ゆりのきキリスト教会テキスト礼拝説教2008年1月20日


2008年1月20日 主日礼拝説教
「私を救い出してくださる」(サムエル記第一17章)

■はじめに
 イスラエルの最初の王であったサウルは、アマレクとの戦いに出た時、「聖絶しなさい」と言われた神様の命令を実行しませんでした。このためにサウルは、神様から王として退けられました(15章)。
 神様が選んだ次の王は、少年ダビデでした。サムエルは、エッサイの家に行って、いちばん小さい末子のダビデに油をそそぎました。そのときダビデに神様の霊が激しく下ったとあります。しかし、なぜダビデに油をそいだのか、その意味はだれもわかりませんでした。
 一方のサウル王です。彼は精神的に不安定な状態になりました。そのために、ダビデがサウル王のもとに召し出されました。ダビデが立琴を引くことによって、サウルの病は回復しました。サウルが元気になるとダビデは家に帰り、羊飼いの仕事に戻るという生活がしばらく続いていました(16章)。
 ダビデはまだ、人々に知られていませんでした。サウルにとって、ダビデは時々自分の前に現れる、それも精神が不安定になった時にやってくる立琴奏者でしかありませんでした。
 そのようなとき、ダビデを一躍有名にする出来事が起こりました。ダビデが、信仰的にも力にもイスラエルの王としてふさわしい人物であることが明らかになる出来事でした。

■ペリシテとの戦いにゴリヤテが登場する
 イスラエルとペリシテとの新しい戦いが始まりました。両軍は、エラの谷を挟んで対峙しました。どちらかが仕掛けない限り状況は変わらない、こう着状況が続きました。
 そこにペリシテ側から「ゴリヤテ」という代表戦士が、一騎打ちをしようと出てきました。巨人でした。「背の高さは六キュビト半」、280センチ以上。50キロ以上のよろい、かぶと、すねあて、投げやりを持った完全装備です。槍の穂先だけで6キロはありました。ゴリヤテは、イスラエルからの代表戦士と勝負して、この戦いの決着をつけようとしました。
 ゴリヤテは、イスラエルに一騎打ちに応じる者はいないかと叫びました。「われと思わんものは、出て来い。おれと戦え。」自信にあふれ、ほえるような大声で挑発しました。それは、サウル王を愚弄し、イスラエルの神を愚弄するものでした。それを毎日。しかし、だれも応じる者はいません。それが40日間、6週間も続きました。

■ダビデ登場
 ここにダビデが登場します。3人の兄たちが、この戦いの最前線にいたのです。ダビデは、お兄さんに弁当を持って行くように、お父さんのエッサイから頼まれました。
 ダビデが陣営につき兄たちと話しているとき、ゴリヤテが出てきて、いつもの挑戦的なことばを言って立ちはだかっていました。

23ダビデが兄たちと話していると、ちょうどその時、ガテのペリシテ人で、その名をゴリヤテという代表戦士が、ペリシテ人の陣地から上って来て、いつもと同じ文句をくり返した。ダビデはこれを聞いた。

 「ちょうどその時」。これは、今までもたびたび出てきましたが、神様の導き、介入を意味することばです。神様がダビデの前にゴリヤテを示し、ダビデの働きを通して神様の栄光を現そうとしたのです。

■ダビデの怒り
 ダビデは、ゴリヤテのことばを聞いて怒りました。

26ダビデは、そばに立っている人たちに、こう言った。「このペリシテ人を打って、イスラエルのそしりをすすぐ者には、どうされるのですか。この割礼を受けていないペリシテ人は何者ですか。生ける神の陣をなぶるとは。」

 人間的にはゴリヤテの強さ、大きさが見えてしまいます。それに対して人々は恐れ、意気消沈してしまったのです。ダビデも、恐れがあったでしょう。しかし、ダビデは、ゴリヤテが「生ける神の陣をなぶった」ことを、もっと大きな問題としてとらえたのです。「イスラエルの神は生ける神である。」この信仰のゆえの怒りでした。
 ダビデは、だれであれ、神の民を侮辱する者と、神様ご自身を愚弄したことに対して許すことができませんでした。
 ゴリヤテに挑戦してもいい、というダビデのことばは、すぐにサウルに知らされました。サウルはダビデを呼び出しました。サウルは、それが自分のところに時々やってきて、立琴を弾いているダビデであることに気づいたはずです。
 ダビデは言います。

32ダビデはサウルに言った。「あの男のために、だれも気を落としてはなりません。このしもべが行って、あのペリシテ人と戦いましょう。」

 しかしサウルは、ゴリヤテとダビデの違いを語ります。ダビデはまだ若いし経験がない。ゴリヤテは若い時からの戦士。戦うのは無理だ、と。
 常識的な考え方です。しかし、ダビデは信仰を持つ者として、サウルに答えます。「私は、ゴリヤテを打ち破ることができる。」ダビデは、自信をもってサウルに告げます。ゴリヤテは「生ける神の陣をなぶった」。それが、ゴリヤテの敗北のしるしでした。

