ゆりのきキリスト教会テキスト礼拝説教2006年6月18日


2006年6月18日 主日礼拝説教
「主はいつくしみ深い」(エズラ記3章)

■はじめに
 エズラ記1章には、神様がペルシャの王クロスの心を動かし、捕らえられていたイスラエルの民が、神殿を再建するために、エルサレムに帰ったことが書かれていました。
 70年前にさかのぼりますが、バビロニヤがユダの国に攻め入り、ユダの国は滅ぼされてしまったのでした。それは、預言者たちが再三忠告したにもかかわらず、神様を忘れ、偶像礼拝に陥ってしまったユダの国へのさばきでもあったのでした。
 戦争に負けたユダの国の主だった人たちが、バビロニヤの首都であったバビロンに連れて行かれてしまったのでした。そのバビロニヤが滅ぼされ、今度はペルシヤの国になったのです。そのペルシヤの最初の王であったクロス王から、補囚になっていたイスラエル人たちに自分の国に帰ってもよいという命令が下ったのでした。

■補囚から帰った人たち
 クロスの命令に立ち上がった人々は、主の霊に奮い立たされた人々でした。彼らは喜び勇んでエルサレムに帰っていきました。その帰った人々がどのような人たちであったか、それがエズラ記2章に書かれている人たちでした。
 2:1-2を読んでみましょう。

1バビロンの王ネブカデネザルがバビロンに引いて行った捕囚の民で、その捕囚の身から解かれて上り、エルサレムとユダに戻り、めいめい自分の町に戻ったこの州の人々は次のとおりである。2ゼルバベルといっしょに帰って来た者は、ヨシュア、ネヘミヤ、セラヤ、レエラヤ、モルデカイ、ビルシャン、ミスパル、ビグワイ、レフム、バアナ。イスラエルの民の人数は次のとおりである。

 ここには、エルサレムに帰った人たちがどういう人たちであったかが、書かれています。以下、部族ごと、祭司やレビ人など神殿に仕える人々、また奴隷など、総計5万人近くの人たちが自分の国に帰って行ったのであります。2:64-65です。

64全集団の合計は四万二千三百六十名であった。65このほかに、彼らの男女の奴隷が七千三百三十七名いた。また彼らには男女の歌うたいが二百名いた。

■仮庵の祭を祝い、祭壇を築く
 それでは3章に入っていきましょう。

1イスラエル人は自分たちの町々にいたが、第七の月が近づくと、民はいっせいにエルサレムに集まって来た。

 イスラエルの暦の「第七の月」は、今の太陽暦では9月から10月の時期にあたります。捕囚から帰って来た年の第7の月。これは歴史上の出来事として、いつであったかが分かっています。紀元前537年の9月か10月ごろのことです。
 その日、イスラエルの人々は、「いっせいにエルサレムに集まって来ました」。仮庵の祭が始まると、人々は草木で造った小屋に7日間住んで、毎日、神様に感謝のいけにえをささげることになっていました。「仮庵の祭り」は、イスラエル人たちがかつて出エジプトをした時に、荒野で神様の守りの中に過ごしたことを忘れないためのものでした。
 捕囚から帰って来た「イスラエル人」たちは、「いっせいにエルサレムに集まって来ました」。皆の心が一つにされ、心を動かされ、神様に礼拝をささげるためにエルサレムに集まってきました。彼らは、何をさしおいても、まず神様を礼拝するという、その目的のために集まって来たのです。
 この「いっせいに」ということばは、「ひとりの人のようになって」ということばで表現されています。
 神の民が「ひとりの人のようになって」礼拝する。皆がひとりの人のように礼拝する、その強さ、美しさを見ることができます。教会の交わりも同じです。「ひとりの人のように」「心を一つにして」、その交わりが築かれていきます。
 そのことは、6月4日のペンテコステの礼拝のときに、最初の教会の人々がみな心を一つにして集まっていた。そして、それを見た人たちが教会の交わりに加わってきた、ということをお話ししました。
 この仮庵の祭を指導したのが、大祭司「ヨシュア」と、ユダの総督「ゼルバベル」でした。

2そこで、エホツァダクの子ヨシュアとその兄弟の祭司たち、またシェアルティエルの子ゼルバベルとその兄弟たちは、神の人モーセの律法に書かれているとおり、全焼のいけにえをささげるために、こぞってイスラエルの神の祭壇を築いた。

