ゆりのきキリスト教会テキスト礼拝説教2007年4月15日


2007年4月15日 主日礼拝説教
「ボアズとルツの結婚」(ルツ記4章)

■はじめに
 ルツとボアズの結婚には越えなければならない問題がありました。ボアズよりも近い親類がいたのでした。ボアズの買い戻しの権利は2番目でした。その親類がナオミの土地を買い戻すことになれば、ルツはその人と結婚しなければなりませんでした。
 次の日の朝、その話し合いをするために、ボアズはルツを家に帰し、自分はさっそく町へ出かけていきました。

■ボアズの交渉

1一方、ボアズは門のところへ上って行って、そこにすわった。すると、ちょうど、ボアズが言ったあの買い戻しの権利のある親類の人が通りかかった。ボアズは、彼にことばをかけた。「ああ、もしもし、こちらに立ち寄って、おすわりになってください。」彼は立ち寄ってすわった。

 門はイスラエルにとって市民生活の中心であり、そこでいろいろな公の集会や裁判が行われました。ボアズが門のところに座って間もなくして、ボアズがルツに話した親類が通りかかりました。
 「すると、ちょうど」。ここでも、ルツ記によく出てきた「ちょうど」ということばが出てきます。ルツ記全体を流れている神様の摂理、神様の導きの御手、神様のご支配を覚えます。
 親類の人はどこかへ出かけるところだったのでしょう。ボアズは彼に、出かけるのを少し待って、ここに来て座るように求めました。さらにボアズは、10人の長老を招いて、いっしょに座るように願いました。ボアズがあらかじめ頼んでおいた人たちでしょう。長老は裁判官の役目を負っていたのです。ボアズは、これから行われることの証人になってほしかったのでした。

3そこで、ボアズは、その買い戻しの権利のある親類の人に言った。「モアブの野から帰って来たナオミは、私たちの身内のエリメレクの畑を売ることにしています。

 ボアズは親類の人に話しかけます。「ナオミが持っている夫エリメレクの土地を売ろうとしています。もしそのままにしておいたら、その土地はほかの氏族のものになってしまいます。私たちは、親類の義務を果たさなければなりません。」
 そこでボアズは、その土地を私たちの親族の手に残るように、「あなたが買い取ってくださいますか」と提案します。「あなたは、第一の優先権を持っています。もし買わないのであれば私が買うつもりです。私の権利は2番目です。」
 この親類の人にとっては、悪くない提案でした。即座に計算し、今持っている資金でその土地を買うことができること、そしてその土地からの収穫物でそれを十分まかなうことができることがわかりました。彼は、「その土地を買い戻し、自分のものにしましょう」答えます。
 親類の返事を聞いたボアズは、その土地を買う者が負う、もう一つの義務について話します。「実は、その土地は、あなたがそのまま自分のものにできない土地です。」その土地を買った人は、土地と同時にナオミの嫁のルツ、しかもモアブ人であるルツと結婚し、生まれた子どもにルツの夫の名前を受け継がせなければならなかったのでした。必然的に年取ったナオミの扶養をすることになります。
 畑を買い戻すだけではなく、ルツと結婚しなければならないことを知ったその親類は、「その土地を買い戻すことはできません」と言います。彼は畑を買うことはできましたが、ルツと結婚し、ナオミの面倒を見ることは、経済的に不可能だったのでした。もしかして、自分の土地を売ることになるかもしれなかったのでした。彼は、持っていた権利を放棄することを宣言します。
 ここでルツ記の著者は、この当時に行われていた契約の方法を語ります。

7昔、イスラエルでは、買い戻しや権利の譲渡をする場合、すべての取り引きを有効にするために、一方が自分のはきものを脱いで、それを相手に渡す習慣があった。これがイスラエルにおける証明の方法であった。

 このルツ記が書かれたときには、(それは、ダビデ王の時代ではなかったかと思われます)その習慣はもうなくなっていたからでした。なぜはきものを脱ぐのか。靴を踏んでいるのは土地でした。「その土地をあなたにゆずります」の意味があったと思われます。
 それで、この親類は自分のはきものを脱ぎ、それをボアズに渡すことによって、その土地を買い戻す権利をゆずったことを表しました。

9そこでボアズは、長老たちとすべての民に言った。「あなたがたは、きょう、私がナオミの手から、エリメレクのすべてのもの、それからキルヨンとマフロンのすべてのものを買い取ったことの証人です。

 ボアズは、その門のところにいた人たちに確認します。そこにいたすべての人たち、長老たちが証人です。「私ボアズは、土地だけではない。ナオミの家族のすべての権利、ナオミの夫「エリメレク」、子どもたちの「キルヨンとマフロン」の権利すべてを買い取りました。その権利に伴う義務のゆえに、私はマフロンの妻であったルツと結婚します。それは外国の女、モアブの女です。私がモアブの女と結婚するのは、死んだ者の名をその相続地に起こすため、絶えさせないためです。」

11すると、門にいた人々と長老たちはみな、言った。「私たちは証人です。どうか、主が、あなたの家にはいる女を、イスラエルの家を建てたラケルとレアのふたりのようにされますように。あなたはエフラテで力ある働きをし、ベツレヘムで名をあげなさい。

 証人たちは祝福のことばを語ります。「喜んで、自分たちは証人になります。どうか新しくできる家庭が、ラケル、レアのようになりますように。」イスラエル12部族はみな「ラケルとレア」の子孫でした。

