説教

   


       

2013.11.10「アンパンマンとイエスさま」 ヨハネによる福音書6:33~35

アンパンマンの歌「アンパンマンのマーチ」そうだ!うれしいんだ生きる喜び たとえ胸の傷が痛んでも 何のために生まれて 何をして生きるのか 答えられないなんて そんなのは嫌だ! 今を生きることで 熱いこころ燃える だから君は行くんだ微笑んで。 そうだ!うれしいんだ生きる喜び たとえ胸の傷が痛んでも。 嗚呼アンパンマンやさしい君は 行け!皆の夢守るため

アンパンマンの歌は、震災で苦しむ被災地でよく聴かれたという。「何のために生まれて 何をして生きるのか」と多くの方々がそう苦しんでいる状況の中でこの歌は、その問いに「答えられないなんて そんなのは嫌だ!」と叫ぶ。そして、「今を生きることで 熱いこころ燃える だから君は行くんだ微笑んで。そうだ!うれしいんだ 生きる喜び たとえ胸の傷が 痛んでも。」 苦しむ人々に共感を与え、元気を与えてくれる。

アンパンマンは、はじめ絵本で登場する。それは砂漠を行く飢えた旅人のところにアンパンマンが現れて自分の頭を食べさせるものであった。そして、顔が半分食べられた状態で帰っていく。見た目はお世辞にも格好いいとは言えない。お母さん方には、あまりにグロテスクだとかなりひんしゅくをかったと言われている。ただ、何故アンパンマンは自分の顔を空腹な者に食べさせるのか? パンを沢山持ってきて配れば、自分も格好悪くならないし、空腹の子どもたちも助けられるのに。そう考えたことはないか?実は作者やなせたかしさんがこだわる愛のメッセージがここにある。作者がこだわったのは、“犠牲愛”というもの。

愛とか、正義というものは、自分が傷つかないで、愛とか正義を行うことは出来ない。傷つかないでそれを愛、正義といっているのは本物ではないということ。私たちは必ず、誰かの愛を受けて今を生きている。愛を受けなければ人間は生きていけない。私たちは誰の愛を受けているものか。そしてその人は傷つく・・・。でも愛するって、喜びを持ってするものだから、「たとえ胸の傷が痛んでも」愛するのである。

 イエスは、私たちを愛するがゆえに十字架にかかられた。神の子は十字架にかからなくても何でも出来たはずなのに・・・血を流された。それは私たちに真の愛を示すためである。今朝の≪わたしが命のパンである。わたしのもとに来る者は決して飢えることがなく、わたしを信じる者は決して渇くことがない。≫とは、アンパンマンが言っているように、「僕を食べて」と同じこと。イエスはご自分の体を傷つけ、命を捧げて私たちに神の愛を示された。その愛に私たちは、気づいているだろうか。(神谷)


2013.11.3 「疑念と信頼」 ヨブ記1:6~22

ヨブ記の中で、人間は「利益もないのに神を敬う」ことができるのか?という問いがある。私たちの信仰が揺さぶられる。サタンは人間の弱みを知っている。「利益もないのに神を敬うでしょうか」と迫ってくる。そしてヨブの財産にサタンが「触れる」ことを神に願い、神は承諾する。財産を、命を奪えば、神に対し面と向って呪うに違いないとサタンはいう。しかしヨブは、≪わたしは裸で母の胎を出た。裸でそこに帰ろう。主は与え、主は奪う。主の御名はほめたたえられよ≫と祈った。サタンのもくろみは破られる。御利益信仰と思っていたのにそうではなかった。ヨブは、全ての財産を失っても、愛する息子、息女を亡くしても、神を呪うということはしなかった。信仰とは、「神の言葉に生きて、現実の出来事を貫くことである」と、ある牧師いう。こちらにも言い分はある。注文もある。しかし時に、神の御前にただ沈黙せざるを得ないこともある。

ただヨブは、本当に「神よ、なぜですか?」という疑念は無かったのか?  少し、イエスの言葉を思い出したい。イエスは十字架上で「父よ、わたしの霊を御手にゆだねます」(ルカ23:46)というが、これはヨブの信仰と同じく、事の次第を神に「ゆだねる」ということである。ただ、十字架上のイエスは、その少し前にこうも言っている。「わが神、わが神、なぜわたしをお見捨てになったのですか」と。これは矛盾する。「なぜわたしを見捨てるのか」とは、神への「疑念」がそこにある。またイエスの「御手にゆだねます」という言葉には、神への「信頼」がある。イエスの十字架上では、「疑念と信頼」があった。このことは、私たちが神を信仰する中では慰めになるものではないか。

ヨブ記1章の出来事は、ヨブの完璧なまでの信仰を見せ付けられるわけだが、しかしこの後の展開は、3章から試練に耐えかねて苦しみを叫び始めるヨブの姿がある。神への「疑念」が起こる。されど、神の存在を改めて知らされる中で、最後の42章においてヨブは、悔い改め、神にゆだねていく「信頼」が起こされていく。

信仰は、信頼と疑念、疑念と信頼というものが交差しながら、でも最終的には信頼(信仰)を持って神にゆだねて行くことである。それは、私たちが教会に繋がることにおいて、悲しみや苦しみ、喜びや楽しみも、共に共有し、担うことであり、そのことが信仰を貫く結果を迎えるのである。(神谷)


2013.10.27 「何事にも時がある」 コヘレトの言葉3:1~11

コヘレトの言葉の初めに≪なんという空しさ/なんという空しさ、すべては空しい≫とある。この「空しい」は、「ヘベル」という語が使われ、37回も繰り返し出てくる。この書はこの世の無意味さ、不条理を淡々と語っているようにも見える。このヘベルは、創世記4章のカインの不幸な弟アベルの名前と同じである。カインとアベルの物語は、聖書に出てくる最初の殺人。アベルは、神に受け入れられたにもかかわらず、兄の嫉妬によって犠牲となる。彼の人生は何だったのか?どんなに財産を持っていても、神に受け入れられていても、彼の人生は余りにも空しいではないか。アベルの人生イコール「空しい」というところからくる。そういう空しい出来事は、この世の現実社会において良くあることである。 この書は、そういうこの世の現実をありのままに記している。ただ、私たちが忘れてならないのは、この世の現実のただ中に神は人となられ、イエスとしてこの世界に生まれた。そこに私たちは、希望を見出していきたい。「すべて神を信じる者は、失望に終わることはない」(ロマ10:11)。

さて、≪何事にも時があり≫とある「時」には、二つの意味がある。クロノス(淡々と流れる、漠然と流れる時)とカイロス(点としての時、意味のある時)。ここに記されている「時」はカイロス。私たちには、それぞれに時がある。生まれる時、笑う時、愛する時、泣く時、失う時・・・私たちには、「私の」時があるわけで、神は私たちのその時を、決してクロノスとしてではなく、カイロスとして共に居られたということを意味している。それは同時に、私が他者の時をどう見ているのか?ということも同時に問われている。他者を大事に想う時、その他者の「時」は、意味の無いクロノスから、カイロスに変えられていくということ。その時に「喜ぶ者と共に喜び、泣く者と共に泣く」ということが生まれてくるはず。

最後にこういう時の見方もある。沖縄の歴史は、本土、ヤマトの人々からどういう時としてあるのか?お世辞にもカイロスとは言えない。沖縄の歴史、現状に留まり、カイロスとして深く感じ取っていく時、沖縄の基地問題は解決へと向うはずである。昨年の今日、「普天間基地ゲート前でゴスペルを歌う会」がスタートした。一年を迎えた。この会を始める時、とても不安があったことを思い起こす。どれだけの人が賛同し、駆けつけてくれるのか、続けていけるのか。正直、不安があった。ふたを開ければ、多くの方が駆けつけくださった。そして今、東京でも、福岡でも、沖縄の問題を日本の問題として、ゴスペルを歌う会が生まれた。これはまさに、沖縄の歴史をクロノスからカイロスへと変えられて、共に泣き、共に歩むことが生まれたということである。(神谷)


2013.10.20 「主を畏れつつ生きよ」 箴言16:1~9

箴言は、「知恵文学」とも言われる。それはどういう“知恵”か。この世の具体的な生活において、どう生きるべきかを記す。私たちは、この世に生きるものとして、この世の具体的な生活のためにこの世の知恵を学ぶ。ただそれはどうしても自分のためだけにと傾く。箴言は、現実の社会に生きる私たちに対して、現実には見えぬ神をいかに感じつつ歩めるか、触れることのできぬ神をどれほど畏れつつ生きているものかと、箴言の書は、私たちに投げかけている。

今月、普天間基地にオスプレイが配備されて一年になる。10万を越える県民大会が行われ、「オスプレイ配備NO」を叫び、沖縄県知事、全市町村長が明確に反対を叫んでいるにも拘わらず、その民意を無視し、日米両政府はオスプレイを強行配備した。本土の人々からは、余り反対の声は聞こえてこない。沖縄の基地問題は、沖縄の問題として、殆ど関心を持たない。自分たちにとっては、何か雲の上の話かと思っているのか?? 私たちキリスト者は、動くとは思えない山に対して、イエスが語られた言葉を思い起こしたい。≪だれでもこの山に向かい、『立ち上がって、海に飛び込め』と言い、少しも疑わず、自分の言うとおりになると信じるならば、そのとおりになる。≫(マルコ11:23)その信仰に立ちたい。動くとは思えない軍事基地に向かい「立ち上がって、海に飛び込め」という祈りと叫びを持ち続けたい。

もう一つ、イエスの言葉からこの現実の置かれた状況の中で教えられていきたい。「五つのパンと二匹の魚」の話がある。五千人の人々が、イエスの話を聞きたい、イエスに触れて頂きたいと大勢の人々がいる中で、弟子たちは、現実の状況に立たされてこう言う。≪時もだいぶたったので、弟子たちがイエスのそばに来て言った。「ここは人里離れた所で、時間もだいぶたちました。人々を解散させてください。そうすれば、自分で周りの里や村へ、何か食べる物を買いに行くでしょう。」≫弟子たちは現実と向き合う中で、現実的な道理として提案する。イエスは何と答えたか。主イエスと向き合いながら、現実の範囲でしか考えることのできない弟子たちに向って≪あなた方の手で彼らに食べ物を与えなさい≫と言う。この世の常識では考えられないことを、イエスは投げかけられる。しかし、そのイエスの言葉に聞き従う時、常識を超えた状況が現れた。

現実の社会に生きる私たちに対して、見えぬ神を感じつつ歩め、畏れつつ生きよ、と箴言の書は投げかけている。“山は動く”と信じていきたい。(神谷)


2013.10.13 「故郷を思う」 詩編137:1~9

今朝の詩編は、≪バビロンの流れのほとりに座り/シオンを思って、わたしたちは泣いた≫という言葉で始まる。その背景には、以前南ユダ国が、バビロニアとの戦争に敗れ、多くの民が強制連行され、バビロンの異邦人居住区に住まわされて不自由な生活を余儀なくされた時代に遠く“故郷を思う”心の内を歌ったのである。「シオンを思って」とは、シオンはエルサレムのこと、神を礼拝する神殿がある場所。その神殿が壊され、廃墟となった故郷を思いおこして≪わたしたちは泣いた≫ということである。

これまでの歴史の中で、戦争は、幾度となくそういう悲劇を犯してきた。日本も戦時中に朝鮮半島の人々、中国、東南アジアの人々を強制連行し、重労働を科して奴隷のように扱い、また慰安婦として性的奴隷としても扱ってきた。戦後、祖国に帰れなかった在日の方々は、今なお差別を受け続けている。

1節の「私たちは泣いた」との背景には、ただ単に重い労働をさせられた、みじめな生活を余儀なくされたということだけに留まっていない。この詩を歌った作者にとって、もっとも苦しみ、悩んだことは、バビロンの人々から、自分たちが信じている神を馬鹿にされたことが、彼らは悔しかったという。3節に、≪わたしたちを捕囚にした民が/歌をうたえと言うから/わたしたちを嘲る民が、楽しもうとして/「歌って聞かせよ、シオンの歌を」と言うから。≫これは、バビロンの人々の前で自分たちが楽しむための余興として、「お前たちが信じている神を讃える歌を聞かせろ、シオンの歌を歌え」と言われて、強制的に歌わされようとしていることの屈辱、悲しみをここで表現している。

この137編の作者は、神殿音楽家の一人であろうといわれている。以前は、エルサレムの神殿において、神を賛美し、奏でる神殿音楽家。どれだけのプライドを持って、誇りを持って、感謝を持って、これまで賛美してきたことか。それが今や、異教の地で、見世物として、シオンの歌を歌わなければならない。 ここに一人の信仰者の命を賭けてでも、信仰を貫こうとする気概がそこにあるということ。私たちは、神を讃える賛美をそれほどまでに重んじているものか? このところから教えられていきたい。(神谷)


2013.10.6「主は羊飼い、わたしは羊」 詩編23:1~6

詩編23編の作者は、神と私たちの関係は、羊飼いと羊の関係であるという。羊飼いは羊一匹一匹を群れの中で大事に育てる。青草のしげる野原へと導き、水のある場所を確保しておく。外敵である狼や熊が現れたら身を挺して守り、迷子になれば、見つけるまで探し回り、怪我をすれば速やかに介抱してあげる。羊飼いは、羊の命を守り、成長を見守る役割を担っている。しかし“羊”自身は、そのことをどれだけ感じているか? 多分、特別な感謝な気持ちはないであろう。毎日ご飯が食べられ、危険から身を守ってくれていることに感謝なく生きているのではないか? そう見ると私たち自身も余り羊と変わらないのではないか。私たち自身は、神様に対して、どれだけ感謝を表している者か。その神への感謝が 詩編23編の賛歌である。

≪主は羊飼い、わたしには何も欠けることがない≫とは、神にゆだねた人生を歩んでいるという信仰告白である。人間と羊の違いは、客観的に自分を振り返って羊飼いの業(神の恵み)を感じ取ることができること。羊は客観的に見ることは出来ない。でも、もし私たちが、客観的に神の恵みに気づかずにいるのであれば・・・、クリスチャンであっても、礼拝を重んじないのであれば、それは、羊となんら変わらないことになる。私たちには、そういう弱さがあるから、互いに声をかけ 合い、励まし合い、助け合う必要がある。神の恵みは、太陽が誰の上にも等しく注いでいるように、神の恵みは、等しく注がれている。私たちは礼拝を重んじ、 神に賛美をお捧げしていくものでありたい。

最後に、羊は羊飼いに何をもたらすものか? ウール(羊の毛)、ミルク、そして肉を提供する。でも聖書は逆に、羊飼いが羊になりその役割を担う。自らが血を流す。羊の変わりに毛を切られ、肉を裂かれ、血を流す。本来、羊である私たちが当然のように負うべきものを。≪わたしたちは羊の群れ/道を誤り、それぞれの方角に向かって行った。そのわたしたちの罪をすべて/主は彼に負わせられた。苦役を課せられて、かがみ込み/彼は口を開かなかった。屠り場に引かれる小羊のように/毛を切る者の前に物を言わない羊のように/彼は口を開かなかった。捕らえられ、裁きを受けて、彼は命を取られた≫(イザヤ53:6-8)。

私たちは、羊飼いに養われる羊であるが、本来なら養われた報いが求められる。毛を切られるとか、血を流し肉を裂かれるとか。しかしその報いを、イエス・キリストが報いてくださった。そのことを私たちは覚え礼拝を捧げる。教会は、イエスという羊飼いに養われている羊の群れである。(神谷)


2013.9.22 「平和の道は安全という道の上にはない」 エステル記4:1~17

一人の政治家ハマンは、王に継ぐ位の座を手に入れた。王以外の人間は、ハマンに対してひざまずいて敬礼をすることが定まっていた。ところが、ハマンが王宮に入ると役人たちは皆、ひざまずいてハマンに敬礼するが、役人の中の一人ユダヤ人のモルデカイだけはハマンの前に出ても、ひざまずかず、また敬礼もしなかった。何故モルデカイは、ひざまずかず、敬礼もしなかったのか? この「敬礼」と訳されている言葉は、「拝む・礼拝する」と訳せる。モルデカイがハマンに敬礼しなかったのは、彼に敬意を示さなかったというような軽い事柄ではない。「神として拝め」という求めに対して、“否”の態度をとったと考えられる。その態度にハマンは腹を立てた。どう懲らしめようか、≪モルデカイ一人討つだけでは不充分だと思い・・・国中にいるモルデカイの民、ユダヤ人を皆、滅ぼそう≫(3:6)と考える。一人に対する怒りから、多くの関係者を巻き込んだ憎しみへと拡大していく。人間の怒り、憎しみは、底知れぬ怖さと同時に、愚かさを見る。

モルデカイとエステルの関係は、いとこであり、またエステルには両親がいなかったため、モルデカイは自分の娘として引き取っていた。そのような関係の中で、王妃になったエステルにモルデカイは問う。ユダヤ人迫害の企てが始まっている。王妃として王の哀れみを請い、王の前に願い出てこの企てを阻止してもらいたいと。しかし、王妃といえども王の招きを受けずに王のもとに行く者は、必ず殺されることになっており、事の困難さをモルデカイに伝えるのであった。それでもモルデカイは迫る。≪自分は王宮にいて無事だと考えてはいけない≫その迫りにエステルは眠りかけていた魂を目覚めさせられて≪私は王のもとに参ります。このために死ななければならないのでしたら、死ぬ覚悟でおります≫と・・・。息の詰まるような問答、掛け合いがなされていく。

