第二講 パウロの自己紹介(一)
─ 第一章一節 〜 七節の研究 ─

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 前囘の終りにロマ書の骨子について説明するところあつたが、今すこしくこれをおぎなう必要がある。ロマ書は秩序整然たる一大書翰である。勿論近代の意味における書翰とはその性質を異にし、書翰であるとともに、その内容においては一大論文である。その規模の宏大なる、その秩序の一絲亂れざる、その内容の壯麗高貴なる、まことにこれを一の大建築物(大伽藍、大殿堂)にたとうべきである。ロマ書は七千字より成る。すなわちこれを七千個の大理石をもつて造れる大建築物に比すべきである。ロマ書を研究するは、あたかもこの一大建築物を、表門より入りて裏門に出ずるまで、巡覧するがごときものである。全體として壯麗であるとともに、その個々の室がまた壯麗にして、吾人の眼をおどろかすのである。今これを左のごとき圖をもつてあらわすを便とする。
  (圖省略)
 この大建築物に入る我らは、その門に「義人は信仰によりて生く」なる標語のかかげられあるを見るであろう。そして我らはまず表門の壯麗整美なるを歎稱するのである。これ第一章一節 〜 七節の「自己紹介」であつて、まことに稀れに見る大文字である。表門の次ぎには廊下がある。これ第一章八節 〜 十七節の「あいさつ」に相當する。これもまた表門に劣らざる立派なものである。この二つを通過して、いよいよ本館に入る。本館は三棟に分たる。第一の本館は、三棟中最大のものであつて、本館中の本館というべきものである。その壯麗雄大は言語に絶せりと稱すべく、人間の建築物中、他に類例なきを思わしむるほどのものである。これ第二章十八節より第八章の終りまでに至る「個人の救い」の項である。次ぎは本館第二にして、その美、また第一に劣らぬ宏壯なる建物である。すなわち第九章 〜 第十一章の「人類の救い」がこれに當るのである。本館第三は、第十二章より第十五章十三節までの「信者の道コ」に當る。我らは救いの問題ののちに實践道コに移るのである。まず救いあつての道コである、道コあつての救いではない。この第三の本館も、この世の建物とは趣きを異にせる美わしきものである。以上のごとく、三棟の本館を巡覧し終りて、ついに我らは裏門に達する。これ第十五章十四節以下第十六章末尾までの「私用、告別、祝avに當る。この裏門たるや、また見すごすべからざる貴きものである。かくして裏門を出でて、我らはロマ書という一大殿黨を見終えるのである。
 
 而してこの大建築物は實に「信仰より信仰に至る」ものである。これを組織せる七千個の大理石は、いずれも信仰の大理石である。天井を仰ぐも、床に伏すも、壁を見るも、一として信仰に立たぬはない。土臺そのものもまた信仰より成る。空氣そのものもまた信仰の香を放つ。その一見して信仰と見えざる部分も、燕クすれば、明らかに信仰の上に立つ。實に信仰−−然り、主イエス・キリストに對する信仰は、この大伽藍にみなぎりあふるる特徴である。
 
 我らのロマ書を講ずるは、聽者を案内して、右のごとき一大殿堂を巡覧するのである。もしその中の個々の石、個々の壁等について燕ラなる説明をなすときは、容易にこの巡覧を終えることができない。ゆえに、やむを得ず、おもなる部分の説明をもつて滿足しなくてはならない。ロマ書の一節一節の詳細なる説明は、これを註解者にゆずり、我らは大體の拐~、おもなる場處、骨髄を成す思想の説明をもつて滿足しよう。遺憾ながら、時はこれ以上をゆるさないのである。
 
 まず「表門」に當る自己紹介の部、すなわち第一章一節 〜 七節の研究をしたい。この間はわずかに七節より成り、原語聖書において九十三語(冠詞をも一語に數えて)、英譯聖書にて百二十七語(冠詞をも加算して)、邦譯聖書にては二百六十字を數えるのみである(現行改譯聖書にて二百八十九字 − 畔上註)。しかしながらこの表門はこの世におけるもつとも美わしき、もつとも貴き、もつとも良き材料より造られしものである。すなわちその一字一字がことごとく大文字である。一語一語がことごとく大問題を傳えてゐる。まことに稀有なる自己紹介である。「使徒」ということが一の大問題、「異邦人」ということが一の大問題、「iケ」ということが、右の二つの大問題よりもなお大なる問題である。さらに「その子(~の子)われらの主イエス・キリスト」と言うに至つては、問題はますます大となるのである。その他なお偉大なる文字と重大なる思想は相つづいて生起する。ロマ書第一章一節 〜 七節は、巨大なる大理石を累々積聚して成れる、比類なく壯大なる門である。
 
