罪を告白するならば
レビ記に見られる、イスラエルの民に対する神の定めは、
神の戒めを忠実に守るならば、神が祝福してくださり
神の戒めを守らないならば、神の厳しい裁きを受けることになるというものでした。
しかし、その続きがあります。
民が罪を犯し、敵の国に連れ去られた後でも、
民が、自分と先祖の反抗した罪を告白するならば
神は、アブラハム、イサク、ヤコブとの契約を思い起こして下さる、
ということなのです。
もう罪を犯してしまったから、再起不能ですというのではなかったのです。
神は、民が罪を犯し、敵の国に連れ去られた後でも
決して民を見放すことはなさらず、彼らを滅ぼし尽くされないのです。
民が甘んじて罪の罰を受け入れて、悔い改めるのを待っておられるのです。
それにもかかわらず、彼らが敵の国にいる間も、わたしは彼らを捨てず、
退けず、彼らを滅ぼし尽くさず、彼らと結んだわたしの契約を破らない。
わたしは彼らの神、主だからである。
レビ記 26章44節
神の戒めを守らずに悪を行ってしまった時、確かに神の厳しい裁きはあります。
けれども、そのさばきを受けてしまった後でも
まだなお、回復の道が残されているのです。
【今日の聖書】
しかし、もし彼らが自分と自分の先祖の罪、
すなわち、わたしを欺いて、
反抗した罪を告白するならば、
たとえわたしが彼らに立ち向かい、
敵の国に連れ去っても、
もし、彼らのかたくなな心が打ち砕かれ、
罪の罰を心から受け入れるならば、
そのとき、わたしはヤコブとのわたしの契約、
イサクとのわたしの契約、
更にはアブラハムとのわたしの契約を思い起こし、
かの土地を思い起こす。
レビ記 26章40〜42節