ゆりのきキリスト教会テキスト礼拝説教2008年12月28日


2008年12月28日 主日礼拝説教
「神の家族」(マルコの福音書3章31節〜35節)

■はじめに
 イエス様がカペナウムの家でお話しをしていた時に、イエス様の家族と、エルサレムから律法学者がやってきました。律法学者が、イエス様は「ベルゼブル」、悪霊のかしらに取りつかれているので悪霊を追い出すことができる、とイエス様を非難しました。
 それをきっかけにして、イエス様はどんな罪も赦されること、しかし「聖霊をけがす者」、聖霊の内なる声に耳を傾けない者は永遠に赦されないことを示し、律法学者に、イエス様が伝える福音のことばに素直に聞くように話されました。
 その時来ていた家族には、イエス様はどう対応されたのか。それが今日の箇所になります。

■イエス様の家族

31さて、イエスの母と兄弟たちが来て、外に立っていて、人をやり、イエスを呼ばせた。

 カペナウムの家にイエス様の家族が訪ねてきました。イエス様が「気が狂った」と教えてくれた人がいたので、心配でナザレから様子を見に来たのでした。

マルコの福音書3:21「イエスの身内の者たちが聞いて、イエスを連れ戻しに出て来た。『気が狂ったのだ』と言う人たちがいたからである。」

 来てみると、イエス様は大勢の人と食事もしないで話をし、律法学者たちと、悪霊を追い出すことについて激しいやり取りをしていました。
 家族の中に、イエス様のお母さんのマリヤもいました。マリヤは、イエス様の誕生前に、イエス様が神様から遣わされた救い主であることを知らされていました。マリヤは、イエス様が聖霊によって宿ったという奇蹟に直接かかわったのでした。イエス様の兄弟はともかくとして、マリヤはイエス様を信じていたと思います。マリヤは、子供たちから言われ、家族そろってナザレからカペナウムにやってきたのでしょう。
 兄弟たちは、イエス様が神の子であることを信じていませんでした。

ヨハネの福音書7:3−5「そこで、イエスの兄弟たちはイエスに向かって言った。『あなたの弟子たちもあなたがしているわざを見ることができるように、ここを去ってユダヤに行きなさい。……自分から公の場に出たいと思いながら、隠れた所で事を行う者はありません。あなたがこれらの事を行うのなら、自分を世に現しなさい。』 兄弟たちもイエスを信じていなかったのである。」

 これらイエス様の兄弟の名前がわかっています。

マルコの福音書6:3「この人は大工ではありませんか。マリヤの子で、ヤコブ、ヨセ、ユダ、シモンの兄弟ではありませんか。その妹たちも、私たちとここに住んでいるではありませんか。」

 イエス様には弟が4人、妹が何人かいました。父ヨセフの名前が出ていないので、ヨセフはすでに亡くなっていたと思われます。
 この時信じていなかった兄弟たちは、イエス様の復活後イエス様を救い主と信じるようになりました。このうちヤコブは最初のエルサレム教会の指導者となりヤコブの手紙を、ユダはユダの手紙を書いたと言われています。

■わたしの母、兄弟とはだれですか
 イエス様の家族が外にいて、家族が来ているので外に出てくるようにとイエス様に伝えました。

32大ぜいの人がイエスを囲んですわっていたが、「ご覧なさい。あなたのお母さんと兄弟たちが、外であなたをたずねています」と言った。

 イエス様は、外に家族が来ていることも知らず話を続けていました。そこに、家族からの伝言がイエス様のもとに届きました。周りの人は、それを聞いて静かになり、イエス様が通れるように人込みを開けたのではないかと思います。「イエス様、どうぞ家族に会ってください」と。そんな情景が想像できます。

33すると、イエスは彼らに答えて言われた。「わたしの母とはだれのことですか。また、兄弟たちとはだれのことですか。」

 取り次いだ人も、周りにいた人もびっくりしたでしょう。イエス様のことばは思いがけないものでした。そして、ご自分のまわりに座っていた人たち、言われました。

34そして、自分の回りにすわっている人たちを見回して言われた。「ご覧なさい。わたしの母、わたしの兄弟たちです。

■誤解されたことば
 聖書に、家、父母を捨てるという箇所がいくつかあります。

マルコの福音書10:29「イエスは言われた。『まことに、あなたがたに告げます。わたしのために、また福音のために、家、兄弟、姉妹、母、父、子、畑を捨てた者で、30 その百倍を受けない者はありません。今のこの時代には、家、兄弟、姉妹、母、子、畑を迫害の中で受け、後の世では永遠のいのちを受けます。』」

