ゆりのきキリスト教会テキスト礼拝説教2008年5月18日


2008年5月18日 主日礼拝説教
「御霊の与える剣」(ルカの福音書22章35節〜38節)

■はじめに
 イエス様が聖餐式を制定された後、弟子たちに言われたことばが続いています。1つ目は24節からの「だれがいちばん偉いか」についての議論に対する「仕える人のようでありなさい」というおことばでした。次に、イエス様はシモン・ペテロに対して「あなたの信仰がなくならないように、あなたのために祈りました」とおっしゃいました。
 きょうは3つ目、最後のおことばになります。これはルカの福音書だけに記されていることばで、イエス様はこれから弟子たちが直面する苦難の時代に対する備えを言われました。

■何か足りないものがあったか

35それから、弟子たちに言われた。「わたしがあなたがたを、財布も旅行袋もくつも持たせずに旅に出したとき、何か足りない物がありましたか。」彼らは言った。「いいえ。何もありませんでした。」

 これは、イエス様が弟子たちを伝道に遣わされた時のことです。

ルカの福音書9:3−5「イエスは、こう言われた。「旅のために何も持って行かないようにしなさい。杖も、袋も、パンも、金も。また下着も、二枚は、いりません。どんな家に入っても、そこにとどまり、そこから次の旅に出かけなさい。人々があなたがたを受け入れない場合は、その町を出て行くときに、彼らに対する証言として、足のちりを払い落としなさい。」」

 この伝道旅行は、弟子たちの訓練のためでした。彼らは初めて出る伝道旅行に不安もあったでしょうが、イエス様のことばに励まされて伝道に出かけました。

ルカの福音書9:6「十二人は出かけて行って、村から村へと回りながら、至る所で福音を宣べ伝え、病気を直した。」

 そのときは、イエス様の言われたように、何の不自由もなく伝道旅行ができたのでした。

■剣を買いなさい
 しかし今は違う。これからは違う、と言われるのです。

36そこで言われた。「しかし、今は、財布のある者は財布を持ち、同じく袋を持ち、剣のない者は着物を売って剣を買いなさい。

 イエス様は、これからはいざという時の備えをするように言われました。それに伝道旅行の時にはなかった「剣」が加えられています。着物を売ってでも剣を用意しなさい。それほど時が緊迫しているのです。

37あなたがたに言いますが、『彼は罪人たちの中に数えられた』と書いてあるこのことが、わたしに必ず実現するのです。わたしにかかわることは実現します。」

 「剣」を用意しなければならない理由は、聖書のことばがイエス様の身に実現するからというのです。イエス様の生涯は、聖書の預言の実現で満ちています。イエス様がここで言われた聖書のことばは、イザヤ書53:12です。

イザヤ書53:12「それゆえ、わたしは、多くの人々を彼に分け与え、彼は強者たちを分捕り物としてわかちとる。彼が自分のいのちを死に明け渡し、そむいた人たちとともに数えられたからである。彼は多くの人の罪を負い、そむいた人たちのためにとりなしをする。」

 イザヤ書53章全体は、救い主が人々の罪を負って苦しみを受け、死ぬことになると預言しています。イエス様は、いま終わりの時に至って、イザヤ書のことばを引いて、ご自分がこの預言のとおり多くの人の罪を負って、罪人として数えられ、死んでいくことを明らかにされたのでした。

■弟子たちが差し出した二振りの剣
 それに対して弟子たちが答えます。

38彼らは言った。「主よ。このとおり、ここに剣が二振りあります。」イエスは彼らに、「それで十分」と言われた。

 弟子たちが、剣「二振り」を出して、「イエス様、安心してください。ここに剣があります」と言いました。イエス様は、それを聞いて「それで十分」と言われました。このイエス様のことばはどのようなニュアンスか、いろいろ想像できます。
 文字どおりの剣ととり、剣2本あれば、これから起ころうとすることに少しは役立つでしょう。また反対に、その剣でもいいが何の役にも立たないだろうと言ったとも考えられます。
 果たして、剣は文字どおりの剣であったでしょうか。
 弟子たちはイエス様のことばを理解できなかった。それでイエス様は、何もわからない弟子たちの決意の気持ちを受け入れ、本当の意味は、あとでわかるであろう、という思いをこめて「それで十分」と言われたのではないか。
 イエス様は、ご自分に対する危険が迫っていたのを知っておられました。このあと、イエス様が、ユダの手引きによって祭司長、長老たち、ユダヤ教指導者から遣わされた群衆によって捕らわれようとする時、ペテロは剣で、捕まえようとした一人に斬りつけ、右の耳を切り落とします。