■ダビデの信仰
 ダビデは、今までの経験、神様がいたことをサウルに話します。神様は、ダビデの歩みの中で、羊を飼っているときに「獅子や熊」が襲ってきても、神様がそれを守ってくださった。神様は、自分に力を与え、「獅子でも、熊でも打ち殺す」ことができた、と。
 「私たちの神は生きておられる。」「ペリシテ人の手からも私を救い出してくださる。」これがダビデの信仰でした。人々は、ゴリヤテの大きさにおびえて、自分の神が侮辱されているのを黙っていました。神は生きておられる、神は救ってくださる、そのことを忘れてしまったのです。
 ダビデは、信仰だけで立ち上がり、ゴリヤテに立ち向かおうとしました。サウルの心は動きました。
 サウルはそのダビデのことばに、自分がかつて、神様の力をいただいて勝利したことを思い出したでしょう。サウルの最初の戦いはアモン人との戦いでした(11章)。イスラエルの神をそしるアモン人、襲われたヤベシュ・ギルアデの人たちの嘆きと悲しみ。それに対してサウルは立ち上がったのです。戦いに勝利したサウルは、その戦いは神様が救ってくださったから、と信仰を表明しました。しかし、その後サウルは、たびたびの戦いの中で神の助けを忘れ、自分の力を過信していったのでした。
 サウルは自分の病を、立琴をもっていやしたダビデに神様の御手を見たでしょう。サウルは、ダビデに戦うことを許します。「行きなさい。主があなたとともにおられるように。」ほかにだれも出て行かない。サウルはダビデの信仰に賭けたのです。

■ダビデの勝利
 サウルは、自分の「よろいかぶと」をダビデに与えました。しかし、歩いてみると身動きができません。ダビデはよろいかぶとを着けず、自分のやり方で戦うことにしました。使い慣れた武器を使うことにしました。
 ダビデは杖と石投げと石を川からいくつか拾い、それを袋に入れてゴリヤテの前に出ました。
 完全な防具で身を包んだ巨人のゴリヤテ。一方、全くの無防備に見える「若くて、紅顔の美少年」ダビデ。ゴリヤテも馬鹿にされたと思い、ダビデをののしります。

44ペリシテ人はダビデに言った。「さあ、来い。おまえの肉を空の鳥や野の獣にくれてやろう。」

 すごいことばです。ダビデはひるみません。

45ダビデはペリシテ人に言った。「おまえは、剣と、槍と、投げ槍を持って、私に向かって来るが、私は、おまえがなぶったイスラエルの戦陣の神、万軍の主の御名によって、おまえに立ち向かうのだ。

 ダビデがより頼むのは、「万軍の主の御名によって」です。ダビデはゴリヤテの前に進みました。
 神様はご自分の民に、ご自分が選び、愛している者に真実を尽くし、すべての恐れから守ってくださいます。神様が味方してくださるなら、だれが敵対できるでしょう。
 万軍の主がイスラエルを導いていることを、神様が生きておられることを、ゴリヤテに勝利することによって今日、「すべての国は、イスラエルに神がおられることを知る」ことになるのです。ペリシテ人だけではない。すべての国に「イスラエルに神がおられること」が明らかになるのです。
 これは、神様の栄光を現す戦いでした。ダビデは、その大胆なことばを、神様の導きによって言うことができました。
 ダビデは、「この戦いは主の戦いだ」と叫んで、ゴリヤテの前に進みました。ダビデの生意気なことばに怒り狂ったゴリヤテは、ダビデをひねり倒そうと仁王立ちになって襲ってきました。ダビデにしてみればすきだらけ、狙っている額は丸見えです。戦いは一瞬のうちに終わりました。

49ダビデは袋の中に手を差し入れ、石を一つ取り、石投げでそれを放ち、ペリシテ人の額を打った。石は額に食い込み、彼はうつぶせに倒れた。

 戦いはあっけなく終わりました。信仰によって立ち上がったときに、神様が解決を一気に与えてくださったのです。複雑な問題や、どうしてよいかわからない、困難な厚い高い壁にぶつかったとき、信仰によって立ち向かったときに、それがあっけなく消えて、思いがけない祝福、恵みを目の当たりにできるのです。
 ペリシテ人は、思いがけない展開に逃げ出しました。イスラエルの大勝利に終わりました。ダビデの勝利が「すべての国に、イスラエルに神がおられることを知らせた」のです。

■イエス様の十字架
 それから1000年後、同じように、ただ一人で敵に立ち向かったお方がおられました。本当は、私たちが立ち向かわなければならなかった敵、それを代わりに立ち向かってくださいました。その人は、「ベツレヘム人エッサイの子」ダビデの家系から生まれたイエス・キリストでした。
 イエス様は、捕えられ、十字架につけられてしまいます。人々からは、あれは神に捨てられたとののしられました。しかしイエス様は、十字架の上で勝利したことを、復活によって明らかにされました。
 私たちは、ダビデがゴリヤテに打ち勝ったように、そのお方のおかげで私たちの敵に勝利することができるのです。神様は「私を救い出してくださる」のです。

37「獅子や、熊の爪から私を救い出してくださった主は、あのペリシテ人の手からも私を救い出してくださいます。」

 「私を救い出してくださいます。」それはこの世を支配し、私たちを支配するサタンの力、そして私たちを縛っている罪の力からの救いです。
 ペテロの手紙第1、5:9に「堅く信仰に立って、この悪魔に立ち向かいなさい」とあります。
 「信仰に堅く立つ。」イエス様は私の罪のために十字架にかかってくださった。そのことを信じる信仰に立つのです。神が共にいてくださるという信仰。神が私を愛し、多くの恵みと祝福を与えくださっている信仰。その信仰に立つのです。そして、みことばと祈りの武器をいつも身につけておくようにと、教えられています。

エペソ6:17-18「救いのかぶとをかぶり、また御霊の与える剣である、神のことばを受け取りなさい。すべての祈りと願いを用いて、どんなときにも御霊によって祈りなさい。」

 「私を救い出してくださる」神様。その信仰に立って、私たちは歩みたいと思います。


ゆりのきキリスト教会テキスト礼拝説教2008年1月20日