ゆりのきキリスト教会テキスト礼拝説教2008年4月6日


2008年4月6日 主日礼拝説教
「十字架の道を歩まれるキリスト」(ルカの福音書22章1節〜13節)

■過越の祭りと種なしパンの祝い

1さて、過越の祭りといわれる、種なしパンの祝いが近づいていた。

 「過越の祭り」とは、昔、モーセに率いられたイスラエル人がエジプトを脱出する時に起こった出来事に由来しています。エジプトを脱出する最後の夜、主なる神様はイスラエルの民たちに、子羊を殺して、その血を二本の門柱と鴨居に塗るように命じました。それは、その夜、その血を塗ってある家の子供は助かり、そうでない家の長子が滅ぼされたからでした。神様が、そのイスラエルの家を過ぎ越されたのです。
 それは、イスラエルの神を信じないエジプトの民と、イスラエル人を去らせようとしないエジプト王パロへの刑罰でした。
 神様がイスラエルを守られ、エジプトを脱出させてくださったことを覚え、感謝するために、それから毎年、過越の祭りが行われ、そのとき記念の過越の子羊を食べるのです。
 「種なしパンの祝い」とは、過越祭りのあとの1週間、パン種を入れないパンを食べて、やはり出エジプトを覚え、感謝するお祝いです。
 出エジプトの時、パン種を入れてゆっくり膨らませて焼いたパンを食べている暇がなかったイスラエル人たちは、小麦粉と水を混ぜて焼いただけのパンを食べたことに由来しています。
 今、イエス・キリストは、この過越の祭りの巡礼者と共にエルサレムに来ておられます。イエス様は、ご自身が過越の子羊となるために歩んでいるのでした。
 出エジプトの時、子羊が殺され、それによってイスラエルの民たちが救われました。それは、イエス様が過越の子羊となって、イスラエルだけではない、全世界の人々が救われることを示していたのでした。

■ユダの裏切り
 そのようなとき、「祭司長、律法学者たち」は、イエス様を「殺すための良い方法」を模索していたのです。彼らも、神様の救いのご計画の御手の中にあったのでした。

2祭司長、律法学者たちは、イエスを殺すための良い方法を捜していた。というのは、彼らは民衆を恐れていたからである。

 過越の祭りには、イエス様を敬う多くの群衆が集まっていたので、「祭司長、律法学者たち」は、民衆を恐れ、騒動になることを恐れ、祭りの間は何もしないでおこうと考えていました。ところが、神様のご計画どおり、全人類のための過越の子羊として過越の祭りの時にイエス様が殺されることになっていくのです。
 イエス様の十二弟子のひとりであった「ユダ」がイエス様を裏切るという出来事から、神様のご計画は実現に向かって進んでいきました。

3さて、十二弟子のひとりで、イスカリオテと呼ばれるユダに、サタンが入った。

 「イスカリオテと呼ばれるユダ」は、会計を任されていたイエス様の側近でした。彼は、イエス様が一人になる場所、群衆にじゃまされないところの心当たりがありました。ユダは、イエス様がよく祈りに行かれるゲツセマネの園をねらっていたのでした。それで、ユダは、「祭司長たち」のところに行って、イエス様を捕らえる手引きをすることを約束するのでした。ユダは、銀貨30枚を受け取りました。それは、奴隷一人の値段でした。
 「イスカリオテのユダ」がなぜイエス様を裏切ることになったのか。そのことを知っていて、なぜイエス様はユダを十二弟子のひとりに選んだのか。それは答えることが難しい問題です。
 聖書には、親しい者がイエス様を裏切ることが預言されていました。ですから、すべての弟子たちに可能性があったと言えます。聖書の答えは、ただユダの心に「サタンが入った」からとあるだけです。サタンは、ユダの小さな油断と思いに、たくみに入り込んだのでした。
 一つだけ、それについて書かれています。ユダは会計係をしていました。ヨハネの福音書によれば、それを着服していたのでした。ユダは、お金がほしかったのです。しかしユダは、イエス様が十字架の刑にまで定められるとは思わなかったのです。ユダは、そのような成行きになったことに驚き、後悔して、銀貨30枚を祭司長に返し、自殺してしまうのです。
 そのほか、ユダがイエス様を裏切ったことについては、いろいろ理由があげられています。たとえば「イスカリオテ」は、カリオテの人という意味と言われています。すると、カリオテの人ユダはほかの弟子たち(北のガリラヤ出身)とは違って、南の地方の出身であった。孤立していたということが考えられます。あるいは、ユダが考えていた救い主のイメージと、イエス様が歩もうとしている救い主の道とは違っていたから、ということも考えられます。
 その理由はさまざま考えることができますが、ユダの心にサタンが入ったのです。その結果、私たちには理解できないほど悲劇的な破滅の道をユダは歩んでしまったのです。
 しかし、そのことも神様のご計画を実現するための一つの重要な出来事となったことを考えると、このユダの問題は、私たちには理解できない神様の神秘として、残しておくしかない問題だと思います。
 私たちは、いつもイエス様を見上げて歩みたいと思います。1か所だけ読んで次に進みます。

