第2回  ガリラヤ編


第6日目、3月26日の夕刻、私たちはガリラヤ湖畔のキブツ内にある簡素な宿舎、ノフ・ギノサ−ルに到着しました。

このキブツ内にある記念館の特製水槽の中には、湖底から発見された2000年前のものと思われる船が保存されています。その形状から10数人は楽に乗れるそうです。残念ながら改修工事中で見学できませんでした。

翌朝、宿舎近くの岸から船に乗り、左手に春の草花が咲き乱れる新緑の丘を見ながら、穏やかなガリラヤ湖を北上しました。この船旅は今回の旅行のハイライトの一つでした。船の中で皆さんにメッセ−ジを語らせていただく機会が与えられた恵みは生涯忘れられない想い出となるでしょう。

1 ガリラヤ湖

ガリラヤ湖は南北21km、東西12km、面積170kuで博多湾、霞ヶ浦とほぼ同じ広さだと言われています。ガリラヤ湖は海面下210mにあるため、気候は亜熱帯性で、バナナやアボガドもよく育ちます。あぜ道の右側に菜の花が咲き、左側ではバナナが実っている風景を見て驚きました。


   ガリラヤ湖の朝   


この湖では20種類の魚が捕れ、漁業も盛んに行われています。湖岸に立って水中に目を凝らすと、濃い魚影を確認できました。魚釣りが趣味の私は釣り糸を垂らしたい強い誘惑に駆られました。代表的な魚は「ペテロの魚」と呼ばれる淡水系のクロスズメダイの1種です。ちょうど大型のブル−ギルと大変良く似ています。唐揚げにして醤油を少し垂らして食べると本当においしくもう1匹おかわりをしたいほどでした。レストランのコックさんが気を利かして下さったのでしょうか、私がいただいた魚の口には10ドラグマ硬貨がはさまれていました。

この魚は口の中で魚を孵化する習性があり、孵化した稚魚が親魚の口に戻ってこないように湖底の小石を口にくわえるそうです。かつて栄子先生が釣りをした時、ふつうのルア−では全くあたりがなかったのに、キラキラ輝く光もののルア−に交換してみると大当たりだったそうです。ですからこうした魚の習性から判断して、聖書に記されているようにペテロが釣った魚が、硬貨を口にくわえていたとしても不思議なことではないと思います。

2 山上の垂訓の丘

ガリラヤ湖北部のカペナウムでは、ペテロの家と呼ばれる漁師の民家跡や3世紀ごろに建設されたユダヤ教会堂跡を見学しました。この会堂の基礎部分はガリラヤ地方独自の黒玄武岩でできており、イエス様の時代のものと言われています。カペナウムはガリラヤ地方の交通の要所でしたから税関がおかれ、商業的にも栄えた裕福な町でした。ですからこの会堂は高価な石灰岩を用いて建築されたたいへん美しい会堂であったと思われます。


カペナウムの会堂

微笑ましいことに、この会堂の石床にはこどもの落書きが残されています。母親と一緒に礼拝に出席し退屈しのぎに床に落書きをしたのでしょうか。幼いときからみことぱに親しむことは幸いなことです。

ガリラヤ湖を展望する高さ125mのなだらかな丘の上に、1983年に建設された八角形の美しいフランシスコ会教会堂があります。ここはイエス様が「八つの幸福」について語られた場所とされています。地形の関係で5000人の群衆に向かって語ったとしても声は十分届くそうです。

聖書が教える「幸福」とはハッピ−(幸運)ではなく、ブレッシング(祝福)です。ハッピ−の語源はハップンです。たまたま手に入れたような幸運はまた失われて行く可能性があります。しかし神の祝福としてのブレッシングは永遠のものですから心の安らぎをもたらします。ダビデは「あなたこそ私の主、私の幸いはあなたのほかにありません」( 詩16:2)人生において救い主イエス様とお出合いした。これにまさる永遠の幸福は他にはありません。


山上の垂訓の教会

 この山上の丘からガリラヤ湖に向かって、20分ほどなだらかな坂道を歩いて降りました。湖畔にはペテロの召命教会が建てられています。1943年にフランシスコ修道会によって建てられました。この教会堂の奥にある岩は、「キリストの食卓」と呼ばれています。復活したイエス様がガリラヤ湖で再び弟子たちに現れ、この岩の上で火をおこして魚を焼いて朝食を用意して弟子たちの帰りを待っておられた場所とされれています。

    
  ペテロ召命教会          メンド−サの岩

ユダヤでは食事に招くことは「仲直り」「和解」を意味します。放蕩息子が帰ってきた時に、父親は宴会の用意を命じましたが、兄は拒んだことの中にも、食事と和解の関連性を見ることができます。ペテロは炭火を起こして焼いた魚の食事を、主の赦しと受け止めました。ですから、ここは主イエス様との「再会と和解」の場でした。3度イエス様を知らないと拒否したペテロは、3度、「あなたは私を愛するか」とイエス様から問われ、イエス様への愛と献身を再確認したのでした。イエス様がペテロに杖を手渡しているたいへん美しい彫像が湖岸にはおかれています。

静かなガリラヤ湖畔にたたずみ、主の和解の食卓にあずかり、十字架の赦しの中に日々生かされ、献身の思いを新たにされる恵みを改めて感謝しました。

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