 彼らは、仮庵の祭を祝うために集まってきたのですが、まず初めに神様を礼拝するための「祭壇を築きました」。どの地にあってもまず祭壇を築き、そこで神様に礼拝をささげる、という神の民の姿を示したのでした。このことは、私たちにも言えることです。どこに行ってもまず神を礼拝するという姿勢を大切にしたいと思います。
 またもう一つは、3節にあるように、「回りの国々の民を恐れていた」からでした。帰国したばかりのイスラエルの民には、周辺の国々から何をされるかわからない、という強い緊張感がありました。ですからイスラエルの人たちは、なおさら神様をあがめ、神様の御力に頼る必要があったのです。
 彼らは、神様を礼拝する祭壇を築きました。そこは、かつてソロモンの神殿があったところでした。簡単な祭壇が築かれ、モーセの律法に書かれているとおり、朝夕に全焼のいけにえをささげました。そのほか、月の初めにささげる「新月の祭りのいけにえ」と、「主の例祭」のたびにささげるささげ物をその祭壇の上でささげました。そのほか、民たちが、折りにふれて感謝を表すための「喜んで進んでささげるささげ物」を主にささげました。
 このようにイスラエルの人々は、規則正しく神様を礼拝することを始めました。いま私たちも、同じように規則正しく神様を礼拝するために、教会に集まっています。
 新約聖書ヘブル人への手紙10:25にこのようなみことばがあります。いっしょに励まし合って、集会を続けるようにということばです

25ある人々のように、いっしょに集まることをやめたりしないで、かえって励まし合い、かの日が近づいているのを見て、ますますそうしようではありませんか。」

■土台が据えられるまで
 さて祭壇がつくられ、そこで全焼のいけにえがささげられるようになりましたが、神殿の礎、土台はまだ据えられていませんでした。
「主の宮を建てる」ためにバビロンから帰ってきた民でしたが、すぐに神殿を建て始めたのではなく、さらにそれから半年間は準備の時にあてられました。
 その準備とは、神殿工事のための資材の手配でした。材料が、次々と運び込まれてきます。そしていよいよ工事が開始されます。8節です。

8彼らがエルサレムにある神の宮のところに着いた翌年の第二の月に、シェアルティエルの子ゼルバベルと、エホツァダクの子ヨシュアと、その他の兄弟たちの祭司とレビ人たち、および捕囚からエルサレムに帰って来たすべての人々は、主の宮の工事を指揮するために二十歳以上のレビ人を立てて工事を始めた。

 「神の宮のところに着いた翌年の第二の月」、いよいよ神殿工事が開始されました。彼らの喜びはどんなに大きかったことでしょうか。
 私も調布南教会にいたとき、新しい会堂を建てるという経験をさせていただきました。家が近かったものですから、それこそ毎日のように通って、進み具合を見に行ったことを思い出します。
 神殿の基礎工事が終わった時、感謝の定礎式が行われました。定礎式の時に、バビロンから帰ってきた人々のうち、神殿に仕える、祭司たち、歌うたいたちが奉仕をしました。

10建築師たちが主の神殿の礎を据えたとき、イスラエルの王ダビデの規定によって主を賛美するために、祭服を着た祭司たちはラッパを持ち、アサフの子らのレビ人たちはシンバルを持って出て来た。

 「ラッパ」や「シンバル」を持った合唱隊が組織されていたことが分かります。

11そして、彼らは主を賛美し、感謝しながら、互いに、「主はいつくしみ深い。その恵みはとこしえまでもイスラエルに」と歌い合った。こうして、主の宮の礎が据えられたので、民はみな、主を賛美して大声で喜び叫んだ。

 合唱隊は「主はいつくしみ深い。その恵みはとこしえまでもイスラエルに」と歌い交わしました。
 そのように歌った賛美が、いくつかの詩篇に残されています。たとえば、今日の招きのことばで読みました118篇です。

1主に感謝せよ。主はまことにいつくしみ深い。その恵みはとこしえまで。2さあ。イスラエルよ、言え。「主の恵みはとこしえまで」と。」

 合唱隊が歌うとき、そのリードに従い、会衆はその賛美を聞きながら、それに合わせて一体となって歌い、繰り返し斉唱をしました。
 交読文で読みました詩篇136篇も、そのように歌われた詩篇です。

1主に感謝せよ。主はまことにいつくしみ深い。(と初めに合唱すると、次に、それに答えて)その恵みはとこしえまで。(と会衆が答えるのです。同じように)2神の神であられる方に感謝せよ。(と合唱隊が歌うと)その恵みはとこしえまで。(と、このフレーズが繰り返し繰り返し歌われていきます)