 すべて大音譜、大詩篇には優秀なる序曲(Prelude)がある。そしてこの序曲の中に全篇の思想を壓搾せるをもつて名作の特徴とする。その序曲の中に全篇の拐~をおさめ得ざるは凡手である。たとえば詩人テニソンの In Memoriam(追想歌)のごときは、偉大なる詩篇として名あるものであるが、その四十四行より成る序曲は、まことに珠玉をつらねしがごとき逸品であつて、よく全節の拐~を代表せるものである。また我らは大作曲家の名譜に接するとき、その序曲の中に全節の拐~の躍如として動きつつあるを知るのである。使徒パウロ、彼はもとより文學者でもなく、詩人でもなく、また作曲家でもなかつた。その大作ロマ書のごときも、これをいわゆる文學者の傑作と見るべきものではない。しかしながら、その主題は宇宙人生の根本問題である。その處説は深奥にして凱切である。その論法は鋭峻にして徹底的である。その拐~は高貴にして靈偉である。全篇をつらぬくものは脈々たる信仰の寶流である。進みてやまざる心靈の旋律である。みなぎりあふるる生命の躍動である。かくのごとくにして、ロマ書は一大傑作たらざるを得ない。而してその序曲たる初めの七節が稀代の作にして、よく全篇の艶aを代表せるは、ますますもつてこの書の名作たるを裏書きするものである。
 
 何ゆえにパウロは劈頭第一に自己紹介の擧に出ずる必要があつたのであるか。そは彼とロマ府の信者とが未見のあいだであつた(少數の者を除きては)からである。時は紀元五十七、八年のころであつた。彼はその第三回傳道旅行の途次、ギリシアのコリントに滞在しつつあつた。使徒行傳第二〇章二節、三節に「その地を經て、多くの言をもつて人々をすすめ、ギリシアに至り、ここに三ヵ月とどまりて」とあるがそれである。その時に、またその時の前から、彼の心に二つの相納れぬものがひそんでいた。一は、以前より胸に秘めいたロマ行きの希望であつて、一はエルサレム行きの責務であつた。二つを同時に行うことはできない。いずれか一を先にしなければならぬ。勿論彼は責務を希望のあとにまわす人ではなかつた。彼はまず責務を果さんと決意した。然るのち、ぜひともロマ府を訪い、あわよくばロマ府を飛び石として、歐洲の西端イスパニアまでiケを布かんと志した。かの責任のため、この希望は後まわしとなつた。しかし彼はロマ府を − ことにそこにある或る數の兄弟姉妹を − 忘れ得る人ではなかつた。よしその大部分は未見の人なりとはいえ、靈においては十年の知己にもまさる者である。彼はアデリア海をへだててはるかにロマ大帝國の首府をおもうた。彼の心は愛をもつて燃え立つた。彼はついに一の公的書翰をしたためて彼らに送らんと定めた。しかし未見の兄弟姉妹への書翰である。ゆえに彼はまず第一に、自己紹介のために數節を用いたのである。
 
 かくのごとき意味の自己紹介である。ゆえにロマの信者と自己の間に一致點を見出して、これをしるさねばならぬ。これ未見の友に書翰を送るに當つては當然採るべき道である。第一章一節 〜 七節は、種々の大眞理を藏するほか、未見の兄弟に自己を連結せしむる技巧の點より見ても、注意すべき處である。げにパウロはギリシアのコリントより、アデリア海を超えて、イタリア半島のロマ府まで、美妙(いみじ)くも橋を架したるかな。而してこれ技巧の生みたる技巧ではない、愛の生みたる技巧である。主にある兄弟に對する愛が、彼をして知らず識らずこの技巧に出でしめたのである。ゆえに技巧そのままの技巧ではない、聖められたる技巧である。我らはパウロが種々の場合にあらわしたる聖き技巧、愛の技巧を、貴むものである − ただの技巧に對しては蔑視の眼を投ぐれども。
 
