今日のできごと


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2024/5/30(木)

 

憎しみの露見

1.憎しみは罪

 憎しみはすぐに捨て去るべきもので、持ち続けていてはなりません。
 憎しみは、隣人愛ではありません。
 憎しみは、神に喜ばれません。

 カインは弟アベルに言った、「さあ、野原へ行こう」。
 彼らが野にいたとき、カインは弟アベルに立ちかかって、これを殺した。
 創世記 4章8節

 カインは弟のアベルを憎み、結局アベルを殺してしまうのです。
 カインの抱いた憎しみは憎しみで終わらず、それは膨らんで殺意になり、
 最終的には殺人という、恐ろしい行動に移ってしまうのです。

2.隠れた憎しみも捨て去る

 表面的には憎しみを表さず、それを隠してにこやかに明るく振舞っていたとしていても
 内側に憎しみを温存している限り、それは罪の温存となり神から遠ざかってしまいます。
 人に気付かれなければ良い、というものではないのです。

 愛する人の与える傷は忠実さのしるし
 憎む人は数多くの接吻を与える。
 箴言 27章6節(新共同訳)

 「憎む人は、数多くの接吻を与える」とあります。
 誰かに対して憎しみを持つ時、それを悟られないために
 あえて、好意的な行動をしたりする場合もあります。

3.憎しみはやがて露見する

 憎しみは明らかに罪ですから、神との交わりを隔ててしまいます。
 神が大きな愛で愛して下さって、せっかく私に近づこうとされているのに
 自分の方から、神との交わりを隔てる壁を作ってはなりません。

 神との間に壁があってはならないのです。
 神との関係を隔てる部分は、それはすなわち敵の攻撃に対する大きな穴になります。
 そこをとっかかりにして、激しく攻撃されてしまいます。

 神の喜ばれない思いは、すぐに捨て去るべきです。
 それを、持ち続けてはならないのです。
 ひそかに誰かを憎んでいることを、誰にも悟られないように隠していても

 やがてその憎しみは、露見してしまいます。
 憎しみはごまかし隠しても
 その悪は会衆の中で露見してしまうのです。

むすび.憎しみを捨て去り愛に生きる

 私たちは、憎しみを捨て去る決断をする必要があります。
 そして愛することを、決断するのです。
 憎しみを隠し持つことは、やめるのです。それは、やがて露見してしまうのです。

 【今日の聖書】
 憎しみはごまかし隠しても
 その悪は会衆の中で露見する。
 箴言 26章26節


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