事前にわかっていたら喜べたのに
1.迫害者サウロが来ると聞いてアナニアは喜べなかった
エルサレム教会を迫害していたサウロが、いよいよダマスコにやって来る
と知ったアナニアは、どんな気持ちだったでしょうか?
心中穏やかでなかったことは、容易に想像できます。
しかし、アナニアは答えた。
「主よ、わたしは、その人がエルサレムで、
あなたの聖なる者たちに対してどんな悪事を働いたか、
大勢の人から聞きました。
ここでも、御名を呼び求める人をすべて捕らえるため、
祭司長たちから権限を受けています。」
使徒言行録 9章13〜14節
ダマスコにいたアナニアには、次のような情報が届いていました。
@サウロがエルサレムで、イエスを信じる人々に大変な悪事をしていた
Aダマスコに来たのは、イエスを信じる人々を全員捕縛するため
Bサウロは祭司長たちから、イエスを信じる人々を捕縛する権限を受けている
「いよいよ自分たちの捕まる番か!」
「イエスを信じる我々は、エルサレムへ連行されることになるのか」
「これはまずいことになったぞ」と考えていたことでしょう。
2.ダマスコでサウロが救われるとわかっていたら喜べたはず
この時アナニアは、喜ぶことなどできなかったことでしょう。
けれどもその後、ダマスコでサウロは救われることになるのです。
大迫害者サウロが救われて、アナニアの手から洗礼を受け聖霊に満たされるのです。
もしそのことが、事前にアナニアにわかっていたらどうだったでしょうか?
サウロがダマスコにやってくると聞いた時点で、わくわくしたのではないでしょうか?
「いよいよ大迫害者サウロが救われるぞ!」
「これからここで、すごいことが起きるぞ!」
という期待と喜びで、心が躍っていたのではないでしょうか?
「神による大逆転劇が、ここダマスコで起こるんだ」と喜べたことでしょう。
3.将来起こる神のみ業がわからなかったから喜べなかった
アナニアは、「ダマスコでサウロが救われる」ということが
わかっていなかったから、喜べなかったのです。
ダマスコにサウロが来ることを、懸念してしまったのです。
まさかあのサウロが、イエス・キリストを信じるようになるとは予想だにしなかったのです。
本当は、ダマスコにサウロが来るという情報が伝わった時点で
アナニアは、大喜びできたはずだったのです。
これから起きるであろう神のみわざが、わかっていないと喜べないのです。
アナニアはこれから起こる神のみわざがわかっていなかったので、喜べませんでした。
逆に、サウロの一行を恐れていたのかもしれません。
むすび.神の将来なして下さる素晴らしい御業を信じて喜んでいよう
私たちも、アナニアと同じだと考えられます。
「何で、こんなことが起きるのだろう?これでは、もうだめだ!」
このように考えてしまいがちですが、神はすべてを益と変えて下さるのです。
私たちのすべきことは、何でしょうか?
「神はこれから素晴らしいことをして下さる」と、信じることです。
今この瞬間、将来神がなして下さるみわざを信じて大いに喜んでいる事なのです。
とても喜ぶことのできないようなその瞬間に、今ここで神を喜ぶのです。
「神様、こんな状態で喜べというのですか?」という時に喜ぶのです。
どんな瞬間も、神の私たちに対する限りない愛は変わらないのです。
【今日の聖書】
そこで、アナニアは出かけて行ってユダの家に入り、
サウロの上に手を置いて言った。
「兄弟サウル、あなたがここへ来る途中に現れてくださった主イエスは、
あなたが元どおり目が見えるようになり、また、
聖霊で満たされるようにと、わたしをお遣わしになったのです。」
使徒言行録 9章17節