ゆりのきキリスト教会テキスト礼拝説教2012年10月14日


2012年10月14日 主日礼拝説教
「すべての民に好意を持たれた」(使徒の働き2章41節〜47節)

■はじめに

 ペンテコステ(五旬節の祭り)の日に起こった出来事を4回に分けて見てきました。42節までがこの日に起こった出来事であり、43−47節は、そこから始まった教会の様子をまとめた箇所です。
 14節から始まったペテロの長い説教を聞いた人たちが心を刺され、ペテロたちに「兄弟たち。私たちはどうしたらよいでしょうか」と尋ねました。それに対してペテロは、「悔い改めなさい。そして、それぞれ罪を赦していただくために、イエス・キリストの名によってバプテスマを受けなさい」と答え、さらに「この曲がった時代から救われなさい」と勧めたのでした。

■三千人の弟子

41そこで、彼のことばを受け入れた者は、バプテスマを受けた。その日、三千人ほどが弟子に加えられた。

 ペテロの説教によって、イエス様を信じ、洗礼を受けた人たちは3千人でした。今まで120名の信徒がいましたので、3120名の驚くべき多さの教会がこの1日で誕生したことになります。
 3千人の中には、エルサレムに住んでいた人たちと、ちょうど五旬節の祭りに来ていた人たちがいました。そのようなたくさんのいる人たちのところに、弟子たちに聖霊が降り、ペテロが説教をし、信じる人たちが起こされました。神様が時と場を備えてくださったのでした。

42そして、彼らは使徒たちの教えを堅く守り、交わりをし、パンを裂き、祈りをしていた。

 その時信じ、洗礼を受け、教会に加わった人たちは、それからどう歩んでいったのか。4つのことが言われています。まず「使徒たちの教えを堅く守り」です。
 使徒たちはイエス様から人々に教えることができるように訓練されていました。また使徒とは、ヨハネのバプテスマから始まり、天に上げられるまでのイエス様の公生涯を、イエス様と共に歩み、復活の証人となった人たちでした。イエス様の語ったこと、イエス様が行った奇蹟、後に福音書に収められ、まとめられていくさまざまなこと、それらを新しく教会に入ってきた人たちに伝えたのでした。3千人の人たちは、教えられたことを堅く守ったのでした。
 次に「交わりをし」ていた、です。彼らは、44節以降に出ているような持ち物を共有し、食事を共にし、神様から与えられた恵みを分かち合いました。神の家族として、その一員として生きることが教会の交わりでした。
 3つ目は「パンを裂き」をしたことです。これは、最後の晩餐でイエス様が弟子たちの前でなさったことでした。

マタイの福音書26:26「また、彼らが食事をしているとき、イエスはパンを取り、祝福して後、これを裂き、弟子たちに与えて言われた。「取って食べなさい。これはわたしのからだです。」」

 その聖餐の式が、3千人が加えられた教会で、イエス様の十字架を覚えるために行われるようになったのでした。使徒の働きも後半のほうに行くと、この時から20年ほどたってからのことですが、「パンを裂く」式が教会で日曜日にきちんと守られていたことがわかります。

使徒の働き20:7「週の初めの日に、私たちはパンを裂くために集まった。そのときパウロは、翌日出発することにしていたので、人々と語り合い、夜中まで語り続けた。」

 最後の4つめは「祈りをしていた」でした。彼らは、ほとんどがユダヤ教からの回心者でした。彼らはユダヤ人として、神様に毎日祈ることがすでに習慣になっていました。しかしこれからの祈りは、イエス様が教えてくださった「主の祈り」であり、父なる神様とともに、イエス様を神様、救い主として祈る祈りであり、救われたことへの感謝、共に歩もうとしている教会の兄弟姉妹たちの必要を求めるとりなしの祈りへと変えられていったのでした。
 これが、3千人が最初の日に加えられ、さらに信じる人たちが加えられていった教会の姿でした。

■共有にしていた

 これ以降何が起こったのか、教会の内部のこと、また周りの人たちがどう教会を見ていたのかを43−47節で語ります。

43そして、一同の心に恐れが生じ、使徒たちによって多くの不思議としるしが行われた。

 恐れが生じたのは、教会の中の人もですが、とりわけ教会外の人たちでした。使徒たちが、聖霊が降られたたことによって与えられた力によって「不思議としるし」、奇蹟を行いました。その一つが次の3章に出てくる病のいやしでした。それら使徒たちの手を通して行われた「不思議としるし」を見て、「一同」は、確かに使徒たちに神様の力が与えられていることを感じて、恐れ、畏怖の念を抱いたのでした。