 先ほど、神の民が「ひとりの人のようになって」礼拝する。「皆がひとりの人のように行動する、その強さ、美しさを見ることができる」とお話ししましたが、ここでは、共に賛美する美しさです。「民はみな、主を賛美して大声で喜び叫んだ」のでした。彼らは賛美をもって、あふれる喜びを表しました。
 国が滅び、民たちは捕囚にあい、神様の愛と恵みが失われてしまったと思えるような絶望から救い出されて、このように祖国に帰ることができ、もう一度神様を礼拝することができるようになったという、喜びの賛美でした。

■2種類の叫び声
 民の声は大きく張りあげられましたが、それには2種類の声がありました。

12しかし、祭司、レビ人、一族のかしらたちのうち、最初の宮を見たことのある多くの老人たちは、彼らの目の前でこの宮の基が据えられたとき、大声をあげて泣いた。一方、ほかの多くの人々は喜びにあふれて声を張り上げた。

 1つは「多くの老人たち」の声でした。彼らがバビロンの地に捕囚として連れて行かれる時はまだ少年であったでしょうが、ソロモンの建てた神殿を見たことのある人たちでした。
 ソロモンの神殿は、その内部を金で張りめぐらされた豪華なものでした。政治的にも、経済的にも、絶頂期にあったソロモンが最高の材料を使って建てた神殿と、捕囚から帰って来た民が精いっぱいのささげ物で建てようとする神殿とは比較にならなかったでしょう。
 老人たちは昔を思い出して、建てようとしている神殿のあまりのみすぼらしさに、大声を上げて泣きました。
 しかし、その涙は悲しみばかりではなく、苦しい捕囚時代を耐え抜いて、ここまで導かれて来ることができたという安堵と感謝の涙でもあったでしょう。
 一方、若者たちは、「喜びにあふれて声を張り上げました」。彼らは過去の栄光を知らなかったのでしょうが、これから行われようとする神様のみわざを思って、希望と喜びの声をあげたのでした。
 老いも若きもそれぞれが、その思いや感動の表現は違っているかもしれませんが、みな「主を賛美して大声で喜び叫んだ」のでした。 こうして、神殿の礎が据えられて喜びの叫び声と泣く声とが入り交じって、それらの声は大きく、遠くまで響き渡りました。

■まとめ
 イスラエルの人たちは、このとき神様の恵みをもう一度思い出すことができました。
 仮庵の祭では、先祖たちがエジプトから解放され、神様の守りの中で過ごしたことを思い出すことができました。
 また、神殿の礎を築くことができ、かつてソロモンの時代に、神様が特別にイスラエルの国を祝福し、すばらしい神殿を建てさせてくださったことを思い出す時となりました。
 彼らは、「その恵みはとこしえまでも変わらない」と感謝して、賛美をささげることができました。
 先週、横浜山手キリスト教会から創立50周年の記念文集が送られてきました。その前には、海浜幕張めぐみ教会から創立5周年の文集も届きました。それらの教会は、今までの歩みを感謝し、「その恵みはとこしえまでも変わらない」と賛美した集会を持ったのでした。私たちも、いつか、そのような記念集会を、1年後、5年後、10年後、50年後にもちたいものであります。
 先週から、教会案内を配布し始めました。そこに、このような牧師からのご挨拶を書かせていただきました。「ゆりのき台の皆さま、こんにちは。ゆりのきキリスト教会の牧師、小町誠一です。私は中学生のとき、はじめて教会に行き、高校生のとき、イエス・キリストを信じて、クリスチャンになりました。」
 この案内をつくりながら、私はもう一度、救われたことを思い出すことができ、「神様の恵みは今も変わらない」ということを覚える機会となりました。
 クリスチャンである皆さんも、イエス・キリストの十字架が、自分の罪のためであったことを信じ、救いをいただいた時があったと思います。それはまさに、「あなたがたは、恵みのゆえに、信仰によって救われたのです。それは、自分自身から出たことではなく、神からの賜物です。行いによるのではありません。だれも誇ることのないため」(エペソ2:8-9)であったのでした。
 その恵みの日のことを今日覚えて、ひとりひとりが「主はいつくしみ深く、その恵みはとこしえまで」と感謝し、賛美したいと思います。
 この地域の人たちが、共にゆりのきキリスト教会に集い、共に「主はいつくしみ深く、その恵みはとこしえまで」と歌う日が来ることを願い、祈っています。


ゆりのきキリスト教会テキスト礼拝説教2006年6月18日