ゆりのきキリスト教会テキスト礼拝説教2014年4月6日


2014年4月6日 主日礼拝説教
「今は恵みの時、今は救いの日」(コリント人への手紙第二 6章1節〜10節)

■はじめに

 パウロは5章の最後で、自分たちは「キリストの使節」として立てられているのであって、その務めとしてコリント教会に「神の和解を受け入れなさい」と語りました。今日の箇所でも、引き続きパウロはコリント教会の人々に勧めをしていきます。

■神の恵みをむだにしないように

1私たちは神とともに働く者として、あなたがたに懇願します。神の恵みをむだに受けないようにしてください。

 パウロはコリントの教会に懇願します。この「懇願します」ということばは、5章20節の「懇願しておられる」と同じことばです。そこでは、神様が私たちのために手を差し伸べ、神様のほうから差し出してくださった「和解の福音」を受け入れなさいと「懇願しておられる」と見てきました。
 ここでは、「神とともに働く者として」パウロは懇願します。「神の恵みをむだに受けないようにしてください」と。
 「神の恵み」とは、私たちに与えられた「神の和解」の福音、私たちの罪の赦しです。私たちは神様の前に罪人であり、本来、その罪をさばかれる人間です。しかし神様は、このような罪人を赦してくださり、私たちを義としてくださり、神の子として受け入れてくださいます。神の子として呼ばれる資格のない者が神の子とされるのです。ここに神様の恵みがあります。
 神様の「恵みをむだに受けないように」とは、どういうことを言っているのでしょうか。1つは、私たちが罪を赦され、神の子とされるという恵みを喜んで受け入れるということです。
 神様のほうで、一方的なあわれみをもって私たちを愛し、私たちに呼びかけ、私たちを「神の子」としてくださろうとしておられます。神様は救いの中に選び、導こうとしておられるのに、私たちはこのような恵みを、恵みとして信仰をもって受け止めることができないのです。
 もう1つは、試練があったときに神様に助けを仰ぐことです。神様は、ご自分に助けを求める者に豊かな恵みを下さるお方です。その恵みを感謝して受け取りましょう。

■今は恵みの時です

2神は言われます。「わたしは、恵みの時にあなたに答え、救いの日にあなたを助けた。」確かに、今は恵みの時、今は救いの日です。

 パウロはイザヤ書49章から引用します。

イザヤ書49:1「島々よ。私に聞け。遠い国々の民よ。耳を傾けよ。主は、生まれる前から私を召し、母の胎内にいる時から私の名を呼ばれた。」

 この「私」とはだれのことを言っているのでしょうか。6節で、主は「私」に対してこう語っています。

イザヤ書49:6「主は仰せられる。「ただ、あなたがわたしのしもべとなって、ヤコブの諸部族を立たせ、イスラエルのとどめられている者たちを帰らせるだけではない。わたしはあなたを諸国の民の光とし、地の果てにまでわたしの救いをもたらす者とする。」」

 ここで「私」は、「わたし」(神様)の「しもべ」となり、そのしもべは「諸国の民の光」、全世界に主なる神様の救いをもたらす者となる、と言われています。この「わたしのしもべ」と呼ばれる方は、私たちの救い主、イエス・キリストのことであり、イザヤはその現れを預言したのでした。
 そして、パウロが引用したことばが8節で、イスラエルの民たちに語られます。

イザヤ書49:8「主はこう仰せられる。「恵みの時に、わたしはあなたに答え、救いの日にあなたを助けた。わたしはあなたを見守り、あなたを民の契約とし、国を興し、荒れ果てたゆずりの地を継がせよう。」

 このように、この恵みの時、救いの日は、イエス・キリストによってもたらされ、イスラエルの選ばれた新しい民に、その恵みと救いが与えられるのでした。
 「確かに、今は恵みの時、今は救いの日です。」ここは、「確かに」と訳されていることばが2回出てきます。「確かに今は恵みの時、確かに今は救いの日です」となります。今この時、今日が大切ということが強調されています。
 神様が手を差し伸べてくださった「神の和解の福音」は、イエス・キリストの十字架によって、はっきりと示されました。その十字架の福音を受け入れる恵みの時が今であり、その救いの日が今なのです。イザヤが預言で語った恵みを、私たちは今知ることができるのです。私たちは今その恵みを受け入れ、今救いをいただくことができるのです。

