ゆりのきキリスト教会テキスト礼拝説教2014年4月27日


2014年4月27日 主日礼拝説教
「神の守りがあった」(使徒の働き23章12節〜35節)

■はじめに

 パウロが異邦人を引き連れエルサレム神殿を汚しているという誤解から騒動が始まりました。パウロを取り調べたローマの千人隊長は、翌日ユダヤ議会を召集し、ユダヤ教指導者たちの意見を聞くことにしました。しかし、その議会もパウロが「兄弟たち。私はパリサイ人であり、パリサイ人の子です。私は死者の復活という望みのことで、さばきを受けているのです」(6節)と発言してから、議員のパリサイ人、サドカイ人が分裂してしまい、再びパウロはローマ軍によって兵営に連れて行かれました。
 その夜、主はパウロに「勇気を出しなさい。あなたは、エルサレムでわたしのことをあかししたように、ローマでもあかしをしなければならない」(11節)と語りました。さて、パウロが捕らえられて3日目の朝を迎えました。

■パウロを殺そうとする陰謀

12夜が明けると、ユダヤ人たちは徒党を組み、パウロを殺してしまうまでは飲み食いしないと誓い合った。

 ここに出てくる熱狂的なユダヤ人集団は、ユダヤ教の敵には暴力をもって排除してもかまわない、という考えを持っていました。目的を達するまでは「飲み食いしない」という誓いは、これが果たされなかったなら自分たちは餓死し、神の呪いを受けてもかまわないというすごいものでした。

13この陰謀に加わった者は、四十人以上であった。

 この40人は、パウロを何とか兵営から出させて、そこを狙って攻撃を仕掛けようとしました。彼らは大祭司たちに、千人隊長に願って、もう一度議会を召集し、さらにパウロを詳しく取り調べるため、パウロを議会に連れ出すことを提案するよう申し入れました。それが通ったなら、兵営から議会の場に移動するパウロを途中で殺す計画でした。
 しかし、ただパウロを殺したい一心で立てたずさんな計画でした。そのうわさが、巡りめぐってパウロの甥の耳に入りました。

16ところが、パウロの姉妹の子が、この待ち伏せのことを耳にし、兵営に入ってパウロにそれを知らせた。

 この「パウロの姉妹の子」が誰なのか、パウロの親戚関係はどうなっているのかなどは何もわかっていません。当時の牢屋は、囚人が必要なものを頼むために、家族や友人と簡単に面接できました。パウロも何かを頼んで、その時に甥からの知らせを受けたのでしょう。

■千人隊長に知らせる

 甥からの知らせを聞いたパウロは、それを「千人隊長」に知らせるため、近くにいた「百人隊長」に、この青年を千人隊長のところに連れて行ってくれるよう頼みました。百人隊長は、パウロの甥を千人隊長に引き合わせました。

19千人隊長は彼の手を取り、だれもいない所に連れて行って、「私に伝えたいことというのは何か」と尋ねた。

 「千人隊長」は大変な秘密の情報を持っていると思ったのでしょう。何事が起こったかを尋ねました。青年は、陰謀のことを詳しく千人隊長に伝えました。パウロを殺そうとするすべての手はずが整っていること。それが明日のことであり、彼らは、パウロを議会に連れてくるように申し入れようとしていることを語りました。

22そこで千人隊長は、「このことを私に知らせたことは、だれにも漏らすな」と命じて、その青年を帰らせた。

 千人隊長は、ここ2日間の成り行きをみて、この裁判はこれ以上ここで続けるのは無理で、どうしたらよいかを上官である総督に問い合わせようと思っていたのでしょう。それだから決断はすぐになされました。今日にでもパウロをカイザリヤにいる総督のもとに送ることにしました。

■カイザリヤへ送る

23そしてふたりの百人隊長を呼び、「今夜九時、カイザリヤに向けて出発できるように、歩兵二百人、騎兵七十人、槍兵二百人を整えよ」と言いつけた。

 カイザリヤまでは100キロ以上の道のりです。それにしても大変な人数の兵隊を用意させました。470人は、エルサレムにいる自分の部下(1000人)のほぼ半分でした。パウロがローマ人であったとしても、これはいかにも多すぎる人数でした。

