日本同盟基督教団 小海キリスト教会です。

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牧師 荒籾 実

2018年7月15日 みことば 


   
    「自分の敵を愛し、
     自分を迫害する者のために祈りなさい。」

                  マタイ5:44



2018年7月15日 メッセージ 荒籾実 牧師 

「神の予定とその目的」       エペソ1:5~6
 
 人間が予定を立てる場合、あらかじめ計画した通りにできない場合があります。しかし、神の予定は、その計画した通りになります。私たちの救いもその神の予定によるものなのです。私たちは、自分が救われるまで自分の救いが神のご計画の中であらかじめ定められていたことが分からない者たちでした。私たちには、不思議なことですが神は、御子(キリスト)をとおして、永遠の昔から救う者を選んでくださり、その選びが人間の行動によって変更されるような不確かなものでないことを「あらかじめ定めておられました」5節とのみことばで保証してくださったのです。これは、自分の救いを疑い易い私たちにとって平安の根拠となるすばらしい宣言です。
さらに、私たちが目を止めたい点は神が私たちを「ご自分の子にしよう」5節と、愛をもって、あらかじめ定めておられた事実です。人間が神の子(養子)とされるとは、救いの確かさを決定する上で重要な内容です。
思い出してみてください。神と人間は、もともと親子の関係のないものとして、この世に誕生しました。神と親子の関係を生まれながらにもっておられたのは御子だけです。ですから、旧約時代の神と人間の関係は主人としもべの関係でした。しもべは、主人の顔色を伺いながらいつ主人の怒りにふれ、罰を受けることになるかびくびくしながら生活しなければなりません。実際に旧約時代のイスラエルの民は約束の地を目の前にしながら不信仰の故に荒野で滅ぼされました。しかし御子が十字架にかかられ、人間の罪の罰を代わりに受けてくださることにより、御子を信じる者は、罪を赦され、神のもとに自由に行き来し、交わることが可能となりました。ヘブル10:19~22参照。
さらに、御子を信じた者には神の子という特別な身分と立場が与えられるのです。ヨハネ1:12参照。ですから、新約時代に生かされている私たちは、神と親子の関係に移されています。これは本当に驚くべき恵みなのです。
そして、子どもとされることにより、私たちは神との関係において平安をもつことが可能となりました。なぜなら、私たちが 神の命令に背いても、それによって神との親子関係が解消されることはないからです。
 受けた恵みの大きさを知った者には神の子として生きることが期待されるのです。救われる以前の古い生き方を捨て、御子を通していただいた新しい 命をもって恵みに富まれる父なる神と子なる神と聖霊なる神を礼拝し、御名をほめたたえる者になるという究極の目的を果たす者に日々造り変えていただきましょう。

2018年7月8日 みことば 


   
    「あなたがたは世の光です。」

                 マタイ5:14


2018年7月8日 メッセージ 荒籾実 牧師 

「神の選びとその目的」       エペソ1:3~4
 
 パウロは、祝祷の後に頌栄を書き記します。原文では、3節から14節までが 一つの文章になっています。パウロは、神様に対する賛美を3節から14節まで一気に書き記したのです。パウロの心の中には、神様に対する賛美が溢れていました。パウロは、三位一体であられる神様に賛美を捧げます。3~6が父なる神様に対し、7~12が子なる神様に対し、13~14が聖霊なる神様に対するものです。
賛美の内容は、天の父なる神様の選び (3~6)について、子なるイエス様の賄い (7~12)について、聖霊なる神様の保証 (13~14)についてです。
パウロはこの「選び」「贖い」「保証」を天にあるすべての霊的祝福であると言っています。
 福音神学者のバッカー博士は、選びについて次のように定義し ます。
「選びという聖書の教理は、天地創造の前から、神が、堕落することを予知されていた人類の中から、イエス・キリストにあって贖い、信仰へと至らせ、義と認め、栄光を与えるものを選びだしたというものである。」
私たちは世界の基の置かれる前から、キリストにあって天の父なる神様によって選ばれて救いに至ることになるのです。自分が神様によって選ばれた存在であることが分かると自分の救いに関する疑いが消えてなくなります。なぜなら、自分が何かしたからではなく、神様の方で救われる者を選び、救いに導いてくださり、信仰告白に至ることが分かるからです。感動的な話を聴いて、一時的な感情の高まりによって自分が救われたと思い込んだのではなく、永遠の昔から自分の救いが計画され、その計画の中で時が満ち、信仰が与えられ、信仰告白に至り、現在があることをこの聖書箇所から確信できるとは何と大きな恵みではないでしょうか。この事が分かると選んでくださった神様をほめたたえなければいられなくなります。
そして、 選ばれた者には、目的があると聖書は教えるのです。その目的とは、御前に聖く生きることです。聖くという言葉は、原語において聖徒 (エペソ1:1)と同じです。聖徒という言葉には、神様の働きのためにとりわけられた者という意味があります。ですから、私たちはとりわけられた者としての自覚をもち神様に栄光を帰するために聖い生活を実践することが期待されるのです。私たちが聖い生活を実践するためには、キリストに似た者に変えられる必要があります。
神様は、私たちを救いに選んでくださっただけでなく、キリストに似た者に日々造り変えてくださるのです。Uコリント3:18参照。