このエステル記から何を学ぶものか? 聖書は、語る書物、聞いていく書物である。今、ここでどう聞いていくかが、聖書の私たちに与えられている大きな価値がある。モルデカイの≪自分は王宮にいて無事だと考えてはいけない≫という言葉に、私たちも心動かされなかったか。私たちのこの置かれた沖縄において、この御言葉をご一緒に聞いていきたい。 ドイツの神学者ボンヘッファーはこう語る。「平和への道は、安全という道の上には存在しない。何故なら、平和は危険を冒して実現されねばならないという、一つの大きな冒険だからである。そして、平和は決して、また永久に自分の安全を  保障するものではない。平和と安全とは正反対である。」(神谷)


2013.9.15 「時を知る者」 エステル記1:10~2:4

ペルシャ帝国の王クセルクセスが、即位3年目に国中の指揮官や様々な地位にある者を招いて、盛大な宴を180日間催した。この祝宴は、自分の力、この国の豊かさを内外に知らしめるものであった。その後、更に王宮のあるスサの町の人々を宮殿に招いて、今度は一週間宴会を続けた。その時、一つの事件が起きる。宴会も7日目を迎えた時、酔って機嫌のよい王は、美しい妻を自慢したくなったのか、突然、王妃ワシュティを宴会の場に来るよう命じた。酒に酔った男連中に晒すのである。それを伝え聞いた王妃は命令を断わる。王妃にもプライドがあったということか。ただ、王の命令に背くことは、ただでは済まされない。

一人の女性のその態度が、全ての女性への抑圧へと向けられていった。新たに法律を作って、全ての女性が男に仕えるように、妻は夫に逆らうな!という法律を作っていく。王に呼ばれた、知識人、側近が、王の顔色をうかがうようにして、この法律は作られていく。13節に≪経験を積んだ賢人たち≫とあるが、口語訳聖書では、「時を知っている知者」たち、となっている。時を知る知者とは、天文学や様々な文献を研究し、王が、正しい判断を下せるように国の行く末を、正しい方向へと導く知恵を授ける者たちである。時には、王の考えを正す役割を担っている。口語訳聖書の14節に、「彼らは皆王の顔を見る者で・・・あった」とある。それは、すなわち、天体を見ずに、文献を見ずに、この国の行く末を見ずに、王の顔色をうかがって、王の怒りを察して、その気持ちを宥(なだ)めるようにして、全ての女性への抑圧へと向ったのである。本当に情けない話であるが、このような情けない話は、私たちのこの時代も変わらずにあるもの。

先週は、オリンピック東京開催が決まって、お祝いムード一色であった。あのオリンピック誘致のプレゼンテーションで安倍総理は、一番のネックである福島の原発汚染水問題に触れ、「私が安全を保証します。状況はコントロールされています。健康に対する問題もない。今までも、現在も、これからもない」と発言した。安倍総理は、どこを見ているのか。少なくとも、福島の人々を見ていない。沖縄の現状もそう。どんなにオスプレイはいらない、辺野古に、高江に基地は造らせない・・・と言っても、民意を無視し、オスプレイを強行配備し、辺野古に、高江に基地を造ろうとする。日本の政治家は、どこを見ているのか?決して沖縄を見ているとは言えない。この国には、「時を知る者」はいないのか?

ローマ書13章11節に≪あなたがたは今がどんな時であるかを知っています≫と記されている。神は、私たちに「今がどんな時か知りなさい」と教えている。そして、どこを見るべきなのか、何を見るべきなのか、を教えている。私たちは、「時を知る者」と成り得るか?教会は「時を知る者」と成り得るか?(神谷)


2013.9.8 「主の贖い」 ルツ記4:7~17

フランスの画家ミレーの描いた「落穂拾い」がある。この絵は、ルツをイメージして、描いているとも言われている。今日一日の食べる麦を拾ってしか、生きる術がない貧しい社会情勢を描いている。

ナオミとルツは、故郷に帰った時期は、ちょうど麦の収穫で、畑を持たない二人は、他人の畑に行って、落ちている麦の穂を拾っていくしかなかった。ただそこにボアズという親戚に出会っていく。とても好意的に穂を拾わせてくれた。ルツの喜び、ナオミの喜ぶ顔が目に浮かぶようである。ただ、落穂拾いは、所詮落穂拾いである。収穫の時期が終われば、どう生きていけばいいのか不安が募る。ナオミは、そのことを考えてか、ルツに予想だにしない行動を提案する。3章の1節からそのことが記されている。≪・・・ナオミが言った。「わたしの娘よ、わたしはあなたが幸せになる落ち着き先を探してきました。・・・あの人(ボアズ)の衣の裾で身を覆って横になりなさい。・・・≫私たちは、こういう箇所をどう読むか。なんと不謹慎なことかと思うものか。しかし、当時の習慣によると、こうした行為は、相手に対する保護を求める意思表示であったと言われる。足元にひれ伏すたぐいの行為であったと考えられている。

このところから、私たちの信仰生活は、落穂拾いの信仰になっていないだろうかと考えてみたい。ある時期は、恵みに与って喜んでいても、そういうものが無くなると、神への感謝もなくなり、信仰が薄らいでいく。またある時期に恵みを与えられて喜ぶも、また信仰が薄らいでいく・・。収穫の時期だけ、神を喜ぶものになっていないか? 相手任せ、その時期任せの信仰生活になっていないか? ナオミが、収穫の時期が終わることを案じて、次の手を考えていったように、ルツがボアズの衣の裾で身を覆っていただいたように、私たちも“落穂拾い”という不安定は信仰生活ではなく、御言葉に従がい、主の足元にひれ伏し、主の衣の裾で身を、全身を覆っていただこうではないか。

誠実なボアズは、お姑のナオミとルツの思いを知り、正当な手続きを取って、人々に認められるように結婚へと向う。そして、オベデという息子が与えられた。このことがどんなに、幸いなこと、感謝な事であったことか。

この小さな出来事、一つの家族の出来事が、あのマタイ福音書のイエス・キリストの系図の中に出てくる。神は、ナオミを、ボアズを、そして異邦人のルツを用いてご自身の計画を成就された。このルツの物語から、今の私たちが、どのような現状に置かれようとも、そこで神を待ち望み、御言葉に聞き従がうことを教えられていきたい。主の贖いは、私たちの歩みの中に現されていくのである。(神谷)


2013.9.1 「寄り添って生きる」 ルツ記1:16~2:3

ナオミは、夫との間に二人の男の子を授かり、幸せな家庭を築くが、しかし、この地域に飢饉が続き、仕方なく故郷ユダのベツレヘムを離れ、異国のモアブに移住する。旅立った四人の家族は、不幸な状況に立たされる。夫は、妻ナオミと二人の息子を残して死んでしまう。それからしばらくして、二人の息子は、モアブの女性と結婚するも、10年後、二人の息子も死んでしまった。ナオミは、異国の地モアブにおいて、夫を亡くし、二人の息子を亡くす不幸に見舞われた。これから、どう生きていけばいいのか?途方にくれたことかと思う。

ナオミの決断は、故郷のベツレヘムに帰ることであった。夫を亡くした二人の嫁オルパとルツもお姑について行こうとする。お姑の悲しみ、辛い気持ちがよく分かるがゆえであろう。しかし、お姑の拒絶に一人の嫁オルパは、別れることを決意した。しかし、もう一人の嫁ルツは、お姑についていく決意を曲げない。≪ルツは言った。「あなたを見捨て、あなたに背を向けて帰れなどと、そんなひどいことを強いないでください。・・・あなたの民はわたしの民/あなたの神は わたしの神。・・・≫ナオミにとって、これ以上にない慰めの言葉であったろう。

しかし、このルツの決意と言うものを、私たちはどう見ている者か? 良く出来た嫁だなあ~と感心して見ている者か? ここは、一人の人間、ルツの「あなたの神はわたしの神」と主体的に受け止め決断したこと。その神と共に生きようとしたこと。それは、古い習慣に倣って、お姑に服従した・・・ということではなく、本人が確信を持って、選んだ自主的な生き方をしたということであろうかと思う。お姑ナオミと“寄添って生きる”という生き方を決断したということ。また、もう一人の嫁オルパも、お姑と別れて自分の国に残るという自主的な決断をしたと言うことである。ルツとオルパの決断の時に、ナオミも最後には、「私の娘たちよ」と呼びかけている。そこにはもう、嫁とか姑とかという関係ではなくなっている。

私たちもそういう決断は、ところどころで行っているものである。結婚も、仕事も、その洗濯は人生において大きな決断である。ただその時に、神の存在を感じつつ、決断することはとても大事なことであろう。勿論、その時点では、正しい決断であったのか、間違っていたのかは、誰にも分からない。しかし、神が共に居られることを覚えて、一生懸命に歩むと言うことは大事であろうと思う。それは、時々、これまで歩んできた道のりを振り返ってみた時に、神の恵み、導きを感じて感謝が溢れるからである。あの時に、神が居られたんだなあ~ということを感じるからである。ルツの物語には、「あなたの神をわたしの神」としていく決断がある。そういうご経験をご一緒に重ねて行きたいものである。(神谷)


2013.8.25 「キリスト者の使命、教会の使命」 ヨハネ黙示録 3:14~17

ナザレのあのイエスを私の救い主、キリストと告白した者がキリスト者(クリスチャン)である。イエスの弟子になった者たちが作り上げたはずの教会を、なぜ主はこのように強く批判なさるのであろうか。

マタイ8:21-23によれば、私たちは、「主よ、主よ。」と言い続けても、天の父の御心を行わなければ「不法を働く者ども、わたしから離れ去れ。」と叱責される。洗礼を受け、教会に籍を置き、毎週礼拝していても、はたしてそれだけでよいのかと、主イエスは私たちをいつも叱責しておられるのである。

主イエスはいつも苦しみの中にある人々と共におられた。そして今も共におられ続けている。私は、イエスさまと共にいたい。イエス様が神の国におられるのであれば神の国にも入りたい。しかし、イエス様はそのような私に「わたしから離れ去れ。」と叱責されるかもしれない。では、私は、私たちは何をすれば良いのだろうか。礼拝を捧げ、祈ることだけなのか?現実の社会と向き合わず隠遁して聖書を読みふけることなのか?

ヨハネの黙示録によれば、教会すらも厳しく叱責されている。生ぬるい教会とは何か。自分たちの日々の生活の中で、都合の悪いことには口をつぐんで生きていくこと、それも豊かさのゆえに目が見えずまた裸であることをしらず生きている者。まさに今の日本のキリスト者の姿ではないか。

教会が豊かになることを望まないキリスト者はいないだろう。しかし豊かさの本質を問う人は少ない。教会員の数だけを、献金の金額だけを、献身者の数だけを誇る教会がどれほど多いことか。そして、自分の都合の悪いものに蓋をして生きてきた、キリスト者と自称するものに、主イエスは、「お前は、どこにいたのか、何をして生きてきたのか。」と問い詰められ、「不法を働く者ども、わたしから離れ去れ。」と叱責されるのである。

戦後68年間、これほどまでに過酷な国内植民地政策を取り続けている日本政府に何の抗議もせず、都合のいい理屈だけを振り回している者たちの中に、多くの、それもとても多くの、自称、キリスト者がいる。主から吐き出されないうちに私たちはもっと熱くならなければならない。主がそう、お望みなのであるから。 (田宮宏介:西南学院大学神学生)


2013.8.18 「空の鳥、野の花を見よ」 マタイによる福音書6:25~34

八木重吉の詩に短いこんな詩がある。「わたしはまちがいだった/わたしはまちがいだった/こうして 草にすわれば それがわかる」。 人間は自然の中にいると、心が謙虚にさせられる者であることを詩人は言いたいのであろう。  

イエスは、思い悩む人々に向って「空の鳥を見よ、野の花を見よ」と語られた。神は空の鳥でさえ養ってくださるのだから、ましてや、私たちを愛さないことはない。「明日のことまで思い悩むな。明日のことは明日みずから思い悩む。その日の苦労は、その日だけで十分である。」と・・・思い悩む私たちにイエスは語られた。そんなに無理をしなくてもいいんだよ。そのままのあなたでいいんだよ・・・と。心癒される言葉として、素直に聞いていきたい。

このところをもう一つの視点でも見たい。「空の鳥をよく見なさい」とは、“何をそんなに必要以上の物を集めようとしているのか”ということにもなる。この世は、“備えあれば憂いなし”と言って、お金を誰よりも蓄えようとし、身を守るためには、どこの国よりも武力を備えようとする。“備えあれば”という言葉には、底が見えないように思う。どれだけ備えれば、“憂いなし”なのか? どれだけお金があって、武力を備えれば安心なのか? この世の歴史を見る限り、「これだけ備えれば大丈夫」ということはないのである。歴史上最大の大帝国とも称されるローマ帝国も、結局は、他国との戦争により、大帝国は滅んだ。今世紀最大の武力を保持するアメリカは安泰と言えるだろうか? 次々に最新兵器を作り備えているアメリカは、本当に安心の国と言えるのか? 見ている限りでは、“備えあれども、憂いあり”のように見える。 私たちは、お金があればあるほど“幸せ”という思いに駆られてはいないか? 武力・力があればあるほど“安心”という考えに囚われていないか? その思い、囚われから離れて、イエスの言葉に耳を傾けて行く必要を思う。

今朝のイエスの言葉は、こういうふうにも聞こえないだろうか? 「だから、 言っておく。自分の命のことで何を食べようか、何を飲もうかと、また自分の体のことで何を着ようかと思い悩む(者)。・・・この世の栄華を得るために、咲き誇る者たちよ。武力を持って、集めても、集めても飽き足らず、軍事基地を 拡張して、新基地建設を進めようとする者たちよ。最新兵器を開発しても、 安心できず、世界一危険な基地に、たとえ沖縄の人々の命が軽視され続け ようとも、世界一危険な軍用機オスプレイを配備する者たちよ」 「空の鳥を見よ、野の花を見よ」とイエスは語っておられないか・・。(神谷)


2013.8.4 「自己の存在(アイデンティティー)をもって生きる」 ダニエル書1:1~21

ダニエル書の物語は、南ユダ王国がバビロン王ネブカドネツァルによって滅ぼされ、王をはじめ指導者層が捕囚とされた出来事から始まる。バビロン王は、捕囚の民に自国への同化を強いていく。いわゆる占領国民の同化政策である。名前、言語、文化、教育、宗教などが強制的に同化されていく。

日本もかつて、東南アジアを制圧して植民地化し、同化政策を行った。名前、言語、文化、教育、宗教などを強制的に押し付け同化を図ったのである。同化の意図には、国家の強化、統一化があるが、しかし同化の本質は、本来異なるものが同じくなること。同じ性質に変えること。外から取りこんで自分のものにすることである。そして不便なものを押しつけ、不必要になれば切り離し捨てるのである。沖縄はいち早く同化政策が行われ、十分に「同化」の目的が行われている。まさに不便なものを押し付けられ、不必要な時期に切り捨てられた。沖縄は日本国家が世界に誇る同化政策の成功例である。

照屋寛範牧師召天20周年記念「恩寵の回顧」の中で、照屋師の著書『キリスト猶生きて』に触れた文章がある。・・・先生は「福音の土着化」に生涯心砕かれた方である。先生のキリスト者としての人格形成と牧会伝道のお働きの中に、福音の土着(受肉)化が見事に結実しているのを見る。私は先生のご人格を見る度に琉球の奇蹟、琉球という土壌に咲いた見事な福音の花との思いを禁じ得ない。私はある意味で先生は、キリスト者であられる前に「琉球人」であられたと思う。郷土琉球をこよなく愛し、その人と文化と歴史を深く愛し誇りに思っておられたと思う。・・・

同化政策にはマイノリティー(少数派)への視点はない。ゆえにこの日本において沖縄の生きる道はないと言える。しかし、沖縄人がアイデンティティーを持って生きる時、なお沖縄人として生きていることになるのである。ダニエルは、バビロン王の同化政策に立ち向かっている。たとえベルテシャツァル(王の命を守るの意)という名前に変えられても、ダニエル(神は私の裁き手の意)として生きたのである。ダニエルとして生きるとは、主なる神が常に共に居られると言うことであり、神が与えてくださったイスラエル人としてのアイデンティティーをもって生きるということである。 沖縄よ、再び強行にオスプレイが配備されようとも、人権が軽視されようとも、神が与えてくださった沖縄人(琉球人)としてのアイデンティティーを失うことなく、誇りをもって生きて行こう。(神谷)


2013.7.28 「枯れた骨よ、主の言葉を聞け」 エゼキエル書37:1~14

エゼキエルは主の霊に連れ出されて、幻の中に一つの事象を見せられた。谷の面には多くの骨があり、それらははなはだしく枯れていた・・・。このことは、イスラエルの現状は枯れた骨のようだということである。事実、祖国はバビロニア軍によって壊滅し、殺された人々の骨が散らばっていたであろうし、生きている人々もまた、魂の抜け殻のように希望が見出せないでいた。その状況下でエゼキエルに神の言葉が望む。「これらの骨は生き返ることができるか」(3節)と。エゼキエルもまた「主なる神よ、あなたのみがご存じです」(3節)としか答えることができなかった。そこで神はエゼキエルを通して「枯れた骨よ、主の言葉を聞け」(4節)と預言した。大事なことは、主の言葉を聞くことである。そこに枯れた骨の生きる道がある。

