ゆりのきキリスト教会テキスト礼拝説教2012年4月29日


2012年4月29日 主日礼拝説教
「香油をそそいだマリヤ」(マタイの福音書26章1節〜16節)

■はじめに

 21章18節から25章までは、受難週の火曜日、1日の出来事でした。次々とやってくるユダヤ教指導者からの質問と論争、警告、世の終わりについての預言などが語られました。そして水曜日、イエス様はベタニヤでゆっくりと過ごされたと思われます。
 木曜日になりました。イエス様の十字架の前の日になります。

■2日目に十字架に

1イエスは、これらの話をすべて終えると、弟子たちに言われた。2「あなたがたの知っているとおり、二日たつと過越の祭りになります。人の子は十字架につけられるために引き渡されます。」

 2日後の金曜日、実際には木曜日の夜から過越の祭りが始まります。その祭りの時にイエス様は殺される、と自ら予告されました。
 過越とは、イスラエル民族がエジプトから脱出するとき、エジプトのパロ王がそれを許さなかったので、神様はエジプト中の初子を殺すというさばきを下されました。その時、神様はイスラエル人に、初子の身代わりに子羊をほふって、その血を自分たちの家の門柱とかもいに塗れば、その家は過越して初子を殺さないと約束してくださいました。それに感謝して、毎年過越の祭りに子羊をほふって、イスラエルの民にしてくださった神様の恵みを感謝するのでした。

3そのころ、祭司長、民の長老たちは、カヤパという大祭司の家の庭に集まり、4イエスをだまして捕らえ、殺そうと相談した。5しかし、彼らは、「祭りの間はいけない。民衆の騒ぎが起こるといけないから」と話していた。

 しかし、「祭司長、律法学者たち」が、その時の大祭司であった「カヤパ」の家に集まり相談していたことは、イエス様の予告とは全く違ったものでした。イエス様をなんとか捕らえ、殺そうとしていたのですが、彼らは祭りの間にそれをしたくないと思っていました。
 ところがユダの裏切りにより、思いがけずイエス様を木曜日の真夜中に捕らえ、イエス様の言われたように、翌金曜日に十字架で処刑を行うことになるのでした。彼らの恐れていた群衆の騒ぎも、かえってユダヤ教指導者たちの扇動に、彼らが簡単に乗ってしまい、イエス・キリストの処刑に賛同してしまうのでした。

■高価な香油をそそぐ

6さて、イエスがベタニヤで、ツァラアトに冒された人シモンの家におられると、7ひとりの女がたいへん高価な香油の入った石膏のつぼを持ってみもとに来て、食卓に着いておられたイエスの頭に香油を注いだ。

 話が変わり、イエス様がベタニヤにおられた時のことです。これは、ヨハネの福音書12章によれば、過越の6日前の出来事でした。時間的には、ヨハネの書いたとおりであると思われますが、イエス様の死の予告と、ユダの裏切りと対比させるために、この場面に書かれたと言われています。
 そのときイエス様は「ツァラアトに冒された人シモンの家」におられました。ここに一人の女性が登場します。名前が書かれていませんが、ヨハネ12章によるとベタニヤのマリヤでした。
 「たいへん高価な香油」は、ナルドという草(おみなえし科)から作られた香油でした。マリヤは、香油の入った石膏のつぼを、マルコによると、割って香油を全部イエス様の頭に注いだでした。香油をお客様へもてなしとして注ぐことは、それほど珍しいことではありませんでしたが、マリヤは香油を全部イエス様に注いだのです。
 イエス様の頭から足まで香油が流れ落ちました。マリヤは髪の毛でイエス様の足をぬぐいました(ヨハネ12章)。香りが部屋中に満ちました。この香りはイエス様の頭と体に残り、イエス様の裁判の時も、十字架を背負われた時も、また十字架の上からも、そして葬られた時も、ふくいくと香っていたと思われるのです。
 突然、静かな時間が破られました。

8弟子たちはこれを見て、憤慨して言った。「何のために、こんなむだなことをするのか。9この香油なら、高く売れて、貧しい人たちに施しができたのに。」

 ヨハネの福音書では、イスカリオテ・ユダが言ったと書かれています。ユダは弟子たちの会計係をしていたので、マリヤがささげた香油がどのくらいになるか、すぐ見積もることができたのでした。
 香油は300デナリになる、とマルコの福音書はあります。そうであれば、ナルドの香油は1年分の給料に相当するでしょう。マリヤはそれを注いでしまったのでした。
 「何のために、こんなむだなことをするのか」という非難は当然でした。弟子たちは、貧しい人への施しに使ったほうがいいと思いました。これはマリヤに対する非難ですが、イエス様にも向けられたことばでもありました。「女のすることになんとも感じないのですか、女に無駄なことをしたとたしなめないのですか」と。
 それに対して、イエス様は口を開かれました。