 このことは、一節より七節までの思想の動きを追えば明らかである。一節を原語聖書において見れば、まず「パウロ」と己れの名をしるし、次ぎに「イエス・キリストの僕」としるし、次ぎに「召されたる使徒」としるし、次ぎに「~のiケのために選ばれたる」の句をもつて「使徒」なる語を形容してゐる。彼は一節においてはもつぱら己れの何なるかを述べて、まずこの書翰の發送者の性質如何を説明したのである。一節の最後の語(原語聖書にて)は「~のiケ」である。パウロは二節に入りて、この兩者の何なるかを述べる。すなわち「このiケは、從前よりその(~の)豫言者たちによりて聖書に誓いたまえるもの」なることを示してゐる。そして三節前半において、この兩者が「その(~の)子、われらの主イエス・キリスト」にかかわるものなることを述べる。然らばこのキリストとは何であるかとの疑問が起る。すなわち三節後年と四節はこれに對する答にして「彼は、肉體によればダビデの裔より生れ、聖善の靈性によれば、よみがえりしことによりて、明らかに~の子たることあらわれたり」と、彼は兩方面より説明してゐる。
 
 かくイエスのことを説明せしパウロは、次ぎに彼と自分らとの關係を述べて五節を作つた。すなわち言う。「われら彼より恩惠と使徒の職を受く、これその名のために萬國の人々をして信仰の道に從わせんとなり」と。萬國の人々とあるは、すべての異邦人の意味である。そしてこの「すべての異邦人」なる語より、ロマ府の信者に言いおよんで(彼らもまた異邦人の一部なれば)六節を作り、「汝らもその人々(異邦人)の中にありて、イエス・キリストの召しをこうむりしものなり」としるし、もつてこの書翰の受信者の性質を明らかにしてゐる。このごとくして、自己より出發していよいよロマの兄弟にまで筆をはこび來りて、彼は七節の語を發し得るに至つたのである。七節前半には「われすべてロマにあるところの、~にいつくしまれ、召しをこうむり、聖徒となれる者にまで、書を贈る」とある。ここに彼はその心の手をはるかロマ府に伸ばして、そこの兄弟と握手したのである。もし一節よりここまでを一言にして言えば「パウロ、ロマの聖徒にまで書を贈る」である。實はかく簡單にしるしただけでも事は辨ずるのであつた。そのよき例は使徒行傳第二三章二六節の「クラウデオルシアス、もつとも尊き方伯(つかさ)ペリクスの安きを問う」である。しかしパウロはロマの聖徒と一致點を見出すべく、愛の技巧をもつて、右のごとき異常の迂囘路をたどつたのである。
 
 劈頭第一に「パウロ」と己れの名をしるしてのち、彼の筆は一語また一語、次第に遠く脇路に入るがごとく見えた。彼はどこまで外れて行くのであるかと、讀者は大いに危む。然るに、彼はあざやかなる手練をもつて、六節より七節前半におよびて、ついに受信者と握手してしまつた。されば彼は最後において祝bフ辭を述べて、この異常なる自己紹介を終つた。
「汝ら願わくはわれらの父なる~および主イエス・キリストより、恩惠と平康(やすき)を受けよ」と七節後半にある。
 この偉大なる「自己紹介」について、英の聖書學者ジェー・エー・ビートの述べし左の語は、まことに美わしき説明であると思う。(ビート、ロマ書註解三八ページ)
 
