ゆりのきキリスト教会テキスト礼拝説教2015年6月28日


2015年6月28日 主日礼拝説教
「主のおことばどおりに」〜イエス・キリストの生涯38. ペテロの召命〜(ルカの福音書5章1節〜11節)

■はじめに

 ヨハネの福音書1章に、ペテロはイエス様の弟子になったことが記されています。その時ペテロはガリラヤから離れてユダヤに来ていました。そして、兄弟のアンデレから救い主イエス様に会ったことを話され、アンデレに連れられてイエス様に会いに行くのです。ペテロはイエス様に会い、イエス様を救い主として信じました。その時、イエス様からペテロという名をいただきました。そして、先回のガリラヤ湖のほとりでイエス様に呼ばれるという出来事があったのです。
 今日の箇所は、そのマタイの福音書4章と違って見えますが、ルカは、同じ出来事をもう少し詳しく書いたと考えることができます。あるいは、ペテロはガリラヤ湖畔でイエス様の弟子となったのですが、まだ全時間イエス様と生活していたのではなかった。それで時間ができると、また漁師の仕事をしていたのです。ペテロは、このルカ5章の時の出来事を通して、もう一度いつでもどこへでもイエス様についていく決心をしたと考えることもできます。

■大勢の群衆

1群衆がイエスに押し迫るようにして神のことばを聞いたとき、イエスはゲネサレ湖の岸べに立っておられたが、

 「ゲネサレ湖」とは、「ガリラヤ湖」と呼ばれている湖のことです。「群衆がイエスに押し迫るようにして神のことばを聞いた」とあります。あまり大勢の人々が押し迫ってきたので、イエス様はお話をするのに不便を感じるようになりました。
 そこに、ペテロたちが漁に使った小舟が2そう寄せてありました。

2岸べに小舟が二そうあるのをご覧になった。漁師たちは、その舟から降りて網を洗っていた。

 イエス様がご覧になると、漁師たちは漁が終わり、舟から降りて、後始末の網を洗っているところでした。前の晩、彼らは夜通し漁をしていました。徹夜で働いた彼らは、疲れた様子で、網を洗っていたことでしょう。
 イエス様はペテロに声をかけられました。「ペテロ、お前の舟に乗せてもらうよ」と。

3イエスは、そのうちの一つの、シモンの持ち舟にのり、陸から少し漕ぎ出すように頼まれた。そしてイエスはすわって、舟から群衆を教えられた。

 イエス様は、2そうの小舟のうち、ペテロの「持ち舟」であった舟に乗り、ペテロに陸から少しこぎ出してくれるように頼みました。イエス様は、その舟に座って、湖の岸辺に押し寄せてきた群衆にお話をなさいました。お話が終わると、イエス様はペテロに声をかけられました。

■深みに漕ぎ出して

4話が終わると、シモンに、「深みに漕ぎ出して、網をおろして魚(うお)をとりなさい」と言われた。

 このことばは、ペテロにとっては予想もしなかったことばでした。なぜならそれは、漁師であるペテロの常識を越えていたことだったからです。ガリラヤ湖の漁は、夜の間にやるものでした。しかも、その晩は1匹もとれなかったのです。ガリラヤ湖では、沖のほうの深いところにいる魚は、明るくなれば湖の底のほうへもぐってしまいます。長年ガリラヤ湖の漁師であったペテロは、昼間は魚が捕れないことをよく知っていました。
 ペテロはこれまでイエス様のお話を聞き、イエス様の奇蹟を目の当たりに見ていました。ですから、イエス様が不思議な力を持ったお方だということはわかっていました。だからペテロはこう答えたのです。

5するとシモンが答えて言った。「先生。私たちは、夜通し働きましたが、何一つとれませんでした。でもおことばどおり、網をおろしてみましょう。」

 漁師であるペテロが夜通し働いても、魚は一匹も捕れなかったのです。ましてもう明るくなっていたのです。自分たちの経験や常識では捕れるはずがないのですが、イエス様がおっしゃるのだから、とその一点にかけて、ペテロは沖にこぎ出し深みに網をおろしてみようと思いました。イエス様がそのようにペテロの思いを導いてくださったのです。
 すでに弟子として歩み始めていたペテロに新しい経験をさせるために、そしてより大きな恵みをペテロに経験させるために、イエス様は導いておられたのです。ペテロはイエス様のおことばに従いました。

