ゆりのきキリスト教会テキスト礼拝説教2014年10月19日


2014年10月19日 主日礼拝説教
「飼葉おけのキリスト」〜イエス・キリストの生涯7. イエス・キリストの誕生〜(ルカの福音書2章1節〜7節)

■はじめに

 イエス・キリストが誕生するまでを読んできました。バプテスマのヨハネの両親であるザカリヤとエリサベツのこと、イエス様の両親となるヨセフとマリヤのこと、それぞれに男の子が生まれるという神様からの知らせがあったこと、そして前回はヨハネが誕生したところを読みました。
 ヨハネは世に出る30歳ごろになるまで「荒野にいた」とありました。預言者として世に出る訓練していたのでしょう。世から離れて生活していたエッセネ派というユダヤ教グループがあったので、そこに加わっていたのかもしれません。

■皇帝アウグスト

1そのころ、全世界の住民登録をせよという勅令が、皇帝アウグストから出た。2これは、クレニオがシリヤの総督であったときの最初の住民登録であった。3それで、人々はみな、登録のために、それぞれ自分の町に向かって行った。

 「皇帝アウグスト」別名オクタビアヌスは、20年間にわたるローマの内乱を平定し、ローマの初代皇帝となった人物で、紀元前31年から紀元後14年までローマを治めました。政治は安定し、ローマ帝国全体に平和が訪れ、ローマは繁栄していました。
 このアウグストが全世界の人口調査を行うという勅令を出しました。歴史に残っている人口調査記録はいくつかありますが、この時は紀元前8年か7年ごろと考えられます。
 人口調査の目的は税金を取ることと徴兵の下準備です。ですからこの勅令は、皇帝アウグストが支配する世界に、自分が王であること、そして税を徴集する権利があることを宣言し、実行に移したものでした。
 この時代、地中海地方がローマに統一され、ことばもギリシヤ語で世界が通用するようになりました。道路が整備され、人の行き来も自由になりました。しかし一方では、神の民イスラエルが自らを神とするローマ皇帝に服従を強いられる苦難の時代でもありました。彼らは救い主の誕生を待ち望んでいたのです。

■ベツレヘムへ

4ヨセフもガリラヤの町ナザレから、ユダヤのベツレヘムというダビデの町へ上って行った。彼は、ダビデの家系であり血筋でもあったので、5身重になっているいいなずけの妻マリヤもいっしょに登録するためであった。

 ヨセフは身重になっていたマリヤをつれてベツレヘムへと旅立ちました。ベツレヘムは、ダビデが生まれた村で、ヨセフはダビデ王の家系の者でした。救い主はダビデの家系から、さらにベツレヘムで生まれると預言されていました。
 ミカという旧約聖書の預言者が、イスラエルが苦難の時代にやがてベツレヘムに王なる救い主が生まれ、イスラエルの民を救い出されることを預言しました。

ミカ書5:2「ベツレヘム・エフラテよ。あなたはユダの氏族の中で最も小さいものだが、あなたのうちから、わたしのために、イスラエルの支配者になる者が出る。その出ることは、昔から、永遠の昔からの定めである。」

 アウグストの勅令によって、ガリラヤに住んでいたヨセフとマリヤが、ユダヤのベツレヘムに行き、そこで救い主を生むことになります。預言のとおりに、神様が「アウグスト」をも導いておられたのです。
 ナザレからベツレヘムまで3日ほどの旅行でした。マリヤはすでに臨月になっていました。多くの人が行き交うなか、二人はゆっくり旅を進めたと思われます。
 ベツレヘムの町はダビデの家系の者たちでごったがえしていました。身重のマリヤを伴っての旅は、足が遅かったのでしょうか、宿屋はもう満員でした。そこで、まもなく生まれて来る子どものために野宿するわけにもいかず、あいていた家畜小屋に泊まることになりました。

■飼葉おけのキリスト

6ところが、彼らがそこにいる間に、マリヤは月が満ちて、7男子の初子を産んだ。それで、布にくるんで、飼葉おけに寝かせた。宿屋には彼らのいる場所がなかったからである。

 最初から家畜小屋にいたのではなく、出産間近になって、今まで泊まっていた相部屋から出て、やむなく急きょ家畜小屋に移ったのかもしれません。「宿屋には彼らのいる場所がなかったから」でした。家畜小屋にいる間、マリヤは御使いから告げられた約束の男の子を生みました。救い主として生まれた赤子は「飼葉おけ」に横たえられました。
 「飼葉おけのキリスト」には大切な意味がありました。それは、救い主は徹底したへりくだりの中でお生まれになったということです。神の子イエスは、華やかな世界から遠く離れた、だれからも見向きもされない気づかれない所、忘れ去られたような所にお生まれになりました。しかも「飼葉おけ」の中にです。

ヨハネの福音書1:9−11「9すべての人を照らすそのまことの光が世に来ようとしていた。10この方はもとから世におられ、世はこの方によって造られたのに、世はこの方を知らなかった。11この方はご自分のくにに来られたのに、ご自分の民は受け入れなかった。」

 聖書は、この人々の関心から隠されたイエス・キリストこそ「すべての人を照らすそのまことの光」であると告げます。なぜ私たちの救い主は、このようなところで生まれたのでしょうか。私たちの悲惨さは、喜びと平安の源である神との交わりが絶たれていることから来ています。飼葉おけの乳呑み子は、私たちをその罪と悲惨から救い出すために生まれたのです。
 イエス・キリストは十字架に至る苦難の生涯を送るため、誕生の時から、このような低いところに生まれてくださいました。それは、すべての人の弱さ、悲しみ、苦悩、罪を知り、そこから救い出してくださるためでした。
 「飼葉おけ」に生まれたイエス・キリストは人間の体を持ってお生まれになり、この肉体の限界や弱さ、貧しさを知ってくださったからです。

コリント人への手紙第2、8:9「あなたがたは、私たちの主イエス・キリストの恵みを知っています。すなわち、主は富んでおられたのに、あなたがたのために貧しくなられました。それは、あなたがたが、キリストの貧しさによって富む者となるためです。」

 「飼葉おけ」に生まれたキリストを貧しさを見る時、罪にまみれ、心の貧しい私たちが、永遠のいのちを与えられるという「富む者」とされたことを、感謝できます。
 「飼葉おけのキリスト」は、時の皇帝アウグストに比べたら、なんと貧しい、弱い存在なのでしょうか。しかし、このお方の生涯が私たちに生きる力を与え、生きる喜びと希望を与えてくださるのです。どんなに貧しい、弱い者にも、愛の心をもって接するやさしい思いを与え、どんな時にも恐れることなく立ち向かうことのできる勇気を与えてくださるのです。
 これからも、私たちのために生まれたキリストを感謝して歩んでいきたいと思います。


ゆりのきキリスト教会テキスト礼拝説教2014年10月19日