証し7
ぼくは幼い頃から友達もつくらず、何事にもやる気のない暗い性格で、何とか高校には通いましたが、1浪しても大学には入れませんでした。これ以上は親に負担をかけられないと思い、逃げるように、家出同然で関西に移りました。建築会社に就職し、負け犬状態からなんとか立ち直って良い職人になろうと努力しましたが、自分の不器用さを思い知らされ、周囲からもバカにされるようになり、落ち込んでやる気を失い、さらにバカにされる……毎日が辛くて情けなくて、繰り返すうちに、気が付くと死ぬことばかり考えるようになっていました。そんな状態が6年ほど続き、意地を張り切れなくなって、ついにはやはり親を頼って実家に帰ってきました。
帰宅後1ヶ月ほどはまさに「抜け殻」で、起き上がることもできませんでしたが、母の誘いで教会に通うようになり、そのあたたかい雰囲気に、今まで感じたことのない心の安らぎを覚えるようになりました。しかし、キリスト教は侵略と殺戮の歴史の上に成り立っているという考えに囚われていたぼくにとって、聖書の語る愛の神はどこか遠い存在であるように思えました。
暫くして、看護学校の教師である信者に福祉の仕事をしてはどうかと勧められました。初めは興味がなかったのですが、学歴も資格もなかった僕には選択肢がなかったのも事実で、それならば、今度こそ世に役立つ人間になろう! と決意し、ホームヘルパー2級の資格を取って、介護老人保健施設で働くことになりました。しかし、作業は夜勤などもあって予想以上に疲労し、次第に我を忘れ、老人たちに冷たい態度で接するようになっていました。彼らの多くは痴呆や半身マヒなどの障害を抱えていて、中には面会に来る家族すらいない人もいます。ぼくは自分が「姥捨て山」の冷酷な管理人であるように思えてきて、生まれて初めて感じたやる気は空回りし、罪悪感に苛まれ、悔しさから何度も涙しました。しかし、関西にいたころとは反対に、人が生きること、生かされていることの意味を真剣に考えるようになりました。聖書も、少しずつですが読むようになり、心の暗闇に光が射し始めているのを感じました。
2003年8月、ぼくは連合のキャンプに参加しました。2日目の午後は自由時間となり、他の参加者は軽井沢観光に出かけましたが、ぼくはどうしても行く気になれず、ひとり残って部屋で横になっていました。しばらくして、チャペルから歌声が聞こえてきました。行ってみると、他教会のコーラスグループが、賛美歌の練習をしていたのでした。彼らの姿を見ながら、これまでの自分の歩みについて、思いを巡らせてみました。なぜあの時死ななかったのか、なぜ教会に行こうと思ったのか……ぼくは自殺という大罪を犯す前に救われていたことに、その時初めて気がつきました。いつの間にか、一心に祈っていました。するとしばらくして、この聖句が心に浮かんできたのです。
「わたしは、世の光です。わたしに従う者は、決してやみの中を歩むことがなく、いのちの光を持つのです。」(ヨハネ8:12)
涙が溢れてきました。
その時、主イエスがぼくのために十字架にかけられ処刑されたこと、復活によって新しいいのちを与えて下さったことを確信することができました。
この年の10月、ぼくは母とともに洗礼を受けました。嬉しくて嬉しくて、やっぱり大泣きしてしまいましたが、晴れてクリスチャンの仲間入りをさせていただきました。
介護福祉士となった今、ぼくが過去の自分と決別して、前に向かって歩いていくために、主がこの仕事を与えて下さったのだと知りました。生きることは苦しく、また謎に満ちていますが、主がぼくとともに生きて下さることに感謝し、その喜びを常に忘れず、第2の人生を主の愛を人々に伝えるために生きていきます。
Thank you Jesus!