ヨハネ福音書4章に「イエスとサマリアの女」の話がある。女は井戸水を汲みに来たが、それは人が来ない日差しの強い正午であった。この女には、人目を避ける理由があった。心は渇ききっていたのである。しかしそこにイエスが居られた。この女性は、イエスと出会い、自分の置かれた現状と向き合わされていく。そして現状は変わらないが、すべてをご存知であるイエスとの出会いによって、彼女は変えられた。水がめを置いて、自らキリストを証する行動を起こしていったのである。渇ききった心が、イエス・キリストとの出会いによって、心が潤ってきたということである。心が潤う時、体は自ら動くのである。

エゼキエルの話に戻る。かさかさに枯れた骨は、主の言葉を聞くと動き出した。「見よ、カタカタと音を立てて、骨と骨とが近づいた」(7節)とある。私たちはどうだろうか? 主の言葉を聞いて、カタカタと音を立てて動き出すものであろうか? 聖書の言葉を聞いても、音を立てずに静かに日常の生活に戻っていないか? それでは心は渇ききったままであり、動かない骨と一緒になってしまっている。

主の言葉を聞く時、動かないはずの骨さえも音を立てて動くのである。私たちに聖書の語る言葉が届いた時、それによって生かされていくことが大事なのである。私たちの枯れた心の生きる道がそこにある。この週もまた、主の言葉に生かされて歩んで行きたい。(神谷)


2013.7.21 「死なくして生はない」

去る5月17日、私の妹 平安山道子(仲松学兄の母)が召天しました。 くも膜下出血の予防のため元気な時に・・・と手術したのに意識を回復することもなく8年9ヶ月も生きて天に召されました。地上の生涯をこのような形で幕引きするということは本人をはじめ誰も予想しませんでした。首里教会の玉城牧師には予告はしてありましたが、その日その時は福岡へ出張中で前夜式から出棺、そして火葬前夜式まで私が司式することになり、告別式は帰宅された玉城牧師にお願いしたことでした。 「

その日、その時はだれも知らない」(マタイ24:36)というイエス様のことばを思い知らされました。私たちは一生の間幾人の葬儀に出会うでしょうか、考えてみると人間は自分の身近な人の死を体験することによって人間的に成長するのではないかと思わされます。葬儀に出席する度毎に自分自身の死について考えさせられるからです。ヘブライ人への手紙9章27節に「人間にはただ一度死ぬことと、その後に裁きを受けることが定まっている・・」と記される通りです。

イエス・キリストの宣教のテーマは「時は満ちてり、神の国は近づけり、 汝ら悔改めて福音を信ぜよ」です(マルコ1:15)。あなたがたの死の時が目の前に来ているのだから、今のうちに神を信じき生きる道を整えよと警告しているのです。聖書に、「人は皆自分のために死ぬ人はいない。主のために死ぬのである」(ローマ14章)とあります。だから主のために生きる道を確認して「生きるにしても、死ぬにしても、わたしたちは主のものである」ことを肝に銘じ、主の栄光をあらわす生き方をしたいものです。死なくして生はなく、生なくして死はありません。(城間)


2013.7.14 「立ち帰って、生きよ」 エゼキエル書18:1~4、30~32

イスラエルはバビロンとの戦争に敗れ捕囚の民となった。その現状を憂い人々の間では「先祖が酢いぶどうを食べれば/子孫の歯が浮く」という諺がよく語られていた。それは祖先の悪のせいで神罰として今の不幸があるという意味である。またそこには、自分たちの今の苦しみは、自分たちのせいではないという主張がこもっている。このことは、今の私たちにも時に起こりえるものではないかと思う。今の苦しみを誰かのせいにしたい弱さが私たちにもあるのではないか。

主の言葉がエゼキエルに臨んだ。「お前たちはイスラエルにおいて、このことわざを二度と口にすることはない。すべての命はわたしのものである。父の命も子の命も、同様にわたしのものである。」(18:3,4)このことは、神が先祖を恨む諺はもう二度と口にしてはいけないということであり、それは、すべての命はわたしのものだから、もし父が罪を犯しても、それは子どもの罪にはならない。父の罪は父のもの、子の罪は子のものであるということである。ゆえに今の苦しみは、先祖の犯した罪のせいではないとしている。

神はさらに、「わたしはお前たちひとりひとりをその道に従って裁く、と主なる神は言われる。悔い改めて、お前たちのすべての背きから立ち帰れ。罪がお前たちをつまずかせないようにせよ。」(18:30)と語る。それは、一人一人が自分の責任において神のほうに向きを変えることを願っていることである。捕囚の地で希望を失っているイスラエルの民に、どのような場所、状況に置かれても、神が伴っていることを覚え、希望を持って生きよと言っている。

向きを神の側に向けるということは悔い改めるということだが、トルストイが悔い改めるとは回れ右することであると言ったそうだが、回れ右をすると右に見えていたものが左に見え、左に見えていたものが右に見えてくる。それは、今まで大事だったことがつまらないものになり、つまらないことが大事なものになってくるのである。どんな悪人でも、神はその死を喜ばない。神が望んでおられるのは、悪人が滅んでしまうことではなく、悔い改めて神に帰り、生きることである。「わたしはだれの死をも喜ばない。お前たちは立ち帰って、生きよ」と主なる神は言われる。(神谷)


2013.7.14 「立ち帰って、生きよ」 エゼキエル書18:1~4、30~32 イスラエルはバビロンとの戦争に敗れ捕囚の民となった。その現状を憂い人々の間では「先祖が酢いぶどうを食べれば/子孫の歯が浮く」という諺がよく語られていた。それは祖先の悪のせいで神罰として今の不幸があるという意味である。またそこには、自分たちの今の苦しみは、自分たちのせいではないという主張がこもっている。このことは、今の私たちにも時に起こりえるものではないかと思う。今の苦しみを誰かのせいにしたい弱さが私たちにもあるのではないか。 主の言葉がエゼキエルに臨んだ。「お前たちはイスラエルにおいて、このことわざを二度と口にすることはない。すべての命はわたしのものである。父の命も子の命も、同様にわたしのものである。」(18:3,4)このことは、神が先祖を恨む諺はもう二度と口にしてはいけないということであり、それは、すべての命はわたしのものだから、もし父が罪を犯しても、それは子どもの罪にはならない。父の罪は父のもの、子の罪は子のものであるということである。ゆえに今の苦しみは、先祖の犯した罪のせいではないとしている。 神はさらに、「わたしはお前たちひとりひとりをその道に従って裁く、と主なる神は言われる。悔い改めて、お前たちのすべての背きから立ち帰れ。罪がお前たちをつまずかせないようにせよ。」(18:30)と語る。それは、一人一人が自分の責任において神のほうに向きを変えることを願っていることである。捕囚の地で希望を失っているイスラエルの民に、どのような場所、状況に置かれても、神が伴っていることを覚え、希望を持って生きよと言っている。 向きを神の側に向けるということは悔い改めるということだが、トルストイが悔い改めるとは回れ右することであると言ったそうだが、回れ右をすると右に見えていたものが左に見え、左に見えていたものが右に見えてくる。それは、今まで大事だったことがつまらないものになり、つまらないことが大事なものになってくるのである。どんな悪人でも、神はその死を喜ばない。神が望んでおられるのは、悪人が滅んでしまうことではなく、悔い改めて神に帰り、生きることである。「わたしはだれの死をも喜ばない。お前たちは立ち帰って、生きよ」と主なる神は言われる。(神谷)


2013.7.7「巻物は口に甘し」 エゼキエル書2:1~3:3

<バビロン捕囚>エゼキエル書の舞台は、敗戦後敵国へ強制連行されたバビロンにおける預言者エゼキエルの働きである。南ユダの王を始めとする多くの指導者層、役人、軍人、技術者、また神殿財宝と共に祭司たちも連行され、その中にエゼキエルもいた。「敗戦」は、自国の神が敵国の神に打ち負かされたことを意味し、イスラエルの人々にとっては「神はいない」という失望感に打ちひしがれる状況であった。

<召命>エゼキエルは祭司としてこの現状を祈らざるを得なかった。主はカルデアの地ケバル川のほとりで祈っている彼の上に臨まれる(1:1-2:5)。その記述の内容は独特なものである。「四つの生き物の姿があった。・・・彼らは人間のようなもので・・四つの顔を持ち、四つの翼、土台には車輪が付いていた・・」とある。これは何を意味するのか?人間のようで動物の形をし、でもこの世のものの姿ではない。これは、バビロンの崇拝神と比較した主なる神の姿、思いを伝えている。バビロンの神とは違い、「四つの顔、翼、車輪」というのは、四方八方に自由に飛び、動き回ることが出来るということを強調している。そのような主なる神の思いを伝えて、「人の子よ、自分の足で立て。わたしはあなたに命じる」(2:1)となるのである。

<わたしが与えるものを食べよ>神は預言者エゼキエルに何を命じたか?それは、イスラエルの滅亡という現状とは裏腹に、主なる神は生きて働きたもうお方であり、悔い改めと希望を告げよ(「哀歌と、呻きと、嘆きの言葉」2:10)ということである。「神はいない」と失望する民に対して語ることは「あざみと茨に押しつけられ、蠍(さそり)の上に座らされ」る(2:6)ことに等しいことであった。その状況にたじろぐエゼキエルに対し、「彼らを恐れてはならない。・・たじろいではならない。・・あなたはわたしの言葉を語らなければならない。・・口を開いて、わたしが与えるものを食べなさい。」(2:6-8)

御言葉を食べる>「巻物を食べよ」とは、御言葉を食べるということであろう。見た目には(現状的には)、手は出しにくい。しかし食べてみなければ、それが毒なのか、栄養になるものなのか分からない。食べて初めてその味を語ることが出来る。「口に甘し」という時、神の恵みを喜ぶのである。エゼキエルはその経験を語っている。私たちもまた、神の御言葉を食べ、その味を語るものでありたい。(神谷)


2013.6.30 「主は我らの救い」 エレミヤ書33:10~16

先週、『戦を歌う、平和を奏でる』(琉球新報)の記事が連載された。これも戦の悲劇を歌ったものなのかと驚かされている。先週お話した「艦砲ぬ喰ぇー残さー」他、「石川数え唄」「ひやみかち節」「屋嘉節」「二見情話」「兄弟小節」などとあった。一つご紹介すると、「二見情話」は男女の恋歌と思われがちだが、実はこれも戦における悲しみ、慰めを歌っている。この歌を作った照屋朝敏さんが戦中戦後、名護の二見に避難し、区民の方々にお世話になって、故郷の首里に帰る際のお礼として歌い上げている。

「二見情話」 照屋朝敏 作

(1番) 二見美童や だんじゅ肝美らさ 海山の眺め他所に勝てよ

(4番) 待ちかにて居たる 首里上いやしが 出ぢ立ちゅる際や別れぐりしゃよ

(6番) 戦場ぬ哀れ 何時が忘りゆら 忘りがたなさや 花の二見よ

沖縄は、これまで培ってきた文化芸能などを用いて自らを慰め、励ましていることが民謡を通して教えられる。ただその悲劇は何故止められなかったのか? 沖縄戦の回避は出来なかったのか? 歴史書を見ると、天皇は1944年サイパン、グアム、テニアンなどのマリアナ諸島陥落後、悪化する戦局に不安をつのらせ、翌年2月に、首相経験者と軍部重臣ら7人を個別に呼び寄せ、戦局に関する意見を求めた。ほとんどが戦争継続を訴えるものであったが、元首相・近衛文麿は敗戦は必至であることを報告した。しかし天皇は他の意見に押されるようにして、「もう一度戦果を挙げてからでないと中々話は難しいと思う」と答えている。この2月時点で戦争終結の決断をしていれば、沖縄戦はもちろん、東京大空襲、広島・長崎原爆投下などの惨劇はまぬがれた。この責任は余りにも重い。

今朝の聖書は、エレミヤが拘留された状況で語る主の言葉である。拘留の理由は、南ユダはバビロンに勝利できないことを預言したからであった。戦局を読めない、決断できない王は国を滅ぼす。そのことがどれだけの悲しみ、絶望感を与えるものか。10節の≪そこは荒れ果てて、今は人も、住民も、獣もいない≫というのはそのことである。廃墟は絶望である。しかし聖書はそう結論付けない。そこが聖書の深みである。この世の秤では計りきれない結論を持ち合わせている。エレミヤは獄中にいて囚われの身にあったが、しかし希望の言葉を語る(11節以降)。 苦しみや悲しみのただ中にある時、慰めの言葉や希望の言葉が語られているのに、耳に入らない、心に届かないことがある。時を経てようやく確かに希望の言葉があったことに気づかされたりする。しかし私たちは、状況が改善されるから救いと喜びがあるとするよりも、苦難の中に希望の約束を聞くことこそが救いと喜びであることを感じ取るものでありたい。「主は我らの救い」と。(神谷武宏)


2013.6.23 「目の涙をぬぐいなさい」 エレミヤ書31:10~17

~沖縄慰霊の日を覚えて~

本日、68回目の「沖縄慰霊の日」を迎える。長い年月が経過しても戦争の悲しみはぬぐえない。毎年、平和の礎に刻まれた名前をさすりながら涙するお年寄りの姿が映し出される。生きていればどんな人生であったであろうかと、家族のものであれば思い描くものである。無残にもたたれた命に無念さが残る。戦後、その悲しみをぬぐう努力はなされてきたのか?

沖縄の人々は、戦後、自ら涙をぬぐおうとした。琉球の芸能文化を取り戻し、歌や三線(カンカラ三線)、踊りや芝居を復活させ、一生懸命に笑おうとしている。戦を忘れて前を向こうとしていたのであろう。そのためか、沖縄戦の悲劇を歌う民謡が少ない。その中で昨日、「艦砲ぬ喰ぇーぬくさー」の歌碑が読谷村に建立した。この民謡の作詞、作曲者は比嘉恒敏さんで1971年に完成し娘たちの「でいご娘」が歌う。

(一番) 若さる時(とぅち)ね 戦争(いくさ)ぬ世 若さる花ん 咲ちゆさん

家(やあ)ん元祖(ぐわんす)ん 親(うや)兄弟(ちょでー)ん

艦砲射撃ぬ的になて 着(ち)るむん喰(く)ぇむん むるねえらん

スーティーチャー喰(か)で暮ちゃんや

※うんじゅん 我(わ)んにん 汝(いや)ん 我んにん 艦砲ぬ喰ぇーぬくさー

(五番)  我(わ)親(うや)喰(く)わたる あぬ戦争(いくさ)

我島喰わたる あの艦砲 生りて変てん 忘(わし)らりゅみ

誰(たあ)があぬ様 しいいんじゃちゃら

恨でん悔でん あきじゃらん 子孫末代 遺言(いぐん)さな

リズム的には明るさがあるのだが、しかし歌詞の内容は重い。これが沖縄の自ら涙をぬぐう姿のように思う。しかし戦争を起こしたこの国は、沖縄の涙をぬぐうどころか、今や再び戦争の出来る国に戻ろうとして、日本国憲法改訂に動いている。歴史を顧みない国は悲劇を繰り返す。この時代であるからこそ「艦砲ぬ食ぇーぬくさー」の歌詞をかみ締め歌う必要を覚える。比嘉恒敏さんは、父と長男を対馬丸で亡くし、妻と次男を空襲で亡くす。戦後再婚して4人の娘に恵まれるが、1973年大山ゲート前の近くで、米兵の飲酒運転の車に衝突され、恒敏さん夫妻が亡くなっている。最後まで米軍に幸せを奪われた。この曲は恒敏さんの「遺言」としての意味は深い。

主は、戦争で息子を奪われ、廃墟にたたずむ母たちを見ている。嘆き苦しむ民を見ている。≪泣き止むがよい。目から涙をぬぐいなさい。あなたの苦しみは報いられる≫と主は言う。それは、廃墟とされたこのパレスチナの地に主イエス・キリストは立たれるからだ。廃墟に立つ主は、沖縄の悲しみの涙も“ぬぐいなさい”と言っている。それは、沖縄の現状に向き合い、戦争の悲劇を二度と起こしてならないために平和を築くことが、“目の涙をぬぐう”ことに繋がるのではないかと思う。(神谷武宏)


2013.6.16 「神の御心を求めて」 エレミヤ書28:1~17

前598年エルサレムはバビロンの王ネブカドネツァルの攻撃を受け、陥落する。 ユダ国の王ヨヤキムを始めとする国の上層階級の人々が強制連行(捕囚の民)されていった。そしてバビロン王は、ユダ国を統治下に置きながら、ヨヤキムの代わりにゼデキヤをユダ国の王に擁立した。ユダ国としては、なんとか首の皮一枚つながったことになるが・・・。その状況を踏まえて今日の箇所となる。

