自己イメージと現実のギャップ
ペトロは、「イエスと一緒なら、牢に入っても死んでもよい」と言っていました。
するとシモンは、
「主よ、御一緒になら、牢に入っても死んでもよいと
覚悟しております」と言った。
ルカによる福音書 22章33節
しかし実際のペトロは、まったく違いました。
一時間ほどたつと、また別の人が、「確かにこの人も一緒だった。
ガリラヤの者だから」と言い張った。
だが、ペトロは、「あなたの言うことは分からない」と言った。
まだこう言い終わらないうちに、突然鶏が鳴いた。
ルカによる福音書 22章59〜60節
3回も「イエスを知らない」という意味の言葉を語ってしまったのです。
ペトロの持っていた「イエスと一緒なら牢にでも入れるし死ぬことだってできる」
という理想的な自己イメージは、もろくも崩れ去ってしまったのです。
現実はそんな理想的な姿ではない、極めて自己中心的で保身に走りやすく
そのためなら平気で偽りの証言をしてしまうという、罪深さをもった
弱く罪深い姿だったのです。
ここから私たちも、いかに理想的な自分のイメージを持とうとしても
実際は、ペトロ同様極めて自己中心的で罪深い行いに走りやすい
醜く弱い存在なのだということに気づかされます。
しかし、そんな醜く弱い私をペトロ同様イエスは愛して赦して
受け入れて下さっているんだと思うと、その愛に胸が熱くなるのです。
罪深い私たちを、限りない愛をもってイエスは愛してくださっているのです。
【今日の聖書】
主は振り向いてペトロを見つめられた。
ペトロは、「今日、鶏が鳴く前に、あなたは
三度わたしを知らないと言うだろう」と言われた主の言葉を思い出した。
そして外に出て、激しく泣いた。
ルカによる福音書 22章61〜62節