証し2

私が初めてキリスト教に出会ったのは中学1年生のときでした。友達がクリスチャンだったのです。彼女とは学校の休み時間に子供向きの讃美歌を歌ったことを覚えています。また、短距離競走で私が転んで彼女は私の前を走っていたのにもかかわらず、私を助け起こしてくれました。いつも思いやりがある優しい子でしたが、お父さんが亡くなり、まもなく札幌へ引っ越していきました。思えば、これといって苦労のない私はいつも人から助けられていたようです。
小・中学生のときは気管支が悪くてたびたび学校を休んでは両親に心配をかけていました。幸い成長とともに体も丈夫になりました。また、働くようになってからは辛いことの鬱憤を父に向けるようになりました。子どものころはハンサムで優しい父が大好きでしたが、おとなになり人間の醜さがわかるようになると、子ども達をすっかり母に任せて家庭のことをあまりかえりみない父が嫌でたまりませんでした。そして文句を言いながらもそんな父をかばう母にも批判的でした。
このようなときに好きだった英会話を勉強するために新所沢の教会に行くようになりました。そして浦和に引っ越したのをきっかけに南浦和教会に通うようになりました。イエス様の言葉を聞いてもはじめはなかなか私の心は開きませんでしたが、いつのまにか、かたくなな心がとけだしてきました。軽井沢のキャンプでは神様の愛を感じ、私たちの罪のために十字架上で死んでくださったイエス様を救い主として受け入れていこうと思いました。しかし、両親は仏教徒ですので、私がクリスチャンになることを許してくれませんでした。私は彼らを刺激しないようにしながらも私が変わっていくことで彼らが許してくれることを希望しました。そしてとうとう去年のクリスマスにクリスチャンとして生きることを認めてくれました。私も今では一生懸命育ててくれた両親のことを理解できるようになりましたし、父も母を大切にしています。
また、バプテスマを受けるまでの5年間には本当に神様を信じることができるのかという不安と疑問が私の心の中にもありました。マタイの福音書14章22〜33節に強風で揺れている舟に乗って怖がっている弟子たちに自分を信じるようにとさとしているイエス様のことが書いてありますが、私はたびたびこの話を思い出します。私が本当にイエス様を信じ求めたからこそ今日を迎えることができたのでしょう。友達がまいた種が芽が出て少し大きくなったこともイエス様の導きでしょう。私には神様がくださった賜物がどのようなものかまだわかりませんが、その賜物を活かして教会のメンバーのひとりとして神様のすばらしさを伝えていくつもりです。
私を今日のバプテスマまで導いてくださったライト先生、ジョアン先生をはじめ、教会の皆様に感謝し、神様の御恵みがありますよう、お祈りします。証し3