ルカの福音書22:50−51「そしてそのうちのある者が、大祭司のしもべに撃ってかかり、その右の耳を切り落とした。するとイエスは、「やめなさい。それまで」と言われた。そして、耳にさわって彼をいやされた。」

 イエス様はペテロに、剣を使うことを「やめなさい」と言われました。マタイの福音書によれば、その時「剣をもとに納めなさい。剣を取る者はみな剣で滅びます」(26:52)とおっしゃっています。このようなイエス様のことばから「剣」は文字どおりの剣ではなく、霊的な意味でこれからの心構えをおっしゃったものと思われます。
 しかし、弟子たちはまだ、イエス様が十字架にかからなければならないことを、それを通らなければ人々の罪が(弟子たちの罪も)赦されることはないということを理解できなかったのでした。
 イエス様は、「『彼は罪人たちの中に数えられた』と書いてあるこのことが、わたしに必ず実現するのです」と言われました。それは、もう逃れようもない、父なる神様による永遠のご計画でした。イエス様は捕らえられ、さばかれ、罪人の一人のようになるのです。
 私たちは聖書によって、イエス様の十字架と復活を知らされていますので、イエス様が最後の最後で何を言おうとされたのか少しは理解できますが、切羽詰まった弟子たちには、何をどう考えたらいいのかわからなかったのでした。

■教会に対し
 イエス様はご自分が、十字架にかけられ、3日目に復活され、ペンテコステに弟子たちに聖霊が与えられ、教会が始まった後に来る患難の時代に対して備えをするようにとおっしゃったのでした。
 人々がイエス様だけではなく、弟子たちをも罪人(ざいにん)のように扱う時が来る。そのような苦難と迫害が起こった時につまずくことがないようにと、その時のために最後の晩餐の席で話されたことばが、ヨハネの福音書14〜16章にあります。

ヨハネの福音書16:1−4「これらのことをあなたがたに話したのは、あなたがたがつまずくことのないためです。人々はあなたがたを会堂から追放するでしょう。事実、あなたがたを殺す者がみな、そうすることで自分は神に奉仕しているのだと思う時が来ます。彼らがこういうことを行なうのは、父をもわたしをも知らないからです。しかし、わたしがこれらのことをあなたがたに話したのは、その時が来れば、わたしがそれについて話したことを、あなたがたが思い出すためです。わたしが初めからこれらのことをあなたがたに話さなかったのは、わたしがあなたがたといっしょにいたからです。」

ヨハネの福音書16:22「あなたがたにも、今は悲しみがあるが、わたしはもう一度あなたがたに会います。そうすれば、あなたがたの心は喜びに満たされます。そして、その喜びをあなたがたから奪い去る者はありません。」

ヨハネの福音書16:33「わたしがこれらのことをあなたがたに話したのは、あなたがたがわたしにあって平安を持つためです。あなたがたは、世にあっては患難があります。しかし、勇敢でありなさい。わたしはすでに世に勝ったのです。」」

 これがイエス様の弟子たちに対する気持ちでした。

■御霊の与える剣、神のことば
 終わりに、使徒パウロが、「御霊の与える剣」について言ったことばを見ましょう。

エペソ人への手紙6:14−17「では、しっかりと立ちなさい。腰には真理の帯を締め、胸には正義の胸当てを着け、足には平和の福音の備えをはきなさい。これらすべてのものの上に、信仰の大盾を取りなさい。それによって、悪い者が放つ火矢を、みな消すことができます。救いのかぶとをかぶり、また御霊の与える剣である、神のことばを受け取りなさい。」

 イエス様の弟子たちを迫害していたパウロは、天からの光とイエス様のお声によって一転、「イエスは神の子である」と宣べ伝える人になりました。そのために彼はひどい迫害を受け、死ぬような目にあわされながら信仰の戦いを続けました。そのパウロが「御霊の与える剣である、神のことばを受け取りなさい」と勧めています。
 私たちはイエス様の十字架によって罪を赦されました。私たちの霊は新しくされましたが、私たちの肉体はこの地上にある限りいろいろな誘惑や弱さを経験します。それらの誘惑や弱さに勝っていかれるよう、もし負けてしまってもまた立ち直ることができるよう、神様の御霊が私たちのために働いてくださいます。
 私たちがそのことを信じ、勇気と喜びをもって歩み続けるために「御霊の与える剣、神のことば」が私たちに与えられていることを感謝いたします。


ゆりのきキリスト教会テキスト礼拝説教2008年5月18日