I見会堂

日本イエス・キリスト教団


鶴見緑地教会

Tsurumi Green Church

 

説教要旨




2018年1月14日:説教題:「神の全ての武具を取りなさい」、聖書:エフェソ6:10〜18

 @神の全ての武具を身に付ける。私たちは敵の力を軽く見てはなりません。「邪悪な日」とは、サタンが大手を振って活動している今の時代で、その勢いを格別に強化して、私たちに立ち向かおうとしている特別な状況を指しています。戦うための装備は自分で鍛えて身に付けるものではありません。神が既に備えていて下さり、パウロはその装備について、彼の周りで番をしていたローマ兵士の装備をモデルとして描いています。

 A装備のリスト。1.真理の帯「14節b」:神の真実に応える私たちの真実さ。2.正義の胸当て「14節c」:神の与えられる義。3.平和の福音の靴「15節」:福音宣伝の足。4.信仰の大盾「16節」:主に対する揺るがぬ信仰。5.救いのかぶと「17節a」:恵みによる救い。6.神のことばの剣「17節b」:霊感によって与えられた神の言葉は敵を打ち破る。1〜5までの装備は、防御的なものでしたがこの項目だけは攻撃的です。神の御言葉は御霊の霊感によって与えられたものです。7.御霊による祈り「18節」祈りは、もう一つ大切な武具ですが、これは実際の武具のどれかと結び付けられてはいません。
 主が与えて下さる、この全ての武具を身につけて、今年も戦かって勝利しましょう。



2018年1月7日:説教題:「主にあって満たされよう」、聖書:コロサイ2:9〜10

 @キリストにあって備えられている。これは「キリストにあって完備している」という意味です。私たちはキリストにあって、人生の旅路において出会う様々な苦難に対して、備えられているのです。キリストにあって備えられているのならば、キリストにあって求めましょう。求める時に確かに応えてくださる神がおられます。

 Aキリストは無尽蔵の富。私たちの人生は、聖書の畑の中から、耕せば耕すほど、すばらしい宝を見つけ、その発見の喜びを味わうことができます。お宝中のお宝はキリストです。この方に満たされるために、このお方と交わり出会う時間が必要です。ムーディー「ただひとりで神と交わる一時間は、決して失われた時間ではない。」

 私たちはキリストにあってすべてが備わっています。どのような苦難も、どのような物質欠乏も、恐れることはありません。キリストにあって、天の御国に到着する日までです。



2018年1月1日元旦礼拝:説教題:「素顔でキリストを見上げる」、聖書:Uコリント3:18
 輝いて生きる三つのステップ

 @顔のおおいを取りのけて神の前に出ること。顔の覆いは何でしょう。自分の本当の姿を覆い隠す態度のことです。あなたをお造りになった作者である神の前には、あなたはありのまま、正直な心で出ることが大切です。なぜなら神は正直な者に対して、憐れみ深い方です。神様はキリストのゆえに正直に罪を告白する人間を、罪を赦すだけでなく、恵みを注いで下さる方です。

 A主の栄光を鏡に映すように見ること。鏡は、聖書の言葉、神の言葉のことです。人が見て、益を受けるのはキリストだけです。 あなたは今、何を見ていますか?自分の内側ですか?それとも回りの人間ですか?それともあなたを輝かせようと準備ができているキリストですか?キリストを見上げるのです。

 Bその結果、人はキリストの姿に変えられて行くのです。正直になって、素顔の自分でありのままの胸の内をキリストに告げたなら、後は自分の内側を探るのを止めて、キリストを見上げることです。そうするなら、キリストの持つすべての富、すべての赦し、すべての祝福が与えられます。




2017年12月31日:説教題:「始めも終わりも信仰によって」、聖書:ガラテヤ3:1〜14
 1.誰が十字架の恵みから逸脱させたか?「1節」
 2.聖霊の賦与は信仰によったはずでは?「2節」?救いの完成は信仰によったのでは?「3節」
 3.信仰の苦しみを無駄に?「4節」
 4.聖霊の働きは律法によるのか、または信仰によるのか?パウロは5つの質問で、「あなたたちは間違っています。考え直してください。」と言おうとしています。

 @真面目クリスチャンの落とし穴。真面目であればあるほど自分は誰よりも正しい、という傲慢な心が強くなってしまうのが問題です。

 A救いのすべての過程は信仰による。人間側の弱さを徹底的に認めつつ、神の全能を100%頼って生きていくのがクリスチャンの生き様であり、それしか無いのです。

 B本当の信仰は良い行いに現れる。良い行いが信仰(救い)をもたらすのではない。頑張って信仰を維持していくのではなくて、神の全能に頼りつつ生きていくことなのです。

 「私は無力なものです。どうか一歩一歩、神の助けによって支えて下さい。」という砕かれた心をもって新しい年をスタートいたしましょう。




2017年12月24日:説教題:「神様のプレゼント」、聖書:ヨハネ3:16〜18
 キリストとは一体誰でしょう。この宇宙万物を創られた神のひとり子です。何故神は、イエス・キリストをこの世界に遣わされたのでしょうか。

 @人類と連帯するためです。神様から離れた人間は、神と断絶しているだけではなく、人とも断絶し、孤立し、信じ合える仲間が本当に少ないのです。キリストがこの世に来られたのは、あなたと連帯し、あなたを救い出すためなのです。

