ゆりのきキリスト教会テキスト礼拝説教2009年2月15日


2009年2月15日 主日礼拝説教
「恐れないで、ただ信じていなさい」(マルコの福音書5章35節〜43節)

■はじめに、会堂管理者ヤイロ
 イエス様たちは、ゲラサ人の地から、また舟でガリラヤ湖を渡り、戻ってきました。そこにヤイロという「会堂管理者」がイエス様のもとにやってきました。

22すると、会堂管理者のひとりでヤイロという者が来て、イエスを見て、その足もとにひれ伏し、23いっしょうけんめい願ってこう言った。「私の小さい娘が死にかけています。どうか、おいでくださって、娘の上に御手を置いてやってください。娘が直って、助かるようにしてください。」24そこで、イエスは彼といっしょに出かけられたが、多くの群衆がイエスについて来て、イエスに押し迫った。

 「会堂管理者」とは、ユダヤ教の会堂にいて、礼拝を司式したり、聖書朗読者や説教者の指名なども行い、ユダヤ人社会にあっては人々から尊敬されている社会的地位のある人でした。その会堂管理者が、群衆の前でイエス様の「足もとにひれ伏した」のです。
 「私の小さい娘が死にかけています。」42節にあるように、少女は十二歳であり、ルカの福音書によれば、彼女は「ひとり娘」(8:42)でした。
 ヤイロは、ひとり娘が死にかかっているという現実に直面して、自分がどんなに無力か、地位や名誉が何にもならないことを知らされました。
 それでヤイロは、最後の望みをイエス様にかけました。イエス様が来てくださり、「娘の上に御手を置いて」くだされば治ると思ったのです。これは、ヤイロのイエス様に対する信仰の始まりでした。その願いを聞いて、イエス様はヤイロ一家の救いのためにヤイロの家に向かいました
 ところが、イエス様がヤイロの家に向かう途中で、12年も長血を患った女性がいやされるという出来事が起こりました。ヤイロにとっては一刻の猶予も許されないときに、イエス様は足を止められたのです。
 そこで長年、病に苦しんできた一人の女の人が救われました。しかしこの出来事は、死にかけているヤイロの娘にとって手後れとなりました。

■お嬢さんはなくなりました

35イエスが、まだ話しておられるときに、会堂管理者の家から人がやって来て言った。「あなたのお嬢さんはなくなりました。なぜ、このうえ先生を煩わすことがありましょう。」

 このことばを聞いて、ヤイロはいきなり、絶望の淵に突き落とされました。イエス様が来て娘に手を置いてくださるなら娘はいやされる。そう思ってイエス様の前にひれ伏したのに、こんなことになってしまった。ヤイロの最後の望みも絶たれました。今にもその場に倒れこみそうになるヤイロに、イエス様がことばをかけてくださいました。

36イエスは、その話のことばをそばで聞いて、会堂管理者に言われた。「恐れないで、ただ信じていなさい。」

 ヤイロは、イエス様のことばに身をゆだねました。イエス様のことばによって、イエス様への信仰が強められました。
 イエス様は、12弟子のうち、ペテロ、ヤコブ、ヨハネの3人だけを連れてヤイロの家に向かいました。

37そして、ペテロとヤコブとヤコブの兄弟ヨハネのほかは、だれも自分といっしょに行くのをお許しにならなかった。

 この3人だけが、特別にイエス様とごいっしょするのは、ここと、山上の変貌の時と、ゲツセマネの園の祈りの時の3回です。
 イエス様が会堂管理者の家に着かれると、泣き叫んでいる人たちがいました。イエス様は言われました。

39中に入って、彼らにこう言われた。「なぜ取り乱して、泣くのですか。子どもは死んだのではない。眠っているのです。」

 イエス様の希望と慰めのことばです。死とは、いずれ覚めるべきものとして教えておられるのです。死は眠りであり、再び目覚め、復活するのです。しかし、人々はそのことばをそのようには受け止めず、「イエスをあざ笑った」と書かれています。それもそうでしょう。確かに、娘は死んだのです。
 イエス様は人々を外に出し、子供の両親と、3人の弟子だけをつれて、子供のいる所へ入って行かれました。

41そして、その子どもの手を取って、「タリタ、クミ」と言われた。(訳して言えば、「少女よ。あなたに言う。起きなさい」という意味である。)42すると、少女はすぐ様起き上がり、歩き始めた。十二歳にもなっていたからである。彼らはたちまち非常な驚きに包まれた。