■務めがそしられないため

 3節からは、パウロは「神とともに働く者」として、また「神の和解の福音」を宣べ伝える者として、さらに語ります。パウロは、その務めが「そしられないために」、また「人につまずきを与えないように」細心の注意を払って行動していること、また「神のしもべとして」どのように歩んできたかを語ります。それが4節後半から10節まで述べられます。

3私たちは、この務めがそしられないために、どんなことにも人につまずきを与えないようにと、4あらゆることにおいて、自分を神のしもべとして推薦しているのです。すなわち非常な忍耐と、悩みと、苦しみと、嘆きの中で、5また、むち打たれるときにも、入獄にも、暴動にも、労役にも、徹夜にも、断食にも、

 ここまでは、肉体的な苦痛をよく耐え忍んできたことを10のことばで語ります。「非常な忍耐」「悩み」「苦しみ」「嘆き」「むち打たれる」「入獄」「暴動」「労役」「徹夜」「断食」です。これら一つ一つは、パウロの伝道旅行において出会ったさまざまな経験です。
 パウロは牢屋に入れられ、むち打たれることがあっても、いつも神様をあがめました。来る日も来る日も苦しい旅が続きました。疲れも覚えたでしょう。激しい仕事のために、夜も昼もないというような生活があったでしょう。あるいは諸教会の心づかいのために、夜も寝ないで手紙を書き、祈ったこともあったでしょう。そして飢え渇きに耐えなければならないこともあったでしょう。それらは非常な忍耐を要することでした。まさに、ここにはパウロの涙に満ちた伝道生活が記されているのです。
 パウロは、このような苦難の中でも、そこに確かに神さまの恵みがあったことを語っています。涙を流さなければならないほどの苦しさや忍耐のなかでも、神様がその涙をぬぐい去ってくださり、豊かに恵みを与えてくださった喜びを語っているのです。

コリント人への手紙第2、1:4「神は、どのような苦しみのときにも、私たちを慰めてくださいます。こうして、私たちも、自分自身が神から受ける慰めによって、どのような苦しみの中にいる人をも慰めることができるのです。」

コリント人への手紙第2、4:17「今の時の軽い患難は、私たちのうちに働いて、測り知れない、重い永遠の栄光をもたらすからです。」

 このようにパウロは、自分が経験した患難を語りながら、神様の恵みを証ししました。さらに次に、そうした苦難の中でも、どのように生きてきたか、また神様から与えられた霊的な恵みを証しします。

■パウロの生き方

 6節から8節までに、13の生き方を語ります。

6また、純潔と知識と、寛容と親切と、聖霊と偽りのない愛と、7真理のことばと神の力とにより、また、左右の手に持っている義の武器により、8また、ほめられたり、そしられたり、悪評を受けたり、好評を博したりすることによって、

 パウロは、これらの生き方を通して、「自分を神のしもべとして推薦しているのです」。
 そして、最後に7つ、キリストのしもべの見かけ上の姿を語りながら、本当のキリストのしもべの姿を語ります。8節の後半からです。

8私たちは人をだます者のように見えても、真実であり、9人に知られないようでも、よく知られ、死にそうでも、見よ、生きており、罰せられているようであっても、殺されず、10悲しんでいるようでも、いつも喜んでおり、貧しいようでも、多くの人を富ませ、何も持たないようでも、すべてのものを持っています。

 このような生き方ができるのは、私たちの神様が御子キリストを私たちのために下さったからです。私たちはキリストを信じ、すべてを持っておられる神さまを父として仰いでいるのです。

ローマ人への手紙8:32「私たちすべてのために、ご自分の御子をさえ惜しまずに死に渡された方が、どうして、御子といっしょにすべてのものを、私たちに恵んでくださらないことがありましょう。」


ゆりのきキリスト教会テキスト礼拝説教2014年4月6日