2010年度説教 5月9日 主日礼拝
「信仰の高嶺をめざして」シリ−ズ(17)


題「ソロモン王の祈り」

「それにしても、神ははたして人間とともに地の上に住まわれるでしょうか。実に、天も、天の天も、あなたをお入れすることはできません。まして、私の建てたこの宮など、なおさらのことです。けれども、あなたのしもべの祈りと願いに御顔を向けてください。私の神、主よ。あなたのしもべが御前にささげる叫びと祈りを聞いてください。そして、この宮、すなわち、あなたが御名をそこに置くと仰せられたこの所に、昼も夜も御目を開いていてくださって、あなたのしもべがこの所に向かってささげる祈りを聞いてください。」(6:18−21)

2010年2月16日付けの「クリスチャンTODAY」誌に、紀元前10世紀にソロモン王が築いたとみられる古代エルサレムの壁の一部が東エルサレムで発見されたとイスラエルのエルサレム・ヘブライ大学が22日発表し、AFP通信が伝えたことが報じられました。今回の発見は、ソロモン王がエルサレムで神殿を建てたときの遺跡の一部とみなされており、ヘロデ大王によって建設された神殿の城壁の西側部分とされる「嘆きの壁」よりも歴史的意義が大きいとされます。

ダビデ王の後継者となったソロモン王は、7年の歳月をかけてついにエルサレムに大神殿を建設しました。5−7章にはソロモンによって開かれた神殿奉献式のようすが記録されています。6章では全会衆の前でひざまずいて神にささげたソロモンの感謝の祈りが記されています。そしてこのソロモンの祈りの中に「神殿を建て、神にささげる目的」が告げられています。

1.神が成就された神殿

「御口をもって語られました。また御手をもって、これを今日のように、成し遂げられました」(15)と、ソロモンは神様に感謝しています。神が約束され、神が全能の御手をもって成就した神の宮であるとはっきり認識しています。神殿建設の大いなるみわざは、神ご自身のみわざにほかなりません。神のことばと神のみ力が神のみわざを成就するのです。この原則はどの時代であってもかわることはありません。パウロも同じスピリットをもってこのように語っています。

「あなたがたのうちに働きかけて、その願いを起させ、かつ実現に至らせるのは神であって、それは神のよしとされるところだからである。」(ピリピ2:13)

ソロモンは王になって4年目に神殿建設に着手しました。いいかえれば神殿建設は王になって最初に行なった大きな事業でした。ソロモンは7年かけて神殿を完成させた後に、自分が住む王宮の建築を13年かけて完成させました。ここにも私たちは神様のみこころを第1にしたソロモンの信仰の姿勢を学ぶことができます。

「まず神の国と神の義とを求めなさい。そうすれば、これらのものは、すべて添えて与えられるであろう。」(マタイ6:33)

2.神殿の限界

さて、ソロモンが建てた神殿は、長さ約26m、巾約8.8m、高さは約13.mもありました。用いられた石は、すべて前もって石切り場で仕上られていましたから、工事中、一切の工事や道具の音は聞かれませんでした。それは良く整えられた石を整然と祈りのこころで積み上げるためであり、怒号や喧噪は聖なり神殿の建設にはふさわしくないからでした。神殿の内部は手前の3分の2は本堂で、奥の3分の1が至聖所とされ、オリ−ブの木でつくられた2体の天使ケルビムの大きな翼に覆われる形で契約の箱が安置されていました。神殿の内側は、床はもみの木の板、天井と壁は杉の木の板、至聖所の入口の扉はオリーブ材、本堂の入口の扉はもみの木、さらに壁ととびらには美しい彫刻が施されていました。そして床から天井にいたるまで神殿の内側はすべて純金で覆われていました。それは神の神聖と栄光をあらわすのにふさわしいつくりでした。しかしソロモンは神様のご本質を見失うことはありませんでした。