24また、パウロを乗せて無事に総督ペリクスのもとに送り届けるように、馬の用意もさせた。

 最後は、「騎兵七十人」が中心となってパウロを護送したのでしょう。パウロのための馬も用意もさせました。

25そして、次のような文面の手紙を書いた。26「クラウデオ・ルシヤ、つつしんで総督ペリクス閣下にごあいさつ申し上げます。

 千人隊長の名前が「クラウデオ・ルシヤ」と初めて明らかになります。クラウデオはローマ名で、市民になった時につけた名前でした。ルシヤは彼のギリシヤ名でした。

27この者が、ユダヤ人に捕らえられ、まさに殺されようとしていたとき、彼がローマ市民であることを知りましたので、私は兵隊を率いて行って、彼を助け出しました。

 パウロがどのようにして自分が保護するようになったかを説明しました。パウロがローマ市民であると知ったのは、逮捕し、鞭打ちし、尋問しようとした時でしたが、それを隠し、少し自分に都合がいいように、パウロが殺されようとした時と変えてしまいました。

29その結果、彼が訴えられているのは、ユダヤ人の律法に関する問題のためで、死刑や投獄に当たる罪はないことがわかりました。

 千人隊長は、混乱の中の尋問でしたが、問題は宗教的な違いによる争いであるとわかっていました。この点に関しては、パウロは死や投獄に値する市民生活を脅かす犯罪は何一つ行っていなかったのでした。

31そこで兵士たちは、命じられたとおりにパウロを引き取り、夜中にアンテパトリスまで連れて行き、32翌日、騎兵たちにパウロの護送を任せて、兵営に帰った。

 パウロは途中の「アンテパトリス」まで連れて行かれました。ここで護衛を騎兵たちにまかせ、他の兵士たちはエルサレムに帰っていきました。兵士たちはカイザリヤに着き、総督への手紙を渡し、パウロを総督の保護のもとにゆだねました。

34総督は手紙を読んでから、パウロに、どの州の者かと尋ね、キリキヤの出であることを知って、35「あなたを訴える者が来てから、よく聞くことにしよう」と言った。そして、ヘロデの官邸に彼を守っておくように命じた。

 パウロはキリキヤのタルソ出身であったので、本来はキリキヤを管轄しているシリヤ州の総督が裁くことになるのですが、総督ペリクスは、ユダヤ人たちとの関係を悪化させないために、自分のところで裁判を行うことにしました。
 ヘロデ大王が建設した屋敷があって、「ヘロデの官邸」と呼ばれ、そこをローマの本部として使っていました。そこにパウロは保護されました。

■神の守りがあった

 このように、前回の箇所から、パウロは神様のご計画であるエルサレムからローマへの旅が実現していく経過をたどっていきます。
 まずパウロはエルサレムからカイザリヤに移されました。そのために、神様はパウロの甥を用いて40人の陰謀を砕き、また千人隊長の思いを導き、470人の兵隊を動かしカイザリヤまでを一気に駆け通すという、とうてい不可能と思われることを成し遂げさせてくださいました。それは、パウロを守り、パウロをローマに導き、ローマに神様の教えを伝えるためでした。
 このような華々しい動きのあと、パウロはこのあと3年ほど牢獄生活と裁判のため、ここカイザリヤに滞在することになります。何も展望が開けないと思われることもあったでしょう。ただ待っているだけの日々もあったでしょう。パウロはこのような中から、どう神様のご計画が実現していくのか、また神様が必ずなしてくださると信じ、期待する日々を過ごすことになります。
 パウロは、この時から1年ほど前、第3回伝道旅行中のコリントから、そのローマ教会にあてて手紙を書きました。

ローマ人への手紙5:2−5「2この恵みに信仰によって導き入れられた私たちは、神の栄光を望んで大いに喜んでいます。3そればかりではなく、患難さえも喜んでいます。それは、患難が忍耐を生み出し、4忍耐が練られた品性を生み出し、練られた品性が希望を生み出すと知っているからです。5この希望は失望に終わることがありません。」

 希望は失望に終わることがない。このことを信じて、パウロはカイザリヤでの日々を過ごしたのではないかと思います。私たちは、そのパウロの信仰を思いながら今週も歩みたいと思います。


ゆりのきキリスト教会テキスト礼拝説教2014年4月27日