ゆりのきキリスト教会テキスト礼拝説教2009年11月22日


2009年11月22日 主日礼拝説教
「ナルドの香油をささげる」(マルコの福音書14章1節〜11節)

■はじめに
 14章から、イエス様の最後の3日間が語られます。火曜日は丸一日、イエス様は神殿で忙しく過ごされました。次々とやってくるユダヤ教指導者からの質問に答え、夕方には弟子たちに世の終わりのこと、イエス様ご自身の再臨について語られました。そして翌水曜日は、イエス様はベタニヤでゆっくりと過ごされたと思われます。

■祭司長、律法学者たちの思惑

1さて、過越の祭りと種なしパンの祝いが二日後に迫っていたので、祭司長、律法学者たちは、どうしたらイエスをだまして捕らえ、殺すことができるだろうか、とけんめいであった。2彼らは、「祭りの間はいけない。民衆の騒ぎが起こるといけないから」と話していた。

 過越の祭り、または種なしパンの祭りとも呼ばれていますが、祭りは木曜日の夕方から始まります。イスラエルの町々から、また地中海周辺からもユダヤ人たちがエルサレム神殿に集まってきます。その祭りが始まる2日前、「祭司長、律法学者たち」がイエスを捕らえ、殺すことを相談していました。
 彼らは、祭りの間に処刑を行いたくありませんでした。ところが、思いがけずユダの裏切りにより、イエス様を祭りの第1日目、木曜日の真夜中に捕らえ、翌金曜日に十字架で処刑することになるのでした。
 彼らの恐れていた群衆の騒ぎも、かえってユダヤ教指導者たちの扇動に彼らが簡単に乗ってしまい、イエス・キリストの処刑に賛同してしまうのでした。

■マリヤがナルドの香油をささげる

3イエスがベタニヤで、ツァラアトに冒された人シモンの家におられたとき、食卓に着いておられると、ひとりの女が、純粋で、非常に高価なナルド油の入った石膏のつぼを持って来て、そのつぼを割り、イエスの頭に注いだ。

 イエス様はベタニヤにおられた時のことです。これは、水曜日に起こった出来事ではなく、ヨハネの福音書12章によれば、過越の6日前の出来事となっています。時間的にはヨハネの書いたとおりと思われますが、ユダの裏切りと対比させるために、マルコはこの場面に置いたと言われています。
 そのとき、イエス様は「ツァラアトに冒された人シモンの家」におられました。ここに一人の女性が登場します。名前が書かれていませんが、ヨハネの福音書12章にはベタニヤのマリヤであったと記されています。
 「非常に高価なナルド油」はマリヤの全財産であったでしょう。彼女は、香油の入った石膏のつぼを割って、香油を全部イエス様の頭に注いでしまったのでした。香油は客を迎える時、あるいは埋葬の折、遺体に塗るために用いられました。
 マリヤは、イエス様への純粋な愛の気持ちから、どうしてもそうしたかったという思いからこのような行為をしたのですが、弟子たちはそのマリヤの気持ちがわかりませんでした。マリヤは黙って、香油を全部イエス様に注ぎました。イエス様も黙ってそれを受けられました。イエス様の頭、ひげ、胸、衣のすそ、足まで香油が流れ落ちました。マリヤは髪の毛でイエス様の足をぬぐいました(ヨハネ12章)。香りが部屋中に満ちました。突然弟子の声で静けさが破られます。

■弟子たちの反応

4すると、何人かの者が憤慨して互いに言った。「何のために、香油をこんなにむだにしたのか。5この香油なら、三百デナリ以上に売れて、貧しい人たちに施しができたのに。」そうして、その女をきびしく責めた。

 「何人かの者が」とありますが、マタイの福音書26章では「弟子たちはこれを見て、憤慨して言った」とあります。ヨハネの福音書では、イスカリオテ・ユダがこれを言ったと書かれています。ユダは弟子たちの会計係をしていました。マリヤがささげた香油がどのくらいの値段になるか、すぐ見積もることができたでしょう。自分がこの香油を預かって売れば、自分の懐にいくばくかのお金が残ると考えたかもしれません。
 1デナリは当時の1日の労賃でした。300デナリは1年分の給料に相当するでしょう。マリヤはそれを注いでしまいました。「何のために、香油をこんなにむだにしたのか」という非難は当然でした。彼らには、無意味な無駄な行為に思われました。
 これはマリヤに対する非難でありますが、イエス様にも向けられたことばでもありました。女のすることに何とも感じないのですか。女をたしなめようとしないのですか。それに対して、イエス様は、マリヤに代わって口を開かれました。

