされていったのと同じ状況が生じてきます。光は、闇のわざを明らかにする性質があるのです。闇は、いつも光を消し去ろうと躍起になります。しかし、闇は、光に打ち勝つことができません。パウロたちは、福音を拒む人々がいることを承知のうえで大胆に福音を語り続けます。ユダヤ人の会堂を回り、信仰のみで救われるとユダヤ人と異邦人に向かって福音を語り続けます。そして、パウロたちは福音を受け入れた人々が信仰を堅く保つことができるように教理も教えたのです。信仰が単なる思い込みではなく、みことばによる確かな裏づけのあるものであり、イエス様の死と復活も旧約聖書から預言されてきた確かなものであることを教えます。人々は、自分たちが救われたことをみことばを通して確信し、罪の力から解放された喜びから、永遠のいのちに与る恵みを頂いたことを感謝して同じように救われる人々が起こされるようにと願い、福音を伝える人になったのです。私たちも、彼らと同じように福音を伝える者になることが期待されています。信仰故の苦難は、避けて通れません。イエス様が苦難の道を選ばれたように、弟子たちが苦難の道を選択したように、イエス様に従う者にも同じ選択が求められるのです。しかし、その選択は強いられたものではなく、自主的な選択です。イエス様から愛されていることを知った者は、喜んで信仰の故に苦しむ道を選択できるようになるのです。天においてイエス様から「良くやった忠実なしもべよ」とのお褒めの言葉をいただけるように地上における僅かな時を精一杯神様のために生きることで神様からいただいた命を使い尽くしたと言える最後を迎えられるように歩む者になりたいと願います。ヘブル12:1〜2参照"

2017年5月28日 みことば 


  「罪は戸口で待ち伏せして、
   あなたを恋い慕っている。
   だが、あなたは、それを治めるべきである。」
 
                      創世記4章7節

2017年5月28日 メッセージ 荒籾実 牧師 

「異邦人の光」            使途acts 13:44~52

 パウロたちが宣教すると多くの異邦人たちが会堂に押しかけて来ました。ユダヤ教の会堂が異邦人で一杯になる。この状況は、ユダヤ人にとって喜ばしいことでは ありません。なぜなら、ユダヤ人には神の選びの民であるという特権意識があり、 偶像崇拝をしてきた異邦人を軽蔑していたからです。パウロがその異邦人に対し、 律法を守らなくても、割礼を受けなくても信仰のみで神の御前に義とされ救われると教えられてはユダヤ人の立場がありません。ユダヤ人たちは、自分たちが大切にしてきた律法を軽視されていると誤解したのです。また、異邦人が簡単に救いに与る姿を見て嫉妬したのです。パウロたちに対する憎しみがユダヤ人たちのうちに燃え上ります。ちょうどイエス様を当時の権力者が妬んだように、パウロたちに対する妬みが憎しみに変わり、彼らに対する迫害となって現れたのです。44〜45参照。
パウロたちは、その迫害に対し、とても重要な宣言をここでユダヤ人と異邦人に対して発します。46節参照。パウロは、宣教に対する彼らの妨害が彼ら自身に災いをもたらすものであることを宣言したのです。神の選びの民であるユダヤ人が 救いを拒み、その結果、救いからかけ離れていると思われていた異邦人が代わりに救いに与ることになる時代が訪れたのだとパウロは人々に宣言します。
いつの時代でも、福音は人々に二つの選択を迫ることになります。なぜなら、みことばは簡単に聞き流すことのできないものであり、人間の永遠のいのちと永遠の滅びを決定することだからです。人間は、福音を受け入れるか拒むかどららかを選択しなければなりません。イエス様を救い主として受け入れる人々と拒む人々がいたように今も同じことが繰り返されているのです。
イエス様を「わが主、わが神」と告白し救いに与った者たちには、異邦人の光として、輝くことが期待されています。どんなに人間のうちにある闇が深くても、光であられるイエス様を主としてお迎えするならばその人も光と一つとされ、輝くことができるのです。私たちが自分のうちに住んでくださるイエス様に心の王座を明け渡し、自分のしたいことを優先させることをやめ、イエス様が望んでおられることを選択する時、私たちは輝くのです。人の目を気にすることをやめ、神様がどう生きることを喜ばれるかを常に考え、イエス様 の模範に倣い、小さき者たちに愛の業を実践することに全力を尽くす者になりたいと願います。祈り備えるならば、愛の業を実践する機会が与えられます。イエス様が自分にしてくださったことを思い出し、そのしていただいたことの一部でも他の人に実行できるように祈りつつ生活していこうではありませんか。

2017年5月21日 みことば 


  「すべての人は、罪を犯したので、
   神から栄誉を受けることができず、
   ただ、神の恵みにより、キリスト・イエスによる
   贖いのゆえに、値なしに義と認められるのです。」

                ローマ3章23~24節

 

2017年5月21日 メッセージ 荒籾実 牧師 

「神の恵みによる救い」            使途acts 13:13~43

 パウロたちは、いつものように安息日にユダヤ教の会堂に入ります。安息日には、いつも律法と預言者の朗読があり、その後、奨励の言葉が語られていました。 会堂管理者は、パウロとバルナバのもとに人を遣わし、二人のどちらかに奨励のことばを語るように依頼します。パウロは、その依頼を引き受け、人々に向かって語りはじめます。パウロは、まず、はじめにイスラエルの歴史を振り返り、そこに現された神様の恵みを語ります。16〜19参照。
神様は、ご自身の選ばれたイスラエルの民をエジプトの国の支配下から解放し、彼らを荒野に導かれます。イスラエルの民は、エジプトに滞在していた間に男子だけで6O万人となっていました。 ですから、彼らがエジプトを脱出した際、200万人以上の膨大な群れとなっていました。 神様は、その多くの民を荒野という何もない地に導かれ、彼らを試されます。彼らがまことの神様だけを信頼する者となるには荒野における40年の月日が必要だったのです。
イスラエルの民は、その後何度も神様以外のものに心を奪われ、神様に背を向ける態度を繰り返しとり続けます。神様は、イスラエルの民の背信の罪を何度も赦され、彼らを完全に滅ぼすことなく、彼らの子孫から救い主を誕生させてくださったのです。その救い主がイエス様であるとパウロは教えています。23参照。
神の選びの民であるユダヤ人は、そのイエス様を拒み、十字架にかけて殺すことを選択します。しかし、神様は、彼らの行動を予め知っておられイエス様の十字架の死を人類の救いのための賊罪の御業として受け取ってくださったのです。
イエス様の死と復活により、罪ある人間がその罪を赦され、神の御前に義とされる時代が到来したのだとパウロは教えています。38〜39参照。
ユダヤ人は、長い間、律法 を守ることにより、割礼を受けることにより、神様の御前に義とされ、救われると信じてきました。しかし、パウロは律法による義ではなく、信仰による義を宣言し、ユダヤ人だけでなく、異邦人にも救いの門が開かれたことを人々に明らかにしてい きます。この後、パウロは、信仰のみによって神様の御前に義と認められ救われると教えた為に迫害されるようになります。
パウロは、信仰のみによる救いを受け入れようとしない人々に対し、警告のことばをもって奨励の言葉を終えます。40〜 41参照。
パウロの奨励のことばを真摯に受け止め、神様の恵みにより救われ、神様の恵みにより生かされ、神様の恵みを日々体験できる幸いを感謝しつつ、神様の恵みによる救いを人々に証する者になっていきたいと願います。