まことに美わしき、かつもつとも適切なる説明である。
 
 さてこの弓形橋の第一部は「イエス・キリストの僕パウロ」である。これを原語の順序によれば パウロ・僕・イエス・キリストの となる。「パウロ」と第一に己れの名をしるし、次ぎに「僕」としるし、次ぎに誰人の僕なるかを示すために「イエス・キリストの」としるしたのである。かく原語の順序を追うとき、この語を發したときのパウロの思想の動きが知れるのである。
 「僕」と譯されし原語は δουλοs(ドゥーロス)であつて、奴隷を意味する。パウロは自己をもつてイエス・キリストの奴隷となしたのである。これ大いに注意すべきことである。世にはイエスの弟子と自稱する人、イエスの兄弟と自稱する人、イエスの友と自稱する人がある。勿論我らは彼の弟子である、兄弟である、また友である。そこに何らの誤謬はない。しかし問題は、その上にさらにイエスの奴隷という觀念を附加するかせぬかに存する。この語をもつて、我らは彼に對する絶對的服從を意味するのである。もしこの第四の語を除きて、單に彼の弟子ならんか、單に兄弟ならんか、單に友ならんか、勿論我らは彼に全然的服從をしないのである。弟子は全然師に服從する者ではない。師にそむくことも、師を捨てることもできる。師の思想を舊しとして批評することもできる。世にイエスの一部を取りて他を捨つる者多きは、これ彼の弟子たるものにして、彼に身をまかせたる僕ではない。またイエスの友というに止まらば、あるときは彼の言に從い、あるときは彼の言をしりぞけ、また我より彼に忠告を呈することもでき、勿論彼を批評にのぼすこともできる。世に、彼の友たるにとどまる者はなはだ多い。またイエスの兄弟をもつてのみおる者も、右と大同小異である。到底全部をささげて彼に從える者ではあり得ない。
 我らはイエスの弟子でもあろう、兄弟でもあろう、友でもあろう、しかし何よりも第一に彼の奴隷でなくてはならぬ。これ必須なる第一要件である。奴隷と言えば、主人に全然服從すべきものである。水に入れと言わるれば水に入り、火に入れと言わるれば火に入り、死せよと言わるれば死す。主の命これ服い、主のために死するをもつて己れの名譽、特権、幸bニする。實にクリスチャンはキリストに對してこの種の關係においてあらねばならぬ。まことに日々十字架を負うて彼に從う決心ある者にして初めてクリスチャンたり得る。彼の一部に服して他に服せず、彼の命に半ば服して半ば服せず、彼の命をあるときは守りてあるときは守らず、これ己れを主として彼を己れの從たらしめんとするものであつて、己れをむなしゆうして彼につかえんとする者ではない。この種の人は、あるいはキリストの弟子であり、友であり、兄弟であろう。けれどもキリストの僕ではない。そしてキリストの僕たらぬ者は、すくなくともパウロの眼においてはクリスチャンではないのである。我らは自己の有形無形の處有全部 − その生命までをも − 彼にささぐる心ありて初めてクリスチャンたるのである。
 パウロは誰人にも頭を屈せぬ人であつた。そのことは、彼の全生涯と全書翰とが證明してゐる人に對して、ことに我を抑えんとする者に對しては、彼は極端に強剛であつた。この不用の氣性は、彼の言動の随時随處に發露して、彼の姿をして峻峭(しゅんしょう)ならしめてゐる。然るにこのパウロが、キリストに對してのみは、絶對的服從の道を選んだである。實に彼にとつては、人の奴隷たるは、死をもつても償いがたき最大の恥辱であつた。「そは、わが誇るところを人にむなしくせられんよりは、むしろ死ぬるはわれに善きことなればなり」(コリント前書九章十五節)とは彼の素懐であつた。しかしながら、キリストの奴隷たるは、何物をもつても換えがたき最大の榮譽であつた。彼はかの恥辱の道を取らずして、この榮譽の道を取つた。我らまた彼にならうべきである。人の奴隷には決してなるまじ、いかなることあるとも ── はよし死をもつて脅かさるるとも決してなるまじ、しかし~の獨り子、人類の救い主、我らの主たるイエス・キリストには、全然奴隷の位置に立たんと。これ我らの悔い改め當時の決心であらねばならぬ。また一生涯の決心であらねばならぬ。
 然らば我らキリストの奴隷となるとき、我らの尊重する自由を喪失するおそれなきか。否な、我らキリストの奴隷となりて初めて自由をわがものとなし得るのである。人の奴隷となるは自由を喪失する處以である。キリストの奴隷となるは、自由を確保し、培養し、これを眞に我の永久的處有物たらしむる道である。今人が眞の自由を有せざるは、自由を得るの道を知らざるためである。我らはキリストの奴隷となりてのみ、眞に自由をわがものとなし得る。然るに今人は彼の奴隷たるを好まずして、いたずらに自主たらんと欲して、かえつて何か他の人または他の物の奴隷となるのやむなきに至り、以て得んとする自由をかえつて我とみずから追いやつてゐる。キリストには絶對の服從、人よりは絶對の自由、これが眞のクリスチャンのまじりなき姿である。
 「イエス・キリストの僕パウロ」と、すなわちイエス・キリストの奴隷パウロと、かく用いられて、奴隷なる文字も、卑しき意味を傳えざる高貴なる語となる。その中にパウロの信仰の特徴が美わしくあらわれてゐる。而して人の眞に生くる道を傳えてゐる。一個の石塊に、知りつくしがたき秘密あり、パウロの一語に無限の意味あり、我らまずロマ書劈頭の一語にふかき注意をそそぐべきである。
 

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