ゆりのきキリスト教会テキスト礼拝説教2006年12月10日


2006年12月10日 主日礼拝説教
「おことばどおりこの身になりますように」(ルカによる福音書1章26節〜38節)

■はじめに
 先週は、バプテスマのヨハネの誕生の次第をご一緒に見ることができました。年老いたザカリヤとエリサベツ夫妻に、御使いのガブリエルがヨハネの誕生を告げたところをお読みしました。今日は、その続きのところ、26節から38節まです。
 この箇所は、「マリヤへの受胎告知」と言われているところです。ここの箇所を題材として、画家や音楽家が多くの作品を残しています。
 それでは、26節から、見ていくことにいたしましょう。

■ナザレ村のマリヤ

26ところで、その六か月目に、御使いガブリエルが、神から遣わされてガリラヤのナザレという町のひとりの処女のところに来た。
27この処女は、ダビデの家系のヨセフという人のいいなずけで、名をマリヤといった。

 ザカリヤに御使いが現れて、ヨハネの誕生を告げてから「六か月目」のことです。「御使いガブリエル」は、今度はガリラヤのナザレに住む「ひとりの処女」、マリヤのもとに遣わされたのでした。
 ガリラヤというところは、イスラエルにとっては田舎でありましたが、ナザレは、その中のさらに田舎と言っても言いような村でありました。
 マリヤはすでに婚約をしていました。相手の名はヨセフと言いました。同じナザレの村の人で、大工をしている人でした。二人とも、特にどうというわけではなく、普通に、静かに暮らしていた人たちでした。
 ただ、ヨセフの家系をずっとたどってゆくと、1000年前のダビデ王につながる人でありました。それとても、ダビデ王朝が滅びてからは600年近くたっていますので(日本で600年前というと室町時代になります)、ダビデの家系の人は数え切れないほどいたわけで、ヨセフが特別だということではありません。

■神からの恵み
 そのヨセフの婚約者であったマリヤに、御使いガブリエルが現れ話しかけます。

28御使いは、はいって来ると、マリヤに言った。「おめでとう、恵まれた方。主があなたとともにおられます。」

 マリヤは、当時のユダヤの女性の結婚年齢から推測すると、おそらく、15歳か16歳くらいの若い娘であっただろうと言われています。
 御使いガブリエルはマリヤの前に立ち、「おめでとう、恵まれた方。主があなたとともにおられます」と語りかけました。しかし、マリヤはそのことに、「ひどくとまどって、これはいったい何のあいさつかと考え込んだ」と「戸惑っている」マリヤに対して、ガブリエルはこのように続けます。

30すると御使いが言った。「こわがることはない。マリヤ。あなたは神から恵みを受けたのです。」

 神様の方からマリヤに「おめでとう」と声をかけてくださった。そして、「こわがることはない」と言ってくださり、あなたは恵まれた方、あなたは神様から恵みを受けたのです、とマリヤにと告げます。
 御使いガブリエルの「おめでとう、恵まれた方」、「あなたは神から恵みを受けたのです」ということばは、神様からの一方的な恵みと選びの宣言でありました。
 ナザレの村というのは、人々から「ナザレから何の良いものが出るだろう」と言われてしまうような小さな町でありました。そのような小さな田舎に住んでいた、年若い娘が神様から選ばれるという恵みをいただいたのでした。マリヤはたいそう戸惑いながらも、次々に語られる御使いのことばを聞きます。

31ご覧なさい。あなたはみごもって、男の子を産みます。名をイエスとつけなさい。
32その子はすぐれた者となり、いと高き方の子と呼ばれます。また、神である主は彼にその父ダビデの王位をお与えになります。
33彼はとこしえにヤコブの家を治め、その国は終わることがありません。

 救い主は、ダビデの子孫から生まれると預言されていました。マリヤもイスラエルの娘でした。いつの日か、イスラエルに救い主が来てくださるというお約束を知っていました。

■救い主が生まれる
 今、御使いのことばを聞きながら、神の時がついに満ちて救い主がやってくることを、しかも自分がその母となるように選ばれ、それが神様の恵みであることを、マリヤは一つ一つ理解していったのでした。
 マリヤも、旧約聖書に語られていること、不妊の女と言われていた人に子どもが与えられたということは知っていたでしょう。アブラハムの妻サラがそうでした。サラはイサクを生みました。サムエルを生んだハンナもそうでした。それらは、神様のなさった不思議なことでしたが、それにしても、処女がみごもるというような出来事は聞いたことがありません。また、すぐに信じられるようなことでもありません。
 マリヤはそのことを思って、驚きのことばを口にします。「どうしてそのようなことになりえましょう。私はまだ男の人を知りませんのに。」
 御使いは答えました。「聖霊があなたの上に臨み、いと高き方の力があなたをおおいます。」そして、生まれる子どもは、人の子であると同時に、「聖なる者、神の子と呼ばれるのです」。
 御使いは、マリヤをとおして聖なる者、神の子と呼ばれる方が生まれると告げたのです。そして、御使いは最後に、マリヤがこのことを信仰をもって受け入れることができるようにと、「神にとって不可能なことは一つもありませんと語るのでした。
 ここまで聞いてマリヤは、いま自分に告げられたことは、神様が自分を選んでなさろうとしていることであることを信じました。マリヤは、御使いのことばをそのまま受け入れて、自分の一生を神様にささげます、と告白したのでした。そのマリヤの信仰の告白が38節です。

