
「人の子は安息日にも主です」(マルコ2:28)
皆さん今日はキリストの復活を祝い 記念する イースター礼拝です。 欧米の諸教会では「主がよみがえられた ハッピーイースター!」 と挨拶を交わすそうです。お隣の方々と挨拶を交わして頂きたいと願います。
今日は「人の子は安息日の主である」(マルコ2:28)との言葉から、 神の御子イエスキリストが永遠の安息を与える救い主、癒し主なるお方であることを学びましょう。
1. 安息日とは
20数年前イスラエルを旅行した時、ガイドさんが「都エルサレムでは金曜日にイスラム教の礼拝がモスクで捧げられ、土曜日にはユダヤ教の礼拝が会堂で捧げられ、日曜日にはキリスト教の礼拝が教会で捧げられています。それぞれ日を分けて礼拝をささげるので、混雑と混乱がさけられています。」と、説明されていました。エルサレムが世界の三大宗教の中心地であるという事実を改めて学ばされました。「エルサレムの平和のため祈りなさい」(詩篇122:6)と神は願っておられます。政治的な圧力や武力による暴力によってではなく、互いに認め合い和解し、共存共生の道を歩む中に、真の平和が達成されるように祈りたいものです。
さて、ユダヤ教の場合は、土曜日が安息日という特別な日とされ、すべての労働が堅く禁じられ、ひたすら神を礼拝し、祈りを捧げる聖なる日と戒律によって規定されています。破れば神のさばきがくだります。「安息日」が厳守される歴史的経緯を示す2つの大きな理由があります。
第1は、天と地を創造された神がすべての御業を完了し、7日目に休まれたことを記念し、神の安息の中に全ての人々を招き、奴隷や家畜にさえ休息が与えられたことです。
「安息日を守って、これを聖なる日とせよ。あなたの神、【主】が命じられたとおりに。六日間、働いて、あなたのすべての仕事をしなければならない。しかし七日目は、あなたの神、【主】の安息である。あなたはどんな仕事もしてはならない。──あなたも、あなたの息子、娘も、あなたの男奴隷や女奴隷も、あなたの牛、ろばも、あなたのどんな家畜も、またあなたの町囲みのうちにいる在留異国人も──そうすれば、あなたの男奴隷も、女奴隷も、あなたと同じように休むことができる。」(申命5:12 出エジプト20:8-11)
万物の創造主である神でさえ7日目に休まれたのに、人間だけがあたふたと働き続け、奴隷や家畜たちも死ぬまでこき使われ、 富める者が稼ぐだけ稼いで搾取と支配を強めていくありかたは、恵み深い神の御心にかなうことでは決してありません。 神の平安と安息の中に憩い、休息を分かち合い、神に礼拝をささげ、神のことばによって生きる真の幸いを得ることが、「安息日」が定められた本質的な目的でした。安息日のために人間が造られたのではなく、人間のために安息日が神の恵みとして備えられたのです。
第2に、安息日は、「モーセによってイスラエルの民がエジプトの奴隷生活から救出され、解放され、 約束の地カナンに導き入れられた」ことを記念する特別な日と意味づけされています。 「あなたは、自分がエジプトの地で奴隷であったこと、そして、あなたの神、【主】が力強い御手と伸べられた腕とをもって、あなたをそこから連れ出されたことを覚えていなければならない。それゆえ、あなたの神、【主】は、安息日を守るよう、あなたに命じられたのである。」(申命記5:15) エジプトの奴隷生活の苦しみ、 鎖につながれ死ぬまで苦役を強いられ、将来待っているのは飢えて死ぬか、病で倒れて捨て置かれて朽ちるか、危険な労働環境の下、災害や事故でいのちを落とすしかないような過酷な運命。希望も未来も何ひとつ見いだせない絶望の日々から、神が遣わしてくださったモーセによって、救出され、解放されたことを喜び祝う日。イスラエル民族が決して忘れてはならない「解放の日」、その出来事を想起する日が、安息日でもあったのでした。
まさにこのことは、新約聖書において神の御子イエスキリストが救い主として、 この世界に来られ十字架で死なれ、尊い身代わりの死によってすべての罪、咎を赦しきってくださったこと。さらに、墓に葬られたものの3日後には約束通り復活され、墓を虚しくし、死の力を打ち砕き、暗闇に光をもたらしてくださったことと重なり合います。新約聖書が記すキリストによる十字架と復活の御業は、旧約聖書に記されている出来事の成就であり、全てキリストにおいて実現し、完成したのです。旧約聖書の奇跡的出来事は、キリストの御業の雛形であると教えています。
コロサイ2:17「これらはきたるべきものの影であって本体はキリストにあります」
2. 永遠の安息
十字架で死なれたキリストは、私たちの罪とその結果によってもたらされた神との断絶と審判の問題を根本的に解決してくださいました。のみならず
3日後にキリストは死者の中から復活し、罪の奴隷と滅びの運命しか残されていない虚しい人生から私たちを解放し、 永遠の命と神のゆるがない平安の中に、キリストを信じる者たちをそのまま、無条件で招き入れてくださいました。
旧約聖書の安息日は7日に一度、肉の働きをすべて休み、神のもとに招かれ、全ての労苦からの解放と平安を受け取るための特別な日とされていますが、キリストを信じる者たちにとっては、7日に一度だけの限定された安息ではなく、永遠の安息が神から与えられ、永遠の神の御国へと導き入れられます。これらはすべて神の御業であり、神の恵みによる招きなのです。
300年後半に活躍したアウグスチヌスは、放縦で不品行な生活の中に身をもち崩していました。心を痛めて祈る母モニカに対して、祭司アンブロシウスは「涙の子は決して滅びない」と励まし諭しました。そんな母モニカの祈りを通して、彼は劇的に回心し、後に著名な神学者・思想家となりました。アウグスチヌスは「神は私たちをご自身に向けてお造りになりました。ですから私たちの心は、あなたのうちに憩うまで、安らぐことはできないのです」と告白しています。神のもとに立ち帰るとき初めて人は、誰であっても心の安息と平安を得ることができるのです。
癌で若くして天に召された姉妹が、最後の入院となったときに、見送りに集まった教会の兄弟姉妹に語られた挨拶のことばが印象的でした。「今まで私は自分でなんでも自由に好きなことを、これが良いと思うことを選択してきました。でも振り返ればそのほとんどは失敗ばかりでした。でも、こうして教会に集い、イエス様を信じることができ、兄弟姉妹と一緒に過ごすことができたことは、私の人生における最高の選択でした。感謝です。」と、涙ながらに語り、病院へと向かわれました。病の苦悩と死の不安の中にいた姉妹を、よみがえらえた主イエス様は見出してくださり、愛の御手を差し伸べ、慰めの御腕の中にしっかり抱き、永遠の安息へと招き入れてくださったのでした。
よみがえられた主イエスキリストは今も生きておられ、信じる者ともに歩んでくださり、全てを導いてくださいます。主イエスキリストは今日も、静かにあなたに呼びかけておられます。
「すべて、疲れた人、重荷を負っている人は、わたしのところに来なさい。わたしがあなたがたを休ませてあげます。わたしは心優しく、へりくだっているから、あなたがたもわたしのくびきを負って、わたしから学びなさい。 そうすればたましいに安らぎが来ます。」 (マタイ11:28-29)
神の御子イエスキリストのもとには、永遠の安息が満ちています。
これこそがイースターのメッセージではないでしょうか。
「信じる者には永遠のいのちが与えられ、死からいのちに移っています」(ヨハネ5:24)