27 ロ−マ人の手紙  題 「神の子とされることの祝福」 2003/7/13

聖書箇所 ロマ8:14-17

「神の御霊に導かれる人は、だれでも神の子どもです。あなたがたは、人を再び恐怖に陥れるような、奴隷の霊を受けたのではなく、子としてくださる御霊を受けたのです。私たちは御霊によって、「アバ、父。」と呼びます。私たちが神の子どもであることは、御霊ご自身が、私たちの霊とともに、あかししてくださいます。もし子どもであるなら、相続人でもあります。私たちがキリストと、栄光をともに受けるために苦難をともにしているなら、私たちは神の相続人であり、キリストとの共同相続人であります。」(14-17)


8章は聖書の最高峰だと内村鑑三は言いました。なぜならば、神の御霊、聖霊の豊かなお働きが記されているからです。その8章の中心主題は、「キリストに属する者の心にはキリストの御霊が住んでいる」という奥義です。前回は、キリストの御霊が与えられた目的は、やがて終わりの日に私たちが、復活のからだを与えられ、キリストと同じ栄光の姿に変えられ、天の御国を受け継ぐための保証(手付金)であることを学びました。

今日の箇所では、さらに聖霊は私たちを、神様と「父と子との親密な親子関係に導き入れ」(15)「キリストとの共同相続人」として下さるおかたであることが教えられています。

1 「アバ父よ」と呼ぶ親しい交わり 神の子

私たちは御霊によって、「アバ、父。」と呼びます。」(15)

「アバ」、というのは「お父ちゃん」とでも訳せる、幼い子どもが親しみを込めて父親に向かって呼びかける言葉だそうです。私たちの心に住まわれるキリストの御霊は、父なる神様とそれほど親しい個人的な交わりをもたらしてくださるというのです。すばらしいことです。アメリカの家庭で小さな子供たちが父親が帰ってくると「ダデ−」と駆け寄り、父は「マイサン」とか「ベイビ−」とか言って抱きしめている姿を目にしました。日本人にはまねのできない交わりだなと思いました。

聖霊は御子キリストの霊ですから、イエス様がいつも父なる神様と親しく交わっておられたように、私たちを父との親密な交わりに迎え入れてくださるのです。その目的は第1  に、父の御心を知り、父と語り合い、父の助けと力を受けるためです。第2は、「父」なる神様との交わりを通して、地上の家族の交わりを愛し、本当の幸福を味わうためです。

持ち物が豊かであっても家族関係が貧しくそれぞれが孤独な生き方をしている家庭があります。老人ホ−ムに親を入れたまま1度も見舞いに来ず、死んでも引き取りにさえこないという信じられないような話も聞いたことがあります。また財産の相続をめぐって親子の争いからついに殺人事件に至ったという話も耳にします。物の豊かさよりも、家族という親しい交わりの豊かさははるかに価値があり深い喜びをもたらします。父と子、母と子であれ、親子が仲が良く、甘えられるし時には厳しく叱ってもらえる、小さなことも認めてもらえる、感謝しあえる、こうした人間関係に生きることができるとき、私たちは持ち物の豊かさによらない幸福を感じることができると思います。

地上における親子関係はときには崩れてしまったり、あるいはどう対応したらいいのか混乱し迷ってしまうことも多く在ります。この父親さえいなければと思ったり、反対にちゃんと父親としてやれているのかなと自信を失うこともあります。ですから丁度、3角錐のように、頂点で「天の父なる神様との親しい関係に支えられて」私たちは底辺部の地上の親子関係を安定して営めるのではないでしょうか。

1 キリストとの共同相続者 神の息子

イエスキリストの十字架の救いを受け入れ信じた者は、神の子としての「霊的な身分」が新しく与えらます。パウロは「キリストとの共同相続人」(17)と言っています。

「もし子ども(テクノス)であるなら、相続人でもあります。私たちがキリストと、栄光をともに受けるために苦難をともにしているなら、私たちは神の相続人であり、キリストとの共同相続人であります。」(17)