■埋葬の用意

6すると、イエスは言われた。「そのままにしておきなさい。なぜこの人を困らせるのですか。わたしのために、りっぱなことをしてくれたのです。7貧しい人たちは、いつもあなたがたといっしょにいます。それで、あなたがたがしたいときは、いつでも彼らに良いことをしてやれます。しかし、わたしは、いつもあなたがたといっしょにいるわけではありません。

 イエス様は、これは「わたしのため」にしてくれたことであるとマリヤを弁護されました。
 イエス様は貧しい人たち、困難な中にある人への心配り、施しの大切さをご存じでした。しかし今は、イエス様が間もなくこの世を去ろうとしている時でした。弟子たちが貧しい人に仕えることは、これからいくらでもできますが、イエス様に直接仕える機会はもはやなくなるのです。弟子たちは、このことに気づかなかったのでした。

8この女は、自分にできることをしたのです。埋葬の用意にと、わたしのからだに、前もって油を塗ってくれたのです。

 弟子たちは、イエス様に注がれた香油を無駄なことと見ましたが、イエス様は、それは埋葬の用意であったと言われました。犯罪人として処刑された者は、香油も塗られず、場合によっては野ざらしにされます。イエス様はご自分が死なれること、その体に塗る香油をマリヤがあらかじめ塗ってくれたというのです。
 マリヤはそこまで考えていなかったでしょう。マリヤは、純粋に、自分の持っているものをすべてイエス様にささげたかったのでした。イエス様に愛された気持ちを、自分の罪が赦されたその感謝の気持ちを精いっぱい表したかったのでした。それがこのナルドの香油をささげることでした。
 マリヤはイエス様への愛に、マリヤのできる最大のことをもって答えようとしました。イエス様がそれを受け止めてくださいました。それをりっぱなことをしてくれたと言ってくださいました。イエス様は、だれよりも深くマリヤの気持ちを理解してくださったのでした。

9まことに、あなたがたに告げます。世界中のどこででも、福音が宣べ伝えられる所なら、この人のした事も語られて、この人の記念となるでしょう。」

 それは、マリヤの行ったことに大きな意味があったからでした。これは、十字架と復活の前に、すばらしい埋葬の準備がなされたこととして伝えられていくのです。そして、この行為は福音を聞く人たちに、イエス様に祝福された女として記憶されていくのでした。

■ユダの裏切り

10ところで、イスカリオテ・ユダは、十二弟子のひとりであるが、イエスを売ろうとして祭司長たちのところへ出向いて行った。11彼らはこれを聞いて喜んで、金をやろうと約束した。そこでユダは、どうしたら、うまいぐあいにイエスを引き渡せるかと、ねらっていた。

 ユダは、こっそり抜け出して祭司長たちのところに訪ねました。なぜユダが裏切る者になったのでしょうか。救い主に対する期待が裏切られた。イエス様の言動が理解できなくなった。ユダに悪魔が入り、金銭に目がくらんだ、などさまざま考えられるでしょう。そのようなことから、ユダはイエス様を引き渡すチャンスをねらっていました。
 ユダは祭司長たちがイエス様を殺そうとしていたことを知っていました。ユダは交渉をし、銀貨30枚で話がまとまりました。それは奴隷一人の値段でした。ユダは銀貨を受け取り、イエス様を引き渡すチャンスを待つのでした。

■イエス様の十字架
 マリヤの行為は純粋な愛の心からのものでした。その純粋の愛は、イエス様が私たちに注いでくださった愛、この世に来られ十字架の死をもって私たちを救おうとされたイエス様の愛を思わせるものでした。
 マリヤは300デナリもの高価な香油をささげました。それは彼女が持っていた、彼女が蓄えていたものの全財産でした。それを惜しみなくイエス様に注いだのでした。イエス様はもっと高価なものを、ご自分のいのちを十字架で注いでくださいました。それはだれのためであったでしょうか。マリヤのため、私たちのためでした。
 イエス様の十字架の死は、私たちを罪から、罪のさばきから救うための身代わりの死でした。イエス様は、「世界中のどこででも、福音が宣べ伝えられる所なら、この人のした事も語られて、この人の記念となるでしょう」とおっしゃいました。私たちも、マリヤの純粋な愛の行為を覚えて、またイエス様の十字架を覚え、感謝して歩みたいと思います。


ゆりのきキリスト教会テキスト礼拝説教2009年11月22日