証し1
私と神様との出逢いは、私が小学生のときでした。家のすぐそばにカトリック教会があって、讃美歌を歌うことときれいなカードを貰えることが嬉しくて日曜日ごとに通いました。
中学1年生の終わり頃に悪性の風邪をひき、リウマチ熱にかかり、高熱と関節の激痛と戦っているうちに心臓弁膜症になってしまいました。すぐに入院しなければならなかったのに、今まで一人で家を離れたことなどないうえに、このような形でたとえ短い期間とはいえ家族と別れるのが怖くて10日以上泣きあかしました。その為に症状は悪くなる一方、ついに10日で10㎏も体重が減って、泣くこともできなくなって入院しました。
何度もひどい状態になりながら、その都度助かりました。神様が助けてくださったのに、私は感謝するどころかすっかり神様のことを忘れてしまっていたのでした。
結婚して子供を持つことができましたが、私の体力で子育てはやはり大きな仕事すぎたのでしょう。無理を重ねているうち、倒れてしまいました。脳血栓でした。3日間昏睡状態が続き、私の両親はお医者様から「この方のことはもう諦めてください」と言われたそうです。
でも私の意識は戻りました。左半身の麻痺が残り、母の助けが必要でしたが、どうしても子育てをしたかったのです。リハビリも一生懸命しました。お医者様から「血栓が起きるのは心臓弁膜症の合併症です。手術をしたほうがいいですよ。私があなただったら手術をして元気になって子供を育てますよ」と言われました。その方は女医でしたのでその言葉に女性としての真実の響きがありました。私はその言葉で勇気が出ました。そして32歳と37歳の時に人工弁を付け替える手術を受けて現在に至っています。
その2度目の手術のときに、、同じ病室の1人の女性と知り合い、とても良い友達になりました。お互いの悩みなど話しているうち彼女が牧師様の奥様ということを知りました。が、何ということか彼女は神様を信じることをやめて他の新興宗教にのめりこんでいたのです。
彼女は私に言いました。
「私は今神様を信じられなくなっているけれど、どしても聖書は捨てることが出来ないのであなたに貰ってほしい」と。
彼女は私が退院した後、2度目の手術を受けたときに亡くなりましたがこの聖書を手にする度、私は彼女の信仰のことを思わずにはいられません。この聖書が私の手元にある限り、私は彼女を忘れることは出来ません。
信仰の薄かった私は、2度目の手術の後、15年以上こうして生きています。その間、良い日ばかりではありませんでしたが、4年前に英会話を習い始めたときには一生行くことなどできないと諦めていた外国にも行くことができました。又、英語に興味を持ったことがきっかけでMrs.VanAndaのクッキングクラスに入会することができてクッキングの後のチャペルタイムで何十年振りに聖書の御言葉に触れることができたのです。
このクッキングクラスがきっかけで、どんどん神様までの道が開けてきました。ライト先生御夫妻を師としてChristensen御夫妻はじめ素晴らしい先生方に巡り会うことができ、素晴らしい教えを頂きました。
私の驚きは、私が洗礼を受けることを決めた時期に思ってもみなかったVanAnda御夫妻の来日、それも本太教室の先生として来られるということでしたので本当に驚きました。これは偶然とは思えませんでした。
このように多くのリーダーの方たちが、私のかたくなな心を少しずつ時間をかけて開けてくださいました。
そして私は子供のころのように又少しずつ神様のことを身近に感じられるようになりました。本当は神様はいつも私のそばにいてくださったのです。「Footprints(足跡)」の話のように。
神様は大勢の方々を私のリーダーとして逢わせてくださいました。アメリカで出逢ったCourtもそのうちの一人でした。彼を通じてアメリカでもたくさんのクリスチャンとの心温まる出逢いがありました。
日曜の度に逢える南浦和教会の仲間たち。一度は私の誤った考えから通うことを止めてしまった教会に戻ったとき、暖かく迎え入れてくださった皆さんに感謝します。
教会で皆さんと集うとき、いつもマタイ18章の19〜20節を思い出します。
19 まことに、あなたがたにもう一度告げます。もし、あなたがたのうちふたりが、どんな事でも、地上で心を一つにして祈るなら、天におられるわたしの父は、それをかなえてくださいます。
20 ふたりでも三人でも、わたしの名において集まる所には、わたしもその中にいるからです。」
神様を中心に私たちが集い、讃美歌を歌い御言葉を学び、お互いを思いやる喜びを知りました。
23 神よ。私を探り、私の心を知ってください。
私を調べ、私の思い煩いを知ってください。
24 私のうちに傷のついた道があるか、ないかを見て、私をとこしえの道に導いてください。
私は主を賛美し、主に感謝します。
神様は本当に、長い長い時間をかけて、私をここまでお導きくださいました。神様は私の罪をお許しくださいました。私は初めて幼子のように、自分の命を何の疑いもなく、神様に委ねることができました。どうか私を強めて、私の信仰の道のとこしえなることを守らせたまえ。
イエス・キリストが私たちのために、私たちの罪のために、十字架上で死んでくださり、そしてよみがえり、天に昇られました。この事が私の救いです。
今日、このような私のために、洗礼式に来てくださった皆様に、心から感謝し、心からお礼申し上げます。
皆様の上に、神様の御恵みがありますように。