このような社会情勢の中で“希望”の言葉を預言する人々がいた。その中のハナンヤはすべての民の前で言う。「主はこう言われる。わたしはバビロンの王の軛を打ち砕く。二年のうちに、わたしはバビロンの王ネブカドネツァルがこの場所から奪って行った主の神殿の祭具をすべてこの場所に持ち帰らせる。また、バビロンへ連行されたユダの王、・・・ユダの捕囚の民をすべて、わたしはこの場所へ連れ帰る」(28:2-4)と語る。それを聞いた民は安堵感と期待を寄せたことであろう。しかしその後、ゼデキヤ王は、バビロンに反旗をひるがえし、エジプト国に援軍を求めた結果、バビロン軍の交戦により、帰還するどころか結局ユダ国は完全に滅亡してしまう。

エレミヤは、ハナンヤの語る“希望”の言葉は、神の御心を求めないで、民の心の満たしに傾いてしまったことを見抜いていた(15節)。もちろんエレミヤも「捕囚の民すべてをバビロンからこの場所に戻してくださるように」(6節)と願っている。しかし現状はそうはならないことを感じていたのであった。神の言葉を聞くということは、神の御心を求めていくということである。神の言葉のいいとこ取りであってはならない。ハナンヤの預言は、結局民を喜ばせるための「御利益宗教」に走っていたのである。  それに対しエレミヤは、国の滅亡に向う現状の十字架を負ったのである。

神の御心を求める・・・ということは、「御利益宗教」には成りえない。御利益宗教は“家内安全”、“商売繁盛”とあくまでもこの世の人生の成功、人間の満たしである。 それに対し、神の御心を求める信仰は、この世の成功とは異なることがある。そのことを受け入れていくことが、神の御心を求めていく信仰である。ボンヘッファーはそのことを「安価な恵み」と「高価な恵み」に分けている。それは一言で言えば、十字架の無い恵みと十字架を負う恵みである。(神谷武宏)


2013.6.2「若者にすぎないと言ってはならない」 エレミヤ書1:1~13

エレミヤが預言者として立つのは、ヨシヤ王の13年目のことで紀元前626年のこと。北イスラエルは既に滅び、南ユダもアッシリア帝国の支配下にあった。しかしそのアッシリアも国力を失いその後力をつけたのがバビロニア帝国であった。そして常に南の大国エジプトとの覇権争いが起きる。その中で結局、ユダ王国はこのバビロニア帝国に滅ぼされ、民の多くが捕囚の民として強制連行された。エレミヤは「神の裁きがユダに来る」と預言し、実際に国の滅亡(バビロン捕囚)を見る。愛する祖国を救うために立たされ、最終的には祖国滅亡を見た悲哀の預言者。また涙の預言者とも言われている。

そんなエレミヤも神からの召命を受けた時には、自らの弱さにひるむ姿をあらわにする。「ああ、わが主なる神よ/わたしは語る言葉を知りません。わたしは若者にすぎませんから。」エレミヤは、自分が“預言者”などと大それた、そんな力や知恵などどこにあるのかと思った。「若者にすぎない」とは経験が十分でないという謙遜の意味でもある。 そのこと自体は悪い事ではないが、しかしここでは、神を見ずに、自分を見て恐れる  エレミヤの姿があった。出エジプト記に記されているモーセの出来事ともよく似ている(出エジプト4:10,11)。神がモーセに語った時「ああ、主よ。わたしはもともと弁が立つ方ではありません。・・・全くわたしは口が重く、舌の重い者なのです。」すると神は「一体、誰が人間に口を与えたのか。」と言われた。

エレミヤは、「若者にすぎないと言ってはならない。・・・わたしが命じることをすべて語れ」と神の代弁者、預言者となる。神の言葉を聞いた中から選択して語るのではなく、「すべて語れ」というのである。11,12節で主の言葉がエレミヤに臨んだ。「アーモンドの枝が見える」とは「目覚めの枝」という意味で、神ご自身が「あなたの見るとおりだ。わたしは、わたしの言葉を成し遂げようと/見張っている(ショーケード:目覚めた)」。神は目覚めたということになる。何にか? 次に「煮えたぎる鍋が見えます。北からこちらへ傾いています」とは、北から襲来するバビロニアに滅ぼされることを意味する。このことは、神がユダ王国を滅ぼすことに“目覚めた”ということになる。

エレミヤは神の言葉を“すべて語”らなければならなかった。涙無しには語れなかったのである。時の権力や世の人の前で語ることは、時に誤解され、迫害され、苦しめられたりする。私たちも神の御言葉に立つ預言者の一人、キリストの証人として召されている。「若者にすぎないと言ってはならない」との主の言葉に向き合いたい。(神谷武宏)


2013.5.26「ヒゼキヤとイザヤの祈り」 イザヤ書37:1~7

イザヤ書37章の舞台は、圧倒的な軍事力を持つアッシリア帝国が、小国であるユダ国を今にも滅ぼそうとしている状況にある。周辺を何万という兵士と戦車と武力を持って取り囲み、まさに籠の鳥でもあるかのように閉じ込めた状態であった。でもアッシリア軍は一気に攻め落とそうとはしない。そこにはしたたかな戦略があった。地理的アッシリアは東にあり、ユダ国は西にある。更にその西には、大国エジプトがあった。エジプト寄りであったユダ国を生かすことにより、この地域を“緩衝地帯”として利用することを考えていた。エジプトとの緊張関係の緩和地域、戦争突入の壁、捨石としての価値を見た。

ヒゼキヤ王は、「衣を裂き、粗布を身にまとって」神の前で祈る。ここには現実の置かれた状況と“神”という見えない信仰との狭間に身を置く、ヒゼキヤの姿がある。この緊迫した現状の中では“祈り”の前に何か現実的な対策を考えるものではないだろうか。アッシリアと対立しているエジプトに助けを求めることは可能であった。また、国中の人々に総動員命令を出し戦いの準備をさせるとか。しかし、ヒゼキヤは先ず神の前に出て、心砕かれ神に祈るのであった。3節≪今日は苦しみと、懲らしめと、辱めの日、胎児は産道に達したが、これを産み出す力がない≫とは、ヒゼキヤにとって国中の人々の命が、この国の行方が一切自分にかかっている。どう判断をくだすのかによって命が左右される。この「胎児は産道に達したが、これを産み出す力がない」とは、私一人の判断はできない、イザヤに私のために祈って欲しい・・・という王としての威厳、プライドを捨てている言葉、姿である。このような王は、弱腰で決断力の無い王だと思うものか?

今年も6月を迎え68回目の「沖縄慰霊の日」が近づく。沖縄戦の悲劇は、民間人を含む総動員による戦争がより悲劇を生み出した。3ヶ月以上にもおよぶ激戦が行われ、南部の糸満まで米軍が押し迫った6月中旬、もう状況的には時間の問題であり、ここで降参していたらまだ多くの人々、若者が命が助かったと言われるが。日本軍の司令官は、一人になるまで戦えと、“玉砕せよ”と命令をくだす。それがひめゆり学徒隊の悲劇を生み、多くの人々の死に繋がった。

ヒゼキヤの弱さは私たちの弱さでもある。弱いことが問題なのではない。弱いことを神に祈るか、祈らないかが問題なのである。弱さを神に祈り、神に向き合っていくこと。人は誤った判断をくだす弱さがあることを覚え、弱さを認めることは決して弱いのではないことをここから教えられたい。(神谷武宏)


2013.5.19「共に喜び歌え」 イザヤ書52:7~10

イザヤ書52章の舞台は、自国が敗戦し町や神殿が破壊され、人々は強制連行され奴隷とされた。この時すでに50年を経過している。そこには希望も夢も見出せないことかと思うが、しかし聖書は「歓声をあげ、共に喜び歌え、エルサレムの廃虚よ。主はその民を慰め、エルサレムを贖われた。」(9節)・・・何故そのようなことが言えるのか?バビロニアに連行された人々の中に、決して希望を捨てない、神は生きておられるのだから、決して神は私たちを見捨てはしない。そういう信仰を持ち続けている信仰者がいたのである。その折れない信仰が、このイザヤ書の言葉に記されているのである。  

第二次世界大戦中ポーランドのアウシュビッツ強制収容所で殉教したコルベ神父がいた。彼は1930年からの6年間長崎にて学問も教えていた。彼が祖国ポーランドに帰国するとやがて第二次世界大戦が勃発し、コルベ神父は強制収容所へ入れられた。  収容所では、強制労働を行う傍らで、コルベ神父は、収容者たちの相談役、死者が出るとお祈りを捧げて人々に希望を与え続けた。しかしアウシュビッツ収容所は、常に緊張感に包まれており、いつ自分が殺される番になるのか、少しでも誰よりも長く生き延びたいという空気に包まれ、ぎすぎすした世界であったといわれる。  ある日のこと厳しい収容所生活から一人の囚人が脱走をした。見せしめに10人の死刑を執行することが決まる。収容所内で無作為に10人が選ばれ、死刑の中でも最も悲惨な刑、餓死刑が宣告された。コルベ神父は幸いその10人の中には選ばれなかったが・・・。餓死室へ歩き出したその時、1人の男が叫んだ。「私には妻も子供もいる!死ぬのは嫌だ!・・」すると、コルベ神父は自分が身代わりに死ぬ事を申し出た。コルベ神父は、9人の仲間と共に苦しむことを自ら選んだのである。地下の餓死室に全裸で入れられ、1滴の水さえ与えられる事無く次々に死んで行く。17日後、最後まで生き残ったコルベ神父は毒薬の注射を打たれて亡くなった。コルベ神父は、強制収容所の中で、冷え切った愛の無いぎすぎすした世界の中で、「愛が無い世界ならば、愛の行為を行えば、愛がある世界になる・・」と言っていたという。

コルベ神父の生き方には、≪いかに美しいことか/山々を行き巡り、良い知らせを伝える者の足は。彼は平和を告げ、恵みの良い知らせを伝え/救いを告げ/・・・皆共に、喜び歌う。・・・歓声をあげ、共に喜び歌え。≫と言っているように聞こえる。 この世には喜べないこと、歌えないことがある。しかし常に希望は失われないことを聖書は教えている。(神谷武宏)


2013.5.5「残れる民」 イザヤ書1:1~10

今年で66回目の憲法記念日を迎えた。ただ沖縄がこの憲法記念日を祝日として迎えたのは、本土から遅れること18年後の1965年である。何故か?  沖縄が米軍の統治下に置かれていたからであるが。でも日本もまだ米軍の統治下で1952年のサンフランシスコ講和条約が施行して、いわゆる“主権回復”するわけで、戦後7年間は、日本本土も米国の統治下であった。ただ、日本と沖縄とでは大きな違いがある。日本は間接統治で、沖縄は米軍の直接統治に置かれていた。その中で、当時の主席だった松岡政保が、「一日も早く日本国憲法が沖縄にも適用されることを願う全住民の願望」として1965年に「憲法記念日」として祝日にしたのである。  おとといの憲法記念日に、安倍総理はテレビに出て、憲法改正の話をした。一番の目的は9条を変えて、再び戦争の出来る国へと向いたい・・・という思いが見る。日本がかつて、15年戦争を繰り広げた中で、日本の兵士、民間人と合わせて死者300万人。アジアへと侵略戦争を拡大していく中で中国においては、2000万人もの犠牲者を出している。戦争は、勝っても負けても、悲しみと憎しみ、虚しさが残るもの。沖縄はそのことを十分に知り尽くす島である。  

経済学者で神学者でもある矢内原忠雄は、軍国主義の国家体制を強く批判し、それがもとで東大の教授を辞めることになるが、終わりの見えない日本の戦争状況に対し、矢内原は「神よ、ひとまずこの国を葬ってください」と祈る。この国は一度滅びなければ、生まれ変わらなければ、だめな国だということを祈った。結果的にそうなるが、そうやって、生れ変るかのようにして出来たのが、日本国憲法、通称、平和憲法である。その代償を見逃してはいけない。

矢内原が祈った「神よ、ひとまずこの国を葬ってください」との言葉には、今朝のイザヤの言葉と相通ずるものがあろうかと思う。9節≪もし、万軍の主がわたしたちのために/わずかでも生存者を残されなかったなら/わたしたちはソドムのようになり/ゴモラに似たものとなっていたであろう。≫自ら犯していく罪において、滅ぶべき状況において、神は、民を「残される」のであった。「残される民」とは、神の一方的な恩寵によるのである。このことを汲み取っていくことは、私たちに求められている。そして今、キリストの十字架の死によって、私たちも「残れる民」とされているのである。(神谷武宏)


2013.4.7「夕も朝も」 マルコによる福音書1:29~39

イエスの宣教は多忙である。「夕も朝も」人が押し寄せ、癒しを求めてくる。少しは休みたいとか、静かに一人でいたいとか・・・そう思いそうだが、しかしイエスは≪近くのほかの町や村へ行こう。そこでも、わたしは宣教する。そのためにわたしは出て来たのである≫という。イエスは自ら、キリストを求めている人々のもとへ向うお方であることを、このところから覚えたい。詩編55:17、18≪わたしは神を呼ぶ。主はわたしを救ってくださる。夕べも朝も、そして昼も、わたしは悩んで呻く。神はわたしの声を聞いてくださる。≫キリストは、どんなに多忙であっても、私たちの悩む呻きを聞いてくださる。私たちは「夕べも朝も、昼も」いつでも、どこでも神を呼んでいい。「主はわたしを救ってくださる」のである。

忙しいイエスの行動の中で、見逃してはいけない部分がある。それはシモン・ペトロのしゅうとめの癒しのことであるが・・・。このしゅうとめが置かれていた状況は、ペトロの家に住むペトロのしゅうとめ。つまりペトロの妻の母ということになる。これは非常にまれな状況といえる。家父長系社会のユダヤにあって年老いた親の面倒を見るのは、長男の仕事。彼女には男の子がなかったのか、あるいは死んでしまったのか、一般的な慣例を越えて、いわば嫁にやった娘の家に引き取られてきたようだ。それがどんなに肩身の狭いものであったか。しかも熱を出して寝ている。ここで使われている「寝ている」という言葉は、「死んだように横になっている」という意味の言葉で、マタイ福音書では、この「寝ている」という言葉を「投げ捨てられている、放置されている」という言葉の意味で用いている。娘が嫁いだ家に、まさに厄介者として転がり込み、おまけに手のつけようもない寝たきりになっている。そんな彼女(しゅうとめ)の気持ちはどんな思いで日々を過ごしていたであろうか? 「私を癒してください」という願いを彼女は持ち得たか。そんな気持ちは微塵もなかったに違いない。むしろ「早く死んでしまいたい、生きていてもしょうがない・・・」そんな思いに満たされていたのではないか。しかし、イエスはその女性を放ってはおかない。この女性から特に頼まれなくても、イエスは熱病に侵されたこの女性を癒された。ここは、癒しを強調することよりも、その女性の居場所のない辛い思いを、ご存知なのだというところに意味をもちたい。

イエスの癒しは、病の癒しである以上に、人間同士の関係性の癒し、人間としての尊厳の癒しであり、人は誰でも愛される存在であり、決して、早く死んでもいい・・・という人間は一人もいない。イエスのこの女性への関わりは、そんなメッセージがあるのかと思う。(神谷)


2013.3.31「神の愛」 ヨハネ3:16~21

復活のメッセージは、「死の克服」と「罪からの解放」であり、私たちはそのことを“喜ぶ”という意味において復活を祝う。ただ、初代のキリスト者たちは、この復活の出来事を単に、“死の克服”とか、“罪の解放”ということに留まらず、新しい時代がここから始まったこと、歴史の未来に向って、新しい展望と希望とを告げる告知として受け取った。今も生きておられるキリスト、世界の闇の中へと歩み出して行く教会・・、復活されたイエス・キリストと共に、この世の荒波に漕ぎ出して行く、・・そういう意味づけを初代のキリスト者たちは抱いていたようである。私たちの教会もそのことを覚えたい。

3章の初めにイエスとニコデモの話しがある。ニコデモという人物は、ユダヤ人の議員でとても偉い人のようである。ある夜イエスを尋ねてきた。ニコデモは何を質問したのか。イエスのこれまでの歩みを知らされる中で、「どうしたらあなたのように、神が一緒に居てくださる生活が出来るのか」という質問であった。この訪問者は、律法を重んじ、一生懸命に良い働きもしてきた者であろう。でも彼は、神が一緒に居てくださる生活を感じきれないでいた。イエスは、その質問に対して≪人は、新たに生まれなければ、神の国を見ることはできない≫と答える。

ニコデモは≪年をとった者が、どうして生まれることができましょう。もう一度母親の胎内に入って生まれることができるでしょうか≫と答えた。彼が期待した答えは、もっと具体的な答えだった。何と何をしたら神と共に歩む生活が出来る、神の国を見ることが出来るという具体的なことを期待していた。そこには、自分の努力、修業、鍛錬によって“救われる”という考えがある。伝道、献金、聖書の言葉通りに歩まなければ・・・救われない。そういう人間の努力によって、私たちの救いが成り立つかのように思ってしまうことは私たちにもないだろうか。 ≪神は、その独り子をお与えになったほどに、世を愛された。独り子を信じる者が一人も滅びないで、永遠の命を得るためである。神が御子を世に遣わされたのは、世を裁くためではなく、御子によって世が救われるためである。≫イースターとは、イエス・キリストの十字架の愛に気付くことであり、神の愛を喜ぶことなのである。(神谷)


