聖なる者となれ
私たちは、聖なる者となる必要があります。
「元々罪人だったのに、聖なる者になるなどというのは無理です」
というのではありません。聖なる者になることが、できるのです。
「元々罪人だった」というのは、キリストの十字架の血潮によって
きよめられたので、解決しています。問題ありません。
十字架の血潮で罪がゆるされた後、ここからが大事です。
「ゆるされているのだから、罪を犯しても大丈夫だ」
という考えに、惑わされてはならないのです。
罪がゆるされてきれいになったのなら、そのきれいさを保たなければなりません。
子供が食事の前に、泥だらけの手を母親に洗ってもらって
きれいにしてもらったのに、その手でまた泥を触りに行ったら
いつまでたっても、食事ができません。
それと同じです。
一旦手をきれいにしてもらったら、そのきれいさを保つのはその子の責任です。
それと同じように、十字架で罪を赦されてきよめられたら
そのきれいさを、保たなければならないのです。
聖でないものに、触れないようにしなければなりません。
聖でないものを、心の中に入れ込まないようにしなければならないのです。
殺意、憎しみ、傲慢、悪口、嘲り、貪欲、好色、姦淫、盗み、偽り、暴力、
その他、悪と言われているものすべてから遠ざかるのです。
生活のすべての面で聖なる者となることが、神の御心なのです。
【今日の聖書】
召し出してくださった聖なる方に倣って、
あなたがた自身も生活のすべての面で聖なる者となりなさい。
「あなたがたは聖なる者となれ。わたしは聖なる者だからである」と
書いてあるからです。
ペトロの手紙一 1章15〜16節