44信者となった者たちはみないっしょにいて、いっさいの物を共有にしていた。45そして、資産や持ち物を売っては、それぞれの必要に応じて、みなに分配していた。

 初代教会には貧しい人たちが加わっていました。イエス様はいつも貧しい人たちへの配慮にあふれていました。貧しい人たちのなかには家のない人もいたでしょう。彼らは共同生活を始めたのでした。また共同生活に入らなかった人たちは、持ち物を売ったお金をささげました。

46そして毎日、心を一つにして宮に集まり、家でパンを裂き、喜びと真心をもって食事をともにし、

 最初の教会の人たちはユダヤ人でしたので、ユダヤ人の習慣として、神殿の祈りの時間に毎日集まりました。いっしょに住んでいる人たち、それを外から援助している人たち、皆が毎日神殿に集まり交わりをしたのでした。それは「ソロモンの廊」と呼ばれていた所でした。イエス様を信じた人たちはユダヤ教の会堂から追放されたのでしたが、神殿に集まることは拒否されなかったのでした。
 しかし教会は、ユダヤ教とは違う集会を行うようになっていきました。それは、日曜日ごとの礼拝、個々の家で分かれて行われる集会でした。それが「家でパンを裂き、喜びと真心をもって食事をともにし、神を賛美」する集会でした。
 彼らは信徒の家に集まり、聖餐と、食事を共にしていました。最初の教会には貧しい人たちがたくさんいて、食事も満足に取れない人たち、共同生活をしなければならない人たちもいたので、共に食事をすることは大切な教会の活動でした。そして、その食事の前か後に聖餐式が行われたのでした。
 しかし、それもしだいに無秩序の食事会となってしまい、パウロはコリント教会にこのように書き送りました。

コリント人への手紙第1、11:21−22「21食事のとき、めいめい我先にと自分の食事を済ませるので、空腹な者もおれば、酔っている者もいるというしまつです。22飲食のためなら、自分の家があるでしょう。それとも、あなたがたは、神の教会を軽んじ、貧しい人たちをはずかしめたいのですか。」

 これは、最初の「喜びと真心をもって」という共に食事をする本来の意味を忘れてしまった教会の姿を伝えています。

■主も救われる人を加えてくださった

47神を賛美し、すべての民に好意を持たれた。主も毎日救われる人々を仲間に加えてくださった。

 そのような集まりが、人々から恐れと畏怖の念を起こさせるとともに、人々から好意をもって見られのでした。何か今までのユダヤ教の、会堂での集まりとは違う、偽物ではない、本物の何かがあると見られたのでした。教会はこのように注目され、周りの人たちに尊敬の目をもって見られる集団になっていきました。
 クリスチャンは一人で歩んでいるのではありません。教会に集まり、教会の礼拝、聖餐式、教会の活動を通して、クリスチャンは共に歩んでいきます。それが最初の教会からあったのでした。
 そのような中から救われる人たち、教会に加えられる人たちが起こされていきました。「主も毎日救われる人々を仲間に加えてくださった」とあるように、主が救われる人を起こし、教会に導き、教会の一員に加えてくださったからでした。「主も」ということばに、人のわざではなく、教会の主であられるイエス様が働いてくださり、教会に好意をもった人たちが毎日のように、この交わりに加えられていったのでした。
 4章4節まで読むと、「みことばを聞いた人々が大ぜい信じ、男の数が五千人ほどになった」と、教会は男女、子どもを合わせれば、1万人を越える人数になっていくのでした。
 今日は最初の教会の姿を見ることができました。私たちが礼拝を守り続けることによって、主が「救われる人々を仲間に加えてくださる」。そのことを覚えて、毎週、主の前に立ちたいと思います。

エペソ人への手紙5:18−19「御霊に満たされなさい。詩と賛美と霊の歌とをもって、互いに語り、主に向かって、心から歌い、また賛美しなさい。」


ゆりのきキリスト教会テキスト礼拝説教2012年10月14日