2013.3.24「十字架を誇る」 ガラテヤ6:11~18

パウロが見ている「十字架」とは、ただ単に罪の赦しを得させてくださる神の救いの象徴としてあるのではなく、「十字架」には「苦しみや悲しみ」といった更なる広がりがある。≪この十字架によって、世はわたしに対し、わたしは世に対してはりつけにされているのです≫と記す。ここは、苦難の十字架は今もなお続いている・・という意味の現在進行形で記されている。この世に苦難がある限り、イエスは今なお十字架にはりつけにされていると言うこと。

イエスの十字架は、この世に救いをもたらすために、神の愛を示すために成された業であるが、この世は、そのことを受け入れない。今なお戦争、争い、暴力が人を苦しめ、悲しみを背負わされている。その状況が続く限り、イエスはその苦しみと共にあり、十字架を負わされるということである。「十字架を誇る」とは、苦難の歴史、苦難の現状に向き合うということであり、「世はわたしに対し、わたしは世に対して、はりつけにされていく」ということである。

灰谷健次郎の『太陽の子』は、戦後、沖縄から神戸に移り住んで、沖縄料理の店「てぃだぬふあ(太陽の子)沖縄亭」を営む家族とそこに集まる人達のお話で・・主人公のふうちゃんは小学6年生。そのふうちゃんのお父さんは半年前に突然精神を病んでしまう。その原因が沖縄の抱える深い悲しみにあることをふうちゃんはだんだんと知る。昔沖縄でひどい戦争があって、・・・しかし時が過ぎ、時代が変わり、もう誰もそのことを口にしなくなっていく。ふうちゃんの両親が経営している沖縄料理のお店には、そうした戦争を体験し、身体に大きな傷を負った沖縄の人たちが集まって来る。みんな明るくてふうちゃんを可愛がってくれる。でもある日、ふうちゃんは気付く。身体の傷よりも、みんな心に大きな傷を負っているということを。みんな自分の胸に秘めていることしか出来ないと。みんなの心の傷があの沖縄での戦争にあることを知って、ふうちゃんは一生懸命に沖縄の戦争のことを勉強し始めた。みんなの心を大事にしたいゆえに。 ふうちゃんは言う。「人間が動物と違うところは、他人の痛みを、自分の痛みのように感じてしまうところなんや」と。このことはまさに、苦難の歴史、苦難の現状に向き合うことであり、それは「十字架を誇る」ことに繋がることかと思う。「他人の痛みを、自分の痛みのように感じていく・・」生き方は、友なるイエスの生き方である。

沖縄の詩人山之口獏の「座布団」より・・・土の上にゆかがある/ゆかの上にはたたみがある/たたみの上にあるのが座布団で/その上にあるのが楽という/楽の上にはなんにもないのであろうか/どうぞおしきなさいとすすめられて/楽にすわったさびしさよ/土の世界をはるかにみおろしているように/住みなれぬ世界がさびしいよ この世は、楽な座布団の上に座って、土の世界をはるかに見下ろし、自分の都合の良いように物事を進める世界に思う。先日、「辺野古埋め立て申請」が国から出された。全く沖縄の歴史、苦難の現状に向き合わず、沖縄の民意を無視したやり方に大変腹が立つ。   この世に苦難の現状がある限り、イエスは今なお、十字架のはりつけにされている。(神谷)


2013.3.10「戦うことを学ばない」 イザヤ書2:4~5

70年ぶりに琉球競馬「ンマハラセー」が復活した。ンマハラセーとは、うちなーぐち(沖縄口)で「ンマ」は「馬」、「ハラセー」は「走らせる、競争する」ということであり、競馬のこと。その歴史は古く、琉球王朝時代から沖縄戦が始まる前の1943年まで続けられ、500年もの長い伝統があった競技である。このンマハラセーは、競馬でありながら速さを競うものではない。「どの馬がいい走りをしているのか」「乗り手と馬の意気が合っているか」「美しく、かっこいいのはどの馬か」ということを競ったもの。速さを競わない競馬があるということに驚く。“誰が一番早いか”ということではないので、 当然、鞭で馬のお尻を叩くということはしない。平和的な沖縄らしい競馬だと思う。

この競馬は、戦争が始まることで消滅するのだが、どのような経過をたどったのかというと、・・・沖縄に日本軍が駐留することになって、小柄な琉球馬は戦争をする軍馬には向かないことから、去勢され淘汰されていく。すなわち、殺されていく。代わりに日本から体の大きい馬を連れてきて、軍馬を育てるように強制された。戦争のための馬へと変えられていったのである。戦争というのは、本当に恐ろしく、悲しい。ここにもう一つの戦争の悲劇を見る。

聖書は戦争の悲惨さを教えている。戦争をするための道具をどんなに作っても、強力な最新兵器を持っていても、本当の平和はおとずれない。「戦うことを学ぶ」 世界には、真の平和はないことを教えている。軍事基地は「抑止力」のために必要という声がある(「抑止力」=「基地」)。しかしこの世界に武力による平和は、結局、 悲しい結末を迎えることを歴史は示している。 イザヤ書の言葉は、三千年前に戦争の虚しさからの教訓である。「剣・槍」(軍事基地)は“いのち”を破壊するもの。その逆に「鋤・鎌」という農具は“いのち”を生み出すもの。命を破壊する剣や槍を打ち直して、命を生み出す鋤や鎌に打ち直しなさいと聖書は教える。そして本当の「抑止力」は、“いのち”を生み出すこと、豊かな食を生み出すことから始まり、“いのち”を育むこと、友を築く、すなわち「抑止力」=「友人」ということである。世界中で食を分かち合い、友人ができれば争うことは無くなる。「戦うことを学ばない」という聖書の言葉から、そういう広がりを覚えたい。 子どもたちの未来に、真の平和を祈りつつ・・・。(神谷)


2013.3.3「あなたがたがわたしの推薦状」 (コリントの信徒への手紙3:1~6)

パウロがコリントの教会を離れ、別の場所での伝道をしている際に、パウロの事を良く思わない指導者があらわれて、違った教えを語り始め、またパウロ批判も言い出して来た。この指導者たちは、自分たちはエルサレム教会の推薦状がある正式な教会の指導者であると言いはじめ、パウロはどこからも推薦状はなく、本当に信用できるのかと不安をあおる。コリントの教会の人々がパウロに対する不安を抱き始め、教会中がパウロに対する不信感でゆれているころ、そのことがパウロの耳にも入って、その状況に対して記したのがこのコリントⅡの手紙である。

 パウロは、自分自身に不信感を抱くコリントの教会の人々に何と答えたか?≪あなたがたからの推薦状が、わたしたちに必要なのでしょうか。わたしたちの推薦状は、あなたがた自身です≫と答えた。パウロは、不信感を抱くコリントの教会の人々に対して、「あなたがたと私との間に、何か保証になるような紙切れが必要なのか?どんな上等な紙よりも、どれだけ有名な人が私をほめる言葉よりも、コリント教会のあなたがた自身が、私の推薦状そのものです」という。

 パウロ自身は、コリント教会の人々に対して、怒りを表してもいいところを、パウロが教会の人々に逆に不信感を抱いてもよさそうなところを、「あなたがたが私の推薦状」という。すなわち、“教会がそこにある”ということ、“礼拝がそこで行われている”ということ、そのことが、パウロが神様から用いられている一番のしるしということをパウロは言っている。

そのことはまた、神と私たちの関係ともよく似ているように思う。神は私たちに対しても 「あなたが私の推薦状」と言ってくださっている。私たち一人一人の存在が、小さな、小さな存在が、神の栄光を表すものであるということである。(神谷)


2013.2.24「タラントンの譬えとアベノミクス」 (マタイによる福音書25:14~30)

私たちの社会は、いつの時代も≪持っている人は更に与えられて豊かになり、持っていない人は持っているものまでも取り上げられる≫という格差社会の状況がある。

 年末に政権交代した後、安部新総理は「アベノミクス」という言葉を使い、経済立て直しのプランを打ち出した。ちまたでは「アベノミクス」効果で、日本の経済は少しずつ上向きになっているという風潮がある。アベノミクスとは、安部首相の「アベ」と「エコノミクス」経済学を合わせた言葉で安部政権の経済政策というもの。以前にも米国で「レーガノミクス」というのがあった。1980年代に当時のレーガン大統領がアメリカ経済を立て直す切り札として打ち出した政策である。「アベノミクス」はその言い方を真似したもの。ところで「レーガノミクス」はどうなったか。「強いアメリカ・強いドル政策」を目指して、防衛費に金をつぎ込み、強いドルを維持すために富裕層の減税を行い、お金持ちがお金を使うことを願ったのだが、結果的には金持ちはより豊かになり、貧しい者はさらに貧しくなるという格差が広がった。
では、レーガノミクスを真似たアベノミクスはどうなるのか?ある経済学者は、今年7月の参議院選挙までは、なんとか景気はよくなるがその後は「安部バブル」の崩壊という形で格差社会の広がりの懸念があるという。

 今朝の聖書は、財産の管理と運営を僕たちに任せて旅に出る主人の物語。これは当時の貴族や大商人のお決まりの手法といわれる。当時は、必要以上に金を儲けることは道徳的に悪であると見なされていた。大金持ちは、実際に持っているお金を表向きは自分の抱える僕たちに任せたのである。お金の管理とそれを元手にした富の倍増を僕たちの手に負わせ、自分は旅に出て気ままに贅沢に暮らす。そしてときどき帰ってきて儲かった分をごっそり持っていく。当時の大地主や貴族たちはいわゆる「不在地主」と言われていた。

 イエスが語られたタラントンの譬えは、そっくりそのまま当時の資本家、不在地主のありようを言い当てているようにも見える。僕たちは、預けられた主人のお金、資本の増大に力を尽くす。その間に主人は気ままに旅行に出かけ、帰ったら会計報告を求める。倍増した者は喜ばれ、地中に隠した者は叱責される。イエスの本来の聴衆は、この話を聞いて現実の不在地主たちを思い浮かべたのではないかと思う。聴衆は、このイエスの譬え話、つまり不在地主たちによる富の増殖と蓄積の構造を端的に言い当てた話として聞いて、それまで抱いていた素朴な違和感や不公平感を確かなものとして感じ取っていたのではないか。

イエスがお金持ちのあり方、資本主義経済の指摘としてこの譬え話があることを、一つの読み方として感じ取っていくことは大事なのかと思う。日本の経済のゆくえは、≪持っている人はさらに与えられ、持っていない人は持っているものまで取り上げられる≫ことに邁進しないかと懸念されるが、私たちはそれを見抜く力を持ち合わせたいものである。(神谷)


2013.2.10「種まき物語」~信教の自由を守る日を覚えて (マタイによる福音書13:1~17)

「種まき物語」を一つの視点で見たい。14節にイザヤ書の言葉が記されている。≪あなたたちは聞くには聞くが、決して理解せず、/見るには見るが、決して認めない。この民の心は鈍り、/耳は遠くなり、/目は閉じてしまった。こうして、彼らは目で見ることなく、/耳で聞くことなく、/心で理解せず、悔い改めない。・・・≫イエスは、神の言葉を譬えで話す理由としてイザヤ書を引用する。イザヤの時代は、国が他国に滅ぼされ、多くの民が殺され、また奴隷として連行された。その悲惨な歴史を踏まえて、神の言葉を聞くことの大切さ、教えが記されている。イザヤ書2:4には≪主は国々の争いを裁き、多くの民を戒められる。彼らは剣を打ち直して鋤とし/槍を打ち直して鎌とする。国は国に向かって剣を上げず/もはや戦うことを学ばない。≫この神の戒めを、心で聞いて理解せよ、心で見て現状を認めよ、心で理解して悔い改めよ。神は人間の愚かさを指摘しておられる。

 そのことを踏まえて、この種まき物語を見る時、種の落ちる状況を、此の世の社会的、歴史的文脈で見る必要があるのかと思う。この種の置かれた状況は、歴史の結論のように見える。ここの“種”は神の言葉「ロゴス」である。このロゴスは、イエス・キリストに置き換えることが出来ると以前に学んだが、・・・この種、すなわちイエス・キリストは、此の世のどのような状況に置かれ、立たされてきたのか。イエスは、道端に置かれても、何とか立ち上がろうとした。イエスは、石だらけの所に置かれ、艱難や迫害に襲われた。イエスは、茨の中に置かれ、何とか御言葉を語り、実を付けようとした。しかし、結局は押しつぶされてしまう。イエスは何度、此の世で十字架の苦難に苦しまなければならないか?

今、また礼拝が妨げられる時代が迫っている。私たちはこの時代をただ手をこまねいて見ている者なのか。豊かな実を結ぶには、土地を耕す必要がある。雑草が生えるのを、ただ手をこまねいて見ていたら、種は十分に成長せず、成長の早い雑草に覆いかぶされてしまう。また新たな十字架をイエスに負わすというのか?
此の世において豊かな実を結ぶとは、平和に、自由に、主を高らかに讃美し、祈りを捧げ、主を礼拝する事ではないか。「信教の自由を守る日」を覚えて。(神谷)


2013.2.3 「主よ、主よ」 マタイによる福音書7:21~23

≪わたしに向かって、「主よ、主よ」と言う者が皆、天の国に入るわけではない≫と厳しい言葉が記されている。御名によって預言し、悪霊を追い出し、奇跡を行っても、天の国に入るわけではないと言う。これは何を意味するのか?

「主よ、主よ」と呼ぶことが悪いのではなく、御名によって預言し、悪霊を追い出し、奇跡を行うことが悪いのでもない。ただ過去の業績が自らの力かのように、そのことを権威づけようとする意識に危うさがあるということである。この世は、自らの業績がその人自身の力と看做す社会であるから、一つの会社を築けば、社長となって権威をふるうのは当たり前のこと。ついこの世の常識に、神の御国を当てはめて考えやすい。その弱さが私たちにもある。宗教によっては、鍛錬する、修業を積む、伝道の成果を上げることが、自らの業績となり、神の国は近づく・・という考え方が生まれてくるのかのように。では、「御心を行う者」(7:21)とはどういう人のことをいうのか?

実はイエスご自身も「主よ、主よ」と叫ぶ者であった。マタイ27章46節で、十字架につけられたイエスは「我が神、我が神(主よ、主よ)、なぜ私をお見捨てになったのですか」と言って息を引き取った。この言葉はともすると、「私はこれだけの業績を積んできたのに、なぜ私は見捨てられるのですか」という叫びにも聞こえる。

「御心を行う者」という言葉を原語で見ると単数である。すなわち、御心を行う者は、ただお一人ということにもなる。天の父の御心を行ったのは、あの十字架へと向けられ、「できることなら、この杯をわたしから過ぎ去らせてください」と十字架を避けたいと願い、「しかし、わたしの願いどおりではなく、御心のままに」と十字架を背負い、はりつけにされ、「我が神、我が神、なぜ私をお見捨てになったのですか」と叫んだイエスのみが、父なる神の御心を行ったと見ることができるのかと思う。

私たちはそこに気付かされる時に本当の謙虚さを教えられるのではないか。私たちは、神の御心にそえない弱さがあるもので、ただ主の憐れみにより生かされ、赦されていることを覚えたい。(神谷)


2013.1.27 「神に倣う者」 フィリピの信徒への手紙2:1~11

「一年の計は元旦にあり」昔から語り伝えられた諺です。一日の計画は朝のうちに、一年の計画は元日にとの戒めで、物事は何事にも最初が大切だと教えることわざです。新しい年、2013年を迎えてキリスト者としての計画はたてられたでしょうか。

信仰的に考えるならば私たちの基準は「イエス・キリストの誕生」に振り返らなければなりません。聖霊によって身ごもった処女マリアを通してイエス・キリストが人間の姿として生まれたことが福音書に記されています。ヨハネ福音書では「言(ことば)として世の初めからおられた神が、肉体をもつ人間としてわたしたちの間に宿られた」と表現しています。

使徒パウロがフィリピの信徒への手紙2章6~7節に記される通りです。この2章には「キリストを模範とせよ」というタイトルがついています。キリストの謙遜な心が表れているからです。そして5節には「互いにこのことを心がけなさい。それはキリスト・イエスにもみられるものです」とありますが、文語体の聖書には「汝ら、キリスト・イエスの心を心とせよ」とあります。十字架によって示されるキリストの犠牲的愛の心として、この一年忠実に教会生活を全うしたいものです。
エフェソの信徒への手紙5章1節「あなたがたは神に愛されている子供ですから、神に倣う者となりなさい」。(城間祥介)


2013.1.20「沈黙の声」 列王記上19:1~18

腰砕け? エリヤが不要の虐殺を行ったことは「報復の連鎖」を生む。アハブ王の妻イザベルがエリヤ暗殺を企てる(19:1~2)。それを聞いたエリヤは恐怖の余り自分から逃げたのである(3節)。神の指示によって逃げた前回とは大違いである(17:2~4)。正義感による勇み足から、よもやの腰砕けである。

生ける者の主 ここでも神はエリヤのいのちを保とうとする。エリヤ自身が自らのいのちをあきらめようとしても神はそれを認めない(4~8節)。そうして彼は神の山ホレブにたどり着く。そこは神と出会うための場所であった(出エジプト3:1)。聖書記者はエリヤを第二のモーセとして描いている。「通り過ぎる主」(11節)もシナイ山においてモーセと出会う神の姿と重なる(出エジプト34:6)。

