今日のできごと


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2024/9/14(土)

 

パン五つと魚二匹とを持っていた少年

 群衆に食べ物がなかった時、パンと魚を提供したのは少年でした。
 その食糧が、イエスによって増やされて群衆の空腹を満たしたのです。
 これは、少年がイエスに大いに用いられた一例です。

1.幼い少年だった

 「ここに大麦のパン五つと魚二匹とを持っている少年がいます。
 ヨハネによる福音書 6章9節(前半)

    幼い少年
幼い少年
パイダリオン

幼い少年(少年パイスの指小辞=小さい少年)

@幼い少年,少年,男の子 A少年奴隷
少年
パイス

少年

@男の子,少年,若者,(男の)子供
A男奴隷,男の召使,僕
B少女,女の子,娘

引用:織田昭編 新約聖書ギリシャ語小辞典 改訂第4版

2.少年の親もいたはず

 小さい少年だったということは、当然そこに親も一緒にいた事でしょう。
 事情がわかっていた親は、アンデレと同じ様に
 「こんなに大勢の人では、これっぽちじゃ何の役にも立たないでしょ」と思っていたことでしょう。

 弟子「どなたか、食べものをお持ちではありませんか」
 少年「あっ僕んち、お弁当もってきてたよね」
 親「これだけじゃ、全然足りないからだめだよ」

 少年「ううん、僕持ってく!」
 少年は弟子(アンデレ?)の所に、走っていく。
 少年「ここに僕んちのお弁当のパンと魚があるから、使ってください」

 きっと少年は、こんな風に無邪気に純粋に
 たった5つのパンと2匹の魚を、イエスの弟子に喜んで差し出したのでしょう。

3.とりあえず少年をイエスの所に連れて行った

 アンデレも「いやいや、これっぽっちじゃねぇ」と思ったことでしょう。
 でも断って少年に帰ってもらうことはせず、一応イエスの所に連れて行きます。
 それが良かったわけです。

 もし「こんなんじゃ足りないから、持って帰って」と、アンデレが少年を追い返していたら
 5000人の給食という、イエスの奇蹟は起こっていなかったのです。
 とにかくささげようという少年を、「イエスの元に連れて行った」ここがポイントです。

むすび.少年の純粋な心がつぶされていなかった

 少年の純粋な心をつぶさなかった、これが奇蹟につながっているのです。
 この時の判断は、大人の常識よりも少年の純粋さが神の前に正しかったのです。
 ある場合、少年は大人の模範になり得るのです。

 【今日の聖書】
 弟子の一人で、シモン・ペトロの兄弟アンデレが、イエスに言った。
 「ここに大麦のパン五つと魚二匹とを持っている少年がいます。
 けれども、こんなに大勢の人では、何の役にも立たないでしょう。」
 ヨハネによる福音書 6章8〜9節


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