 今日の箇所や、これらの箇所によって、明治になってキリスト教が解禁になり、広まってきた時に、キリスト教は親を敬わない、家をないがしろにする。キリスト教は日本の教えに合わない宗教であると言われました。しかし、イエス様は、自分の家族を思う心にあふれていました。
 イエス様は、「あなたの父と母を敬え」という教えを守っていました。イエス様は、お父さんのヨセフの死後、一家の働き手の柱として、家業である大工の仕事をし、家族の生活を支えたと言われています。イエス様が十字架にかかられた時は、自分のいない後の母マリヤの行く末を心配して、弟子のヨハネにマリヤの老後を託したのでした。
 イエス様の教えは、喜ばしい教え「福音」でした。イエス様の福音によって、悲しみや憎しみが生じてくるようなものであったなら、それはイエス様が教えようとされた福音とは全く違ったものです。
 ここでイエス様がおっしゃりたかったのは、イエス様の弟子たちは互いに父母、兄弟姉妹の間柄のような関係になるということ。そしてイエス様は、互いに家族のように愛し、励まし、支え合うようにと教えたかったのでした。

■神のみこころを行う人
 それはどういう人なのでしょうか。

35神のみこころを行う人はだれでも、わたしの兄弟、姉妹、また母なのです。」

 イエス様は、「神のみこころを行う人」がそうだ、と言われました。
 神様のみこころ、神様の望んでおられることを行う人。それは神様が遣わされたイエス様を救い主として認め、イエス様に従おうとしている人たちです。
 イエス様は、霊的な家族関係を大切にするように教えたのでした。それは、地上で終わるものではなく、永遠に続くものだからです。
 この時イエス様は、外に立っている自分の兄弟たちに対して、傍観者のようにしているのではなく、この中に入って、神のみこころを行う人になるように、ここにいる人たちと信仰による兄弟姉妹となるようにと伝えたかったのでした。

■神の家族
 クリスチャンは「神の家族」であると言われています。

エペソ人への手紙2:19「こういうわけで、あなたがたは、もはや他国人でも寄留者でもなく、今は聖徒たちと同じ国民であり、神の家族なのです。」

 教会は、最初ユダヤ人を中心に始まりました。そこに、他国人とか寄留者と言われる異邦人たちが教会に加わってきました。そこに差別が生じました。
 人種の違いだけではなく、男女の差、貧富の差、社会的階級の差、当時は自由人と奴隷という階層が存在していました。教会内でもそのような差別があったことがコリント人への手紙第1、ガラテヤ人への手紙などから知ることができます。
 それに対してパウロは語りました。キリストが十字架によって、すべての罪、すべての敵意を廃棄してくださり、平和を与えてくださいました。私たちは、キリストの十字架によって罪赦され、神の国の民としていただきました。そして、神の国の民であると同時に、神の家族となったのでした。
 イエス様を信じる者たちは、その信仰によって、神様を「アバ、父」と呼ぶことができ、神に近づくことができるようになりました。ですから、神様を父と呼び合う者同士、クリスチャンは互いに兄弟姉妹というわけです。

■イエス様が長子
 また、イエス様が神の家族の長子であると言われています。

ローマ人への手紙8:29「なぜなら、神は、あらかじめ知っておられる人々を、御子のかたちと同じ姿にあらかじめ定められたからです。それは、御子が多くの兄弟たちの中で長子となられるためです。」

 ここで私たちは、あらかじめ神様に知られ、救いに定められていたことと、イエス様を神の家族の長子と仰ぎ、私たちが御子イエス様と同じ姿、イエス様に似るものとされていくことが語られています。
 私たちは、どの教会の信徒であっても、そのような神の家族、兄弟姉妹なのです。そのことを感謝します。クリスチャンは、神様のみこころによって召し出され、イエス様の十字架の福音を信じ、罪赦された同じ兄弟姉妹です。これからも、主にある兄弟姉妹として、共にゆりのきキリスト教会での交わりを続けていきたいと思います。


ゆりのきキリスト教会テキスト礼拝説教2008年12月28日