6そして、そのとおりにすると、たくさんの魚(うお)がはいり、網は破れそうになった。

 ペテロの常識がくつがえされました。ペテロは神であられるイエス様の力を見たのです。おびただしい数の魚が捕れて、もう自分の舟だけでは入りきれず、網が破れそうになりました。
 仲間の舟に助けを求め、魚が「両方の舟いっぱいに」なって、「二そうとも沈みそうになった」のです。このとき、ペテロの中で何かがはじけました。今まで感じたことのない厳粛なものが全身を貫きました。

■罪深い人間ですから

 私の目の前にいるお方はどういうお方なのだろう。このお方は何もかも知っておられる。このお方の前で、私は何も隠しておくことはできない。
 この瞬間、ペテロは自分の心の奥底にあるものがすべてあらわになっていることがわかりました。自分はこのお方の前に立つことはできない、と。

8これを見たシモン・ペテロは、イエスの足もとにひれ伏して、「主よ。私のような者から離れてください。私は、罪深い人間ですから」と言った。

 ペテロは、ここで初めて、イエス様に「主よ」と呼びかけました。今までは「先生」と呼んでいました。それが、今この出来事を通して、初めてイエス様が自分の主であることを悟ったのです。このお方に従いたい、このお方のもとで生きていきたい、と思いました。
 しかし同時に、ペテロはそのお方にふさわしくない自分を知らされました。ペテロはイエス様の足もとにひれ伏して言いました。「主よ。私のような者から離れてください。私は、罪深い人間ですから」と。
 ガリラヤの湖の底まで見通す力をもって、自分の心の底まで見抜かれてしまうという恐ろしさ。それは、ペテロだけではありませんでした。そこにいた「みなの者も」同じように恐れたのです。

■恐れなくてもよい

 しかし、イエス様はその恐れを取り除くために、イエス様のほうから声をかけてくださいました。

10シモンの仲間であったゼベダイの子ヤコブやヨハネも同じであった。イエスはシモンにこう言われた。「こわがらなくてもよい。これから後、あなたは人間をとるようになるのです。」

 私から離れてください、あなたといっしょにいることができません。私は罪人ですからと告白した時に、イエス様のほうから「こわがらなくてもよい」とおっしゃってくださいました。それは、ペテロのすべてを知って、それをそのまま受け入れてくださろうとしているイエス様のお声でした。
 ペテロは、自分がイエス様によって赦され、そのまま受け入れられることを知りました。
 この後、ペテロは罪深い自分が赦されるということを、事あるごとに知らされていきます。そして最後には、イエス様が十字架で死んでくださったことの意味をはっきりと悟っていくのです。
 きょうも、ここにいる私たち一人一人にもイエス様は声をかけてくださっています。「こわがらなくてもよい」、私はあなたがたの罪を赦します。わたしが、あなたがた一人一人の罪のため、十字架にかかって死んだのです。私を信じなさい。私といっしょに歩みなさいと、イエス様は今日も声をかけてくださっているのです。

■神様のみこころ

 私たちの歩みの中にも、もしかすると魚が一匹も捕れない、夜通しやってみたけれどだめだったという状況にぶつかるかもしれません。そのような時に、神様が声をかけてくださって、「深みに漕ぎ出して、網をおろして魚をとりなさい」と励ましてくださることがあるのです。
 私たちが「やってもダメだったんです」と言いたくなるような場合でも、もし神様が、もう一度「深みに漕ぎ出して、網をおろして魚をとりなさい」と言われるなら、「おことばどおり、網をおろしてみましょう」と答えることができる信仰を与えられたいと思います。
 神様は私たち一人一人をよくご存じであられ、一人一人に最も良い道を備えてくださる愛のお方です。私たちは、神様のみこころは何なのかを、いつも求めて祈っていきたいと思います。
 私たちは一人一人、その時が来たならば、もう一度「深みに漕ぎ出して」網をおろしてみたいと思うのです。これからも、神様からあふれるばかりの恵みをいただいて、歩んでいきたいと思います。


ゆりのきキリスト教会テキスト礼拝説教2015年6月28日