10するとイエスはこれを知って、彼らに言われた。「なぜ、この女を困らせるのです。わたしに対してりっぱなことをしてくれたのです。11貧しい人たちは、いつもあなたがたといっしょにいます。しかし、わたしは、いつもあなたがたといっしょにいるわけではありません。

 イエス様は、これは「わたしに対して」してくれたことであるとマリヤを弁護されました。イエス様は、貧しい人たち、困難な中にある人への心配り、施しの大切さをご存じでしたが、今は、イエス様が間もなくこの世を去ろうとしている時でした。弟子たちが貧しい人に仕えることは、これからいくらでもあります。しかし、イエス様に直接仕える機会はもうすぐなくなります。弟子たちはこのことに気づかなかったのでした。

12この女が、この香油をわたしのからだに注いだのは、わたしの埋葬の用意をしてくれたのです。

 さらにイエス様は、香油は埋葬の用意であったと言われました。犯罪人として処刑された者は、香油も塗られず、場合によっては野ざらしにされます。マリヤの香油は、イエス様にとって葬りのためという大きな意味を持っていました。死んだイエス様の体に塗る香油を、マリヤはあらかじめ塗ったのでした。
 マリヤはそこまで考えなかったでしょう。マリヤは純粋に、自分の持っているものをすべてイエス様にささげたかったのでした。イエス様に愛された気持ちを、自分の罪が赦された感謝の気持ちを精いっぱい表したかったのでした。それがイエス様に香油をささげた理由でした。
 マリヤはイエス様へ、自分のできる最大のことをしようとしました。イエス様がそれを受け止めてくださり、りっぱなことをしてくれたと言ってくださいました。イエス様は、だれよりも深くマリヤの気持ちを理解してくださったのでした。

13まことに、あなたがたに告げます。世界中のどこででも、この福音が宣べ伝えられる所なら、この人のした事も語られて、この人の記念となるでしょう。」

 マリヤが香油を注いだことは、イエス様の福音を聞く人たちに、イエス様に祝福された女として記憶として残っていくのでした。

■イスカリオテ・ユダ

 もう一人の男の行いも、人々の記憶に残ることになります。

14そのとき、十二弟子のひとりで、イスカリオテ・ユダという者が、祭司長たちのところへ行って、15こう言った。「彼をあなたがたに売るとしたら、いったいいくらくれますか。」すると、彼らは銀貨三十枚を彼に支払った。16そのときから、彼はイエスを引き渡す機会をねらっていた。

 ユダは、こっそり抜け出して祭司長たちを訪ねました。なぜユダが裏切る者になったのでしょうか。救い主に対する期待が裏切られ、自分から死のうとしている。そのようなイエス様の言動が理解できなくなったからでしょうか。ルカの福音書は、そのようなユダに悪魔が入ったと語っています。
 ユダは、祭司長たちがイエスを殺そうとしていたことを知っていました。ユダは交渉をし、銀貨30枚で話がまとまりました。それは奴隷一人の値段でした。ユダは銀貨を受け取り、イエス様を引き渡すチャンスを待つのでした。

■愛の心

 マリヤの行為は純粋な愛の心からのものでした。その純粋な愛は、イエス様が私たちに注いでくださった愛、この世に来られ、十字架の死をもって私たちを救おうとされたイエス様の愛を思わせるものでした。
 マリヤは300デナリもの高価な香油をささげました。それは彼女が持っていた、彼女が蓄えていた全財産であったと思われます。それを惜しみなくイエス様に注いだのでした。
 イエス様は、もっと高価なものを私たちに注いでくださいました。それはご自分のいのちであり、それを十字架で注いでくださったのでした。それはマリヤのため、私たちのためにささげてくださったのでした。イエス様の十字架の死は、私たちを罪から、罪のさばきから救うための身代わりの死でした。
 イエス様は、「世界中のどこででも、福音が宣べ伝えられる所なら、この人のした事も語られて、この人の記念となるでしょう」とおっしゃいました。私たちも、マリヤの純粋な愛の行為を覚えて、またイエス様の十字架を覚え、感謝して歩みたいと思います。


ゆりのきキリスト教会テキスト礼拝説教2012年4月29日