2018年7月1日 みことば 


   
  「心の貧しい者は幸いです。
   天の御国はその人たちのものだからです。」

                 マタイ5:3

2018年7月1日 メッセージ 荒籾実 牧師 

「恵みと平安があるように」       エペソ1:2
 
 パウロはあいさつの後、祝祷を書き記しています。礼拝の最後に牧師が祝祷を捧げます。主イエス・キリストの恵みがあるように、父なる神の愛と聖霊の親しき交わりが豊かにあるようにと祈ります。パウロは、エペソの教会の兄弟姉妹の上に父なる神様と子なるイエス様から恵みと平安があるようにと祝福の祈りを記したのです。今日は、聖書が教える恵みと平安について学んでまいりましょう。
 聖書で使用されている恵みという言葉には、値しない者に与えられる一方的な好意という意味があります。聖書が強調する恵みとは、救いのことです。何からの救いかというとそれは罪からの救いです。人間は生まれながらに罪の性質をもち、罪を犯しながら生きている存在です。人間が互いに傷つけ合うのは、罪人である証拠です。一般的に罪を犯して罪人になると人々は考えますが聖書は罪人だから罪を犯すのだと教えるのです。ローマ1:20〜32参照。
 罪を犯したことの一 度もない義なるイエス様が罪人である人類に代わり、十字架にかけられ、罪を犯した者に償いとして求められるいのちの代価を支払うことにより、イエス様を信じる者たちの罪を赦し、義と認め、無罪とするという驚くべき救いの道が開かれたのです。ローマ3:10〜26参照。これが福音です。これが恵みです。
 私たちが何かしたから救っていただけるわけではなく、救いに必要ないっさいのことは、イエス様が代わりにしてくださったことにより、そのイエス様を信じるだけで信じた人の罪が赦され、御前に義と認められ、無罪とされ、さらに神の子としての身分と永遠のいのちまでも与えられるのです。この受けた恵みの大きさが本当の意味で分かる時、それ以上に求めることはなくなります。求める代わりに受けた祝福に対して何とかしてお答えしたいという心の底からの願いが湧き上がるのです。そして、罪を赦された者には平安が与えられます。
 聖書が教える平安とは、神様との関係における平和を意味しています。生まれながらの人間は、罪の性質をもち天の父なる神様の命令に喜んで従うことができません。しかし、救われると罪の間題が解決され、その人と天の父なる神様の霊的な交わりが回復し、喜んで神様の命令に従うことが可能となります。人間は、神様から愛されていることを知ると、愛してくださる神様の命令に喜んで従うことができるようになるのです。
神様は、赦す者を祝福してくださり、罪の力から解放し、平安を与えてくださいます。罪を赦された者同士が互いに祝福の祈りを祈り合う愛の溢れた関係になる時、そこに神様がさらに主の家族とされる人々を送ってくださるのです。
 