「それにしても、神ははたして地の上に住まわれるでしょうか。実に、天も、天の天も、あなたをお入れすることはできません。まして、私の建てたこの宮など、なおさらのことです。」 (2歴代18) と告白しています。
天地をつくられた神様を、人間の手で建築された神殿の中に入れることは不可能であり、偉大な神様を枠にはめることなどはできません。天地を創造された大いなる神様、怒ったり罰を与えたりする神ではなく契約と愛(恵み)をもって民を導かれる神を知り、信じ、信頼することがアブラハム以来のイスラエルの信仰だったからです。「神様を見せてくれ。見せてくれたら信じてやろう」との人間の要求に応じて、木や金や銅でつくられたさまざまな偶像が目に見える形で提供されます。しかしながら天地を創造された永遠の神をどのような形に作ることも、どのような壮大な大神殿も大寺院もお入れすることなどはできないのです。

3.神殿が存在する意味

では、どうしてソロモンは神殿を建てたのでしょう。それは、神殿が「神の民が礼拝がささげられる場」として存在しているからです。イスラエルの神がご自分の民に中に住み、民との交わりを愛され、民の礼拝をお受けになることを喜ばれるからです。さらに神様が礼拝者に目を留め、礼拝者がささげる祈りと願いと叫びを聞いてくださるための特別な場として神殿が存在しているからです。

「けれども、あなたのしもべの祈りと願いに御顔を向けてください。私の神、主よ。あなたのしもべが御前にささげる叫びと祈りを聞いてください。そして、この宮、すなわち、あなたが御名をそこに置くと仰せられたこの所に、昼も夜も御目を開いていてくださって、あなたのしもべがこの所に向かってささげる祈りを聞いてください。」(6:19−20)

公的な礼拝でささげる祈り、一人一人のこころの祈りとしての願い、言葉にすらならないこころの叫びという祈り、そのすべてに神様は目を開き、こころを留め、聞いてくださるというのです。言葉にならないいのり、涙と共に祈る祈りを「叫び」といいます。神様はその涙を決してお忘れにならないお方なのです。

「あなたはわたしのさすらいを数えられました。わたしの涙をあなたの皮袋にたくわえてください。」(詩篇56:8)

それゆえに後の時代に、神殿は「祈りの家」(イザヤ56:7)とも呼ばれました。もちろん個人的な祈りもあれば数人で集まって祈ることも大切です。そして神殿は「神の民」が共に集う祈りの家として存在しています。全イスラエル民族の公同の礼拝の場、祈りの家として存在しているのです。

4.すべての民の祈りの家

神殿は神のしもべであるソロモンの祈りの家(21)、神の民イスラエルの祈りの家(21)、さらに外国人のための祈りの家(32−33)として存在しています。特に、ユダヤ民族ばかりでなく、他民族であってもこの宮で神の名によって祈る者の祈りが聞かれるとの約束が語られているとは最大の特徴といえます。すでに天地を創られた神の前に、民族の壁は取り崩されているのです。神殿はすべての民のための祈りの家なのです。

「また、あなたの民イスラエルの者でない外国人についても、彼があなたの大いなる御名と、力強い御手と、伸べられた腕のゆえに、遠方の地から来て、この宮に来て祈るとき、あなたご自身が、あなたの御住まいの所である天からこれを聞き、その外国人があなたに向かって願うことをすべてかなえてください。そうすれば、この地のすべての民が御名を知り、あなたの民イスラエルと同じように、あなたを恐れるようになり、私の建てたこの宮では、御名が呼び求められなくてはならないことを知るようになるでしょう。」(6:32−33)

さらに、人が隣人に対して罪を犯したときやイスラエルの民が神様に罪を犯したとき、彼らが悔改めて神様に立ち返って祈り求めたら、赦しと回復が与えられるようにとソロモンは祈りました。病や災害にあって痛みを知って悔い改めて神様に手をさしのべて祈るならば、赦しと癒しが与えられるようにとソロモンは祈っています。

「彼らがこの所に向かって祈り、御名をほめたたえ、あなたの懲らしめによって、彼らがその罪から立ち返るなら・・」(26)

「もし、この地に、ききんが起こり、疫病や立ち枯れや、黒穂病、いなごや油虫が発生した場合、また、敵がこの地の町々を攻め囲んだ場合、どんなわざわい、どんな病気の場合にも、だれでも、あなたの民イスラエルがおのおの自分の疫病と痛みを思い知らされて、この宮に向かって両手を差し伸べて祈るとき、どのような祈り、願いも、あなたご自身が、あなたの御住まいの所である天から聞いて、赦し、ひとりひとりに、そのすべての生き方にしたがって報いてください」(26−30)

