神に造られたのに死なねばならない人生
聖書には次のように書かれています。
神は御自分にかたどって人を創造された。
神にかたどって創造された。
男と女に創造された。
創世記 1章27節
人間は、神によって造られた存在なのです。
神に造られた、尊い存在です。
どんな人も、神にかたどって創造された大切な貴重な存在なのです。
ところが聖書にはこう書かれています。
こう言われているからです。
「人は皆、草のようで、その華やかさはすべて、草の花のようだ。
草は枯れ、花は散る。
ペトロの手紙一 1章24節
人間は、草のようにはかない存在であるということです。
神によって造られた存在にもかかわらず、草のようにはかない存在であるということです。
神に造られたにもかかわらず、草のように枯れ花のように散らなければならないのです。
いかに大きな財産を築いたとしても、一国の王となったとしても、
死という避けられない終わりによって、一生を終わらなければならないというのが
人間なんだというのです。
いったいなぜなのでしょうか?
なぜ、神によって造られた存在にもかかわらず、
こんなに、はかなく一生を終えなければならないのでしょうか?
神は、むなしくはかない人生を送らせるために人をお造りになられたのでしょうか?
私たちは、死とどのように向き合って生きていけばよいのでしょうか?
また愛する人を失ったとき、どうやって生きていけばよいのでしょうか?
(明日に続く)
【今日の聖書】
こう言われているからです。
「人は皆、草のようで、その華やかさはすべて、草の花のようだ。
草は枯れ、花は散る。
ペトロの手紙一 1章24節