ゆりのきキリスト教会テキスト礼拝説教2010年4月25日


2010年4月25日 主日礼拝説教
「主イエス・キリストに従う」(マタイの福音書4章18節〜25節)

■弟子を招く

 イエス様はカペナウムに移り、「17 この時から、イエスは宣教を開始して、言われた。「悔い改めなさい。天の御国が近づいたから」」と宣教を始められました。

18イエスがガリラヤ湖のほとりを歩いておられたとき、ふたりの兄弟、ペテロと呼ばれるシモンとその兄弟アンデレをご覧になった。彼らは湖で網を打っていた。漁師だったからである。

 ガリラヤ湖は魚のたくさんとれた漁業が盛んなところでした。そこにシモン、別名ペテロとその兄弟アンデレがいて網を打っていました。
 イエス様とペテロたちは初めて出会ったのではありませんでした。ヨハネの福音書1章にこう出ています。バプテスマのヨハネがイエス様を紹介したのです。

ヨハネの福音書1:40−41「40ヨハネから聞いて、イエスについて行ったふたりのうちのひとりは、シモン・ペテロの兄弟アンデレであった。41彼はまず自分の兄弟シモンを見つけて、「私たちはメシヤ(訳して言えば、キリスト)に会った」と言った。」

 この出来事があった後に、ペテロたちはガリラヤ湖に戻り、いつものように漁師をしていました。彼らはイエス様のことを知ったことは知ったでしょうが、何もかも捨ててイエスに従って行くまでには至らなかったのでした。
 そんな情況の中、そこで網を打っていたペテロとアンデレをイエス様が「ご覧に」なりました。「見る」ということばは、聖書のギリシヤ語には2つあって、ここは「じっと見る、鋭く見る、観察する」という意味が込められたことばです。
 神様が召し出そうとする時、まずその人を見てくださいます。そのまなざしをペテロたちも受けました。

19イエスは彼らに言われた。「わたしについて来なさい。あなたがたを、人間をとる漁師にしてあげよう。」

 主イエス様がペテロたちを招きました。一方的な招きです。すでにそう決めてあるから、そういう招きです。あとで、イエス様は弟子たちを前にして、そのことをこうおっしゃいました。

ヨハネの福音書15:16「あなたがたがわたしを選んだのではありません。わたしがあなたがたを選び、あなたがたを任命したのです。」

■人間をとる漁師になる

 「人間をとる漁師にしてあげよう。」ここは、ギリシヤ語原文で未来形が使われています。イエス様が未来の表現を使った場合は、それは確実なことなので、「あなたがたは人間をとる漁師に必ずなります」と言っているのです。すぐにではないが、あなたがたは人間をとる漁師に確実になるというのです。イエス様が選び、召し、呼び出してくださったからです。

20彼らはすぐに網を捨てて従った。

 「すぐに」。彼らは即座に従いました。「網を捨てて従った」のです。網は彼らの生活手段でした。彼らは、これからの自分たちの生活を気にしないで従いました。

マタイの福音書6:31−33「31そういうわけだから、何を食べるか、何を飲むか、何を着るか、などと言って心配するのはやめなさい。32……あなたがたの天の父は、それがみなあなたがたに必要であることを知っておられます。33だから、神の国とその義とをまず第一に求めなさい。そうすれば、それに加えて、これらのものはすべて与えられます。」

 彼らは、イエス様に従って行くという決断と、イエス様に対する信頼を、「網を捨てる」という行為で表しました。

■ヤコブ、ヨハネに対して

21そこからなお行かれると、イエスは、別のふたりの兄弟、ゼベダイの子ヤコブとその兄弟ヨハネが、父ゼベダイといっしょに舟の中で網を繕っているのをご覧になり、ふたりをお呼びになった。22彼らはすぐに舟も父も残してイエスに従った。

 今度は、ヤコブとヨハネの兄弟をご覧になって呼ばれました。ペテロたちは投げ網を打っているところでしたが、ヤコブ、ヨハネはすでに漁が終わり、「舟の中で網を繕って」いました。そこに声をかけられたのです。
 イエス様が召してくださる時はさまざまです。ペテロたちのように漁の真っ最中でも、ヤコブ、ヨハネたちのように「これからあれをしよう」と準備をしていた途中でも、すぐに立ち上がることができたのは、イエス様が選んでくださり、「ご覧になって」くださり、声をかけてくださったからです。
 ヤコブ、ヨハネは「すぐに舟も父も残して」従いました。ヤコブ、ヨハネは家族のことも神様に信頼してゆだねたのでした。