捕虜となって異国の地に連れ去られることがあっても神殿の方向に向かって民が祈るならばその願いを聞いてくださいとさえ祈られています。わざわいや病気などすべての悩みのときの祈り、願い、叫びに応えてほしいとも祈られています。

神様はこのようなソロモンの祈りに対して、1列王記9:3では「あなたが、わたしの前で願った祈りと願いを私は聞いた。わたしは、あなたがわたしの名をとこしえまでも、ここに置くために建てたこの宮を聖別した。わたしの目とわたしの心は、いつもそこにある。」との約束をしてくださいました。

しかし残念ながら、イスラエルの王も民もやがて神様の戒めに背き、異国の偶像の神々を拝み堕落の道を進みました。その結果、ソロモンが神殿を奉献した340年後のBC586年、バビロン帝国のネブカデネザル王によって侵略され、ゼデキヤ王はバビロンに連れていかれ、エルサレムの神殿は跡形もなく破壊され、神殿の備品や器具はバビロンに没収されてしまいました。バビロン補囚と呼ばれるイスラエル史上最大の悲劇がおきたのでした。

バビロン補囚はイスラエルの礼拝のありかたに大きな変化をもたらしました。神殿を失ったユダヤ人は離散した各地に「シナゴ−グ」と呼ばれる「会堂」を建て、祭儀中心の礼拝から聖書朗読・律法教育を中心とした礼拝へと変化してゆきました。イエス様の時代に再びヘロデ王によって荘厳な大神殿がBC20年に着工され、神殿礼拝が復興しましたが、一方では会堂での礼拝と律法教育が諸地域のコミュニティ−社会の中で展開されました。エルサレム神殿は66年かけてAD46年についに完成しましたが、わずか4年後にはロ−マ帝国によって完全に破壊されてしまいました。

こうした経過をたどって、今日、キリスト教会はヨ−ロッパのカトリック教会に見られるように神殿−祭司中心−祭儀−ミサ−聖堂寺院という伝統的スタイルの教会とアメリカのキリスト教会に多く見られる会堂−信徒中心−宣教−教育・交わり中心の教会というスタイルが主流になっています。日本のキリスト教会の場合には両者の折衷型が多いように思います。

「あなたが、わたしの前で願った祈りと願いを私は聞いた。わたしは、あなたがわたしの名をとこしえまでも、ここに置くために建てたこの宮を聖別した。わたしの目とわたしの心は、いつもそこにある。」
神様がソロモンに約束してくださったこのお約束は今日において教会が教会堂を神様におささげする時にも忘れてはならない大事な約束だと思います。

現代においてキリスト教会は「祈りの家」としての特質を輝かせ続けることが求められていると思います。クリスチャンが熱心に祈る祈りの家ばかりでなく、だれでも教会を訪れ神様の前で静かに祈ることができる場と時間と機会を提供できるならば、それは神様のみこころにかなったことではないでしょうか。どんなに科学文明が進み、物に満ちあふれていても、人間は「祈り」を決して失ってはいないと私は信じています。祈ることは人間が人間であることのしるしでもあると思います。祈りというスピリチャルな世界を抜きにしては人は生きてゆけないのではないでしょうか。

教会は現代においても、ソロモンが神殿を「神の民の祈りの家」と呼んだスピリットを今も生き生きと受け継いでいます。この大きな霊的資産を受け継ぎ、実を結ぶものでありたいと願っています。

「まことに、あなたがたにもう一度、告げます。もし、あなたがたのうちふたりが、どんな事でも、地上で心を一つにして祈るなら、天におられるわたしの父は、それをかなえてくださいます。ふたりでも三人でも、わたしの名において集まる所には、わたしもその中にいるからです。」(マタイ18:19−20)

「キリストにおいて、あなた方も共に建てられ、霊の働きによって神の住まいとなるのです。」(エペソ2:14)


神様の恵みと祝福があなたの上にありますように。




   

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