へブル人への手紙12:2「1信仰の創始者であり、完成者であるイエスから目を離さないでいなさい。イエスは、ご自分の前に置かれた喜びのゆえに、はずかしめをものともせずに十字架を忍び、神の御座の右に着座されました。」

 私たちは、このイエス様から目を離さないで歩み続けたいと思います。

■過越の食事の準備

7さて、過越の小羊のほふられる、種なしパンの日が来た。

 祭りの当日、十字架の前日になります。皆で過越を祝って、子羊の肉と、種なしパンを食べる場所が必要でした。そのほか必要なものをこれから買い集めなければなりませんでした。
 そこでイエス様が、その準備をするように「ペテロとヨハネ」を遣わされるのでした。

8イエスは、こう言ってペテロとヨハネを遣わされた。「わたしたちの過越の食事ができるように、準備をしに行きなさい。」

 「ペテロとヨハネ」はどこに準備をしたらよいか、イエス様に尋ねます。

10イエスは言われた。「町に入ると、水がめを運んでいる男に会うから、その人が入る家までついて行きなさい。

 町に行くと、水がめを持っている男がいて、その人が過越の食事の準備をしてある家まで案内してくれる。水がめは、その合図のしるしでした。男が水がめを持っているのはめずらしかったのです。水がめは、普通女の人が持って運ぶものでした。
 イエス様は、過越の食事ができるよう、頼んだ人と打ち合わせがしてあったと思われます。

11そして、その家の主人に、『弟子たちといっしょに過越の食事をする客間はどこか、と先生があなたに言っておられる』と言いなさい。12すると主人は、席が整っている二階の大広間を見せてくれます。そこで準備をしなさい。」

 弟子たちが出かけていくと、そのとおりでした。過越の食事をするところは、「二階の大広間」でした。水がめを持って案内した男も、「二階の大広間」の持ち主も、エルサレムにいたイエス様の弟子であったでしょう。この家は、エルサレム教会の有力な信徒になる、ヨハネ・マルコ(マルコの福音書を書いた)のお母さんの家とも考えられています。

■聖餐式の制定
 弟子たちが知らないうちに、すでにイエス様がこの広間を用意しておられました。それは、すでにユダヤ当局が「イエスを殺すための良い方法を捜していた」ことを、イエス様はわかっていたからでした。そこは、イエス様と弟子たちだけになる、最後の場所でした。祭司長たちが狙う場所の一つになるかもしれませんでした。また、ユダにも知られたくなかったのでした。ユダの裏切りもすでにイエス様はわかっていたのです。
 イエス様は、死を覚悟していました。これは最後の食事になるだろう。どんなに危険であっても、イエス様は、過越の食事を弟子たちとしたかったのです。イエス様には、この最後の過越の食事だけはどうしてもしなければならない理由があったのでした。

15イエスは言われた。「わたしは、苦しみを受ける前に、あなたがたといっしょに、この過越の食事をすることをどんなに望んでいたことか。16あなたがたに言いますが、過越が神の国において成就するまでは、わたしはもはや二度と過越の食事をすることはありません。」

 イエス様がなさろうとしたことは、後の教会のための聖餐式の制定でした。これから、イエス様がなそうとしている十字架による救いを、形をとおして教えようとされました。出エジプトの時、イスラエルの人々が、子羊の血を門柱と鴨居に塗ることにより、救われました。そして、それを覚えて、毎年、神殿で犠牲にされた子羊の肉と種なしパンを食べて、イスラエル人は過越の祭りとして最も大切な祭りを守ってきました。
 これからは、過越の子羊に代わって、神の子であるイエス様ご自身が犠牲の子羊になってくださろうとしています。そのことを覚えるため、過越の祭りに代わって、イエス様が去られてから始まろうとしている教会のために、世の終わりまで守るものとして聖餐式を定めてくださったのでした。聖餐式は、それほどイエス様が、これだけは伝えておきたいと残してくださった大切な式なのです。
 イエス様が復活されてから50日目、弟子たち一人一人に助け主である聖霊が神様から与えられたしるしが示されました。そのとき、ペテロの説教により、3千人の人が洗礼を受け、教会に加えられました。最初の教会が生まれました。

使徒の働き2:42「そして、彼らは使徒たちの教えを堅く守り、交わりをし、パンを裂き、祈りをしていた。」

 以来2000年、途絶えることなく、聖餐の式が教会で守られ、行われてきたのでした。今日、聖餐式が行われます。イエス様が私たちのために十字架で死んでくださり、イエス様の十字架によって私たちが罪から救われたことを覚え、感謝をささげる時となりますように。聖霊なる神様が私たちに働いてくださり、豊かな恵みを与えられますように。


ゆりのきキリスト教会テキスト礼拝説教2008年4月6日