2018年6月24日 みことば 


   
  「あなた方は私に悪を謀(はか)りましたが、
   神はそれを、良いことのための計(はか)らい
   としてくださいました。」

                 創世記50:20


2018年6月24日 メッセージ 荒籾実 牧師 

「キリスト・イエスにある者」       エペソ1:1
 
  エペソの教会は、パウロが第三回目の伝道旅行をした際に建て上げられた教会です。パウロたちがエペソで宣教した時、パウロたちの宣教を妨害したのは、アルテミス神殿の存在により収益を得ていた人々でした。
使徒19:23〜29参照。 エペソの教会の兄弟姉妹は、そのような異教の世界でキリスト者として生きるには闘いの多い環境で生活していたことがわかります。パウロは彼らに誘惑の多い環境でキリスト者として、キリストを信じて生活することの大切さを教えようとしたのです。それは私たちにも当てはまります。
手紙の挨拶文から3つのことを学びましょう。
一つ目は、パウロがエペソの兄弟姉妹を聖徒と呼びかけている点です。
二つ目は、パウロが忠実なエペソの聖徒たちと言っている点です。
三つ目は、パウロがキリスト・イエスにあると言っている点です。
この〜にあるという用語は、パウロの独特な言い方で、〜と一体であるという意味があります。ですから、キリスト・イエスにあるとは、キリスト・イエスと一体であるという意味になります。私たちは、イエス様を信じた時、イエスにある者、イエス様と一体となったことを覚えましょう。
 私たちは、イエス様を信じる前、アダムにある者たちでした。アダムにあるとは、アダムと一体であるという意味です。アダムと一体であるということは、アダムから受け継いだ罪の性質と肉体の死と霊的に死んだ状態であったことを意味しています。その先にあるものは肉体の死と霊の死、すなわち滅びです。しかし、イエス様を信じたことにより、私たちはアダムにあるものから、キリストにある者に移され、キリストとひとつにされ、キリストの義といのちに与る者となり、霊的にも新しくされ、天の父なる神様との霊的な交わりも回復されました。
 パウロは、この挨拶の言葉をとおしてこれらのことをエペソの兄弟姉妹に改めて思い出させ、彼らがどのような者であるかを自覚させようとしたのです。これは私たちにとっても大切な点です。
 私たちは何のために救われたのでしょうか。どのように生きることが期待されているのでしょうか。その事をいつも自覚し続ける必要があります。そして、何より私たちは主に贖われ、主のものとなった者たちです。ですから、私たちは、何をするにも祈りつつ、天の父なる神様のご意志を求め、イエス様ならばどうされるだろうかと考えてみることが必要です。イエス様が地上でどう生きられたのか。パウロたちがイエス様にならって生活したように、私たちも彼らの生き方にならい、聖い生活を実行できるように努め励む者になりたいと願います。
Tコリント10:23参照。

2018年6月17日 みことば 


   
  「神を愛する人たち、すなわち、
   神のご計画にしたがって召された人たちのためには、
   すべてのことがともに働いて益となることを、
   私たちは知っています。」

                 ローマ8:28
             

2018年6月17日 メッセージ 荒籾実 牧師 

「広まり続ける福音」        使徒28:30〜31
 
  ル力は、使徒の働きを通して、イエス様が昇天された後、イエス様から派遣された聖霊様が地上においてどのように御業をなさったのか。今も聖霊様が私たちと共に居て御業を成し続けていてくださっていることを教えるために使徒の働きを書き残したのです。
 では、最後にル力が記したことから私たちが今、学ぶべきことは何でしょうか。パウロは、最後の最後まで、自分の出来ることを最大限やり貫こうと努め励んだ人でした。ローマ市民であったパウロには、自費で家を借りることや、家を訪ねてくる人に面会する自由が与えられたのです。囚人の立場は変わっていませんが家から出ることは許されない不自由さはありましたがパウロは、自分に与えられた環境を受け入れ、今、ここで出来る事をしようと前向きに積極的に物事に取り組みます。
 ルカ自身は、記していませんがパウロは、ローマで捕らわれの身となっていた2年の間に手紙を少なくとも4通書き残しています。エペソ人への手紙とピリピ人への手紙とコロサイ人への手紙とピレモンへの手紙です。パウロの残した手紙は、当時の教会だけでなく、2000年の間、すべての主にある教会の問題に対しても適用され続け、各教会を建て上げるために用いられています。私たちも、パウロの残した手紙から多くの恵みをいただいています。
 神様は、無駄なことを一切なさるお方ではありません。パウロの置かれていた状況を神様は、最大限に活かし、パウロを通して、主の体であるすべての教会を祝福しようと備えてくださるお方なのです。パウロは身柄を拘束されていましたが福音は、留まることなくローマから全世界に教会を通して広められ続けます。誰も、福音の広がりを阻止することはできません。たとえ、強大な軍事力を誇るローマ帝国でも、キリスト者を撲滅させることはできなかったのです。なぜなら、みことばと共に働かれる聖霊様が人々の魂と霊を守り、彼らの信仰を成長させ、どんな迫害にも耐えられる強い信仰者と変えてくださったからです。多くの試練を乗り越えてきたパウロたちの生きた証は、説得力があり迫害下に置かれた兄弟姉妹にとって大きな励ましと勇気と希望を与え続けました。
 私たちも、パウロたちのように人々を励まし、勇気づけ、支えることができるのです。今、置かれている状況が深刻であればあるほど、その中で必死に神様と共に生きている姿が人々の励ましになり助けになることを覚えたいと思います。世はキリストに従う者を憎みます。福音を広めようと働く者たちを阻止しようと試みます。しかし、誰も主のみこころを妨げることはできないのです。
イザヤ55:11参照