ゆりのきキリスト教会テキスト礼拝説教2011年2月20日


2011年2月20日 主日礼拝説教
「十二使徒の任命」(マタイの福音書10章1節〜4節)

■はじめに

 「収穫は多いが、働き手が少ない。だから、収穫の主に、収穫のために働き手を送ってくださるように祈りなさい」と語られたイエス様は、その最初の働き手として12人の弟子たちを選ばれました。彼らは、これまでイエス様に呼ばれ、ついてきた者たちで、イエス様の教えを聞き、様々な奇蹟を身近で見てきました。いよいよ、イエス様の働きを受け継ぐ者として、イエス様ご自身が弟子たちに訓練と教育を施されることになるのです。

■呼び寄せられた弟子たち

1イエスは十二弟子を呼び寄せて、汚れた霊どもを制する権威をお授けになった。霊どもを追い出し、あらゆる病気、あらゆるわずらいをいやすためであった。

 イエス様は、改めて特別の目的のため12人を呼び寄せられました。彼らに今までイエス様が持っておられ悪霊を追い出す権威が与えられました。それは、イエス様が天に帰られた後、最初の数十年間、宣教のために必要となる力でした。
 ルカの福音書を見ると、12弟子を呼び寄せる前にイエス様は祈られました。

ルカの福音書6:12−13「このころ、イエスは祈るために山に行き、神に祈りながら夜を明かされた。夜明けになって、弟子たちを呼び寄せ、その中から十二人を選び、彼らに使徒という名をつけられた。」

 イエス様は、12人を選ぶ前に山に入り、一晩中神様に祈られたのです。

■ペテロ、アンデレ、ヤコブ、ヨハネ

2さて、十二使徒の名は次のとおりである。まず、ペテロと呼ばれるシモンとその兄弟アンデレ、ゼベダイの子ヤコブとその兄弟ヨハネ、3ピリポとバルトロマイ、トマスと取税人マタイ、アルパヨの子ヤコブとタダイ、4熱心党員シモンとイエスを裏切ったイスカリオテ・ユダである。

 12人の弟子たちは「十二使徒」という呼び名になりました。使徒とは遣わされた者という意味で、単なる弟子とは区別されることになります。
 「まず、ペテロと呼ばれるシモンとその兄弟アンデレ」。シモン・ペテロは「まず」とあるように、いつも使徒たちの第1に置かれました。本名はシモン、ペテロは岩という意味で、イエス様が付けられた呼び名です。しかし、イエス様の一番弟子、教会の土台となるはずのペテロは、イエス様が捕らえられた時、その岩のもろさを露呈してしまい、イエス様を3度知らないと言ってしまいました。しかしペテロは、イエス様の十字架の後、復活のイエス様に出会い、使徒たちの中心となって、残された弟子たちをまとめていくのでした。ペテロは、逆さ十字架によってローマで殉教したと言われています。
 2人目は、「その兄弟アンデレ」。アンデレは兄弟であったペテロをイエス様のところへ連れて行きました。

ヨハネの福音書1:40−42「(バプテスマの)ヨハネから聞いて、イエスについて行ったふたりのうちのひとりは、シモン・ペテロの兄弟アンデレであった。彼はまず自分の兄弟シモンを見つけて、「私たちはメシヤ(訳して言えば、キリスト)に会った」と言った。彼はシモンをイエスのもとに連れて来た。」

 アンデレは、ギリシヤでX型の十字架につけられたと言われています。X型の十字架をアンデレの十字架と呼ばれます。
 3人目と4人目は「ゼベダイの子ヤコブとその兄弟ヨハネ」。ペテロ、アンデレ、ヤコブ、ヨハネはガリラヤ湖の漁師出身です。
 ヤコブは、使徒の中で最初の殉教者となりました。

使徒の働き12:1−2「そのころ、ヘロデ王は、教会の中のある人々を苦しめようとして、その手を伸ばし、ヨハネの兄弟ヤコブを剣で殺した。」

 ヨハネは十二使徒のうち最も若い弟子で、最後まで生き延びて、ヨハネの福音書と3つの手紙、そしてヨハネの黙示録を書くことになります。

ヨハネの黙示録1:9「私ヨハネは、あなたがたの兄弟であり、あなたがたとともにイエスにある苦難と御国と忍耐とにあずかっている者であって、神のことばとイエスのあかしとのゆえに、パトモスという島にいた。」