 「タリタ、クミ」。これは、イエス様たちが日常使っていたアラム語そのままです。居合わせたペテロがこのイエス様のことばを聞き、それをペテロの弟子であったマルコに伝え、マルコが福音書を書く時にこう記したのでしょう。
 「死んだのではない。眠っているのです」とおっしゃったイエス様のおことばは本当でした。「起きなさい」と言われて、死んでいた少女が生き返ったのです。歩き始めた少女を見て、非常な驚きが起こりました。

43イエスは、このことをだれにも知らせないようにと、きびしくお命じになり、さらに、少女に食事をさせるように言われた。

 それは、「死んだ人が生き返った」という評判が独り歩きし、誤った信仰と期待が広まることを恐れたからでした。
 イエス様は、神の国の宣教を開始されてから、弟子たちや押し寄せる群衆の前で、多くの奇蹟と不思議なわざをなさいました。けれども、一度死んでしまった人間を生き返らせたのは3人でした。そのうち二人はヤイロの娘とナインのやもめの息子(ルカ7章)であり、共に彼らはひとり子でした。そして、ベタニヤに住むラザロ(ヨハネ11章)です。ラザロは、その姉妹であったマルタ、マリヤとともにイエス様が愛していた兄弟でした。

■ヤイロの信仰
 この後のヤイロ一家について聖書は記しておりません。けれども、この日を境に、まったく違う人生が彼らの前に展開していったことは、間違いないでしょう。
 民衆の間でイエス様の評判は高まる一方でしたが、パリサイ人、律法学者たちの間では、伝統的なユダヤの教えの秩序を乱す危ない人物という見方がされ始めていたころでした。ヤイロは、そんなイエス様のもとへ行き、大勢の人の見ている前で自分を投げ出しました。会堂の仲間の目もあるかもしれない公の場で、そんなことをしたらヤイロは、自分の立場がどうなるのか。会堂管理者の職も危うくなるかもしれないということも顧みず、イエス様にとりすがったのでした。
 ヤイロはイエス様の懐へ、イエス様への信仰へと飛び込んでいきました。
 しかし、厳しい状況がヤイロには待っていました。娘が死んでしまったと聞いたのです。ヤイロの信仰が危うくなりました。
 しかし、この時「あなたのお嬢さんはなくなりました。なぜ、このうえ先生を煩わすことがありましょう」と言う使いのことばを、絶望の中に聞いているヤイロのそばにはイエス様がおられました。
 その時、イエス様は言われました。「恐れないで、ただ信じていなさい。」このことばでヤイロは、再び信仰によって立つことができました。その信仰をイエス様は認め、イエス様はヤイロの娘を生き返らせてくださったのです。
 ヤイロは、この日に聞いた、このイエス様の「恐れないで、ただ信じていなさい」というおことばは、ヤイロの生涯の間、いつでもヤイロの耳に、その心に響いてヤイロを支え、励まし、導いてくださったことでしょう。

■死は眠り
 もうひとつのイエス様のおことばを見ましょう。「なぜ取り乱して、泣くのですか。子どもは死んだのではない。眠っているのです。」ヤイロの娘は、このことばのとおり眠りから覚めるように、死からよみがえるました。
 イエス様は、ラザロが死んだ時に、姉妹のマルタに言われました。「わたしは、よみがえりです。いのちです。わたしを信じる者は、死んでも生きるのです」(ヨハネ11:25)。イエス様は、このおことばどおり、ラザロを生かし、ヤイロの娘を生かし、ナインのやもめの息子を生かし、そしてご自身も死からよみがえられました。
 イエス様は、死の眠りから目覚めさせてくださるお方です。それは、イエス様が来られる終わりの時の復活を待たなければなりませんが、その永遠のいのち、復活のいのちに生きる喜びは、信じた時に一部が与えられ、味わうことができるのです。それは、ひとりひとりがイエス様を信じた時に与えられた恵みです。
 イエス様は十字架にかかられ、私たちの罪を負い、それを贖って、3日目によみがえられました。復活されたイエス様を信じる私たちにとって、死は終わりではなくしばしの「眠り」なのです。
 イエス様はヤイロに「恐れないで、ただ信じていなさい」と言われました。「わたしを信じる者は死んでも生きる。」そのことばは、今日も、私たち一人ひとりにかけられているおことばです。


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