証し4
私は小さい頃、両親が共働きだったせいもあり、ほとんど祖母に育てられた記憶があります。私は2つ違いの妹がひとりいますが、祖母は私たち姉妹を何をするにも比べていたように感じていました。そのせいか、私はいつも妹だけが可愛がられていると自分勝手に思い込み、妹には随分いじわるをしてきました。妹と和解したのは高校を卒業してからだったと思います。それまでは彼女に嫉妬し、いなければいいとさえ思ったほどです。たぶん、妹も同じ気持だったと思います・・・・。
私達の家は鹿児島にあり、周りは山が迫ってくるほどのド田舎に位置し、宗教といえば、仏教、でも、日本古来の神様を祭ってある神社もある、極々普通の土地です。私は妹と違って、大人しくなかったので、よく神社の奥まで入って、中に何があるのか興味があり、多分ばれたら怒られるであろうと思いながら、扉をあけた記憶があります。中はどんなすごいものが入ってるんだろうと思って内心わくわくしていましたが、なんでもない鏡があるだけでずいぶんがっかりしたものでした。そういうわけで、特に宗教観というものを持たずに育ちました。
そんなわたしがキリスト教と出会ったのは、結婚をしてからでした。私の結婚生活は5年ぐらいだったと思います。彼の様子がおかしいなと気づいたのは2001年の7月。なんとなく、私といると不機嫌になり、避けているような態度をとり始めたのです。最初は気のせいかなぁと思いましたが、次第にそう感じることができなくなり、疑問を彼にぶつけました。でも、はっきりとした返事をくれることもなく、何回も問いただすのも嫌な気がして、それ以上、聞くこともせず、時間だけが過ぎていきました。最初のころ、気のせいかなぁ〜と思っていたことが、いつの頃からか、気のせいだと思いこもうとし、できるだけ彼の嫌がることは避けて、つまり話しかけないようにして生活していました。話しかけることさえ怖くなっていたからです。だれからも愛されていないように感じましたし、同時に必要とされてない人間だと思いました。そんなふうに思い始めると、孤独の根はますます広がり、昔のように妹がいれば、わたしはいなくなってもとくに影響はないだろうとか、そのときは悲しくてもしだいに忘れていくだろうとか、悲観的に考えていました。ちょうどその頃、妹の所属する沖縄の教会へ行くことになりました。妹は「神様はどんな人も愛してくれる」と一番に教えてくれ、また、その言葉は心に響きました。
天の下では、何事にも定まった時期があり、すべての営みには時がある。
生まれるのに時があり、死ぬのに時がある。
植えるのに時があり、植えた物を引き抜くのに時がある。
殺すのに時があり、いやすのに時がある。
くずすのに時があり、建てるのに時がある。
泣くのに時があり、ほほえむのに時がある。
嘆くのに時があり、踊るのに時がある。
石を投げ捨てるのに時があり、石を集めるのに時がある。
抱擁するのに時があり、抱擁をやめるのに時がある。
捜すのに時があり、失うのに時がある。
保つのに時があり、投げ捨てるのに時がある。
引き裂くのに時があり、縫い合わせるのに時がある。
黙っているのに時があり、話をするのに時がある。
愛するのに時があり、憎むのに時がある。
戦うのに時があり、和睦するのに時がある。
神様という存在を知ってから、いくらかの時間を要し、やっと、私は、彼に対して様々な罪を犯し、また、自分自身の存在が罪で、その存在を神が赦し、その赦しのために、神の子であるキリストが十字架に釘づけにされたことで私自身が生かされていると思うことができるようになりました。本当に感謝です。また、今、私は、たくさん人の助けをかりて、神様を受け入れる時を迎えたと思います。
ここに至るまで力添えをしてくださった皆さん、本当にありがとう。