■イスラエルの全治に広まる

 残り3節は、イエス様がガリラヤでなさった活動のまとめの記述がなされます。

23イエスはガリラヤ全土を巡って、会堂で教え、御国の福音を宣べ伝え、民の中のあらゆる病気、あらゆるわずらいを直された。

 イエス様はカペナウムを中心として、ガリラヤの町々、村々を訪れ、そこにある会堂で説教をし、また会堂を離れて人々に直接お話しし、また奇蹟を行い、福音を広められました。それらを通して、イエス様が天から遣わされた救い主であることを示されました。
 このあと5章から7章に、そのお話しされたことが山上の説教としてまとめられ、8章、9章で10の奇蹟がまとめて記されます。その序文のような形になっています。

24イエスのうわさはシリヤ全体に広まった。それで人々は、さまざまな病気や痛みに苦しむ病人、悪霊につかれた人、てんかんの人、中風の人などをみな、みもとに連れて来た。イエスは彼らをいやされた。

 イエス様の活動のうわさは、ガリラヤの北、異邦人のシリヤ地方にも広がっていきました。イエス様のもとに「さまざまな病気や痛みに苦しむ病人」たちがやってきました。それらの人たちも、イエス様への信仰を表明していやされました。イエス様の活動は、まず人々への直接的な求めに答えるいやしから始まったと言えるでしょう。

25こうしてガリラヤ、デカポリス、エルサレム、ユダヤおよびヨルダンの向こう岸から大ぜいの群衆がイエスにつき従った。

 デカポリスはガリラヤ湖の南側地方、そして南の「エルサレム、ユダヤ」、東地方の「ヨルダンの向こう岸」からも人々が集まってきました。
 イエス様に呼ばれて、イエス様の弟子となったペテロたち、そしてその周りに集まってきてイエス様を信じ、イエス様につき従った大勢の群衆が対比されています。群衆の中のある者たちは、イエス様の教えを聞き奇蹟を見ても、いつも周辺にいた人たちでした。彼らは、最後に十字架につけられるイエス様を見放してしまう人たちでした。

■完成させてくださる主

 しかし、イエス様に呼ばれ弟子となった彼らとて、最後の最後まで、イエス様が十字架にかけられ、死んで3日目に復活されたイエス様にお会いするまで、イエス様のなさろうとしていることが理解できなかったのでした。
 たとえ話を聞いたあとも、

マタイの福音書15:15−16「15そこで、ペテロは、イエスに答えて言った。「私たちに、そのたとえを説明してください。」16イエスは言われた。「あなたがたも、まだわからないのですか。」

 奇蹟を見た後も、

マタイ16:9「まだわからないのですか、覚えていないのですか。五つのパンを五千人に分けてあげて、なお幾かご集めましたか。」

 しかし、どこまでもイエス様についていくことができたのは、彼らは確かにイエス様に選ばれ、イエス様から声をかけられたからでした。ペテロたちがイエス様について行きながら何度もつまずき、無知になろうとも何度も呼び出し、助け、励まして、確かにペテロたちを「人間をとる漁師」にしてくださったのです。
 私たちの信仰の歩みも同じです。いつも神様は声をかけてくださり、助けてくださるのです。神様が最初に私たちを選び、声をかけ、導いてくださいます。
 私たちも、イエス様の招きの声に従って信仰を与えられました。それは最後まで変わりません。ねんごろに私たちを取り扱ってくださるのです。それが神様のお約束です。

ピリピ人への手紙1:6「あなたがたのうちに良い働きを始められた方は、キリスト・イエスの日が来るまでにそれを完成させてくださることを私は堅く信じているのです。」

 それが神様の大きな恵み、それが神様のみこころです。そのことを覚えて、また今週も歩みたいと思います。


ゆりのきキリスト教会テキスト礼拝説教2010年4月25日