ゆりのきキリスト教会テキスト礼拝説教2012年5月6日


2012年5月6日 主日礼拝説教
「用意されていた過越の食事」(マタイの福音書26章17節〜25節)

■はじめに

 先週は、時間的には1週間前のことになりますが、ベタニヤのマリヤがイエス様への感謝の思いを表そうと、高価なナルドの香油をすべてイエス様に注いだところを読みました。弟子たちにとっては、なんと無駄なことをしたかと思えるような行為でしたが、イエス様はマリヤの思いを受け入れてくださり、マリヤは葬りの用意をしてくれたと言ってくださったのでした。

■過越の食事の準備

17さて、種なしパンの祝いの第一日に、弟子たちがイエスのところに来て言った。「過越の食事をなさるのに、私たちはどこで用意をしましょうか。」

 過越の祭りは、「種なしパンの祝い」とも言われました。過越とは、イエス様の時代からおよそ1300年前に起こった出エジプトを覚え、感謝する祭りでした。イスラエルの人々は、エジプトを出る前の晩、殺された子羊の肉と、用意していた種なしパンを食べたのでした。それ以来、毎年、イスラエルでは、過越の祭りの最初の夜に子羊の肉と種入れないパンを食べるようになったのでした。
 その食事をイエス様と弟子たちは食べようとしていました。それで弟子たちがイエス様に「私たちは、どこへ行って用意をしましょうか」と尋ねたのでした。

18イエスは言われた。「都に入って、これこれの人のところに行って、『先生が「わたしの時が近づいた。わたしの弟子たちといっしょに、あなたのところで過越を守ろう」と言っておられる』と言いなさい。」

 イエス様は、それはもう準備がされていて、エルサレムに住んでいたイエス様の知り合いに頼んであると弟子たちに言われました。「わたしの時が近づいた」と言えば、用意されている場所に案内してくれることになっていました。
 過越の祭りの間に十字架につけられることは、イエス様が決められたことでした。祭司長たちの計略や思惑、ユダの裏切りという裏の動きとは関係なく、イエス様が自ら定められたとおりに「時」が進んでいたのでした。

19そこで、弟子たちはイエスに言いつけられたとおりにして、過越の食事の用意をした。

 弟子たちが出かけていくと、そのとおりでした。そこは、イエス様と弟子たちだけになる場所でした。その過越の食事、最後の晩餐は、後の教会のための聖餐式を定める場でもありました。

■ユダへの最後のことば

20さて、夕方になって、イエスは十二弟子といっしょに食卓に着かれた。21みなが食事をしているとき、イエスは言われた。「まことに、あなたがたに告げます。あなたがたのうちひとりが、わたしを裏切ります。」

 過越の食事が始まりました。そこに、すでに祭司長たちと話をつけていたユダも席にいました。レオナルド・ダ・ビンチの「最後の晩餐」の絵があまりにも有名なので、その食事は長いテーブルを囲んでしたかのように思ってしまいますが、当時は、左わき腹を下にして横になって食事をしました。それで実際の最後の晩餐は、真ん中にござのようなものが敷かれ、その上に食べ物を乗せた低いテーブルが置かれ、それを中心にイエス様たち13人が横になっていたといわれています。
 その食事の最中です。イエス様の口から思いがけないことばが発せられました。「あなたがたのうちひとりが、わたしを裏切ります。」ユダという名こそあげられませんでしたが、イエス様はユダに、最後の悔い改めの機会を与えようとされたのでした。

22すると、弟子たちは非常に悲しんで、「主よ。まさか私のことではないでしょう」とかわるがわるイエスに言った。

 思いがけない弟子たちの反応でした。弟子たちの中に、絶対に自分ではないと言い切れる者がいなかったのでした。それぞれがイエス様から「あなたではありません」と言ってもらうために、次々とイエス様に尋ねたのでした。

23イエスは答えて言われた。「わたしといっしょに鉢に手を浸した者が、わたしを裏切るのです。24確かに、人の子は、自分について書いてあるとおりに、去って行きます。しかし、人の子を裏切るような人間はわざわいです。そういう人は生まれなかったほうがよかったのです。」

 「鉢」とは、テーブルの真ん中に置かれていたスープを入れた器でした。そこに、みんなが肉やパンを浸して食べたのです。手も入ってしまうこともあったでしょう。同じ鉢を使って食べるとは、特に親しい関係を表していました。
 このことばは、そのような親しい者が裏切ることは、より罪が重いことをユダにわからせるためでした。イエス様は、そのような者はわざわいです。生まれなかったほうがよかったと言って、ユダに悔い改めをうながすのでした。そこで、それまで黙っていたユダがイエス様に尋ねました。

25すると、イエスを裏切ろうとしていたユダが答えて言った。「先生。まさか私のことではないでしょう。」イエスは彼に、「いや、そうだ」と言われた。

 イエス様の答え「そうだ」は、はっきりと断定しているような翻訳ですか、原文では「あなたが言った」というあいまいな表現です。あなたが判断しなさい、もしそうだったらどうしますか、あなたかもしれない、というニュアンスのことばでした。
 ユダにはイエス様の気持ちが伝わったでしょうが、他の弟子にはイエス様のことばが理解できませんでした。ユダはその後、最後の晩餐の席を離れることになります。他の弟子は、ユダはイエス様から何か頼まれ事があって出て行ったと思うのでした。

■犠牲の子羊

 過越の祭りは、出エジプトの時、子羊が殺され、その血を門柱と鴨居に塗ることにより、イスラエルの人々が救われたことを覚え、感謝する祭りでした。いまイエス様は、その過越の祭りの時に、イエス様ご自身が、人々を救うために犠牲の子羊になってくださろうとしていました。
 そのイエス様の十字架の死を覚えるため教会が行っているものが聖餐式です。実際の制定のことばは、来週読みたいと思います。
 今日はその聖餐式が行われます。イエス様が私たちのために十字架で死んでくださり、イエス様の十字架によって私たちが罪から救われたことを覚え、感謝をささげる時となりますように。

■創立6周年

 きょうは、ゆりのきキリスト教会が2006年5月7日に創立されてから6周年を迎えました。私たちは、この場所で6年間、毎週礼拝をささげられたことを感謝いたします。新しい人、洗礼を受ける人が加えられてきました。私たちは、これからも、この教会で信仰を守っていきたいと思います。7年目のゆりのきキリスト教会が恵みと祝福にあふれる教会となりますよう、祈りつつ歩んでいきたいと思います。


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