日本同盟基督教団 小海キリスト教会です。

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牧師 荒籾 実

2018年4月8日 みことば 


   「このイエスを、神はよみがえらせました。
     私たちはみな、そのことの証人です。」
              
                使途2:32


2018年4月8日 メッセージ 荒籾実 牧師 

「主の励まし」       使途22:22〜23:11 

  パウロは、自分がローマ市民であることを明らかにすることにより議会で弁明する機会を得ます。神様は、約束どおりパウロを用いられ福音がユダヤ人だけでなく、異邦人にも宣べ伝えられる時代が訪れたことを世に証する者となりました。
 パウロは、ユダヤ最高議会のメンバーの前で彼らを恐れることなく大胆に振る 舞います。1節参照。パウロの言葉に大祭司であったアナニヤは、機嫌を悪くし パウロの口を打つように命じます。しかし、パウロは不当な扱いに対し抗議しア ナニヤを非難します。3〜5参照。さらに、議会のメンバーにパリサイ派に属する人々とサドカイ派に属する人々がいるのを見て、自分が訴えられている内容が死者の復活に関することであると説明したのです。復活問題は、パリサイ派とサドカイ派の間にあった意見の相違から激しい論争に発展し、議会で取り調べることは不可能となり、パウロの身柄は安全のために一時、兵営に移されます。6〜 10参照。
 パウロは、議会の席で大胆に振る舞っていましたが兵営の中に戻ると緊張が解れ、ほっとしたのでしょう。これからどうなるのか不安な気待ちになったのかも知れません。気落ちしたパウロに主は現れてくださり、彼を励まされたのです。「勇気を出しなさい。あなたは、エルサレムでわたしをあかししたように、 ローマでもあかしをしなければならない。」
パウロは、この主の言葉に励まされます。自分のしてきたことは間違っていなかった。たとえ、福音に耳を傾ける人がいないように思われる厳しい状況でも、自分の語る証を聞いた人々の中から一人でも悔い改めて神に立ち返る人が起こされるならばそれでよいのだと、先の見えない状況の中にも希望を見出し、大胆に福音を語る勇気が与えられたのです。そして、何より主が自分を使徒として任命してくださり、これからローマに行って同じことを語る使命が与えられていることをパウロは再確認します。主に励まされたパウロは、後に同労者のテモテを励ます人になります。「みことばを宣べ伝えなさい。時が良くても悪くてもしっかりやりなさい。寛容を尽くし、絶えず教えながら、責め、戒め、また勧めなさい。」Uテモテ4:2参照。
 神様は、パウロだけでなく、私たちにも同じように聖書のみことばを通して語りかけてくださっています。「勇気を出しなさい。」たとえ、福音を受け入れる人々がすくなくてもあきらめずに語り続けるように。どのように自分がキリストに出会い、救いに与ることができたのか。どのような者に変えられたのか。日々の生活の中で証をする機会が与えられるように祈り続け、証し続けるようにと励ましてくださるのです。

2018年4月1日 みことば 


   「ここにはおられません。
     前から言っておられたとおり、
     よみがえられたのです。

               マタイ28:6


2018年4月1日 メッセージ 荒籾実 牧師 

「いのちの宣言」       ヨハネ11:1〜6 17〜27 

  私たち人間にとって誰もが経験しなければならないことが一つあります。それは、死の問題です。いのちのある者は、必ず、いつか死ぬことが定められています。 それは、誰もが知っていることです。そして、死を恐れる思いもすべての人に与えられています。なぜ、私たちは死を恐れるのでしょうか。それは、死が神様の人間に対する刑罰だからです。創世記2:17参照。このように、死は神様からのさばきであり、のろいを意味しています。神様の命令に背いた人間が死ぬ者となったのは罪を犯した結果なのです。ですから、私たちは死を恐れるのです。
 マルタが兄弟ラザロの死に直面し、その死に対する悲しみと恐れをどのように乗り越え、希望をもつ者に変えられたのかをみてまいります。マルタは、イエス様のお力をよく知っていました。イエス様が歩けなかった人を癒され、目の見えなかった人の目を癒され、ロのきけなかった人を癒やすことのできるお方であることを知っていたからです。しかし、そのマルタであっても、死に直面すると悲しみに囚われ、絶望するしか仕方がなかったのです。このマルタの姿は、私たちの姿にも重なるものです。私たちも、愛する者の死に直面すると何とも表現しがたい悲しみと絶望と無気力感に襲われることがあります。しかし、マルタは、悲しみの中にあってもイエス様のお力を信じていました。22参照。
 マルタの悲痛な 訴えに対し、イエス様は「あなたの兄弟はよみがえります。」とお答えになりました。マルタはイエスに言った。「私は、終わりの日のよみがえりの時に、彼がよみがえることを知っております。」マルタの答えは、当時の一般的な復活信仰でした。マルタをはじめ、その当時の人々は、人間が死んだ後、終わりの日に復活することを信じていました。愛する者の死に直面し、悲しみのうちにある者にとって終末の日の復活は、気休め程度の役割しか現実的には果たしていなかったのです。
  私たちはどうでしょうか。死の前に、私たちは自分の無力さをいやというほど自覚させられます。マルタは、その絶望と無力さの只中でイエス様をお迎えすることになります。マルタはイエス様の口から重大ないのちの宣言を聞いたのです。イエス様は、マルタに言われました。
「わたしはよみがえりです。いのちです。
 わたしを信じる者は、死んでも生きるのです。
 また、生きていてわたしを信じる者は、決して死ぬことがありません。
 あなたは、このことを信じますか。」
マルタはイエスに言った。
「はい。主よ。私は、あなたが世に来られる神の子キリストである、と信じております。」
イエス様は、あなたにも語りかけておられるのです。

