異教の風習を取り入れてはならない
約束の地に入ろうとしていた、イスラエルの民に対して
神は、その地の民の異教の風習や習慣を知ろうとしたり
それにならったりしてはならないと、厳格に命じておられました。
現代のキリスト教会においても、これは当てはまります。
「仏教のように、仏像のような像があるといいな」と言って、
キリストの像を作って飾って、それを拝んだりしてはなりません。
「神社のように、教会の門にも鳥居のような門があったらいいなあ」と言って
会堂の門に、鳥居のような飾り門をつけたりもしません。
神ではない物を神として拝むことは、神に最も厭われ憎まれるべきことであって
そのような習慣を、キリストの教会に取り込んではならないからです。
私たちは純粋に、聖書に命じられている通りに神を礼拝し神に仕えるのです。
聖書に書かれていない異教の習慣を、教会でやろうとしてはなりません。
たとえそれが、キリストを礼拝するためのものだといっても
キリスト像を作って、それを拝んではならないのです。
目的如何にかかわらず、異教の習慣や風習を取り入れてはなりません。
【今日の聖書】
注意して、彼らがあなたの前から滅ぼされた後、
彼らに従って罠に陥らないようにしなさい。
すなわち、
「これらの国々の民はどのように神々に仕えていたのだろう。
わたしも同じようにしよう」
と言って、彼らの神々を尋ね求めることのないようにしなさい。
あなたの神、主に対しては彼らと同じことをしてはならない。
彼らは主がいとわれ、憎まれるあらゆることを神々に行い、
その息子、娘さえも火に投じて神々にささげたのである。
あなたたちは、わたしが命じることをすべて忠実に守りなさい。
これに何一つ加えたり、減らすことがあってはならない。
申命記 12章30節〜13章1節