この新しい身分は、御子キリストと共に、神の国を受け継ぐ「世継ぎ」としての法律的な権利が与えられることですから、これはすごい特権です。新しい御国が到来するとき、私たちは父なる神様から何を譲り受けることになるのでしょう。「朽ちることのない資産」(1ペテ1:4)とは何なのか、わくわくどきどきものではありませんか。

ハ−ベストタイムメ−ルマガジン7/11号で中川先生が、プロゴルファ−のA・パ−マ−の体験談を紹介しています。彼が数年前サウジアラビアに招待されプレ−を披露したところ王様が感動し贈り物をしようと言って下さった。遠慮してご辞退すると「受け取ってもらわないと私ががっかりする」とまで言われ、それならば「記念にゴルフクラブ」を願った。すると翌日、彼が願ったクラブセットではなく、数千本の木々が植えられ、美しい湖があり、大きなクラブハウスまで建設されている18ホ−ルの立派なゴルフクラブの権利書が届けられたそうです。彼はそのとき、王様の前で小さなことを願ってはならないことを知ったそうです。中川先生もこの話を聞いて以来、王の王である神様に大きなことを祈るようになったそうです。サウジアラビア1国の王様でさえそれほどの贈り物を1日で用意できるとすれば、天の父なる神様はお客に対してではなく、ご自分の子供たちに対して、キリストとの共同相続者としての特権を有するものたちに対してどれほどの天の富と栄光をご用意してくださっていることでしょう。本当に楽しみです。

この地上の生活では貧富の差があり、持てない者の悲哀を味わうことも多くあります。財産ばかりでなく、知識や才能といった個人的な賜物や健康状態、生まれ育った家族関係、先天的な病気や障害を持って誕生してくることなど、本人の意思や努力を超えたところですでに決まっていることがらもあります。どんなにまじめにコツコツと働いてきても突然会社が倒産したり、リストラされてしまうこともあります。ガソリンスタンドで50代半ばの男性が若い社員に叱られながら仕事をしており胸には「アルバイト」の名札がついていました。お金を渡すときに「ご苦労様、たいへんですね」と声をかけると「いや〜」と微笑んでおられました。地上の生活では自分の賜物をうけとめ、5タラント,2タラント、1タラントを預けられた者として「あるがままに生きてゆく」ことが求められます。地上の朽ちる資産ではなく、天の御国においてキリストの共同の相続人に約束されている特権を仰ぎ見、心おどらせて頂きましょう。

この喜びがあるゆえに、キリストの共同の相続人は、キリストと「苦難をもともにできる」(17)のです。ベック宣教師が「苦難を共にできる」というのは、いわば大人のクリスチャンのしるしでもある。そもそも「神のこども」(14)は、神の息子という意味であり、ユダヤの国では子供が成長して安心して財産を任せることができるようになったとき初めて「息子」と呼ばれるのだそうです。アバ父と呼ぶ幼い子(テクノス 16 17)から、息子(フィオス)と呼ばれ富を託されてゆく成長のイメ−ジがここにはあります。

すばらしい栄光を受け継ぐことができる神の息子たちとして成長してゆくことを父なる神様は望んでおられます。私たち自身も、神のこどもから神の息子へと成長させていただきましょう。キリストのゆえに良き賜物を受けるばかりではなく苦難をも担える者とさせていただきましょう。

「あらゆる力をもって強くされ、忍耐と寛容を尽くし、また光の中にある聖徒の相続分にあずかる資格を私たちに与えてくださった父なる神に、喜びをもって感謝をささげることができますように」(コロ1:12)

神の豊かな賜物のゆえに神に感謝します。


                     祈り

わたしたちは御国の相続人とされています。天の富の豊かさを思い見るものとして下さい。

     

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