今日のできごと


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2024/4/25(木)

 

自分に死ぬ体験

 自分がしたくないことを、しなければならなくなった時
 自分が行きたくない所に、行かなければならなくなった時
 「何でこんなことをしなければならないのだろう」と思うかもしれません。

 他人が汚したものを、自分が洗わなければならなくなった時
 「自分が汚したもの位、自分で洗えばいいんじゃないか」と思うかもしれません。
 「私はあなたの奴隷じゃありません」と言いたくなるかもしれません。

 けれどもそんな時、イエスを思い起こすのです。

 夕食の席から立ち上がって、上着を脱ぎ、手ぬぐいをとって腰に巻き、
 それから水をたらいに入れて、弟子たちの足を洗い、
 腰に巻いた手ぬぐいでふき始められた。
 ヨハネによる福音書 13章4〜5節

 そうか、イエス・キリストも弟子達の足を洗われたんだ
 自分が汚したわけでもない、弟子達の足を全員分洗われたんだ
 と思い起こすのです。

 その姿こそ、自分に死んだ姿であり、愛の姿なのです。
 愛というのは、犠牲が伴います。
 その犠牲を払うには、自分に死ぬ必要があるのです。

 自分に死ぬときに、他人を生かすことができるのです。
 そして他人を生かす時、隣人愛がそこに表されて行くのです。
 自分に死んで人を生かす愛をもって、隣人を愛していきたいと願います。

 【今日の聖書】
 「姦淫するな、殺すな、盗むな、むさぼるな」など、
 そのほかに、どんな戒めがあっても、結局
 「自分を愛するようにあなたの隣り人を愛せよ」というこの言葉に帰する。
 ローマの信徒への手紙 13章9節


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