かみ合わない対話 エリヤと神との対話は終始すれ違っています。神はエリヤに神との出会いの場である「ここ」の意義を問う。9節と13節の直訳は「あなたにとって、ここが何か」である。しかしそれに答えるエリヤは、自分だけがいかに排他的(他者をおしのけ、しりぞける)に主に仕えたかを無反省に主張するだけであった(10、14節)。この点にも、エリヤが今まで本当の意味で神と出会い、正しく預言者としての召命を受け止めていたのかが疑問となる。というのも、多くの預言者は神との出会いを経て自らの小ささを自覚させられ、そして召命を受ける(エレミヤ1:6)。

神の教育的態度 神はエリヤの信仰姿勢を修正する。そして彼がいのちの危険を感じた「ここ」で真に神に出会い、新しい使命に生きるように押し出す(15~18節)。その目的は、エリヤが考えるようなところに神はいないと教えることにある。エリヤは「風」や「地震」、「火」といった超常現象の激しさの中に神がいると思っていた。それは今までの彼の経験から導かれた神観である。しかし神はエリヤの想定の範囲におさまる方ではない(「しかし~の中に主はおられなかった」11~12節)。神の自由を奪えるかのように考える信仰態度は間違いである。

沈黙の声 神は以外にも「静かにささやく声」(12節)としてご自身を現された。直訳は「沈黙の声/音」である。エリヤが言い訳を止め、自ら沈黙した時に初めて神と出会う。神は壁にぶつかり沈黙するばかりのどん底にいる私たちに出会ってくださる方である。


2013.1.13 「百年の計を同胞に示す責任」 列王記上18:16~24

エリヤはアハブ王に物申した後、身を隠し三年ぶりに王の前に現れた。「カルメル山での戦い」と言われるところである。バアルの神に仕える預言者450人対主なる神に仕える預言者エリヤとの対決。それぞれの神に願い、どちらが生け贄に触れずに火をおこすかの闘い。結果は、バアルの預言者たちが大声を張り上げバアルに願うも、一向に火が付く気配がない。エリヤが主なる神に願うと、天から火が降ってきて、またたく間に生け贄の牛は炎に包まれた。ここは旧約らしい明快な主なる神と偽りの偶像との違いを表している。この物語は、“やはり主なる神はすごい!”めでたし、めでたしで終りそうな話だが、もう少し視点を変えて見てみたい。

ここは預言者エリヤが、同胞である民に百年の計を示す責任を負っていたということであろうかと思う。「百年の計」とは、遠い将来までを考えるということだが、預言者エリヤは、民に対し「これでいいのか?」と問い、預言者として神の御声を伝えなければならないという責任を負っているのかと思う。21節≪エリヤはすべての民に近づいて言った≫・・22節でも≪エリヤは更に民に向かって言った≫とあるように、エリヤは主の御声を伝える者として「これでいいのか」と民に問うている。「民」というのは、必ずしも正しいところになびくとは限らない。「民意」というものは、その時の風向きで変わってしまう。

年末に衆議院選挙があり、結果は民主党政権に対する批判の表れとして、自民党の圧勝となった。自民党を支持するというよりも、与党政権に対する批判の結果が、そういう形になったと言われる。圧勝した自民党は、原発再稼動の動きをにじませていた。あの東日本大震災の時に、福島の原子力発電所が爆発して、どんなに原発の恐ろしさを日本国民は味わったことか。もう原発は作らない、稼動させない、原発はすべて撤去すべしと民意はそう傾いたのではなかったか?
しかし、あれから1年余りで、やはり経済が大事、身近な景気対策が優先されるべきと、多くの日本人の意思が傾いた結果になった。「民意」とは、結局はそういう弱さと怖さを持つものである。 あのドイツのヒトラー率いるナチスが政権を取ったのも民意によって支持を得て、独裁者ヒトラーが誕生した。ユダヤ人600万人殺害した張本人を誕生させてしまったのは、「民意」であった。民意というものの流れは、そういう弱さ、怖さがある。

この北イスラエルは、それから100年後には滅びてしまう。預言者エリヤが、そこまで知っていたかは分らないが、「百年の計を同胞に示す責任」を負いつつも、結果的には、間に合わなかったと言うことか。聖書の歴史的示唆から多くを学びたい。

神を知らしめる教会の働きは大きい。教会は、「百年の計を同胞に示す責任」を負うことは出来るのか? この日本はどこに向かっているのだろうか?(神谷)


 

「新しい夜明け」マタイによる福音書14:66~72

ペトロは、3度「イエスを知らない」と否む。彼は12弟子のリーダー的存在であり、 イエスが昇天した後も、キリスト教界を引っ張っていった人物である。そのペトロが福音書にこのような失態として記されている事に驚く。この世ではこのような失態を書かれたら、否定して抹消しようとするのが世の権力者の常であるが、しかしそうはせずに過去の傷を赤裸々に公表されることを許している。
ペトロがそれを許したのは何故であったか?それは自分の傷と向かい合っていくため、逃げずにそれを担っていくための覚悟の表れであろう。そしてもう一つは、暗い過去を他者と共有し、共に乗り越えたいとする思いの表れだったのではないか。

ペトロはイエスの真夜中の裁判を、危険を押して見に行く。そこには大いなる期待があったのであろう。あれほどの偉大な業をなし、驚くべき言葉を語ったイエスであるからきっと驚くべき仕方で、この裁判を切り抜けるに違いない。そんな期待のゆえに、あえて危険を押して見に行ったのかも知れない。ところが裁かれるイエスは、いつまでたってもその力を現さないし、あの力ある言葉も一言も発しない。ペトロはがっかりするような思いでそれを見守っていた。そんな時にあの女中から問いかけられる。「あなたもイエスと一緒にいた」。ペトロは最初、ごまかして「あなたが何のことを言っているのか、わたしには分からない」と応える。しかし二度目は明確に否定し、三度目に問われると、今度は「呪いの言葉さえ口にしながら」、「あなたがたの言っているそんな人は知らない」と誓い始めた。
このペトロの言葉は、その場しのぎのでまかせなのか?ペトロがこの時、イエスがどんな驚くべき仕方で裁判を切り抜けるのか期待を持って見に来ていたとすれば、弱々しく裁かれるイエスに、その期待を裏切られ、「あんなやつは知らない。あんなイエスは知らない」とペトロは思っていたのではないか。

神とはどういうお方か。どういう仕方で私を救い、この世を救ってくださろうとしているのか。驚くべき御業をもって人を救い、国を建て、神の国をもたらすメシアを望むのであれば、ペトロは失望を繰り返すほかない。しかしイエスにおいて現された本当の救い主、メシアは、自ら傷を負い、痛みを担い、世のために苦しむ姿をさらした。ペトロはその気づきの中で、自分の信仰の新しい夜明けを経験していくのである。(神谷)


2012.12.23「ベツレヘムの星」 マタイによる福音書2:1~12

マタイのクリスマス物語は、東方の博士たちが星に導かれ幼子イエスにお会いし、ひれ伏し拝むということが記されている。あの導いた星とはどのような星であったのか? ハレー彗星か、新星か、木星と土星の連会合か、はたまた・・・真相はつかめない。
ただ、もし特別な光を放つ星であれば、博士たちだけでなく、ヘロデ王もローマ兵もその光り輝く星を見つけて、幼子イエスを捜せたはずである。しかし博士たち以外にあの星を見たものはなかった。それは何故か? ベツレヘムの星の輝きはわずかな輝きでしかなかったのかと思う。博士たちの旅は、とても不安で暗い旅であったろう。どれだけの覚悟をもっての旅であったか。お会いできるかどうかも保障されない旅。不安がないはずはない。その思いがベツレヘムの星の光を見逃さなかったのではないか。彼らの 信仰の光よって、神の御前に立つことが出来たのではないか。

では、今の私たちにベツレヘムの星は見えるのか?今日の私たちの周りには、物が豊かになり、必要以上の光が照らされ、明るすぎる町明かりのために、夜空の星は見えづらい。自ずとベツレヘムの星は見逃してしまうに違いない。でも、自分の目をこの世の暗闇の中に注ぐ時、そこで見える光はキリストに導くベツレヘムの星ではないかと思う。

10月29日から「普天間基地ゲート前でゴスペルを歌う会」を行って来た。激しく雨降る時も休まずに続けた。この行動は、軍事基地があるがゆえにオスプレイが強行配備され、弱い立場の女性や子供が米兵から暴力を受け続けている。その現状に私たちキリスト者も、その軍事基地に、オスプレイ配備に、暴力に、反対の意思表示をしていきたい・・。毎日朝早くからゲート前で座り込みを続けておられる方々と連帯したい。米兵から暴行を受け、とても怖い思いをした方の傍らに立ちたい。そのような思いからゲート前の行動を始めたが・・。しかし始める前はとても不安であった。どうなるのか予想がつかず、人は集まってくれるのかと様々な不安が襲ってきた。でも始まっていくと形が見えてきて、いろいろな方々の協力や支えと祈り、励ましを受けて、とても力強さを感じたものである。強大な軍事基地を目の前にして、余りにも小さな行動ではあるが、しかしその中にあっても、主の光を感じさせられて、希望を見出させて頂いていた。ベツレヘムの星は確かに輝いている。私たちを主の道へと導いておられる。(神谷)

 


 

2012.12.16「希望の源である神」(ローマ15;7~13)

7節「・・・受け入れなさい」とは、自らの信仰が失わないためでもある。「受け入れる」と言うのは、「もの」であり、「結果」、「出来事」も含む。私たちは、思いがけない結果や出来事でどれだけ躓き、信仰が消えてしまいやすいものであるか。内村鑑三の言葉に、「産を失うも可なり、願わくは神の聖顔を失わざらんことを。病に悩むも可なり、願わくは神に棄てられざらんことを。 死するも可なり、願わくは神より離れざらんことを。 神はわがすべてなり。神を失うてわれはわがすべてを失うなり。われらに父を示したまえ。さらばたれり。わが全生涯の目的は、神を見、彼をわがものとなすにあり、その他にあらず。」自らの経験からそのことを言う。「産を失うも可なり」とは、子どもを授かると喜びは相当なものだが、しかしその授かった子が失われてしまうと、どれほどの悲しみが襲うものか・・・。内村自身も一人娘ルツ子を失った。そのようなことが起きても神の御顔を見失う事が無いようにと言うことである。

 何故そこまで言い切るのか?それは7節に≪キリストがあなたがたを受け入れてくださった≫からである。イエスが私たちを受け入れた時どうなったか?罪深い私たちを受け入れたイエスは、私たちのために自らの身を引き裂くことになったではないか。あの十字架において血を流されたではないか。そのイエスのお姿を思い起こすからこそ、私も、この人を、現実の結果も、出来事も、「受け入れていく」という信仰に押し出されて行く・・ということである。

「エッサイの根から芽が現れ、/異邦人を治めるために立ち上がる。異邦人は 彼に望みをかける」。イザヤの希望の預言である。「エッサイ」とは、ダビデの父親のこと。ここは父エッサイからダビデ王様が生れたということを言いたいのではない。エッサイという羊飼いから後にキリストが生れると言うことである。ルカ福音書のキリストの誕生の知らせは、最初に羊飼いに知らされた。羊飼は当時、最も貧しい人々である。屋根の下で寝ることも許されず、常に野宿し羊の世話をして暮らす人々でした。彼らはその現実の貧しさを「受け入れた」人たちでもあった。そういう貧しい羊飼いに一番初めにキリストの誕生が知らされ、そしてイエスを拝むことができたのである。  これは、貧しさという現実を受け入れていく中でも、希望は失われることはないというメッセージである。希望の源には神様がおられるのである。(神谷武宏)



2012.12.9 「永井 隆 氏の遺言『いとし子よ』」

いとし子よ!あの日、イクリの実を皿に盛って、母の姿を待ちわびていた誠一(まこと)よ、茅乃(かやの)よ。お母さんはロザリオの鎖一つをこの世に留めて、ついにこの世から姿を消してしまった。そなたたちの寄りすがりたい母を奪い去ったものは何であるか? 原子爆弾。いいえ。それは原子の塊である。そなたの母を殺すために原子が浦上にやって来たわけではない。 そなたたちの母を、あの優しかった母を殺したのは、戦争である。

戦争が長引くうちには、はじめ戦争をやり出した時の名分なんかどこかに消えてしまい、戦争が済んだころには、勝った方も負けた方も何の目的でこんな大騒ぎをしたのか分からぬことさえある。そうして、生き残った人びとはむごたらしい戦場の跡を眺め、口をそろえて、戦争はもうこりごりだ。これっきり戦争を永久にやめることにしょう!そう叫んでおきながら、何年か経つうちに、いつしか心が変わり、なんとなくもやもやと戦争がしたくなってくるのである。どうして人間はこうも愚かなものであろうか。
私たち日本国民は憲法において戦争をしないことを決めた。わが子よ-。憲法で決めるだけならどんなことでも決められる。憲法はその条文どおり実行しなければならぬから、日本人として中々難しいところがあるのだ。どんなに難しくても、これは善い憲法だから実行せねばならぬ。自分が実行するだけでなく、これを破ろうとする力を防がねばならぬ。これこそ戦争の惨禍に目覚めた本当の日本人の声なのだよ。

しかし、理屈は何とでもつき、世論はどちらへでもなびくものである。日本をめぐる国際情勢次第では、日本人の中から憲法を改めて戦争放棄の条項を削れと叫ぶ声が出ないとも限らない。そしてその叫びがいかにももっともらしい理屈をつけて、世論を日本再武装に引きつけるかも知れない。その時こそ、誠一よ、茅乃よ。たとい最後の二人となっても、どんなののしりや暴力を受けても、きっぱりと「戦争絶対反対」を叫び続け、叫び通しておくれ!たとい卑怯者とさげすまれ、裏切り者とたたかれても「戦争絶対反対」の叫びを守っておくれ!敵が攻め寄せた時、武器がなかったらみすみす皆殺しにされてしまうではないか?-という人が多いだろう。しかし、武器を持っている方がはたして生き残るであろうか?武器を持たぬ無抵抗の者の方が生き残るであろうか?狼は鋭い牙を持っている。それだから人間に滅ぼされてしまった。ところが鳩は何一つ武器を持っていない。そして今に至るまで人間に愛されて、たくさん残って空を飛んでいる。愛されるものは滅ぼされないのだよ。愛で身を固め、愛で国を固め、愛で人類が手を握ってこそ、平和で美しい世界が生まれてくるのだよ。

いとしい子よ。敵を愛しなさい。愛し愛し愛し抜いて、こちらを憎むすきがないほど愛しなさい。愛すれば愛される。愛されたら滅ぼされない。愛の世界には敵がない。敵がなければ戦争も起こらないのだよ。


2012.12.2 「御万人ぬ救い」(ローマの信徒への手紙10:5~13)

「御万人(うまんちゅ)ぬ救い」とは、「全ての人の救い」ということ。全ての人の救い・・全ての人が救われる・・。このことは中々受け入れがたいことである。何故ならこの世はそのことと相反する社会だからだ。この世においては、救われる人と救われない人に分けられる構図になっている。

 律法を大事にしてきたユダヤ人は、律法を守りきることによって救われると信じてきた。律法を守らない者は救われない。たとえば安息日を大切にし、一切の仕事を休む。実際には休むことの出来ない仕事は存在するわけだが、羊飼いの仕事がそう。安息日だからといって羊に水や草を食べさせないわけには行かない。羊飼いの仕事は、自ずと貧しい者たちの仕事となっていく。また当時は医者や徴税人も人を相手にする仕事ということで、安息日とはいっても仕事をせざるを得ない。羊飼い、医者、徴税人という人たちは、律法を守りたくても、守ることが許されず、救いから漏れていく、強制的に救われることが許されない立場に置かれている者たちであった。

 その救われる、救われないという構図が、当たり前のように思われた社会の中で、 ≪だれが天に上る≫とか≪だれが底なしの淵に下るか≫と言ってはならない・・と言う。すなわち、だれが救われ、だれが救われない・・とは言ってはならないというわけ。9節≪口でイエスは主であると公に言い表し、心で神がイエスを死者の中から復活させられたと信じるなら、あなたは救われる≫ 「口で・・・心で・・信じる」という言い方は、口で、心でなら“誰でも出来る”ということを意味する。貧しくて羊飼いの仕事を余儀なくされた人々も救われているということ。全ての人が、うまんちゅが救われることを表している。 

御万人ぬ救いとは、この世に争いをもなくし、戦争はなくなるという思想に繋がるものでもある。そういう意味でも一人でも多くその神の愛に触れて頂きたい。12月を迎え、キリストを待ち望むアドベントの月。良きクリスマスの音ずれをご一緒に備えよう。(神谷)

 


2012.11.25 年末に思うこと

11月も最後の主日となり私たちは間もなく年末年始を迎えようとしています。去る23日は「勤労感謝の日」として日本の国では祭日として一般の行事となっています。それは「勤労をたっとび、生産を祝い、国民たがいに感謝しあう」日です。

