第3回  サマリア地方篇

1  ナインの町

第8日目、3月28日に私たちはガリラヤ湖を出発し、ナインの小さな村を最初に訪れました。バスがやっと入るほどの狭い道の奥に、ギリシャ正教会の質素な教会がひっそりと建っています。ほとんど訪れる人はないようです。

一人息子を失ったやもめが深い悲しみの中で葬儀を出し、墓場に向かうところでした(ルカ7:11−17)。イエス様はその悲しみに満ちた死の行列の前に立ち、「もう泣かなくてもよい」と母親に声をかけました。死の力をとどめることができるのは神の御子イエス様にしかおできになりません。なぜならば、御子は十字架にかかって人類の罪を取り除き、3日後の復活によって死の力をうち破られたからです。

イエス様は死の淵から一人息子をよみがえらせ、絶望のどん底にいた母親の手に戻してくださいました。死の悲しみの淵から私たちを立ち上がらせてくださるのはイエス様ただおひとりです。私はこの物語が好きです。ですからこのナインの村を訪問できたことは私の大きな喜びでした。

     
ナインの村の教会


このナインの村の正面にタボル山を見ることができます。タボル山はガリラヤ湖の南方、ナザレの村の裏手に位置する標高588mのなだらかな美しい山です。その山容が女性の乳房に似ているところから、古来よりここには「安産の神」が祭られていたそうです。現在は頂上に、フランシスコ修道会とギリシャ正教の教会堂が建てられています。イエス様はこの山に弟子たちをつれてゆき、「光り輝く姿」をお示しになりました。それは天地の造り主である偉大な神の御子としての栄光の輝きでした。偶像の神々が祭られているその場で、イエス様は真実な神の栄光を現され、空しい偽りの神々や人間が作り上げた神々ではなく、永遠なるまことの神の栄光を啓示されたのです。

美しい山容のタボル山

2 カイザリア地方

続いて私たちはメキド平野、カルメル山を経て地中海が望めるイスラエル西部沿岸地方カイザリアに向かいました。マ−クュエインがかつて旅行をして「肥沃な土地なのに、木一本見えない。鳥の声も聞こえない」と評した土地は今、糸杉が茂る緑地に変わりました。

地中海に面したカイザリアは紀元前22年から、12年の歳月をかけて建設された港町であり、ロ−マへの直行便が出入りする国際港として栄えました。皇帝アントニウスへの忠誠のしるしとしてヘロデ王が皇帝(カイザル)にちなんで「カイザリア」と命名しました。カイザリアは避暑地としても有名です。イスラエルにある唯一のゴルフ場はここにあるそうです。


 カイザリアの水道橋

地中海は青く波も静かでした。この海のかなたに広がっているロ−マ帝国の各地に、パウロによって福音が宣教されたのです。海岸にロ−マ時代に使用されていた水道橋がありました。カイザリア市民の飲料水、農業用の灌漑用水として使用されていました。カルメル山地域の泉から水をこのようにして引いたのです。

ヘロデ王は建築家としても有名でした。几帳面な彼は、土砂を岩盤まで完全に掘り起こし、その岩盤の上に基礎工事を施し、壮大な建築物を建てました。ですから2000年後の私たちもその遺跡を見ることができるのです。なかでも、目を見張るのは円形野外劇場です。直径170m、高さ30mもある劇場は、4000名の観客を収容できたそうです。メガホンの原理のように、舞台上の役者のことばがはっきりと観客に聞こえたそうです。地中海に沈む真っ赤な夕陽をながめながら今日でもコンサ−トがしばしばこの野外劇場で開かれるそうです。なんとロマンに満ちたひとときでしょう。

3  サマリア地方

さて今回、私たちは幸運にもサマリア地方にバスで入ることができました。バスを運転して下さったダラ−ルさんもなんと20年ぶりの乗り入れだそうです。オリ−ブ、ア−モンド、エルサレム松を車窓から眺めながらシケムの町に入りました。シケムとは「かしの木の廃墟」の意味です。緑豊かな多くの泉が湧く地域であったことが地名からも判断できます。古代シケムは紀元前4000年から紀元前100年ごろまで北イスラエル王国の首都として栄えました。ナブラスには700名の正統的サマリア人が居るそうです。私たちはこの町にあるヤコブの井戸を訪ねました。

 
          サマリアの教会と井戸への入り口           

ユダヤの国では雨水を貯めて使用しますが、サマリアとネゲブ地方だけは地下水を汲み上げて使用できるそうです。井戸を掘れるのはこの2つの地域だけです。

イエス様はヤコブの井戸のそばで一人のサマリアの女性と出会い、彼女から一杯の水を飲ましてもらいました。イエス様は彼女に、二度と渇くことのない水、「その人のうちで泉となり、永遠のいのちへの水」(ヨハネ4:14)を与えて下さったのです。この井戸は深さが約35m、直径2mの井戸です。小石を落とすとかなり時間がたってからポチャンという音が底の方から聞こえてきました。つるべを使って汲み上げてみるとたいへん冷たい水でした。自由に写真を撮れないのが残念でした。 この井戸を囲むようにして地上にはギリシャ正教会の教会堂が建設中です。資金難のために未完成の状態ですが、石灰石の壁が少しづつですが建設されていました。

イエス様は愛に渇いた女性に2度と渇くことのないいのちの水を与え、彼女を癒し救い満たしました。魂が霊的な力を失い、弱さや疲れを覚えるときがあります。私も何度、「主よ、癒してください」と叫んだことでしょう。その度ごとに、主の恵みは豊かで尽きることがありませんでした。神の御霊の満たしに感謝します。



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