パン五つと魚二匹とを持っていた少年
群衆に食べ物がなかった時、パンと魚を提供したのは少年でした。
その食糧が、イエスによって増やされて群衆の空腹を満たしたのです。
これは、少年がイエスに大いに用いられた一例です。
1.幼い少年だった
「ここに大麦のパン五つと魚二匹とを持っている少年がいます。
ヨハネによる福音書 6章9節(前半)
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パイダリオン |
幼い少年(少年パイスの指小辞=小さい少年)
@幼い少年,少年,男の子 A少年奴隷
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パイス |
少年
@男の子,少年,若者,(男の)子供
A男奴隷,男の召使,僕
B少女,女の子,娘
引用:織田昭編 新約聖書ギリシャ語小辞典 改訂第4版
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2.少年の親もいたはず
小さい少年だったということは、当然そこに親も一緒にいた事でしょう。
事情がわかっていた親は、アンデレと同じ様に
「こんなに大勢の人では、これっぽちじゃ何の役にも立たないでしょ」と思っていたことでしょう。
弟子「どなたか、食べものをお持ちではありませんか」
少年「あっ僕んち、お弁当もってきてたよね」
親「これだけじゃ、全然足りないからだめだよ」
少年「ううん、僕持ってく!」
少年は弟子(アンデレ?)の所に、走っていく。
少年「ここに僕んちのお弁当のパンと魚があるから、使ってください」
きっと少年は、こんな風に無邪気に純粋に
たった5つのパンと2匹の魚を、イエスの弟子に喜んで差し出したのでしょう。
3.とりあえず少年をイエスの所に連れて行った
アンデレも「いやいや、これっぽっちじゃねぇ」と思ったことでしょう。
でも断って少年に帰ってもらうことはせず、一応イエスの所に連れて行きます。
それが良かったわけです。
もし「こんなんじゃ足りないから、持って帰って」と、アンデレが少年を追い返していたら
5000人の給食という、イエスの奇蹟は起こっていなかったのです。
とにかくささげようという少年を、「イエスの元に連れて行った」ここがポイントです。
むすび.少年の純粋な心がつぶされていなかった
少年の純粋な心をつぶさなかった、これが奇蹟につながっているのです。
この時の判断は、大人の常識よりも少年の純粋さが神の前に正しかったのです。
ある場合、少年は大人の模範になり得るのです。
【今日の聖書】
弟子の一人で、シモン・ペトロの兄弟アンデレが、イエスに言った。
「ここに大麦のパン五つと魚二匹とを持っている少年がいます。
けれども、こんなに大勢の人では、何の役にも立たないでしょう。」
ヨハネによる福音書 6章8〜9節