キリスト教会では11月第4木曜日を「収穫感謝祭」として特別な行事を行うところもあります。感謝とは「有難く思うこと」です。聖書の中にも感謝という言葉は沢山出てきます。テサロニケ第二5章18節では、「どんな事にも感謝しなさい」とあります。神に選ばれ、神に愛され、キリストとして此の世に来られ、私たちの罪の身代わりとして十字架にかかられ、永遠の命にあずからせて頂いたこと、等々・・すべてが感謝すべき事です。

一年に一度必ずやって来る年末年始は私たちにとって極めて大切な時です。一般社会では年末になると至る所で忘年会の歌が流れて来ます。忘年会とは字の通り過ぎ去った年の苦労はすべて忘れましょう・・・と酒を飲みご馳走を食べて歌ったり、踊ったりするのです。しかし、忘れてしまいたい程いやな事があっても体験した事はそう簡単に取り消し出来るものではありません。
詩編90編には「人生の年月は短いもので得るところは労苦と災いにすぎない」とあります。そこでもう一度「常に喜び、絶えず祈り、すべての事感謝せよ」(テサロニケⅡ5:16~18)との御言葉を考えてみましょう。(城間祥介)


2012.11.18 ロティー・ムーンの宣教から

ロティー・ムーンは1840年12月ヴァージニアで7人兄弟の3番目の子どもとして生まれた。両親は熱心なクリスチャンで、近くに教会が出来るまでは、家庭で子どもたちや、近所の方々と家で礼拝を守った。 ロティーは19才の時に学校で開かれた特別集会でイエス様を信じる決心をする。そして徐々にロティーは「自分の命をこの福音のために捧げたい」という決意で喜びあふれる生活へと変えられた。

ロティーは32才の時に、長年祈り続けた海外宣教に旅立つ。それは中国に非常に重荷を感じ、神様が中国のために私を必要とされていることに気がついていたという。 ロティーは一人で中国へ渡る(1873年)。中国の人は外国人を容易に受け入れず、街を歩けば「悪魔が来た!」と言って、人々は足早に散っていく。ロティーは中国の思想や文化を学び、中国を愛し、積極的に彼らの生活の中に入って伝道した。ロティーは働きながら、伝道を続けた。

10年が経過した頃、疲れを覚えたため、休暇が必要と思い、休暇をとるためサンフランシスコ行きの船の予定を上海に問い合わせるために街へ出ていると、ロティーが 米国へ帰ってしまうと思った二人の村人が、突然、ロティーが出てきた街まで追いかけてきて、185キロの道を歩き通して探した。そして、「永遠の命の話を聞かせてほしい」と迎えに来たのである。ロティーは「福音をこんなにまで求めている人達がいる!村へ帰ろう」と、彼女は休暇を諦めて、村に帰った。戻ってきたロティーを村の子ども達や婦人が大喜びで迎えた。 その頃、アメリカの婦人達は、ロティーが休暇もとらず、自分の全てを捧げ、中国伝道に打ち込んでいるのを知り、クリスマスに「特別献金」を行うことを決める。これが「世界バプテスト祈祷週間」の起こりである。 その後、バプテスト教会が中国で生まれていく。

1900年代になると中国の社会情勢が悪化し、紛争が起こり、中国のクリスチャンに対して恐ろしい迫害が起きた。また同時に飢饉も起きた。1912年12月彼女はついに倒れ、ロティーを救うため、帰国することになった。しかしその途上で、1912年12月24日に召天する。70歳の時であった。ほぼ40年間の中国伝道で、彼女の情熱と祈りに動かされたアメリカの婦人達は、世界伝道のために祈りを捧げようと「ロティー・ムーン<クリスマス献金週間>」を決めた。この祈りの輪は世界中のバプテスト教会に拡がり「世界バプテスト祈祷週間」として今に至る。
(世界バプテスト祈祷週間を覚えて・神谷武宏)


2012.11.11「よろこび、いのり、かんしゃ」(子ども祝福式) (Ⅰテサロニケ5:16~18、ルカ福音書15:1~7)

「いつも喜んでいなさい。絶えず祈りなさい。どんなことにも感謝しなさい。」という聖書の言葉がります。とても大切なことだと思いますが、でも「いつも・・絶えず・・どんなことにも・・」となると、「それはちょっと」となることでしょう。ただ何故、聖書にそういう言葉があるのでしょうか?

ルカ福音書に出てくる「迷子の羊」の話は、百匹の羊の中で一匹がいなくなったら、その一匹を見つけ出すまで捜し回るというお話でした。百匹の中の一匹ぐらい・・・って思ちゃいますが、動き回る羊を数えて、「一匹いない」と気づいて捜すのは大変なことですね。少し捜して見つからなければ、数え間違いだったかなと思って捜すのをあきらめそうなものです。でも羊飼いというのは、決してあきらめずにしっかり数えて、一匹でもいなければ見つかるまで捜し回るのです。どれだけ羊一匹、一匹を愛して、大切に育てているのかと思います。

このお話はたとえ話です。迷子になった「羊」とは、神様から離れていった人、神様を知らない人のことです。また羊飼いとは、神様のことです。神のもとから離れている人、思い悩んで途方にくれている人。人生に、・・・人間関係、経済問題、社会問題に苦しみ、神様の思いからかけ離れている人。神は、そのような人を「見つけ出すまで捜し回る」というのです。イエスの方から私たちを捜し回っているというのです。ヨハネの手紙一4章9,10節の言葉に、≪神は、独り子を世にお遣わしになりました。その方によって、わたしたちが生きるようになるためです。ここに、神の愛がわたしたちの内に示されました。わたしたちが神を愛したのではなく、神がわたしたちを愛して、わたしたちの罪を償ういけにえとして、御子をお遣わしになりました。ここに愛があります。≫

神は、神から離れている私たちを、羊飼いが見失った一匹の羊を見つけ出すまで、必死になって、山や谷を駈けずりながら、ここでもない、あそこでもない。同じところを何度も捜してみたりとか・・。神はそのようにして私たちを捜しておられるのです。この神の愛に気づかされる時、私たちは自然と神に対する“喜び、祈り、感謝”が湧いてくるのではないでしょうか。それはまた、人に愛され、支えられている、助けられている・・そのことも改めて感じた時に、私たちは、喜びと感謝がこみ上げてくるものでしょう。

「喜び、祈り、感謝」とは、私たちを愛して支えてくださっている方を忘れずに常に覚えなさいということであり、またそのように愛されている私たちは、神に対し、人に対し、「喜び、祈り、感謝」を表しなさい、ということであろうかと思います。(神谷)



2012.11.4「わたしたちを引き離すことはできない」 (ローマの信徒への手紙8:31~39)

先週、またしても米兵による暴行事件が起きた。この沖縄は、どれだけ人権が踏みにじられ続けるのか?何故“平和な暮らしから”私たちは引き離されていくのか?
先月、NYタイムズは日米同盟の下での「沖縄の軍事基地」と題し、過重な負担を背負わせられている沖縄の現状を描いた風刺画を掲載した。スーツ姿の野田首相が米兵に寄り添い、「日米同盟」と書かれた紙を見せて説明するも、米兵(米政府)は視線を合わせず行進。後には上着に「OKINAWA」と書かれた細い男が大きな荷物(負担)を担がされている。沖縄を象徴する男は倒れそうな足取りで、額から汗を流して苦悶の表情を浮かべているのに対し、機関銃に手を添え日本や沖縄のことを全く気にかける様子がない米国、「日米同盟」を掲げ、沖縄ではなく米国に寄り添う日本政府の三者構図が描かれている。まさにこの風刺画は沖縄の現状を表している。しかし沖縄の現状はこの一枚の絵では表現しきれていない。何故なら、風刺画の沖縄には「抵抗」の様子は描かれていないし、近い将来過重負担に圧死する沖縄にしかこの絵は見えないからである。

今、普天間基地ゲート前では人々による非暴力の抗議が続けられている。8月から続くこの抗議の中で85歳と70歳のハンガーストライキも行われた。オスプレイ配備目前には、200人余の連日の抗議によって、9月28日とうとう普天間基地の3つ全てのゲートを占拠し、普天間基地始まって以来の基地機能を阻止した。その瞬間、大きな拍手、歓声、指笛が鳴り響き、非暴力の勝利に沸いた。ただ8時間後には国家の暴力による力ずくのゴボウ抜きがなされ、また基地機能が始まった。それでも今、再び座り込みが続いている。今、沖縄のキリスト者も立ち上がる。先週から「普天間基地ゲート前でゴスペルを歌う会」が始まった。沖縄は決して圧死することはないという確信を持って、一人一人が意思表示していくことが大事であろう。

ニューヨーク・タイムズ10月6日掲載風刺画「沖縄の米軍基地」「だれが、平和な沖縄の暮らしから私たちを引き離すことができましょう。艱難か。苦しみか。迫害か。飢えか。裸か。危険か。剣か。米軍か。日米両政府か。・・しかし、これらすべてのことにおいて、わたしたちは、わたしたちを愛してくださる方によって輝かしい勝利を収めています。わたしは確信しています。死も、命も、天使も、支配するものも、現在のものも、未来のものも、力あるものも、高い所にいるものも、低い所にいるものも、他のどんな被造物も、わたしたちの主キリスト・イエスによって示された神の愛(恵み、自由、平等、平和)から、わたしたちを引き離すことはできないのです。」 私たちは、神の言葉に生きる時、私たちはどのような状況に置かれても、強く生きることが許されていることを覚えたい。(神谷)

 



2012.10.28「うめきをもってとりなす方」 (ローマの信徒への手紙8:18~27)

讃美歌Ⅱ編157番「この世のなみかぜさわぎ」は、アイルランドの民謡ロンドンデリーと呼ばれる曲である。とても素敵な曲で、穏やかな、さわやかな曲調でどなたも好きになる曲かと思う。

アイルランドは、イギリスに隣接する島で、歴史的に常に大国イギリスの抑圧に晒されてきた。11世紀頃から本格的な制圧が始まり、15世紀には完全にイギリスの植民地となる。1922年にアイルランドは独立するがイギリスの支配は400年以上も続いた。ただ独立したといっても、アイルランド島の北にある北アイルランドは、イギリスの領土となる。アイルランドは、今も様々な問題を抱え非常に過酷な歴史を持つ国で、ある意味、琉球・沖縄の歴史と似ているともいわれる。イギリスによる武力制圧、戦争で若者の多くが出兵され死んで行った。植民地による作物の規制で、土地の改良がなされ、その影響か、主食のジャガイモなどが不作となり、飢饉が起きやすく、何年にもわたって不作が続き、19世紀後半には、100万人もの餓死が出てアイルランド人口の4分の1を失ったとある。

沖縄もまた、1609年の薩摩による琉球侵略に始まり、ヤマトの統治下、さまざまな規制、制圧がなされ、ソテツ地獄という大飢饉も経験した。また沖縄戦、その後の米軍統治下、今なお続く基地問題と、・・・抑圧され続ける歴史は酷似している。
このアイルランド民謡には、そのような歴史の中で、苦難の歩みの中で、決して希望は捨てないという意味が込められている。

明日から「普天間基地ゲート前でゴスペルを歌う会」が始まる。強制配備されたオスプレイ、米兵による集団強姦事件、暴力の根源でしかない軍事基地に反対の意思表示をするために基地ゲート前でゴスペルを歌う。決して希望は捨てないという意味を込めて。

主イエスは、私たちの苦難をご存知であり、私たちと共に苦しみ、共に呻き、共に希望を持って歩んでくださる。「うめきをもってとりなす方」に慰めを覚え、感謝にたえない。(神谷)



2012.10.21「苦難と希望」 (ローマの信徒への手紙5:1~11)

先週、またしても米兵による暴行事件が起きた。オスプレイ配備に沖縄の意識が高まっている最中に事件が起きた。米兵は今沖縄がどれだけ痛みと不安を覚えているのかという意識が全く無い。“沖縄”は、危険なオスプレイが縦横無尽に空を飛び、 地上には危険な米兵がうようよしている。それが今の“沖縄”ということか。

先週の水曜日の祈祷会は、台風21号の接近のため中止となった。ただその台風の最中に強い雨風にびしょ濡れになりながら、大勢の人々がゲート前に集まり抗議集会が行われた。この集会のことを後で知り、私も参加したかったと思った。皆さんもそうかと思う。私たちは怒っていいのだ。被害に遭った若い20代の娘さんが、どんな思いで今を過ごしているのか、そのご家族はどんなに悔しい思いで居られるのか・・。そのことを思うと居た堪らない。

「善き力にわれ囲まれ」という讃美は、ドイツの牧師で大学講師でもあったD.ボンヘッファーの詩である。第二次大戦中のドイツで、悪魔的な政権を推し進めたナチス・ヒトラーに歯向い国家反逆罪で捕らえられ死刑になるが、その獄中で刑に処せられる4ヶ月前のクリスマス(1944年)に婚約者に宛てて書かれた手紙の中に記されている。その手紙には、「私があなたに・・・この手紙を書くことができ、あなたを通じて両親や兄弟たちに挨拶を送り感謝できるのを喜んでいます。きっと私たちの家は静かな時を迎えていることでしょう。私の周りが静かになればなるほど、あなた方との結びつきがより深まることを実感できるのです。それは、あたかも孤独の中で、魂が日常生活ではほとんど感ずることが出来ないような感覚を育てていくようなものです。それで私は一瞬たりとも、独りぼっちであったり、取り残されていると感ずることはありません。あなた、両親、戦場にいる友人や学生たちはいつも現実として私の前にいるのです。・・・」

「善き力にわれ囲まれ」とは、神様に「われ囲まれ」と言っているのではない。ボンヘッファーの婚約者や両親や友人たち、教え子たちが、自分のことを覚えていてくれている、祈っていてくれている、愛してくれている、そのことが、獄中に居るボンヘッファーにとって、「善き力」であると言っているのである。

この度、被害に遭われた女性の「善き力」に私たちは成り得るか?いや、善き力に成させて頂きたい。そのためには、このような事件を忘れずに声を上げて行くことである。

今朝のロマ書に、≪苦難をも誇りとします≫とある。それは、≪苦難は忍耐を、忍耐は練達を、練達は希望を生む≫とあるからだが、そのことは「苦難と希望」それは一帯であるということを意味する。苦難があるから希望があるということ。苦難に寄添うことは希望が見えるということ。何故なら希望とは、イエスご自身のことであり、イエスは常に苦難の側に居られたから。そのことから教会は常に問われている。教会は苦難と共にあるか・・と。「苦難を・・誇りとしているか」と。問われている。(神谷)



2012.10.14「神の義に差別はない」 (ローマの信徒への手紙3:21~31)

「神の義」とは何か? 山上の説教でも≪何よりもまず、神の国と神の義を求めなさい≫(マタイ6:33)とイエスは言われた。まず「義」は「義しい事」「正しい状態にある事」を意味する。つまり「神の義」とは、神様と人間との正しい関係性のことを言っている。では、どうやって「神の義」を、神との正しい関係性を得ることが出来るのか?