 ヨハネは、地中海の孤島パトモスの牢獄から釈放されて後、エペソに行き、そこで死んだと言われています。

■ピリポ、バルトロマイ、トマス、マタイ

 5人目と6人目は「ピリポとバルトロマイ」。ピリポは、バルトロマイ(ナタナエルと呼ばれています)をイエス様のところに連れてきました。

ヨハネの福音書1:45「彼(ピリポ)はナタナエルを見つけて言った。「私たちは、モーセが律法の中に書き、預言者たちも書いている方に会いました。ナザレの人で、ヨセフの子イエスです。」」

 7人目と8人目は「トマスと取税人マタイ」。トマスは、イエス様が復活されて弟子たちの前に現れた時、ちょうどそこに居合わせなかったので、イエス様の復活を信じることができませんでした。

ヨハネの福音書20:24−25「十二弟子のひとりで、デドモと呼ばれるトマスは、イエスが来られたときに、彼らといっしょにいなかった。それで、ほかの弟子たちが彼に「私たちは主を見た」と言った。しかし、トマスは彼らに「私は、その手に釘の跡を見、私の指を釘のところに差し入れ、また私の手をそのわきに差し入れてみなければ、決して信じません」と言った。」

 トマスはインドに行って福音を伝え、インドで殉教したと言われています。
 マタイは、このマタイの福音書を書いた人であり、ローマの税金を徴集していた取税人でした。

■アルパヨの子ヤコブ、タダイ、熱心党員シモン、イスカリオテ・ユダ

 9人目と10人目は「アルパヨの子ヤコブとタダイ」。この2人については、聖書では特にふれてないので、どういう人だったか詳しいことはわかりません。
 11人目と12人目は、「熱心党員シモンとイエスを裏切ったイスカリオテ・ユダ」。
 熱心党とは、ローマと戦ってユダヤの独立を目指していた人たちです。
 イスカリオテ・ユダは、カリオテの人ユダという意味と思われます。ユダは、イエス様が裁判にかけられ十字架刑に処せられることになった時、ユダヤの祭司長たちに報酬の銀貨30枚を返し自殺してしまいました。

マタイの福音書27:3−5「そのとき、イエスを売ったユダは、イエスが罪に定められたのを知って後悔し、銀貨三十枚を、祭司長、長老たちに返して、「私は罪を犯した。罪のない人の血を売ったりして」と言った。しかし、彼らは、「私たちの知ったことか。自分で始末することだ」と言った。それで、彼は銀貨を神殿に投げ込んで立ち去った。そして、外に出て行って、首をつった。」

■選ばれた者たち

 このようにイエス様から選ばれて、いろいろな人たちが集められ、使徒となりました。
 多くの人の中からある人が神様から選ばれるという場面が聖書に出て来ます。たとえば、イスラエルの王様に選ばれたダビデです。神様は預言者サムエルにこう言われました。

サムエル記第1、16:1−12「あなたをベツレヘム人エッサイのところへ遣わす。わたしは彼の息子たちの中に、わたしのために、王を見つけたから。……わたしが言う人に油をそそげ。……わたしは、人が見るようには見ないからだ。人はうわべを見るが、主は心を見る。……さあ、この者に油を注げ。この者がそれだ。」

 お父さんのエッサイや、サムエルが見て、どうもこの人ではないだろうと思われた8番目の末っ子ダビデを神様は選ばれました。
 エレミヤという預言者にはこうおっしゃっています。

エレミヤ書1:5「わたしは、あなたを胎内に形造る前から、あなたを知り、あなたが腹から出る前から、あなたを聖別し、あなたを国々への預言者と定めていた。」

 神様の選びは、人の考えの及ばない不思議なこととしか言いようがありません。では、12使徒の選びはどうでしょうか。どうしてこれらの人たちが選ばれたのか、私たちの理解では推し量ることができません。イエス様は、使徒たちの選びについてこのようにおっしゃいました。

ヨハネの福音書15:16「あなたがたがわたしを選んだのではありません。わたしがあなたがたを選び、あなたがたを任命したのです。」

 多くの弟子の中から12人が選ばれました。それは、人間の目には隠された神様の選びでした。私たちの選びもそうでした。

イザヤ書43:4「わたしの目には、あなたは高価で尊い。わたしはあなたを愛している。」

 私たちは弱く愚かであっても、イエス様の目には私たちは高価で尊いのです。イエス様は私たちを愛しておられます。イエス様は私たちを愛するがゆえに、私たちの罪を赦そうと十字架にまでかかり、死んでくださいました。私たちも、イエス様が選んでくださった者、身近に置いてくださった者なのです。今日も私たちは、イエス様が選んでくださった、かけがえのないひとりひとりであることを覚えたいと思います。


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