ダビデの罪の結果の刈取り
1.神はダビデの妻たちが隣人に与えられると宣告した
ダビデが、ヘト人ウリヤの妻バト・シェバとの姦淫の罪を犯し
ウリヤを戦場で戦死させた罪に対して、神は次のような罰を与えると語られました。
主はこう言われる。
『見よ、わたしはあなたの家の者の中から
あなたに対して悪を働く者を起こそう。
あなたの目の前で妻たちを取り上げ、あなたの隣人に与える。
彼はこの太陽の下であなたの妻たちと床を共にするであろう。
あなたは隠れて行ったが、
わたしはこれを全イスラエルの前で、太陽の下で行う。』」
サムエル記下 12章11〜12節
2.アブサロムがダビデの側女たちの所に入った
この言葉は、アブサロムによって王座を奪われそうになった時に成就しました。
ダビデの子アブサロムは、父ダビデの憎しみを買うために
全イスラエルの注目の中で、父ダビデの側女たちのところに入ったのです。
アヒトフェルはアブサロムに言った。
「お父上の側女たちのところにお入りになるのがよいでしょう。
お父上は王宮を守らせるため側女たちを残しておられます。
あなたがあえてお父上の憎悪の的となられたと全イスラエルが聞けば、
あなたについている者はすべて、奮い立つでしょう。」
アブサロムのために屋上に天幕が張られ、
全イスラエルの注目の中で、
アブサロムは父の側女たちのところに入った。
サムエル記下 16章21〜22節
3.アブサロムの行動はすでに神が定めておられたことだった
アブサロムのこの行動は、アヒトフェルの助言によるものでしたが
実はダビデが罪を犯した直後に、すでに神が定めておられたことだったのです。
アブサロムが、ダビデに対して悪を働くことになったのも
ダビデの側女たちの所に、入ることになったのも
すべて神がそれを、定めておられたことだったのです。
ということは、もしダビデがバト・シェバと姦通を犯さなければ避けられたことだったのです。
むすび.罪の結果の刈取りが必ずあるから罪を軽く考えてはならない
私たちは、ダビデの罪の結果の刈取りを見る時、
「絶対に、ダビデのような罪は犯してはならない」と教えられます。
罪を犯すことを、軽く考えてはいけないんだということです。
「ダビデは姦淫と殺人の罪を犯したけれども、平気だったじゃないか!」
「命も取られなければ、王位も奪われなかったではないか!」
という具合に、「罪を犯しても大したことはない」と誤解してはならないのです。
ダビデの犯した罪の結果の刈取りは、それはそれはひどい苦しみと悩みだったのです。
確かに彼の罪はゆるされ命も王位もそのままでしたが、自分の息子に命を狙われ
いのちからがら逃げまどい、最後にはその息子が家臣の手によって殺されてしまうのです。
罪のゆるしは確かにあります。十字架の血潮によって、私たちは赦されます。
けれども罪を犯したその結果の刈取りは、必ずやって来るのです。
どうせ十字架の血潮で赦されるんだからと言って、軽々しく罪を犯していてはなりません。
神をおそれて、罪から遠く離れた生き方をする事が大切です。
【今日の聖書】
悪を避けて善を行い、
平和を求めて、これを追え。
ペトロの手紙一 3章11節