2018年3月25日 みことば 


   「キリスト・イエスは、罪人を救うために
     この世に来られた」
     ということばは、まことであり、
     そのまま受け入れるに値するものです。

               Tテモテ1:5

2018年3月25日 メッセージ 荒籾実 牧師 

「福音の真理を証する」       使徒22:1〜21 

  パウロはあらゆる機会を捕らえ、伝道のチャンスとして積極的に行動します。今日は、彼の証から何をどのように語ればよいのか共に考えます。パウロはまず、 証を聴く人々に呼びかけます。1節参照。パウロは、自分がユダヤ人であり、自分を殺そうとした人々に対して親愛の情をもっていることをこの呼びかけを通して現わします。2節参照。同時に、パウロがユダヤ人の慣れ親しんだへブル語で語ることにより冷静さを取り戻し、心穏やかに耳を傾けられるようにします。パウロは、自分の生い立ちから話はじめ、4節以降では、パウロが律法に熱心であった証拠としてキリスト者を撲滅するために、ダマスコまで足を延ばそうとした者であることを語ります。パウロが実際にキリスト者を迫害した様子については、使徒9章参照。パウロは、自分がキリストに出会う前と出会った時の事を分かり やすく群衆に語っています。6〜11参照。パウロのうちには、キリストの愛が生きていました。なぜなら、自分を殺そうとする人々の救いを願い、パウロは自分の与えられた使命について語っているからです。12〜15参照。
 パウロの証から、キリストが主であり、キリスト者を迫害することがキリストを迫害することであることが分かります。アナニヤは、新しく造り変えられたパウロの新しい出発のために、協力し、神様のご計画をパウロに教えます。14〜16参照。パウロはキリストと出会い、自分が見たこと、聞いたことを証する証人としての使命を与えられました。パウロは、アナニヤをとおして、神様から与えられた新しい人生をすべて捧げるように招かれたのです。パウロは、その招きに従い、立ち上がります。パウロは、洗礼を受け、キリスト者として公の人生を歩みはじめます。パウロは、すでにダマスコでもエルサレムでも、キリストを宣べ伝え、福音を拒絶され、いのちを狙われる経験をしていました。それでも、パウロは真理 (異邦人も救いの対象であること)を語ったのです。21参照。人々はその真理を拒絶します。現代も福音の真理 (ヨハネ14:6)は人々に受け入れ難いものです。イエス様が真理を語り、人々の罪を明らかにされ、人々から憎まれ、恨まれ、拒絶されていったように、同じようにイエス様だけに従う者も人々から拒絶されることになります。
 イエス様のために迫害される。信仰の故に苦しめられる。それは私たちにとって何よりも名誉なことであり、光栄なことなのです。いのちがけで愛してくださったイエス様に喜んで従い、十字架のイエス様を主と告白し、主の歩まれた道を私たちも共に歩む者に変えられてまいりましょう。

2018年3月18日 みことば 


  「わたしの願うようにではなく、
   あなたのみこころのように、なさってください。」
             
                マタイ26:39



2018年3月18日 メッセージ 荒籾実 牧師 

「脱出の道も備えてくださる神」       使徒21:27〜40 

 清めの期間が終わり、供え物を捧げる日時も決まり長老たちが恐れていたことが起らないで済みそうだと安心しかけた矢先に、思わぬところから事件が勃発したのです。その事件を起こそうと企んだ人々は、アジヤから来たユダヤ人たちです。このユダヤ人たちは、パウロがアジヤで宣教していた時にその宣教を妨害し続けてきたユダヤ教徒であると思われます。なぜなら、彼らはパウロと一緒にいたトロピモ (異邦人)のことを知っていた人々だったからです。トロピモは、パウロと共にアジヤから同行してきたエペソ人です。使徒2O:4参照。
 アジヤから来たユダヤ人たちは、パウロたちの宣教によりユダヤ教からキリスト教に改宗する者が現れ、ユダヤ教の群れが分裂させられ、自分たちの群れが壊滅状態となったことを恨んでいました。 パウロが宣教する先々で追って来ては妨害したのはその為です。彼らは、祭りのためにエルサレムに上って来ていましたが、そこでパウロとアジヤで見かけたことのあるトロピモが一緒に歩いているのを数日前に目撃し、パウロを捕らえ殺す計画を立てたのです。29参照。彼らの計画は実に綿密なものであったことは彼らの行動に現れています。27〜3O参照。
まず、パウロに手をかけ押さえつける者、パウロの犯した罪状を叫ぶ者、同時に群衆を煽り立てる者、さらに、ユダヤ人たちの感情を掻き立て暴動が起こるように仕向ける者、パウロを宮の外に連れ出し、すばやく宮の門を閉じる者がいました。彼らは、騒動に紛れてパウロを殺す手はずになっていたのでしょう。
しかし、彼らの企ては思い通りにはなりません。ローマ軍の兵士がエルサレムの町を24時間体制で厳重に警戒していたからです。ですから、町の異変に敏速に対応することができ、パウロの命は危機一髪の所で奇跡的に守られたのです。3 1~ 3 2 参照。
 神様は、使命を与えられた者を守ってくださるお方です。それはパウロだけに限定されたことではありません。私たちも、多くの試練の中を守られ、今、ここに居ることを覚えたいと思います。日本における宣教も、闘いを避けられません。本気で私たちが宣教するならぱ必ず、その働きを妨害する者が現れます。しかし、どのような状況になったとしても、すべてをご支配されておられる神様が試練とともに脱出の道を備えてくださるのです。Tコリント10 :13参照。ですから、安心して主の命令に従う道を選択し、神様がすべてのことを働かせて益としてくださることを体験させていただぎましょう。ローマ8:28参照。