 A何故ひとり子の神でなければならなかったのか。それは、ひとり子の神だけが真の神様を正確に解き明かすことが出来たからです。天地創造の父なる神は、正義の神です。罪を徹底的に憎む神です。と同時に、罪を憎むけれども、罪人をあわれまずにはおれない神なのです。人間を愛するが故に、人間をだめにしてしまう罪を何よりも憎まれる神です。

 B何故ひとり子の神がこの世に来なければならなかったのでしょうか。それは、ひとり子の神の自己犠牲だけが、御父の心を動かすことが出来たからです。愛する子どもを自分の手で苦しめることは無理です。しかし、神はこの一線を越えて下さったのです。ご自分のひとり子、イエス・キリストをあの十字架の上で、裁いて下さったのです。罪ある者が赦されるためには、罪なき者が身代わりとなって裁きを引き受ける以外になかったのです。

 キリストをご自分の救い主として信じ受け入れて下さい。これこそがクリスマスを本当の意味でお祝いすることになるからです。




2017年12月17日:説教題:「言葉が人となった」、聖書:ヨハネ1:1〜18

 @言葉とは「1〜5節」言葉が神と共にあり、神であられます。子なる神は、父なる神と対話をされる理性的存在であり、父なる神の心を言葉によって表され、その言葉によって世界は成り立ったのです。キリストは万物の命の源であり、このお方が光として世に来られたこと、彼に従うものに永遠の命が与えられます。神に逆らう勢力の存在は、キリストに打ち勝つことはできません。

 A言葉は人となった「14節」「肉となる」とは神であることを止めたのではなく、神でありつつ人となられたと言うのです。ヨハネはイエス様の弟子となって3年半、寝起きを共にするようになり、最後の十字架と復活を見ることによって、考えが変わりました。ヨハネは人間としてのイエス様の中に、神のご性質や溢れるような愛を見ました。

 B受肉の目的。神の豊かなご性質を凝縮して持っておられたキリストのゆえに、神を知ることができるようになりました。人間とは、多くの弱さ、苦しみ、試練を抱えて生きている存在です。神が人となった事実は、キリストが普通の人間として、私たちと同じ体験をするためでした。そして、最終的には人間の最大の敵である「死」を経験するためでした。

 クリスマスに現れて下さった神の恵みは、人となったキリストを通して豊かに注がれています。



2017年12月10日:説教題:「御前に恐れなく仕えさせる」、聖書:ルカ1:57〜79

 @ほめたたえよ。ザカリヤは天使から告げられたことを信じることが出来ず、罰としてものを言うことが出来なくなりました。その不自由さが続いたのは息子が誕生し、「ヨハネ」と名付けた瞬間まででした。舌が開かれ耳も開かれ、不信仰への悔い改め、神の恵みへの感謝をほめたたえたのです。

 A何から救われますか。霊的な敵であるサタンとその配下の者からです。サタンの目標は神の民を滅びに陥れることです。罪の中に留まり続ける限り罪の奴隷です。キリストは贖いという代価を払って、私たちを罪の縄目から解き放たれました。

 世の中には、心配や思い煩いが山ほどあります。死の恐れはその最大のものです。まず、死んでも死なない永遠の命を手に入れること。次に、どんな時にも勝ち抜ける命の力を持つことです。このことを神が、キリストを信じるすべての人に対して可能にしていて下さいました。

 Bどのように救われますか。神はキリストによってこんな私を、愛して下さるのだとわかったら、その人生観や生き方が変わってきます。キリストは現実のお方であり、力あるお方です。私たちが心を開いて彼を個人的に受け入れなければ、その救いは私たちのものとはなりません。しかもそれは、ある日一日だけというのではなく、私たちの全生涯、否、毎日毎日救いは続くのです。



2017年12月3日:説教題:「尋ね求めている主」聖書:マラキ3:1〜4、19〜24(新共同訳)

 @マラキ預言の背景。マラキは、旧約時代最後の預言者です。マラキが描いている時代の社会的・宗教的状況は、神の愛への疑い、神への畏敬の念の喪失と礼拝の形骸化、外国人との結婚、離婚、弱い者たちへの圧迫、十分の一の怠り、信仰の形骸化。根本的原因は神を無視する罪にありました。この罪のために人は無益なものとなりました。

 Aマラキ預言の内容。神は生きておられる、悪を裁き、真実なものに祝福を与えられるとの約束です。さらに、メシアは間もなく来たり給うという希望を伝えました。メシア及び先駆者は、罪をきよめる者であると強調しました。

 Bメシアの先駆者。「3:1a、23〜24」バプテスマのヨハネによって実現しました。彼の使命は、審判的要素を持ったメシアの出現の前に、人々の心を整え、その審判を回避させることでした。

 Cメシアの出現。「3:1b〜4」このお方は神ご自身です。具体的には、人となられた神でのことです。新しい契約の創始者として来てくださるのです。その契約をもたらすのがメシアです。祭司と罪人との清めが約束されます。メシア待望の祈りの答えとして、キリストが来臨されたのです。

 私たちも再臨の主を求めて祈りましょう。また、信仰の覚醒のためにも祈りましょう。私たちもそのきよめに与るものとさせていただきましょう。