38マリヤは言った。「ほんとうに、私は主のはしためです。どうぞ、あなたのおことばどおりこの身になりますように。」

 マリヤは「神にとって不可能なことは一つもありません」という御使いのことばをそのまま受け入れて、心にあった疑問や、不安や、恐れをすべて神様の御手にゆだねることができました。

■マリヤの信仰
 「ほんとうに、私は主のはしためです。」
 マリヤは、私は主の女奴隷ですという、へりくだったことばをもって主のみこころを受け入れました。これは、いかようにもなさってください。あなたに私自身をおささげいたします、というマリヤのすばらしい信仰告白でありました。
 さらにマリヤは、御使いのことばを聞き、「神様のおことばどおり、この身になりますように」、「神様の願われるように、神様のみこころのとおりになりますように」と言って受け入れたのです。
 いま御使いのことばのとおり、マリヤの胎に聖霊によって男の子が宿ろうとしていました。しかし、その赤ちゃんは、単なる人の子ではありませんでした。神が人となって生まれるというのです。マリヤの胎に、無限なる神様が、小さな赤子となって宿りたもうのです。
 このことはどう考えたらいいでしょうか。
 罪と悪に満ちたこの世界に、神様がその御ひとり子を人間の赤子として生まれさせる。このイエス様の誕生は、私たち人間の罪を赦し、私たちを神の子としてくださるための、神様のご計画の中にありました。そのために、イエス様は、罪のないお方として生まれるためには、聖霊によって、処女マリヤの胎に宿らなければならなかったのでした。その罪なきイエス様が人としての生涯を歩み、最後に十字架につけられ、その身代わりの死によって私たちの罪が赦されることが、神様のみこころでありました。
 マリヤを支えたのは神様からのことばでした。
 マリヤは、「どうしてそのようなことになりえましょう」と迫りましたが、御使いの「神にとって不可能なことは一つもありません」という、おことばを信じ、「ほんとうに、私は主のはしためです。どうぞ、あなたのおことばどおりこの身になりますように」 と告白したのであります。
 10代半ばの娘が、これから自分でもどうなるかわからない状況を受け入れることができた。もしかしたら、世間からうしろ指を指されるかもしれない。婚約者のヨセフはどう思うだろう。
 しかし、マリヤは「神にとって不可能なことは一つもありません」というおことばに従って、自分は主のはしため、主にお仕えするだけの者である、主におまかせいたします、と神様にすべてをゆだねたのでした。
 それがマリヤの信仰でした。
 このマリヤの口を通して語られた信仰の告白が、後のクリスチャンをかたく立たせ、キリストの教会を建て上げていきました。
 このルカの福音書が書かれた時代、それはクリスチャンに対する迫害が激しく起こっていたころでありました。激しい迫害の中にあって、彼らは「どうぞ、あなたのおことばどおりこの身になりますように」というマリヤの信仰に励まされ、力を与えられました。
 マリヤの胎に子が宿ったとき、マリヤは先週お話ししたエリサベツを尋ねます。エリサベツも御使いのことばのとおり、バプテスマのヨハネの母になろうとしていたのでした。そして、マリヤは「マグニフィカト」と呼ばれる有名な賛美を歌います。
 1章46節からのところです。きょう、招きのことばで読みました。

46マリヤは言った。「わがたましいは主をあがめ、
47わが霊は、わが救い主なる神を喜びたたえます。
48主はこの卑しいはしために目を留めてくださったからです。ほんとうに、これから後、どの時代の人々も、私をしあわせ者と思うでしょう。

 御使いガブリエルは、生まれてくる子に名を「イエス」とつけなさいと言いました。「イエス」とは、「主は救い」という意味であります。その救い主が、クリスマスに生まれたのであります。
 私たちは、イエス様の誕生、救い主の誕生を祝うクリスマスを迎えようとしています。
 今日は、「ほんとうに、私は主のはしためです。どうぞ、あなたのおことばどおりこの身になりますように」と告白したマリヤの信仰によって、神のひとり子、罪なき人としてお生まれになったイエス・キリストによって私たちが救われるという神様のご計画が始まったことを覚えたいと思います。そして共に、今週アドベントの第2週を過ごしたいと思います。


ゆりのきキリスト教会テキスト礼拝説教2006年12月10日