ゆりのきキリスト教会テキスト礼拝説教2011年6月12日


2011年6月12日 主日礼拝説教
「麦は倉に納めなさい」(マタイの福音書13章24節〜30節、36節〜43節)

■はじめに

 イエス様は13章の最初に、種がまかれた地面のたとえを話され、私たちが良い地であり、そこにまかれた種は100倍、60倍、30倍の実を結ぶことをお話しされました。続けて今日の箇所も、同じように畑を使ったたとえ話です。

■畑にまかれた毒麦のたとえ

24イエスは、また別のたとえを彼らに示して言われた。「天の御国は、こういう人にたとえることができます。ある人が自分の畑に良い種を蒔いた。

 これは、天の御国はどのように実現していくかを示したたとえ話です。
 この世界が収穫の時と言われている神様のさばきを経て、新しい天と地、神様の御国がやってくることを教えています。
 良い種をまかれた畑に、人々が眠っている間に毒麦(食べられない麦)の種をまいていった人がいました。それは畑を任されているしもべの責任ではありませんでした。しばらくたって麦が芽生えてくると、その中に毒麦も交じっていることがわかりました。畑の管理を任されていたしもべたちは、どうしてそのようなことが起こったのかわかりませんでした。それで、ご主人のまいた種に毒 麦が交じっていたのか、それとも別の人がまいたのかを知りたいと主人に聞きました。

27それで、その家の主人のしもべたちが来て言った。『ご主人。畑には良い麦を蒔かれたのではありませんか。どうして毒麦が出たのでしょう。』

 主人はだれがやったのかご存じでした。「敵のやったことです。」しもべは、原因がわかったのですぐに次の手を打とうとしました。「では、私たちが行ってそれを抜き集めましょうか。」早ければ早いほど、小さいうちなら簡単に抜けるし、良い麦の生長も早いのです。
 ところが、主人の答えは意外なものでした。「収穫まで、両方とも育つままにしておきなさい。」毒麦を抜き取ろうとすると、良い麦も抜いてしまうかもしれないからです。たしかに、この毒麦と言われている麦は、育つ間は区別しにくく、穂が出ると良い麦よりひげが長くなり、しかも穂が黒くなって区別しやすくなるものでした。
 主人の「収穫まで、両方とも育つままにしておきなさい」ということばは、良い麦を思いやったことばでした。しかも収穫する人はしもべではありませんでした。麦を刈る人が遣わされるのです。

30だから、収穫まで、両方とも育つままにしておきなさい。収穫の時期になったら、私は刈る人たちに、まず、毒麦を集め、焼くために束にしなさい。麦のほうは、集めて私の倉に納めなさい、と言いましょう。』」

 しもべたちは、毒麦については心配しなくてもよくて、その責任は主人が負ってくださるのです。毒麦は集められ、束にされて焼かれます。そして、育った麦は、きちんと主人の倉に納められるのでした。

■たとえ話の説明

36それから、イエスは群衆と別れて家に入られた。すると、弟子たちがみもとに来て、「畑の毒麦のたとえを説明してください」と言った。

 さて、イエス様が人々にお話しされ家に入られました。弟子たちが先ほどの毒麦の話はどういう意味なのかお話しくださいと願いました。

37イエスは答えてこう言われた。「良い種を蒔く者は人の子です。38 畑はこの世界のことで、良い種とは御国の子どもたち、毒麦とは悪い者の子どもたちのことです。

 種をまいた者は「人の子」、イエス様であり、畑は「この世界」であり、良い種は「御国の子どもたち」、神の国に入る人たちであり、毒麦は「悪い者の子どもたち」、神の国に入れない人たちでした。

39毒麦を蒔いた敵は悪魔であり、収穫とはこの世の終わりのことです。そして、刈り手とは御使いたちのことです。

 毒麦をまいた敵は「悪魔」であり、収穫とは「この世の終わり」、最後の審判の時のことでした。また、遣わされる刈り手は「御使いたち」でした。
 畑をまかされたしもべたちは、特に明かされていませんが、「イエス様の弟子たち、みことばを伝えている者たち」でありましょう。
 人の子であるイエス様は、この世界に種をまき続けています。世界は神様の畑です。それで、実を結び、イエス様が救い主であると信じ、洗礼を受ける人が増え続けているのです。
 その一方で、悪魔が「悪い者の子どもたち」を増やそうと、これも種をまき続けています。この世界に教会が生まれ、人々が教会に加わるようにとイエス様が種をまき、悪魔は教会に敵対する者たちを作り続けているのです。

40ですから、毒麦が集められて火で焼かれるように、この世の終わりにもそのようになります。

 この世の終わりである収穫の時は、御使いが遣わされます。
 しかしそうであっても、しもべである弟子たちは、神様がこの世に毒麦を放置しておかれるのが理解できません。最後の審判を伝えるヨハネの黙示録にこのようなことばがあります。

ヨハネの黙示録6:9−10「9私は、神のことばと、自分たちが立てたあかしとのために殺された人々のたましいが祭壇の下にいるのを見た。10彼らは大声で叫んで言った。「聖なる、真実な主よ。いつまでさばきを行わず、地に住む者に私たちの血の復讐をなさらないのですか。」」

 その時の神様の答えが、「もう、しばらくの間、休んでいなさい」でした。毒麦をその時まで、そのままにしておくのがイエス様のみこころでした。
 それは神様にとって忍耐の時でもあります。神様は、みこころにかなう人が神様の前に帰ってくるのを待っているのです。イエス様は呼びかけています。

マタイの福音書11:28「すべて、疲れた人、重荷を負っている人は、わたしのところに来なさい。わたしがあなたがたを休ませてあげます。」

 もう一つは、私たちが人を見てさばく者にならないように、また恨みや復讐の思いを持つことのないように私たちを守るためでした。

ルカの福音書6:37「さばいてはいけません。そうすれば、自分もさばかれません。人を罪に定めてはいけません。そうすれば、自分も罪に定められません。赦しなさい。そうすれば、自分も赦されます。」

■倉に納められた麦

 良い麦であった者たちは、収穫されて倉に納められます。

43そのとき、正しい者たちは、彼らの父の御国で太陽のように輝きます。耳のある者は聞きなさい。

 倉に納められた人たちは「正しい者たち」と呼ばれていますが、それは自分で正しさをつかんだ人、正しく歩んだ人ではありません。イエス様の十字架を信じて、罪を赦された人たちです。彼らは正しくないにもかかわらず、神様から正しいと見られた人たちです。彼らは「父の御国で太陽のように輝く」のです。
 今日、洗礼式を行うことができました。イエス様がまかれた種が芽を出し、一つの良い麦が育ち始めました。
 神様が与えてくださった天の御国のひな型と言われている教会です。この世では悪魔の働きがありますが、神様が愛されている教会で、共に主にある兄弟姉妹として歩んでいきたいと思います。


ゆりのきキリスト教会テキスト礼拝説教2011年6月12日