この神との関係性、神の義を求めて多くの宗教が苦労を重ねている。沖縄の祖先崇拝でいえば、祖先崇拝というよりもユタ事というほうが良いかもしれないが、何か自分や家族に不幸があると「うがんぶすく(拝み不足)」と言われるわけで、それは神との関係性が悪いからあっち行って拝み、こっち行って拝みということを繰り返す。沖縄中を一回りするぐらい拝み歩くことをするわけだが、・・そういう努力をして、やっと神との関係性、神の義が良くなると見る。しかしまた、不幸が起こると「ハイ、うがんぶすく」となって沖縄中を今度は逆から拝み歩く・・。

これは沖縄のユタ事に限らず、様々な宗教に見られること。四国には八十八箇所巡りというのがあり1400キロも旅をする。これはもうそうとう時間とお金をかけなければ回れない距離である。人間は、何か不幸があると神との関係性がおかしいからということで、努力に努力を重ねるという行為に走るのが常。それは、ユダヤ人もまさにそうであった。律法を厳しく守ることが、神の義を得ることだと思い込んでいた。

それに対してパウロは“そうではないんだよ”ということを教えている。パウロは≪すなわち、イエス・キリストを信じることにより、信じる者すべてに与えられる神の義です。 そこには何の差別もありません。人は皆、罪を犯して神の栄光を受けられなくなっていますが、ただキリスト・イエスによる贖いの業を通して、神の恵みにより無償で義とされるのです。≫神の恵み、栄光とは、私たちが努力して、沖縄中を歩き回ったり、八十八箇所1400キロもの巡礼をしなくても、神の方から・・・、私たちが、イエス・キリストを信じる信仰によって、ただ神の憐れみによって、神の義が、神との関係性が豊かにされるということである。この神の一方的な愛に気づかされる時に、自分自身の小ささを覚え、罪の悔い改めと感謝が湧いて来る者ではないか。(神谷)



2012.10.7「神は人を分け隔てしない」 (ローマの信徒への手紙2:1~11)

聖書に≪神は人を分け隔てなさいません≫と記されている。でもこの沖縄は、日本本土と比べて如何に多くの隔たりがあることか? 日本国土のわずか0.6%しかないこの小さな島に米軍基地の74%がここ沖縄にある。米軍基地を多く抱えるがゆえに基地から派生する様々な事件事故があり、オスプレイも配備されてしまう。「オスプレイ配備反対県民大会」に10万3千人が集い「配備NO」を叫び、県知事を始め、県内全首長も明確に配備反対を示しているにもかかわらず、日本政府はその声を無視し、米国は何の規制もかからずに決められた通りにオスプレイを配備した。このような乱暴なやり方が、日本国内のどの都道府県内で起こり得ることか。民主主義がまかり通らないこの現状は、沖縄をいまだ植民地扱いしているとしか思えない実情が見える。

日本国憲法11条には「国民は、すべての基本的人権の享有を妨げられない。この憲法が国民に保障する基本的人権は、犯すことのできない永久の権利として、現在及び将来の国民に与えられる。」とあるが、しかし沖縄ではこの基本的人権の権利が妨げられ、人権の保障が無視されている。沖縄では憲法よりも日米安保の方が優先されるということになる。

今朝の聖書の言葉には、≪神は人を分け隔てなさいません≫とあるのに対して、この世は人間が人間を分け隔てするという世界になっている。これがどんなに罪深いことであるか、今朝の御言葉はそのことを教えている。

この聖書の言葉を受ける時、私たち沖縄は、たとえ日米政府に分け隔てされ、人権が軽視され、差別されようとも、神は決して沖縄を分け隔てせず、沖縄の人権は尊重され、差別ではなく、神は誰でも等しく愛してくださるという励ましの言葉として受けて行きたい。そういう理解の下で、私たちはまた、勇気を持って平和を作り出す者の一人として歩みだして行きたい。(神谷)



2012.9.30 「福音を恥じとしない」ローマの信徒への手紙1:8~17

今、普天間基地の3つのゲートで、座り込みが続けられている。それは先週金曜日(28日)にもオスプレイが岩国基地から飛来することを受けてのこと。沖縄の声を無視し、配備ありきに断固阻止するためで、私も野嵩ゲートの集会に参加している。オスプレイはこの台風の影響を受けて沖縄に来ることが出来なかったが、今週にも、明日にも配備をするつもりのようだ。私たちは、台風の力を借りなければ阻止することが出来ないのか?現状はまさにそのような状況に思える。

ただそのような中で様々な方法でオスプレイ配備阻止を試みている。先月、上原正信さん85歳と小橋川共行さん70歳が8月15日からハンガーストライキを始めた。「ハンスト155」と題して、キャンプ瑞慶覧の石平ゲート前で行った。「155」とは、二人の年85歳と70歳を足すと155歳になるもの。お二人のユーモアも交えた命がけの訴え勇気ある行動に心から感謝を言いたい。

では、私たちはこの問題にどう向き合う者か?勿論、私たちもまた沖縄の悲惨な歴史、屈辱的な現状を踏まえてオスプレイ配備に反対し、基地撤去を訴え続ける者である。ただキリスト者は、それだけではない。パウロは私たちに、「福音を恥としない」と言う。“福音を恥としない”とはどういうことか?

≪福音は、ユダヤ人をはじめ、ギリシア人にも、信じる者すべてに救いをもたらす神の力≫とある。福音は、神の力そのものであるというわけである。しかしにもかかわらず、神の力である福音に向き合わないキリスト者のいかに多いことか。

イザヤ書2章4節に≪主は国々の争いを裁き、多くの民を戒められる。彼らは剣を打ち直して鋤とし/槍を打ち直して鎌とする。国は国に向かって剣を上げず/もはや戦うことを学ばない。≫と歴史の教訓から、戦争の虚しさから、聖書は私たちに教えとぃる。軍事基地は暴力の根源であり、基地があるからオスプレイも配備される。その普天間基地を早期閉鎖しようという「声明文」に向き合うことの出来ない沖縄バプテスト連盟はまさに、「福音を恥としない」という言葉に逆行している。「福音を恥としない」とは、福音に向き合い、福音に生きること、福音に生きようと努めていくことであろう。

私たちキリスト者は、今、ここ沖縄で、宜野湾で、普天間で起きている現状に向き合い、沖縄の悲惨な歴史を踏まえて、そして福音に押し出されて私たちに出来る働きを担っていきたいものである。
今、市民による非暴力の抵抗は、沖縄の歴史に残る状況下にあるのかと思う。その時、教会は何をしていたのかと、必ず問われる。「教会は何をしてきたのか」と問われた時、どう応えるものか?



2012.9.23「人生の旅路」

9月第三月曜日は「敬老の日」です。国民の祝日に関する法律の中には、その意義として次のように書かれています。「多年にわたり社会につくして来た老人を敬愛し、長寿を祝う」老人は過去の人生を通して子や孫を育て、更に社会に貢献されたのでその労に対し感謝の意を表するということです。

老人とは年をとった人であるが一般的な基準としては65歳が停年退職の年齢となっています。最近新聞で老人による戦争体験談が取り上げられていますが、戦争体験された老人たちが年々へっているからです。戦争で心に深い傷を受けた為長いこと語ろうともしませんでしたが、人生も残り少なくなって、今語らなければ・・・という思いで戦争の真実を語っているようです。

テモテへの手紙一5章には、「老人を叱ってはなりません」と戒められています。年をとってままならず失敗の多い老人にとっては本当に有難い言葉です。老人は若い時代とは違ってたとえ若い人たちから親切にされても頑張れず身体がついてゆけないのです。だから老人はさびしい者です。

日本人の平均寿命は男79歳、女86歳で毎年増加し、老人の医療介護費がふくれ上がり、政府や国会議員の議論の種になっています。中城村新垣の公民館前の掲示板に「介護保険の財政がでーじなとーん」というポスターがあります。老人たちは「人生の終着駅」として老人ホームを求めています。あわれというほかありません。

人間の生涯は旅であるが私たちの目的地は天の古里です。「わたしは道であり、真理であり、命である」と約束された主と共に用意された父なる神のもとに帰ることです。「枯れ木も山の賑わい」という言葉があるが枯れ木のような老人であっても神の国の賑わいの一端をになえることが出来れば幸いであります。(城間)


 

2012.9.9「ベタニアの塗油」 マタイによる福音書26:6~13

ベタニア村は、エルサレムの宗教、政治、経済の力によって生み出された村であった。ベタニアとは、「悩みの家、貧困の家」という意味が付けられている。貧しい者が追いやられ、病にある者が隔離されていく。いわゆる律法に生きられない人々の村であった。イエスは、その村の「らい病人」シモンの家にて食事の席に着いておられた。「らい病」は、今では良く効く薬があり、すぐに治る病気だが、昔は絶対に治らない恐ろしい病気であった。その病気は人から人へと感染する恐れがあるもので、人々からは大変恐れられた病であった。イエスはその病ある者の家に身を寄せられた。誰も寄り付かないところにイエスは居られた。このことがいかに感動を呼ぶことか。この物語にはそういう背景があることを先ず踏まえたい。

ここに一人の女性が登場する。女性は、シモンの家に入って食事の席に着いておられるイエスの姿に我を忘れるほどに感動する。その感動の行為として、「きわめて高価な香油」を惜しみなく注いだ。イエスに対する感動の表現、喜びの行為としてであろう。この行為は余りにも非常識と看做され、そこにいた人たちに憤慨され、「なぜ、こんな無駄遣いをするのか」と非難された。そのことは正論であろう。「(この香油を)高く売って、貧しい人々に施す」と言うことは、やはり正論である。

では、イエスはその正論に対してどう答えたのか? イエスは≪なぜ、この人を困らせるのか。わたしに良いことをしてくれたのだ≫と応えられた。イエスはこの女性のしたこと全てを受け止めたのである。

イエスを愛した女性の行為は、もったいないほどの無駄遣いとして非難された。実はこの行為を裏返すと、私たちは主イエスからのもったいないほどの恵みを受けたことを忘れていないかということになる。あなたのためにあの十字架を負い、鞭打たれ、唾をかけられ、十字架上で血を流し、「渇く」と言って息を引き取られた。あなたの罪の贖いのためにである。イエスはあなたのために、もったいないと思えるような行為を持ってあなたを愛したのである。このイエスの行為を知らされたときになんともったいないことかと、あなたは感動を覚えないか。(神谷)



2012.9.2「小さい者の一人にしたのは」 (マタイによる福音書25:31~46 )

すべての人間は誰しも、最後の時に神の前に立たされ、裁きを受けるという話であるが、このことは先ず、素直に受け入れておきたい。どんなに立派な人間であっても、どんなに上に立って人を指導する権力者であっても、人は最後に神の前に立たされ、歩んできた道を問われるということを、私たちは常に悔い改めをもって生きる者で在りたい。

そのことを踏まえて、今朝はもう一つの視点でこのマタイ福音書を見たい。初めに、≪人の子は、栄光に輝いて天使たちを 皆従えて来るとき、その栄光の座に着く≫とある。この発言は実際のイエスの言葉なのか? 続けると≪そして、すべての国の民がその前に集められると、羊飼いが羊と山羊を分けるように、彼らをより分け、羊を右に、山羊を左に置く≫この情景を想像すると、世の終わりの裁きの時に、イエスは輝いた王様の椅子に座り、その横には天使たちがいて・・、人々を高いところから裁く様子を思い浮かべる。

イエスは、本当にそうされるお方なのか?今朝の箇所は、他の福音書には出てこないマタイ福音書特有である。そもそも最初に出てきた「栄光の座」という表現は、新約聖書ではマタイだけに出てくるもの。「御座」とは、「スロノス」という言葉が使われ、「王の座るイス」を意味するが、これは福音書でルカに2回だけ用いられ、他はマタイにしか見られない。

また、ルカの用例はまず1章の受胎告知の場面で使われ、天使ガブリエルはイエスが≪やがてダビデの王座につくであろう≫とマリアに告げるが、その直後にマリアはいわゆるマリア賛歌の中でこう歌う。≪主はその腕で力を振るい、…権力ある者をその座から引き下ろし、…富める者を空腹のまま追い返されます≫ ルカでは、イエスは王座にふんぞり返るお方ではなく、むしろ王座に座る者を引きずり降ろすお方として描かれている。

「栄光」はギリシャ語で「ドクサ」、目がくらむほどのまぶしくきらびやかな光を意味する。そして福音書に描かれるイエスは、そのような「栄光・ドクサ」に対して拒否するお方として描かれているはずである。「荒野の誘惑」では、悪魔がイエスを高い山に連れて行き、「この世の繁栄ぶり(ドクサ)を見せて」、「自分に跪くなら、これをすべて与えよう」と誘惑した。ところがイエスは「この世の栄光(ドクサ)」を拒否し退けたはずである。

イエスは、自らをどう位置づけておられるか。≪わたしの兄弟である最も小さいものの一人にしてくれたことはわたしにしてくれたことなのである≫という。人は多かれ少なかれ、栄光の座を求めやすい。しかしそのような時も、此の世には小さくされ続けている者がいることを“忘れるな”と言っておられるのではないか。(神谷)


 

2012.8.19「左の頬をも向けなさい」 (マタイによる福音書5:38~39 )

≪悪人に手向かってはならない。だれかがあなたの右の頬を打つなら、左の頬をも向けなさい≫この御言葉は、何を意味しているのか? 無抵抗でいなさいということか? 実はこの言葉は、その逆を意味するといわれる。すなわち「抵抗」を意味するという。

「目には目を、歯には歯を」とは大変古い言葉で、古代バビロニア帝国のハムラビ法典(紀元前1700年頃)にある。その意味は、「目を傷つけられたら相手の目を、歯を傷つけられたら、相手の歯を傷つけろ」という復讐の意味。また、同じく旧約聖書にも、その言葉が記されているが、ここでは復讐ではなく、「相手の目を傷つけたら、自分の目を傷つけることで償い、相手の歯を傷つけたら、自分の歯を傷つけることで償え」という償いの意味であった。それはいずれも、お互いの争いがこれ以上エスカレートして行かないための処置であることが分かる。

しかしイエスは、復讐も、償いも、否定する。暴力を暴力で応えてはならないと言うのである。「右の頬を打つ」とは、平手で打つ、びんたをされること。ただ、右利きの人が、相手の右の頬を打つ場合、手の平で打つことはできない。手の甲で打つことになる。実は当時のユダヤ社会において、手の平ではなく、手の甲で叩かれることは、最大の侮辱を意味した。下層階級の最も貧しい者、女、子ども等に対する扱いを意味して、手の平で叩く値打ちも無いという意味であった。

そこでイエスが、「左の頬をも向けなさい」とおっしゃったのは、「無抵抗」でいなさいと言うことではなく、屈辱的に扱われている人々が、自らを卑しむのではなく、強い心を持って、人間は誰しも、対等であるという意思表示の意味で、この「左の頬をも向けなさい」とイエスはおっしゃったと、見ることが出来るのである。

そこに、不条理の世界があれば、見て見ぬ振りをするのではなく、また、何もないかのように振舞うのではなく、そして自らを卑しむのでもなく、そこに蔑まれた不条理の世界があれば、非暴力を持って抵抗しなさいと、イエスは私たちに教えている。

9月にもたれる「オスプレイ配備反対県民大会」は、人間は誰しも、対等であるという意思表示に繋がる非暴力の抵抗である。イエスがおっしゃった≪左の頬をも向けなさい≫ということにも繋がるように思う。(神谷)



2012.8.12「暴力に依存するな」 詩編62:1~13

今朝の詩編の言葉は、人間がどうしても頼りにしたい「力」に対して、「力は神のものである」と語る。「主の祈り」の中にも、「国と力と栄とは、限りなく汝のものなればなり」と結ぶ。「力は神のものである」と主の祈りでも言っているが、しかし、此の世は、力あるものが此の世を支配し、力あるものが人間として認められる世界である。武力、財力、学力、・・・その「力」を行使することが人間に許されているかのように弱者を支配する。そのような人間社会いにおいて、この詩編の言葉がどんなに大きな意味を成すものか。私たちは改めて、主の御言葉に心傾けて行く者でありたい。

この詩編の作者はダビデである。彼はイスラエルを治める王であった。国を治める者が、「暴力に依存するな。力が力を生むことに心奪われるな」と言い切ることは、たいへん勇気のいることであろう。武力が無ければ、他国に攻められる恐れがあり、力がなければ王座の地位も奪われかねない。いつの世にも「暴力」が絶対かのような世の中にあって、そう言い切ることは難しい。では、このことは何を現しているのだろうか?
ここにキリストのお姿を見るように思う。イエスは、暴力的な支配者となるよりも、むしろ、苦難のしもべとなることを選ばれた。力によって擁護された正義よりも、暴力によって維持する平和よりも、むしろ死に至るまでの愛を選んだ。イエス・キリストのお姿を見る時に、如何に暴力的なものが、神とかけ離れたものであるかを知らされるものである。
では、神の力とは何か? 詩編62:12、13≪ひとつのことを神は語り/ふたつのことをわたしは聞いた/力は神のものであり、 慈しみは、わたしの主よ、あなたのものである・・・≫とある。神の力、それは慈しみの力であるというわけである。それはまさに、イエス・キリストの十字架を現し、十字架に現された大いなる慈しみにこそ、神の力があるということであろう。
神は、暴力に依存するお方ではなく、暴力からの解放を、十字架を通して示されるお方である。8月というこの時期に、戦争、暴力の空しさを覚えつつ、この詩編の言葉を味わいたい。(神谷)



2012.8.5「聖書と新聞」 マタイによる福音書24:1~14

スイスの神学者カール・バルトの言葉に、「聖書の真理をあなたがたが知りたいと思うのならば、新聞をよく読みなさい。あなたがたがこの世の出来事の真相を知りたいと思うならば聖書をよく読みなさい」とある。聖書の教えは遠い昔話ではなく、個人の宗教的な救い、精神的平安をもたらすもの・・のみでもなく、聖書は、此の世の出来事において常に示唆を与え、生きた言葉として語られるものであるという。

バルトは、ヒトラーの独裁政治に危機感を覚え、ドイツの教会に呼びかけて、1934年5月、ドイツ西部のバルメンにおいて第一回の告白教会全国会議を行い、その会議において「バルメン宣言」がなされた。2つだけ紹介する。「教会がその宣教の源として、神のこの唯一の御言葉のほかに、またそれと並んで、さらに他の出来事や力、現象や真理を、神の啓示として承認しうるとか、承認しなければならないとかいう誤った教えを、われわれは退ける。」、「国家がその特別の委託をこえて、人間生活の唯一にして全体的な秩序となり、したがって(国家が)教会の使命をも果たすべきであるとか、そのようなことが可能であるとかいうような誤った教えを、われわれは退ける。」

これはいずれも独裁政権のナチス、独裁者ヒトラーをもろに批判しており、彼らの怒りを買うことは目に見えていた。翌年には、ボン大学を追われ、ドイツを去ることになる。バルトは後にこの宣言文を振り返って、一つ大きな落ち度があったことを認めた。それは、このバルメン宣言には、直接的なユダヤ人問題を、言葉として盛り込まなかった事を彼は悔いた。あの時代はそれほどに厳しい時代であったということが伺える。しかし、御言葉をもって社会の不条理に立ち向かう信仰があるがゆえに、あのバルメン宣言がなされたことは賞賛に値する。

 今朝の終末の徴は、社会の現状に目を配ることの大切さを伝えるものである。その秘訣として、右手に聖書、左手に新聞・・。それを携えて、用いて歩む。そして示されたことを、勇気を持って語り出していく。歴史の先達からそのことを学びたい。(神谷)