12また、主がこの若い女を通してあなたに授ける子孫によって、あなたの家が、タマルがユダに産んだペレツの家のようになりますように。」

 ペレツとは、18節の系図の先頭に出てきますが、ユダがタマルによって与えられた子どもで、ユダ族の2代目になった人でした。
 子孫が増えること、それはイスラエルの神様からの祝福でした。子どもたちは、主が与えてくださる神様からの賜物だからでした。生まれてくる子は、エリメレク家とボアズ家の相続人になります。ボアズとルツの新家庭が祝され、大勢の子どもたちに恵まれるようにと祝福したのでした。

■結婚と息子の誕生

13こうしてボアズはルツをめとり、彼女は彼の妻となった。彼が彼女のところに入ったとき、主は彼女をみごもらせたので、彼女はひとりの男の子を産んだ。

 多くの人の祝福の中、ボアズとルツは結婚しました。間もなくして子どもが与えられました。子を宿らせるのは神様です。ルツにとっても初めての子、男の子を産みました。
 さっそく、ナオミの友達であった女たちが、ナオミのところに来てお祝いを述べます。「主が、ほめたたえられますように。」彼女たちも、ボアズを婿に迎えたこの一連の出来事と、ルツが無事、男の子を出産したことの上に主の御手にあったことを覚えました。
 このような幸運が神様のお働きなしには起こらないことを彼女たちは知っていました。神様がすべての人の歩みと、ものごとすべてを治めておられ、そして神様がみむねが行われていくのです。

15その子は、あなたを元気づけ、あなたの老後をみとるでしょう。あなたを愛し、七人の息子にもまさるあなたの嫁が、その子を産んだのですから。」

 ナオミは生まれた初孫によって、将来に大きな喜びと希望を与えられました。生まれた子は「オベデ」と呼ばれました。「オベデはダビデの父エッサイの父」となったのでした。
 最後に18節以降、ペレツから始まって、ボアズ、オベデ、エッサイ、ダビデに至る10人の系図が載せられ、ルツ記は閉じられます。

■終わりに
 ルツ記全体を読んできて、皆さまはどのようなことを感じられたでしょうか。
 ルツ記は3人の主要人物、ナオミ、ルツ、ボアズそれぞれがとってもいい人たちでした。特に家族に対する思いやりが伝わってくるので、ルツ記を読んだあとに、さわやかな印象が残るのではないでしょうか。
 3人とも自分の意志を通そうとするのではなく、相手のことをおもんばかって、そして神様のみこころにすべてをゆだねて行動します。ナオミはルツの幸せを考えて結婚を勧めました。ルツはエリメレクの家系が絶えないように、またナオミの老後を見る人としてボアズと結婚することにしました。ボアズは、神様が定めた買い戻しの権利を持つ者として、忠実に実行しようとしました。そして、ナオミとルツの幸せを考えて、多くの犠牲を伴う結婚を選び取りました。
 そのような人たちだからこそ、神様はこの三人を選んだのでした。三人それぞれが主のみこころを求め、相手のことを第一に考えて行動した結果が、神様の救いのご計画の一端を担う者とされたのでした。神様はダビデ王の時代、ダビデに「あなたの子孫から救い主が生まれる」と約束してくださいました。そのダビデにつながる家系に、モアブ人ルツと再婚したボアズが入れられたのでした。ルツがモアブ人であったことも、神様の、すべての人に持っていらっしゃるあわれみの御心を覚えるのです。
 もう一つ、ルツ記には「買い戻し」ということばがたくさん出てきました。イスラエルでは、土地はその人のものではなく、神様から与えられたものであり、それを男の子孫が受け継ぐというかたちをとっていました。娘しかいない場合は、親族の中から結婚相手を選ぶことも規定されていました。子どもがいなければ、一番近い親類が買い取って、一族以外に土地が渡ることがないようにするのが決まりでした。
 ボアズよりも近い親類の人は、買い戻しの権利を放棄しました。しかしボアズは、自分の財産が損なわれるかもしれないけれども、買い戻しの権利を行使し、ルツへの愛、ナオミへの愛を全うしたのでした。
 この買い戻す者ということばは、「贖い主」ということばと同じです。ボアズがエリメレクとの土地とルツを買い戻したように、主イエス様は私たちを買い戻す者(贖い主)となってくださいました。神様は、罪によって見捨てられた者を買い戻し、ご自分の子としてくださるため、イエス・キリストを買い戻す者としてこの世に送ってくださいました。

ガラテヤ人への手紙4章「4しかし定めの時が来たので、神はご自分の御子を遣わし、この方を、女から生まれた者、また律法の下にある者となさいました。5これは律法の下にある者を贖い出すためで、その結果、私たちが子としての身分を受けるようになるためです。」

 イエス・キリストが私たちを買い戻すために支払った代価は、ご自分の命でした。それは、私たちへの愛のゆえでした。

エペソ人への手紙2章「4しかし、あわれみ豊かな神は、私たちを愛してくださったその大きな愛のゆえに、5罪過の中に死んでいたこの私たちをキリストとともに生かし、--あなたがたが救われたのは、ただ恵みによるのです--」

 そして、私たちは買い戻され、罪の赦しをいただいたのです。

コロサイ人への手紙1章「13神は、私たちを暗やみの圧制から救い出して、愛する御子のご支配の中に移してくださいました。14この御子のうちにあって、私たちは、贖い、すなわち罪の赦しを得ています。」

 ルツ記を通して、私たちは神様がナオミ、ルツ、ボアズを選び、神様のみこころがその選びの中でなされていくことを見ることができました。私たちも神様によって選ばれました。そして、イエス・キリストによって、買い戻された者たちです。
 私たちは今週も、神様への感謝をもって歩み出したいと思います。


ゆりのきキリスト教会テキスト礼拝説教2007年4月15日